3―4 番外小隊の真価
走り出した四人。〈牙〉を中心に、シャネスと向かい合うように三人がいる状態から、全員が〈牙〉へ突撃する。
一足先に攻撃範囲に入ったのはガリエル。獰猛に笑いながら飛び上がり、宙で一回転しながら〈牙〉の脳天を狙う。
手はポケットに突っ込まれたままで得物は持っていない。〈牙〉がどう対処するかわずかに迷った瞬間。
「おらあッ! 〈落刃蹴〉ッ!」
ガシャッ! とガリエルのブーツの側面から飛び出した刃。それを思い切り〈牙〉へと叩きつけた。
「ぐガッ!」
辛うじて両腕で防いだ〈牙〉。鈍い音はするが有効な傷は与えられない。ガリエルが舌打ちしながら背面にとんぼ返りするのと入れ替わるように、今度はがら空きの懐にミルが潜り込む。
「……!」
「せああああっ!」
高速の三連撃が腹を斬り裂く――がやはり固い。勢いのまますれ違うミルの追撃を警戒した〈牙〉の背後に、抜群のタイミングでメザリア。
いつ抜いたのか分からない短剣が〈牙〉の右腕関節の内側を音なく裂いた。
決して威力は大きくない。しかし確かに短剣は〈牙〉を斬り裂き、赤い血が吹き出した。
「……っア!?」
右腕の操作を封じられ完全に動揺した〈牙〉。その目の前に――シャネス。
「ッ……死」
「お前がな」
咄嗟に反応し〈牙〉がシャネスの首を刈るより早く、シャネスの右腕が閃いた。
捉えられるのは残像のみ。瞬きの間に十を超える残線が〈牙〉の体に走った。硬化した皮膚をすら砕き鮮血が飛び散る。
「……が、ア…………」
シャネスたちの流れるような連携。打ち勝つどころか抗うことさえ許さない完璧な動き。
成す術なく〈牙〉は崩れ落ちた。
「ふうっ」とシャネスは深く息を吐いた。
「……とんだ化けモンだな、お前も。結局ぶっ叩いて壊しやがった」
シャネスに歩み寄ってきたガリエルが苦笑しながら言う。ミルとメザリアも駆け寄ってきた。
「まあ、一応小隊長だし。けど……やっぱりこれだとなあ…………」
シャネスは空を見上げる。鬱蒼と茂る木々の枝葉が日光を遮っており、森の中は薄暗い。この状況ではシャネスの全力は出せないのだ。
「……だから仕留めきれなかったのか」
ガリエルが倒れる〈牙〉を見る。彼の鋭敏な感覚が何かを感じ取った。
聞こえるのはピキピキ……という小枝を踏み折るような音。発生源は〈牙〉。倒れたままの全身の光沢が増し、その腕に不気味な黒い斑点が浮き上がる。
「ま……タ……こんナ…………」
「……?」
腕をついた〈牙〉。体を持ち上げながらその口からは怨念のごとき声が漏れでる。寸前まではまだ細長いと言って差し支えなかった躯体は一回り膨張し、何とも言えない重圧が放たれていた。
「もう嫌ダ……お前ら全員……死ネ……!」
口から飛び出た牙によって発音は不明瞭だが辛うじて人語に聞こえる〈牙〉の声。嫌な怖気が四人の背を走った。
「集中しろよ。もうさっきまでとは違う」
真剣みを増したシャネスの声に三人は無言で頷いた。説明されずとも眼前の異形の危険度は明白だった。
〈真化〉――真なる姿へと変化を遂げた異形の一挙手一投足に全員が集中し。
「……っ!」
――突如響いた鈍い金属音。
狙われたのはミル。何とか〈牙〉の一撃を受け止めるものの反応できる速度ギリギリの攻撃だ。重さも先程までの比ではない。弾き返せずに鍔迫り合いに持ち込まれる。
「死……ネ…………!」
「くっ……!」
技術を介しない単純な力では〈牙〉に分がある。ミルが少しずつ押されていくのは当然のこと。
だからこそ、ガリエルとメザリアは即座に〈牙〉への対応に移った。
ガリエルは空中からの蹴り、メザリアは膝関節への斬撃。同時にミルは敢えて体勢を崩して隙を晒す。〈牙〉が無理に追撃しようとすれば確実に二人の攻撃が〈牙〉を捉えるというまさに阿吽の呼吸の連携。
しかし〈牙〉は首を回すこともせずに全てを察し、三人の視界から消えた。
「……!?」
あまりにも早すぎる。ガリエルが〈牙〉に気付いたのは空中で背後に回り込まれてからだった。
「やべっ……!」
回避も相殺も間に合わない。鋭い輝きを放つ剣がガリエルの腹を貫く――
「まず、お前かラ――」
「はああああっ!」
