4―3 緑と白の
「はー、美味しい……」
川から程近い少し開けた地点にて、満足した笑みを浮かべたミルが言った。手に持った皿代わりの葉の上にあったはずの鹿肉は、シャネスが少し目を放した隙になくなっている。
「どういたしまして。お代わりあるけど食うか?」
「食べます!」
嬉しそうに頷くミルの皿に、焚き火の近くに刺してあった骨付きの肉を骨から外して乗せる。渡すやいなやミルは食いつき、肉はすぐさまその胃袋へと消えていった。相変わらずの食欲に苦笑しつつシャネスも自分の肉を口に運ぶ。
先程、森の奥で調達した若い鹿に、これまたそこらから調達した実なり草なりを加えて焼いただけのシンプルなものだ。食料が限られる上に器具もないのでそれほど凝った料理はできないため、これでもしっかり調理した方だと思う。その甲斐あってか思った以上に美味しく仕上がっていた。
さすがに多少の獣臭さは残るものの、香草類がしっかり効いてくれている。若い鹿肉は身が柔らかいため、火加減にさえ注意すればかなり食べやすくなるのだが、今回の加減は完璧と言って差し支えないのではないだろうか。ちなみにこの遠征初日も食事はシャネスが担当したが、そのときにはほんの少しの油断が原因で黒焦げの暗黒物質が生まれていた。
総合的に見てかなりの完成度である鹿肉に、ついシャネスもお代わりしてしまった。無理に食べる必要はなくても食べられるなら食べておくべきというのも一理ある。それに、どうせ食べるなら美味しいものの方がいい。
若い鹿の小柄な体からとった肉とはいえ、二人で食べるには十分すぎる量があるのだ。しっかり食い溜めておこうとシャネスとミルは食事にいそしんだ。
――そして、鹿肉がすっかり二人の胃袋へと消えてしまった頃。
「ふー……満足しました。ありがとうございます」
幸せそうに腹をさするミル。かなりの量の肉が吸い込まれたはずだが外見上の変化はない。
一方のシャネスもささやかな満足感に包まれていた。
「四人で食うときの二倍だもんな……。そりゃ満腹になるはずだ」
番外小隊の中では、ガリエルも大食漢の部類に入る。ミルが肉系統を好むのに対してあちらは魚介系統を好むため、何を食べるかで揉めるのはよくあることなのだ。さらにメザリアはさほど量は食べずしかも菜食が主なので、こちらでも対立が起こるという訳である。
ふと、ガリエルたちのことをシャネスは思った。
「……ちゃんと休んでるかな。俺たちを見つけるために無理してなきゃいいけど」
「……ですね」
これまでも何度か小隊で遠征に出ることはあったが、途中で離れてしまうことはなかった。こうして離ればなれになるのは初めてなのだ。
普段は粗雑なくせに、ガリエルは妙なところで仲間に拘るこだわることがある。シャネスはその点を憂慮していた。
「でもメザリア先輩もいますし大丈夫ですよ。きっと冷静でいてくれるはずです」
「……ああ、そうだな」
“聖域”外で冷静さを失うことがどれだけ危険かは分かってくれているはずだ。共に付き合ってきた二人を信じることにして、シャネスは立ち上がり大きく背を伸ばした。
「さてと……やることもなくなったし、どうするか……」
青い空を見てぽつりとシャネスは呟く。とにかくあとはひたすら待つだけだ。恐らくミルが夕食をせがむだろう時間まではここで待機するしかない。
果たして何日待つことになるだろうか。「暇」はシャネスが嫌うものの中でもかなり高位に属していた。
「少ししたら組み手でもやりましょうか? 食後の運動にちょうどいいですよ」
「そうだな」とシャネスは頷く。何かしていないと余計なことを考えてしまいそうで、シャネスはミルの提案を受けることにした。さすがに食べたばかりで動くのはあまり体によくないだろう、二人は少し休むことにした。
座ってから、なんとなくシャネスは空を見上げる。
手持ち無沙汰になったときシャネスはよくこうして空を見ていた。世界は空で繋がっていると小さい頃に何かから聞いて以来、空を見ると不思議な気持ちになるからだ。朝の光と夜の闇とを世界にもたらす一つながりの空が、いつでも自分を俯瞰していると考えると、ぞっとするようでありながらも気が引き締まる。
ちょうど昼にさしかかるこの時間帯の空には気持ちのいい青さが広がっていた。どこからか飛んできた小鳥が視界の端の梢に止まる。それを視線で追うシャネスから逃げるように小鳥は地に降り立ち、小刻みに跳ねるように歩んだ先に、緑と白が集まった場所があった。
