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4―5 暗転

 小隊長三人の惨殺体が川岸で発見されてから二日後のこと。


 同じ森でそんなことが起きているとはつゆも知らないミルは、いつものように目を覚ました。


 視界を染める青が今日も快晴であることを伝えている。この時期は気候が安定していることもあり、久しく雨は降っていない。もっとも“英雄衆ギルド”の人間にとっては僥倖に他ならないだろう。雨を凌ぎながら続ける探索を好む勇者などいるはずもないのだから。


 目覚めは決して悪くないミルだが、すぐには起き上がらず寝返りを打った。視線の先には見張り役のシャネス。ミルに背を向け油断なく外に警戒を向けるシャネスの背中を眺めるのが、ここ数日のミルの朝の日課だった。

 身長の割には華奢なはずのシャネスだが、ほんの少し猫背ぎみのその背中はやけに大きく感じる。いや、華奢というのはあくまで外見の話か。あれだけの実力を持つシャネスが凡百な肉体であるはずがない。意識を失ったシャネスを川から上げるときの重さや筋肉のしなやかさは、決して鍛練を怠っている者のそれではなかった。


「…………」


 ――この人になら背中を預けても大丈夫だと、ミルは深く感じていた。だからこそこんな森の奥深くでも無理なく寝られるのだ。かつて誰よりも人を――男というものを恐れていたミルでも、シャネスの前でなら寝ることができた。


 ささやかな日課を終えてミルは起き上がる。勇者の屈強な肉体は地面の上で寝たくらいではびくともしない。むしろ柔らかな短草が生える場所を選べば、野外にしては快適ですらあった。

 眠気覚ましに大きく伸びをしてからミルはシャネスへと歩み寄った。それに気付いたシャネスが振り返る。


「ん……起きたか」

「おはようございます。見張り、代わりますよ。先輩も少しは休んでください。毎日夜通しなんて無理しすぎです」

「夜を明かすのには慣れてるし大丈夫。それより、まだ朝飯には早いし、もう少し寝たらいいんじゃないか?」

「別に朝ごはんが食べたくて起きた訳じゃありませんから!」


 「え、そうなの?」と素で驚くシャネス。どうやら自分は食事のことしか頭にない女だと思われているらしい。というより、薄々気付いてはいたが、シャネスの中でミルはまだ子供扱いされているようだ。


 しかしここで声を荒らげてしまってはそれこそ子供ということだろう。大きな声で驚かせてしまった小鳥たちに謝るつもりで心を落ち着けて、努めて冷静にミルはシャネスを諭した。


「……私はもう子供ではないので。それと、水を補給してきます。先輩のも借りますね」

「一人で大丈夫か? 迷うなよ」

「だから子供じゃありませんってば!」


 早速声を荒らげてしまっていることにも気付かず、二人分の水筒を持って、ミルは近くの小川へと向かった。 


 川までは、この辺りに流れ着いた初日に既に簡素な道を造ってある。草を刈っただけのものでも目印としては十分だし、いくら“聖域”外での活動経験の少ないミルとて迷うはずはない。それにしたがってミルはずんずんと道を歩いていく。

 川の真横に拠点を造ってしまえばいいというのは至極当然の考えではあるのだが、川には水を求めて他の野性動物、場合によっては異形までもが寄り付くことがある。つまり、あまり近くに造ると不要な危険を抱えてしまうのだ。ゆえにこうして少しは川から離れた場所で留まるのが基本となる。


「…………はぁ……」


 朝の清々しい空気。木々を通してより清浄になったそれらを肺に吸い込むと、不安さえ少しずつ和らいでいく。

 不機嫌をあらわにして歩いていたミルもすっかり落ち着き、ちょうど起床直後の気だるさも消えて、心なしか体が軽くなったようにも思えた。

 手首に嵌めた花冠改め腕輪は色褪せない瑞々しさを保っている。シャネスお手製の装飾品はミルのお気に入りであった。まるでシャネスがここにいるのかのような安心感があるからだ。ふと先程のシャネスの態度を思い出したミルは、わずかに眉をひそめながらも、やがて小さく笑った。


「…………あ」


 いつの間にか川のせせらぎがしっかりと聞こえるようになっていた。川に着いたのだ。

 ミルは駆け寄ると、川縁にしゃがみこみ、水筒に水を汲んでいく。水深は手のひらから肘ほどまでだろうか。こぽこぽと心地よい音を立てながら水が水筒へと吸いこまれていく。まだ低めの水温もまた気持ちよく、頭が冴え渡っていくような気がする。