――寸前で〈牙〉を吹き飛ばしたのはシャネス。思い切り腹を斬り裂いたと思ったが感触は固い。
吹き飛ばされた〈牙〉は木々の枝を折りつつも獣じみた動きで体勢を整え幹に着地し、跳ね返るように飛んできた。勢いの乗ったその剣を、地に降りたシャネスは難なく受け止める。瞬間的な膂力で、鍔迫り合いになる前に〈牙〉の剣を弾き返し高速の連撃へ持ち込んだ。
途端、辺りに吹き荒れる突風。
「は……ハ……面白、イ!」
「……!」
驚くべきは〈牙〉の反応速度。ガリエルたちも捉えるのがやっとのシャネスの剣筋を確実に見切り対処していく。鈍い音を連続して響かせながらシャネスと〈牙〉の戦闘の余波は広がっていった。
突風が木々を大きく揺さぶる。戦闘の勢いはあっという間に暴風にも等しい風と衝撃を生み出し、周りの木々の枝葉を折り始める。
見上げた空を覆っていた枝葉が払われていく。微かに降り注ぐだけだった木漏れ日は、長らくまともな光を受けていなかった地表の短草を照らす陽光と化した。
開けた一帯はいつしか日光を感じられる広場となっていた。
「……? 何、ダ……?」
最初に気付いたのは〈牙〉。
シャネスの長剣を受け止めるごとに手応えが重くなっていく。秒を追うごとに速くなっていく。〈真化〉を行使したことで対応できていたはずの攻撃が処理しきれなくなる。
微かな疑念がやがて疑いようのない確信へと変わるのには、それほど時間を要さなかった。
「……はっ!」
突如、思い切り真上に弾かれた〈牙〉の腕。
「なッ……!」
ほんのわずかな隙が〈牙〉に生まれる。がら空きの腹はもう腕で守ることはできない。
しかしそれでも〈牙〉は逃げられるはずだった。あるいは例え剣が腹を薙いだとしても傷がつくはずはなかったが。
〈牙〉を襲ったのは一条の光。
「“印”――〈晴天〉」
――それはまさしく創造主に与えられたと形容すべき力。
〈牙〉を含め、その場の誰もが感知できる限界を超えた速度。人智を超えた速さ。一秒と比するのも愚かしい亜光速。
「……〈第一ノ剣・閃光〉」
シャネスが全てを薙ぎ払った――と皆が知ったのと同時。
〈牙〉の右脇腹から鮮血が吹き出した。
「…………ッ!?」
〈牙〉がよろめく。確かに硬質化していたはずの腹でさえも軽々と斬り裂かれたことに〈牙〉は愕然とした。
シャネスの右手の甲。そこにあったのは燦々と輝く紋様。
“晴天”――それがシャネスに与えられた“印”。
“晴天”の持ち主であるシャネスは周りの光量によって大きく力が左右される。深い闇であればあるほど弱く、明るければ明るいほど強くなるのだ。先程までの薄暗い環境下ではほとんど“晴天”による強化は得られなかったが、この強い日光に晒されている状態であれば問題ない。
強化時のシャネスの身体能力は〈真化〉時の“真躯”をも凌駕する。瞬間的になら亜光速に到達することさえ可能だ。
「は……ハ……? 何故……こんな、ことニ……」
呆然と呟く〈牙〉。そのままよろめき、森の暗がりへと入る。しかし脇腹の出血は収まっていない。〈牙〉にとっての血液がどれほど重要なものなのかはシャネスには分からないが、弱っているのは明らかだった。
そしてシャネスを始め番外小隊が〈牙〉を捕捉している。簡単に逃げることなどできるはずがない。
「ハぁ……ああ、嫌ダ。また負けル……負けたくなイ…………!」
不気味に呟く〈牙〉。その腕は怒りと屈辱に震えていた。
しかしシャネスたちが恐れることはなく。〈牙〉にはどんな手段も残されていないと冷静に判断したシャネスが、今度こそ明確な最期を与えようと、剣を握る右手に力を込めたとき。
「くカッ……は、はああアアア!!」
〈牙〉が吠えた。
バキバキと小枝どころか太い枝を折り潰していくかのような音。見れば〈牙〉の腹の傷口が盛り上がり、硬化していた。
無理やり硬質化することで出血を止めたのだ。
「今は逃げル……。だガ、いつか必ず殺ス」
わずかに驚き硬直したシャネスたちの隙をついて〈牙〉は森の奥へと逃げていた。
「……! 追うぞ! 絶対に逃がすな!」
一瞬遅れてシャネスたちはすぐにその後を追い、薄暗い森へと再び入り込んでいった。