シャネスが立ち上がってその草むらへ近づくと、小鳥は小さく鳴きながら飛び去ってしまった。
「先輩、そこに何かあるんですか?」
不思議そうに見てくるミルにシャネスは首を振った。
「いや、久しぶりにクローバーを見たなって思ってさ。しばらく聖都にいたから」
「クローバー……? クラブリーフじゃないですか。四つ葉を見つけると幸運になるってやつですよね」
「あ……そう言うんだっけ。そう、それ」
「クローバーって……?」とミルが首を捻る。笑って誤魔化しながら、シャネスはそのクラブリーフでも長めのものを数本抜いた。既に小ぶりな白い花が開花しており、茎の頂点にささやかな彩りが飾りつけられているようだ。
「四つ葉でも見つけるんですか?」
「それもいいけど……まあ見てろよ」
シャネスは右手と左手にクラブリーフを握り、交差させながら器用にそれらを編んでいく。輪を作り、新たに一本をそこに入れ込んで再び輪を作って固定。隙間に差し込みまた輪を作って固定。
意外とやり方は覚えている。頭がというより、手先が勝手に動いていく感じだ。かつて夢中になって作っていた頃を思い出す。まさかあの頃は、自分がこんなところにいるとは思わなかったが。
白い花は外に残すように新しく継ぎ足しつつ一連の動きを繰り返していくと、接着剤もなしに組み合わせられた茎が互いを固定しあい、婉曲した細長い一本の芯になった。
最後に端同士を編み込み、余分な茎を隙間に入れ込んで完成した。
「……できた」
「わ、すごいですね。花の……冠?」
いつの間にか横に来ていたミルが驚きの声を上げる。
完成したのは白い花が咲き乱れるクラブリーフの花冠。想像以上に美しく仕上がったシャネスの自信作だ。
「シャネス先輩って何気に手先は器用ですよね」
「『何気に』は余計だ。昔、親に教えてもらったんだよ。その頃は草むらを見つける度にこれを作ろうとしてよく怒られた」
親にプレゼントするため――などとは恥ずかしくて口が裂けても言えないが、当時はそれほど親といるのが楽しかったんだと思う。自分でそう思うぐらいなのだからよっぽどだ。いつしか話すこともできなくなってしまっても、そんな思いがあったからやってこられた。
回想に耽っていたシャネスは、手に持つ花冠をミルがやたらと見ていることに気付いた。
「……欲しいのか?」
「え!? いや、べ、別にそういう訳では……! だ、だいたい私だってもう十七ですし先輩が作った花冠ならちょっと欲しいかなとかまったく思ってませんし――」
「…………」
本心が丸聞こえな早口を無視してシャネスは冠をミルの頭に置いた。
「あ……」
萌木色の髪に白い花がよく映える。“聖域”に王族はいないが、姫というのはきっとこんな感じなんだろうなと思わせる可愛らしさがあった。
ただ――冠というには少し小さすぎたのか、明らかにバランスがとれていない。動けば簡単に落ちてしまいそうだ。
「ちょっと小さかったか。まあ、そのうちしなびて色も落ちるし、どこかに置いておくしか――」
「“印”――〈保護〉」
言いかけたシャネスを遮った淡い光。花冠を手にしたミルの右手から放たれた“印”だ。
光は冠を覆い、液体とも固体とも言えない質感の物質で満たされた膜を形成した。輪の内側までもしっかり覆われたそれをミルは手首に通す。冠としては小さかったが、腕輪としてはちょうどいい大きさになっていた。
「“印”はそんなのに使うべきではないのでは……」
「私の“印”をどう使おうが私の勝手です!」
ミルの“印”である〈保護〉は特殊な空間を生成する能力だ。
この空間内にある物体はあらゆる外的影響を受けない。物理的な力はもちろん、時間による風化や劣化すら無効化する特異な空間である。ただしこの空間と外界とを隔てる膜の耐久度はそれほど高くないため、外部から破壊することは難しくない。
つまりこの透明な膜で覆われた花冠は時間経過による劣化を受けず、膜が壊れないうちはこのままの状態を保ち続けるということだ。正直そんなことに使う能力ではないと思うが、ミルがそうしたいのならばそれを止める権利はシャネスにはないだろう。
嬉しそうなミルに苦笑しながら、シャネスは立ち上がった。
「さて、休憩も済んだところでそろそろ動こうか」
「はい! 喜んで!」
そして二人は“英雄衆”の鍛練でも行われる組み手に興じるのだった。




