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3―5 追跡、そして

 寸前まで大怪我を負っていたとは思えない速度で森を駆ける異形クリーチャー、〈ファング〉。腕は人型の五本指がある状態へと戻っており、それを駆使したまるで獣のような走り方で木々をかわしつつ走る。短草が茂った不安定な足場など関係ないといった速度だ。

 一方それを追いかけるシャネスたち四人も何とか引き離されることなく〈牙〉についていく。しかしこの薄暗さではシャネスの“晴天ヒメル”の効果も望めず、追いつく術がない。


「…………」


 シャネスは無言で思考する。

 確かにこのままでは分が悪い。今はまだよくても、時間が経てば経つほど体力的な面での不安が残る。それに、完全に日が沈んでしまえばもはや〈牙〉を捉えるのも難しくなるだろう。


「…………ん?」


 何か策はないかと〈牙〉を観察して、ようやくシャネスはそれに気付いた。


 〈牙〉の走り方に違和感がある。一定の姿勢で走っていないため分かりづらいが、時折右脇腹に手をやるのだ。そこはまさしく寸前にシャネスが深い一撃を与えた部位。

 それだけでなく、全体的に重心がずれているようにも見える。完全に塞いだように思えたが、〈牙〉の傷は思ったよりも大きいのかもしれない。


「このまま追うぞ。〈牙〉は傷を庇いながら走ってる。日没よりも俺たちの体力が尽きるよりも、あいつが消耗する方が早いはずだ」


 返ってきた「了解」という三人の声。小隊長の命に背くものはいない。

 三人の声と顔は真剣だ。思考放棄した上での依存ではなく、各々考えを巡らせた上での賛成であることに頼もしく思いつつ、シャネスは〈牙〉の後を追った。


  ***


「ラーク様、報告が」


 ラークを筆頭とする精鋭が待機する高台。シャネスたちが〈牙〉と交戦して少し経った頃、森を一望できるその位置から少し離れた浅い川にて水を浴びていたラークに一人の騎士が報告を告げに訪れた。


「どうした?」

「はっ、眼下の森にて戦闘が確認されました。位置は“聖域”と“獄土”の中間ほど、戦闘の激しさから考えて〈牙〉と思われます」


 もともとこの辺りの森に、勇者や魔王にとって脅威となる異形はいない。上から見て分かるほど激しい戦闘が起こるのは確かに〈牙〉ぐらいのものだろう。


 軍服の裾を膝ほどまで捲り、上裸で水を浴びるラークは短く問うた。


「……信号弾は?」

「信号弾、ですか? いえ、確認はできていません。恐らくは番外イレ――」

「ならいい。僕たちは手を出さないと、待機している者に伝えておいて」

「……!?」


 予想外の返答に騎士は戸惑う。

 何故、と聞くよりも早くラークは理由を答えた。


「シャネスたちには、僕たちが関与しないことを約束してる。彼らは彼らなりにやることがあるんだろうね。ならそれを邪魔する権利は僕たちにはない」

「し、しかし、せっかく〈牙〉が現れたというのに! それにたった四人では殺されてもおかしくは――」


 言いかけた騎士はゆっくりと振り返ったラークを見て口を噤む。

 何故なら。


「――死んだのならそのときはそのときさ。彼らはそんな可能性も含めて自らの責任で動くと言った。僕たちはただ見てるだけ……。いい?」


 ――ラークは笑っていた。髪から水を滴らせながら、笑顔を浮かべていたのだ。


 日の射す小川で水を浴びる美しい青年の笑み。絵画に描かれそうなその光景は、声こそなければこれ以上ない美の象徴として完成していただろう。


「……了解しました。では、そのように」


 有無を言わせないラークの圧に騎士はそう言うことしかできなかった。


 「失礼します」と騎士が下がったあと、川から上がったラークは準備しておいた布で体に残る滴を拭く。さすがに腰まである長い髪をしっかりと洗うことはできないが、聖都で評判のいい調香師が作った香液を優しく馴染ませれば輝きは元通りに戻った。香り、輝きを整えるだけでなく洗浄作用もある優れものだ。


