3―1 依頼
「ふぁ……」
二日の休日を終え詰所へと歩くシャネス。相変わらずその灰色の髪は乱れており、長い前髪が鬱陶しそうだった。
朝はどうにも弱い。夜型というほど不健康な休日を送った訳ではないがどうしても気持ちよく起きることができないのだ。かといって夜は夜でさっさと寝てしまうので、遅くまで起きているのが得意ということでもないのだが。
「眠……まだ明け方だってのに…………」
シャネスたち番外小隊の平日の朝はそれなりに早い。寝ずの番をしているご苦労な同僚に変わることがほとんどで、市や店が始まるよりも早く仕事を始めることになる。もちろん始めたところで実際に憲兵の出番になることはあまりないのも事実なので、シャネスとしては少し納得がいかないところでもある。朝の番はもう少し遅くからでもいいと思うのだ。
”英雄衆“の業務体型にいささかの疑問を抱きつつも詰所へ到着したシャネスは、入口前にやけに人が多く集まっていることに気付いた。いや、集まっているというよりも本来中にいる人間が揃って外に出ているという方が適切か。詰所に入ってすぐは受付兼待合室になっており、番の時間より早めについた者たちが談笑したりしているのだが、そんな者たちが何故か入口前に固まっているのである。
見れば皆一様に緊張している様子だ。何かあったのかと思いつつ近付くと、シャネスに気付いたウーリが走り寄ってきた。
「シャ、シャネス。遅かったじゃないか。ほら、早く中に入れ!」
「どうしたんだ一体。今日はまだ遅刻じゃないはずだぞ」
「違う、客だよ。お前に用があるっていうお客さんがいらしてるんだ。いいから早く行けって!」
疑問符を浮かべながらもぐいぐいと押され詰所に入ったシャネス。
正面にはやはり緊張した面持ちの受付嬢。その視線を辿るとソファに番外小隊の三人。そして向かい合うソファにシャネスたち同様に憲兵服に身を包む見慣れぬ男が一人座っていた。男は優雅にコーヒーを飲んでいる。
一応男に頭を下げてシャネスもミルの横に座る。事情が飲み込めないシャネスにミルが事の次第を囁いた。
「先輩に用があるとこちらの方が。くれぐれも無礼な真似だけはやめてくださいね」
「お、俺がいつも無礼な態度とってるみたいに言うなよ。で、この方は?」
ミルが説明するよりも早く男はティーカップをテーブルに置き、シャネスに向かい直した。正面から見るとかなりの美形だ。二十前半、少なくとも三十には届かないだろう。青みがかった黒髪は腰ほどまでもあるが、シャネスとは違い美しく整えられている。優しげな瞳の奥には底知れぬ雰囲気を隠していた。
一目で実力者と分かる気配。得物は今は持っていないのか、どこにも見当たらなかった。
男は微笑むと男にしては高めの声で言った。
「初めまして。会えて光栄だよ、シャネス」
「は、初めまして。ええと……どちら様で……?」
言った瞬間に横から殺気を感じた。どうやらこの質問自体がミルの言う「無礼な真似」だったらしく、シャネスは迂闊に話すのはやめようと心に誓った。
「はは、組織内部に興味がないっていうのは本当らしいね。”英雄衆“で僕を知らない人間に会うのは久しぶりだ。……ああ、別に気にしてないよ。純粋に面白いと思っただけさ」
「はあ……」
その笑顔に邪気はないように思われた。シャネスが戸惑っていると男はシャネスからよく見えなかった左肩口を見せる。そこにある徽章が示すのは。
思い当たる階級にシャネスの思考が停止した。
「も……もしかして……軍、団…………?」
「分かってもらえたかな? 僕はラーク・カミナジル。この”英雄衆“で第三軍団長を務めてる。以後、よろしく頼むよ」
つい最近聞いた、”英雄衆“の中で四本の指に入る男――ラーク・カミナジルはそう言って笑った。
「そんな人がどうして俺を……?」
ラークは邪気のない笑顔のまま答えた。
「うん、少し頼み……というか依頼したいことがあって来たんだ。ほら、近々“英雄衆”が、この頃噂になってる”真駆“を狩りに出るって話があるのは知ってるよね?」
「ええ、まあ」
