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4―4 目覚め

 ゆっくりと、その異形クリーチャーは洞窟を出る。久しぶりに浴びる日光は、しかし目を持たない異形には感じられない。肌で感じる熱だけが日光を浴びているということを異形に知らせた。


 目を始めとして耳や鼻といった感覚器官をほとんど持たない異形――〈ファング〉にとって、外界の情報を得る術はたった一つ、肌による感覚に頼るのみだ。瞬間的な硬化を可能にするその特殊な肌には、人並みの痛点と膨大な数の触点、熱を感じる感覚点が存在しており、音や熱源との距離を正確に測ることができる。


 三日かけて右脇腹の傷をほぼ完全に癒やした〈牙〉は獰猛に笑っていた。久しく人間を殺していないことに本能が疼く。〈牙〉の存在意義は人間を殺すことにあり、それが満たされていない以上、欲求が高まっていくのは当然のことだった。


「……ハァァあ……早ク、奴らヲ…………」


 涎を滴らせながら知覚範囲を最大まで広げる〈牙〉。ガリエルの〈超覚ハイセンス〉に匹敵――いや、それを凌駕する範囲の端に多数の熱源があることを〈牙〉は察知した。

 熱源は全員が等間隔に広がった状態で一方向に進行している。この辺りではまず見ることのない人数が組織的に動いていることからして、ただの探索者の集団でないことは明らかだ。何かしらの意図を持った隊列と考えるのが普通だろう。


 人間が手の届く範囲にいるというだけで〈牙〉の体の奥底から堪えがたい欲求が込み上げる。今すぐにでも駆けつけ鏖殺してやりたい、早く血を見たいという〈牙〉の本能に刻まれた願望が暴れだす。


「まダ……ダ……。あレは無視しテ……奴を…………!」


 狂おしいほどに殺したい。だが、今はまだ早いのだ。〈牙〉には先に殺すべき相手がいる。自分に屈辱を与えたあの勇者を八つ裂きにしなければ、〈牙〉は自身の存在意義を満たせない。自分から逃げたフードの魔王はまだしも、一度完全に自分を圧倒した勇者だけは殺さなくてはならない。


 休息と共に鉱石を喰らい回復した〈牙〉の肉体は、以前に比べさらに成長を遂げていた。摂取した鉱石を取り込むことで〈牙〉の皮膚はより滑らかかつ密な構造を得ており、それは硬化時の頑強さに直結する。それだけではなく、点在する感覚点の数も増え、鋭敏に状況を捉えることが可能になっていた。


 この体であれば例えあの勇者が相手だろうと殺せる。〈牙〉はそう確信していた。


「は、ハ……早く……早ク…………!」


 掠れたように笑いながら、〈牙〉は動き始めた。


  ***


 ――同時刻、〈牙〉討伐作戦本隊。“英雄衆ギルド”第三軍団の勇者である男三人は川に立ち寄り水の補給を行っていた。


 彼らが所属する旅団は現在小休止中であり、索敵陣形を一時的に解いて休憩をとっていた。その間に水分を補給しに来たのである。

 幸いにもこの森は水源には事欠かず、水不足に悩まされることはない。水がなくても長く生きられる体とはいえ、それはあくまで限界状態においては耐えることが可能というだけのこと、水があるならば摂取しておくに越したことはないのだ。


 煮沸せずとも十分に飲めるであろう澄んだ流れから水を頂戴しつつ、三人は今回の作戦についての不満を漏らしていた。


「……ったく、こんな作戦をやる必要なんざあったのかよ」

「確かに。これだけ探して〈牙〉の形跡すら見つからないとなれば……やっぱり死んだと考えるのが妥当だろう。これ以上続けても無駄なだけに思えるね」

「しかもこんだけの人数でだぜ? たかが一匹の異形相手によ。“英雄衆”の名が聞いて呆れる、ビビりすぎなんだよ」


 口々に愚痴をこぼす三人の左肩口には小隊長の徽章バッジ。一応は彼らも十人以上の隊員を束ねる長なのである。


 まだ小隊長となってから日の浅い者であり、剣の腕はそこそこでも長としての経験が伴っていなかった。認められたという自負と大きな驕りを持っていたのだ。


「探索者が殺されたっていうのも、そりゃそいつらが雑魚だっただけの話だろ。“真躯マゼンタ”に数えるのには無理がある」


 他の二人も同意する。三人は“英雄衆”とは選ばれた者の集団であり探索者とは天と地ほどの差があると、無意識に思い込んでいた。逆に言えば“英雄衆”に入ることができた時点で自分は優れているのだと錯覚していた。