 森の中には、ラークの上機嫌な鼻歌が響いていた。


  ***


「はァ……ハァ……ガッ…………ハァ!」


 薄暗い森をひた走る〈牙〉。しかしその速度は先程に比べると幾分か遅くなっていた。右脇腹を押さえる頻度が増える。シャネスが与えた大きな傷からはじんわりと血が滲んでいた。


「もう少しだ! 踏ん張れよ!」


 シャネスは三人へ檄を飛ばす。とはいえ当の三人はそれほど疲れている訳でもなかった。疲労がないとは言わないが、これほどの距離で音を上げる程度ならば今ここにはいない。


 〈牙〉にも、背後にしっかりとついてきている勇者たちが大して消耗していないことは分かっていた。対して自分はもはやこの速度を維持することも厳しい状態だ。追い付かれるのは時間の問題だろう。

 “獄土”付近で出会ったあのフードを被った青年が脳裏に蘇る。力を与えられた自分が凌駕されこれ以上ない屈辱を味わった。あんな思いはもう二度としたくない。

 その願いが〈真化エボルト〉時の理性の保持という力を〈牙〉にもたらした。意識を保ったまま肉体を強化できるようになったことにより〈牙〉の戦闘力はさらに高まったはずだったのだ。


 ――なのに。


「嫌ダ……まだ、死ねなイ……! あいつを殺さなけれバ……ッ!」


 あのシャネスという男はそれさえも超えた。確実に直前まで〈牙〉が上回っていたはずなのに、突如として。

 野放しにしておく訳にはいかない。そしてその後はあのフードの青年だ。どちらも殺さなければ、〈牙〉は〈牙〉としていられないのだから。


 しかし今だけは逃げるのが先だ。敗北を経て〈牙〉は冷静な思考をも手にしていた。傷を癒し方策を考える時間が必要だと、最も正しい判断を下したのである。


 あと少し、あと少しで目的地に着く。それまで保ってくれれば――


「……ウッ!?」


 ――そのとき、〈牙〉の足が縺れた。限界が来たのである。


「……今だ!」


 転がるように崩れ落ち、〈牙〉の姿が消える。シャネスは三人に先んじてその後を追った。


 突如開けた視界。


「……っ!? 滝……?」


 ここは――小さくせり出した丘のような地点。右手の遠くにはそれなりの水量を有する大きな滝。すぐ先に地面は見えない。恐らくあと十歩も進めば、右側の滝壺から左へと流れる急流へと落ちてしまう。


 いきなりこんな場所に出たことにも驚いたが、それ以上に不思議に思ったのは。


「……〈牙〉はどこに――?」


 シャネスがいるのは木々もなく開けた場所。狭い上に当然隠れる場所などない。〈牙〉が飛び上がったようにも見えなかった。


 そのときシャネスの耳に唯一届いたのは、微かなピシピシ……という音と小さな振動。


 断片的な情報がシャネスの脳内で繋がる。


「……! 来るな!」


 シャネスの方へ近付こうとした三人を制した直後。


 ビシッ! と一際大きな音と共に、シャネスを乗せた丘が崩れた。


「……ッ!」


 空を向いていく視界に唯一映ったのは地面を割り砕く〈牙〉の伸びた腕。恐らく岸壁に腕を突き立ててへばりつき、地中を掘り起こしたのだろう。

 何とか飛び上がろうとするが、力を込めた地面――いや、崩壊した今は岩と呼ぶ方が適切なそれが砕け、力が上手く伝わらない。


 完全に空を向いた頭、即ち空中で真横になったシャネスを襲ったのは倒木。身動きがとれないシャネスの頭を太い枝が強かに打ち付けた。


「や……べ…………」


 視界が歪む。暗転し何も感じなくなっていく世界で、「先輩!」という声と何かに包まれるような感覚だけを最後に、シャネスの意識は途切れた。

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