 探せば川魚もいるだろう。塩焼きにしたそれを思い浮かべ――塩はここにはないので調理はできないが――途端に溢れる涎をなんとか押し留めて、ミルはぶんぶんと頭を振った。


「……よし、と」


 二人分の水筒に水を汲み終えたミルは、少し重くなったそれらを両手に持ちつつ踵を返す。あとは一本道を帰るだけだ。


 今日はシャネスに是非とも休んでもらいたい。意識を取り戻した日の翌日から、シャネスは夜の見張りを一人で受け持っていた。それに甘えてしまっている自分を改め、今日はミルが諸々の仕事をしようと決めていたのだ。

 まずは水の確保を終え、次は朝食の準備だ。帰るついでに食材の一つでも見つけていこうと、ミルが辺りを見回しながら歩いていると。


 ふと木陰に見つけたのは、そこだけ光が射し込む小さな空間。

 まるで木々に隠されるかのように存在する不思議な領域だった。


 日光の祝福を受けてクラブリーフが群生している。頭上の枝葉は何かしらの原因で綺麗に欠落しており、そこから光が射し込んでいるようだ。

 思わず足を踏み入れたミルは、食材を探すことも忘れて一人立ち尽くした。


 どれほどそうしていただろうか。チチ、と聞こえた小鳥の声でミルは我に帰った。


 こんなことをしている場合ではない。戻るのが遅れればまたシャネスに子供扱いされてしまう。

 そう思いつつも、ミルは屈みこんで、このクラブリーフの中にあるかもしれない四つ葉を目で探し始めた。目星をつけて探ってみるとあるのは重なった三つ葉。そんなことを数度繰り返しつつ、ミルの表情は綻んでいた。


 そして――ついに。


「あ……!」


 ミルの目は確かな四つ葉を捉えた。他のクラブリーフと重なっている訳でもない、正真正銘の四つ葉だ。

 慎重に周りのクラブリーフをかき分けてミルは四つ葉を摘んだ。


「やっと――」


「……見つけタ」


 聞こえたのは、ゾクッと怖気が走る不快な声。

 静かに何者かがミルの背後に現れていた。


 ミルが何かをする猶予はなかった。


「―――」


 肉を断つ鈍い音が響いた。


  ***


 ミルが水を汲みに向かってから三十分後。


 シャネスはミルも通った川への一本道を歩いていた。


 いくらなんでも時間がかかりすぎている。この一本道で迷うはずはないし、たかが水の補給でそれほどまでの時間を要するとは思えない。多少の寄り道をしたとしても遅すぎる。


 嫌な予感と焦燥感に耐えながらシャネスは川へと着いた。やはりミルの姿はない。


 道の脇に逸れて森に入り込み戻れなくなった――いや、ミルはそんな失敗はしない。ならば何かを探すため……そう、例えば水辺に集まった獣を食料にしようと追いかけてどこかへ消えた可能性もある。いずれにしろ、ミルがただがむしゃらに動くとは考えづらかった。

 どこかに獣道でもあるのかもしれないと、シャネスは道の脇までくまなく探し始めた。一つだけ頭に浮かんだ最悪の予想はすぐに無視していた。


 見つけられないほどにシャネスの焦りは加速していく。早く見つけてやらなければいけないと心が騒ぐ。ミルはまだ経験が浅い。外見以上に臆病で、想定外の事態に対応できるほどの胆力は持ち合わせていないとシャネスは知っていた。だからこそ、シャネスが導いてやるべきなのに――


「…………!」


 そのとき、シャネスは木々の奥に不思議な光が射し込んでいるのを見つけた。道を逸れた先にあったのは、クラブリーフが群生する場所。


 ――そして、その草むらの端に。


 血に染まった、クラブリーフの腕輪が落ちていた。


「――…………」


 シャネスがミルに贈ったものということはすぐに分かった。ミルが大事にしていた、瑞々しく美しかったはずの腕輪は、誰かの血で染まっている。


 視線を徐々に上げていくと、草むらを横断し森の奥へ消えるように血痕が残っていた。道標のように作為的な印だ。


「…………」


 血痕の先へと向けられた瞳。

 無言で立ち尽くすシャネスのそれは、どこまでも冥く黒かった。

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