「それで、単刀直入に言うと君たちにも参加してもらいたいんだ」
「……え?」
思わず呆けた声を上げるシャネス。またしてもミルから殺気が放たれるがこればかりはどうしようもない気がする。なにせ今まで番外小隊は基本的に“英雄衆”全体の作戦において蚊帳の外だったのに。
「どうして急に? 俺たちは今回不参加だったはずでは?」
「んー、僕もそう思ってたんだけどね。だって正直、君たちの実力があまりにも不透明だったからさ。見送らざるを得なかったんだ」
ラークの辛辣な言葉にシャネスも苦笑を隠せない。番外小隊の妙な噂こそそれなりに流布しているとはいえ、その内実を知っている者はわずかであり、大いに自覚あるところだからだ。多忙な軍団長が一小隊ごときのことを調べるはずがないだろう。
ならばどうして急に、と問うシャネスにラークは答えた。
「それがまさかあのアレグロードをあしらったとは。聖都を統轄する僕としてもあれには手を焼いてたんだけど、助かったよ。それで実力も把握できたし、何より僕たちには人手が足りてない。その点、君たちなら十分に任務を任せられる。今回の依頼……受けてくれないかな?」
そう言うラークの瞳を見るシャネスには、ラークの言葉がまるで違うものに聞こえた。
邪気のない笑顔――いや、仮面のような笑顔と覇気の裏に隠されているのはその本音。
この作戦に付き合うのはまだ実践経験の少ない若手の兵が主の旅団のはずで、戦力において不安が残るのは否めない。そんなとき偶然噂を聞いたそれなりの実力を持つ小隊。その正体は定かではないが、いずれにしろ使い勝手のいいはぐれ者たちであることには代わりない。他の隊から名のある兵を引き抜くのは面倒だし万が一のときの責任を負わなければならないが、この小隊にはそんな厄介な条件もないだろう。
つまり使い捨ての駒だ。最悪死んでもいいから参加しろと暗に言っているように思えたのだ。
「…………」
シャネスとしては、長としてのそういった考えは決して嫌いではない。結果を出すのに犠牲はつきものだ。特に今回の件に限って言えばシャネスたち番外小隊はまさしく手頃な駒だろう。
だが――その犠牲として仲間を、協力してくれる者を差し出すのには納得できない。それだけがシャネスが嫌う考えだった。ならば断ればいいとは思ったが、
「……分かりました。喜んで受けさせてもらいます」
シャネスはそう言ってラークの依頼を受けることにした。
相手は第三軍団長。もとより断るという選択肢は用意されていない。いや、正しくは断った先にある冷遇をシャネスは恐れた。
「よかった。助かったよ、これで僕たちも……」
「ただし。俺たち四人は単独で動かせてください。隊列に混ざっても逆に迷惑なんで」
――もちろんシャネスもただで応じるはずはない。シャネスたちの力を最大限発揮できる状況を作ることが前提条件だ。そしてそれは同時にシャネスたちがラークの手から離れる状況でもある。
言外にただで命をくれてやる義理はないと含ませ、シャネスは黒い瞳でラークを直視した。
「……分かったよ。そうさせるように指示しておこう。詳しいことはまた後で連絡するから、今日も街を頼んだよ」
そう言い残すと、ラークはティーカップのコーヒーを飲み干し席を立つ。「邪魔したね」とだけ告げて彼は詰所を出ていった。
入れ替わるように詰所へ大挙して入ってきたのは入口で待機していた勇者たちだ。
ウーリがすぐにシャネスたちのもとへと駆け寄る。よほど緊張していたのか額を汗で輝かせていた。
「で、何があったんだ!? 減給か? 資格剥奪か!?」
「どうしてそう俺を貶めるようなことだけ思いつくのか教えてほしいもんだ……。今度の“真駆”討伐に同行することになった。〈牙〉を狩りに行く」
「はぁ!? お前、あれだけヤバいって教えたろうが! 死にたいのか!?」
「んな訳あるか。そう簡単に思い通りになるつもりはさらさらない。むしろ……上層部に名を売れるこのチャンス、最大限に利用させてもらうだけだ」
ウーリが疑問符を浮かべ、小隊の三人が呆れる中、シャネスはほの暗い微笑を浮かべていた。