 このような勇者は決して少なくない。かつて師団長として傲岸不遜な振る舞いをしていたアレグロード・ホムのように――彼は実力だけで言えば間違いなく優れていたが――自分は圧倒的に並の勇者とは違うと思い込んでしまう者が一定数いるのだ。

 実際に「脅威」を目にしたことのない者にとっては、むしろそれが当然のことなのかもしれない。


 結果として三人は、上層部の〈牙〉への評価は過大であると高をくくっていた。


「悪いけど、死んだ奴はあくまで自業自得だね。力を持たなかった自分を恨むべきだ。僕たちなら逆に狩ってみせるさ」


 「違いない」と二人も笑った。溜まっていた鬱憤をひとまず晴らした三人は、水を補給し終えて立ち上がる。


「さっさと戻ろうぜ。もうどやされるのは勘弁だ」

「待てって、ついでに小便も…………あ? 何だあれ」


 草むらへと向かおうとした一人が訝しげな声を上げた。その視線は川の対岸に向けられている。

 距離はそれほど長くない。大股で十歩も歩けば、あるいは勇者の跳躍力をもってすれば一息に飛び越えることも可能だろう対岸に、いつの間にか見慣れない生物が立っていた。


「……? 見たことない動物……いや、異形か……?」


 その体は真っ白な皮膚に覆われている。服や毛の類いは一切纏っておらず、不気味な様相だった。そして何より特徴的なのは、口以外の部位が何も見当たらない頭部。


 あまりの異質さに三人の体が強張った。


「なあ……〈牙〉は体表が白いって……言ってたよな」

「顔に口しかないとも聞いた。じゃあ……あれが……」


 三人の脳裏を過ったのは作戦開始前に全体に伝えられた〈牙〉の外的特徴。命からがら逃げ延びた探索者曰く、「不気味なほど白く口しかない頭を持つ怪物」。三人の前に立つ生物はそんな条件に当てはまっていた。


「……ちょうどいい。ここで狩って評価を」

「……?」


 唐突に途切れた声。異形の姿は消えていた。


「おい、どうした……」


 と二人が横目に見たとき、その視界に映ったのは白と赤。


 対岸にいたはずの〈牙〉は、中央の男の腹を貫いていた。


「―――」


 男の背から生える、鋭い剣状に変化した右腕。この世の何よりも赤い血がそれから滴っていた。


「う、うわああぁああああぁあ!!」


 一瞬遅れて事態を理解した二人が我先にと駆け出す。寸前までの自信は粉々に砕け散っていた。

 今の秒未満の時間で〈牙〉はこの距離を駆けたのだ。目で追うことさえできない怪物にどうやって敵おうか――いや、目の前で仲間が殺されたという事実だけで二人は冷静さを失った。


「は、早く連絡を」

「死ネ」


 〈牙〉が勇者を逃がすはずはない。悦びに口の端を歪ませつつ〈牙〉は一人を真っ二つに両断した。上半身と下半身の二つの肉塊へと変貌した男はどちゃりと地面に落ちる。


「ひっ、はっ、は、はああっ!?」


 最後の一人は足が縺れ、無様に地面に転がった。それでも死にものぐるいで這いつくばったまま進もうとした男の足を〈牙〉が踏みつける。


「ああああああああ!!」


 ポキリといとも簡単に折れた骨。痛みと恐怖ゆえに滂沱し必死に地をかく男が何かするよりも早く。


「ハァ…………!」


 嗤った〈牙〉の腕が容赦なく振り下ろされた。

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