1―1 とある小隊の昼休み
異界ファルテウム。
そこは、勇者と魔王が長年に渡り戦を繰り広げる戦乱の世界。
この世界において人間は創造主に愛された勇者か破壊者に呪われた魔王に大別される。共に高い身体能力と特異な力を持ちながら、両陣営は互いに反発しあい、それぞれの領地を確保して日々の暮らしを営んでいた。
そしてここは、世界の全陸地の一割の面積を占める勇者陣営の領地――“聖域”、そのおよそ中央に位置する、“聖域”の中で最も栄えた都市、聖都オヴリーシャ。
言うなれば地球における「国」に相当する“聖域”の「首都」だ。魔王との争いの結果、何度も境界線を塗り替えてきた歴史を持つ“聖域”だが、聖都オヴリーシャはその中で唯一、一度も魔王の手に落ちたことのない都市でもある。つまり勇者が誕生してから変わらずここにある最古にして不落の都市。
そんな聖都オヴリーシャの中にある憲兵駐屯所の食堂にて、年季の入った木製のテーブルにぐだっと顔を乗せる青年がいた。
「…………暇、だな」
年は二十に達するかも微妙な若さだ。真っ直ぐ立てばそれなりの上背はありそうだが、頭をテーブルに置くために折れ曲がった背筋はしばらくは直立する気配がないようだった。憲兵に与えられる簡素な革の制服を着た青年の左肩口には、中の下ほどの階級であることを示す小隊長の徽章。
黒とも白ともつかない珍しい灰色の髪――特に前髪は、青年の顔を覆うようにだらりと垂れ下がっていた。その隙間から覗く瞳は漆黒。ともすれば腐った魚の目のようと例えられても不思議ではないほどに。目の下にはうっすらとクマがついているようにさえ見えた。
「なに嘆いてるんですか。憲兵が暇であることこそ望むべき状態ですよ、シャネス先輩」
青年――シャネス・ノワン・ファーテルムの腐った呟きに応えたのは、向かいに座る小柄な少女。肩ほどまでの萌葱色の髪に、同じく萌葱色の大きな瞳。これでも今年十七になる少女は、身長には不釣り合いな豊満を机に乗せながら、生徒を窘める教師のようにそう言った。
「……口にソース付いてるぞ。ガキかお前は」
「……え!? ど、どこですか!? 右? 左!?」
「まあ冗談だけど」
「はあ!?」
先程、一応は若く健康であるシャネスですら「おお……」と唸ってしまうほどの量のステーキを平らげた少女をからかいながら、シャネスはそっと少女から目を逸らした。こうして共に食事をとるたびに「そりゃ育つ訳だわ……」と思いながら口には出さない。少女はどうやらその部分がコンプレックスらしいのだから。
「相変わらずよく食うよなぁ。見てて惚れ惚れすんぜ。そのエネルギーが横じゃなく上に伸びるのに使われればもーっといいのにな、ミル」
――と、見事に彼女――ミル・オースウェルの地雷を踏み抜いたのはシャネスの横に座る青年。年は十九でシャネスと同い年だ。浅黒い肌に青い短髪と瞳、そしてシャネスよりも大きく細身。牙のように大きい八重歯を口から覗かせた青年の挑発はものの見事にミルに命中した。
「面白い冗談ですねガリエル先輩。食後の腹ごなしとして模擬戦付き合ってもらっていいですか?」
「おおいいぜ? せいぜいエネルギー消費して無駄なトコにこれ以上肉が付くのを止めてみるんだなぁ?」
青年――ガリエル・ギギザリアのセクハラ紛いの口撃にミルから放たれる怒気が膨れ上がっていく。こうなるともうシャネスの手には負えない。さっさと逃げるか、いや先に食堂の責任者に謝りに行ってくるか――とシャネスが重い腰を上げようとしたとき。
「またやってるの? 懲りないわねえ、あんたたちも」
――そこへ現れたのはちょうど厨房へ食器を返して戻ってきた女性。明るい橙色の長髪が歩くたびに揺れ、しゃなりしゃなりという彼女のなよやかな歩きをさらに強調する。蠱惑的な赤い瞳が周りの男たちの視線を惹き付けていた。
シャネスは頭に手をやる。よりによってこのタイミング、あとほんの少し遅ければ既に模擬戦が始まっていただろうにと。
「ここは喧嘩する場所じゃないの。落ち着きなさい、二人とも」
彼女は普段はとても冷静だ。よく周りを見ているし、誤った判断を下すことも少ない。争いの仲裁など慣れたものである。
それが、この小隊の中でなければ。
「関係ねぇ年増は黙ってろ、メザリア」
「部外者は口を出さないでください。メザリア先輩」
彼女――メザリア・ラン。小隊最年長の齢二十七にして、ミルと対極をなす絶壁。二人の言葉はいつものように寸分の狂いなく彼女の逆鱗に触れた。
「気が変わったわ……その喧嘩、私も混ぜてもらっていいかしら?」
「いい加減やめろお前ら!?」
メザリアが額に青筋を浮かべながら実にいい笑顔を浮かべたところでやむなくシャネスは彼らの間に入り、声を荒らげた。
このままでは、俺が謝るどころではない事態になり得る、と…………
***
勇者といえど人間。聖人君子でもなければ血の通わない冷酷殺戮機械でもない。笑い、怒り、悲しみ、苦しむ存在――つまりは地球の人間となんら変わりはない。ただ少しだけ肉体強度が桁違いで特異な力を扱えるというだけの存在だ。
ゆえに“聖域”では一般的な資本主義経済が成り立っている。勇者の個々人は適性にあった職に就き――決して全員が戦闘に特化している訳ではなく、むしろ戦闘系の職に就くのはかなりの少数派だ――通貨単位マニで表される金を稼ぎ、毎日を過ごす。一応は常に戦時下ではあるが、それが数百年も続けばもはや日常だ。特に最近は魔王との争いが膠着状態に陥っており、穏やかな毎日が続いていた。
職の中には当然、治安維持組織もある。厳密にはここ“聖域”では治安維持組織と軍事組織が統合された“英雄衆”と呼ばれる巨大な機構が存在し、平時は治安維持を目的とした憲兵的活動、有事の際は戦地へ赴く軍事的活動を行う。ここに所属できるのは勇者の中でも限られた者のみで、その名の通り英雄として民から感謝と尊敬の念を受けるのだ。
そんな“英雄衆”において、近頃、妙に注目を浴びる一つの小隊があった。
管轄は聖都オヴリーシャ。通常は四人一組の班をさらに複数個統合した単位である小隊をたった四人で名乗る者たち。しかも本来ならばより高い位についていて然るべき実力者にして変わり者の集まり。
実際に目にしなければ噂話と片付けられてもおかしくない事実を体現する奇妙な勇者たち。
番外小隊と称される彼ら――シャネスを小隊長とする四人の姿を食堂にて目撃した勇者は思った。
――ああ、本当に普通じゃない小隊だ……と。