Stay or Move
「私たちは……どうしてこうなったのかしらね」
その身を覆うのは純白の鎧。手には美しく輝く流麗な長剣。最上級の絹のようにさらさらと流れる長い白髪。
天上の女神のような美貌に、かすかに疲労と消耗の色を浮かべながら、この世界における最強の二柱のうちの一柱である彼女はそう呟いた。
明確に憂いを帯びた彼女の声に応えたのは、彼女に向き合って立つ大柄な、しかし細身の男。
「……分からん。分かっていたのなら……こうして、お前と剣を交える必要もなかった」
男が握るのは禍々しく装飾された漆黒の短剣。身に纏うのは重厚な鎧。左目を覆い隠すほどに長く、手入れもされないために乱れた黒髪。彼女と同じように、表情は暗い。
彼もまた、最強の二柱のうちの一柱。
理解の範疇を越えた力と呪われた祝福を破壊者より与えられたとされる魔王。
彼こそが、当代最凶の魔王の証明である筆頭魔王の称号を冠する者。
そして、人智を越えた力と聖なる加護を創造主より預かったとされる勇者。
彼女こそが、当代最強の勇者の証明である筆頭勇者の称号を冠する者。
世界の頂点に位置する二人の戦闘は、開始から既に三日を経ていた。
あまりに激しすぎる戦闘の余波で辺りは更地になっている。もとより従者などは連れてきておらず、戦闘の結果を見届ける者はいない。唯一勝った者だけが戻り、世を統べることになる。
この世界の歴史はそうやって紡がれてきた。勇者と魔王による永遠の戦だ。どちらか一方が完全に滅ぶまで、この戦は終わらない。
「……こんなに無益なことはないわ。頂点を倒しても陣営を滅亡させることなど不可能よ。時を経て、いつか再び形勢は逆転する。一体何度こんなことが繰り返されてきたの?」
「俺とてそんなことは分かっている。しかしこれが定めだ。この“不染の地”において我らのどちらかが血を流さなければ――死ななければ、すぐにでも世界は滅ぶだけなのだから」
強者ゆえか、常に聞く者を萎縮させる彼の言葉は、何もない地に一段と重く響いた。
これもまた、この世界に課せられた呪いのような歴史。十年ごとにこの“不染の地”にて行われる“決統”において、筆頭勇者と筆頭魔王、いずれかが死ななければ、世界をも滅ぼす災禍が起こる。
「…………ええ、そうね」
少しの沈黙のあと、彼女は彼の言葉を肯定した。もうこれ以上は肯定せざるを得なかった。
目を瞑ると、やがて深く息を吐いて瞼を開く。揺れるようでありながら、それでも確かに一つに定まった瞳が彼を射抜いた。
それを見て彼もまた覚悟を決めた。神経を尖らせ、不要な感情を排除していく。
彼女は彼に対して右半身が遠くになるように半身になり、両手持ちの長剣を背に沿わせるように持ち上げる。肩越しの鋭い眼光は既に彼を敵とみなしていた。
一方で彼は足を肩幅に開き彼女に正対したまま、逆手に持った右手の短剣を前へ突き出す。左手は右肩に添えられていた。彼の瞳からは、外敵と相対する時の張りつめたような集中だけが感じ取れた。
――次の一撃で終わらせる。二人はそう決心した。
互いへの想いを、決して交わることのなかった心を、背反する存在ゆえの不条理を、粉々に打ち砕くと決意した。
「あなたを失うようなことだけは……したくなかったわ」
「俺こそ……お前をこの手にかけることなど、考えたくはなかった」
ほんの少しばかりの未練だけを言い交わし、二人は力を解放する。
「“印”――〈聖天〉」
「“刻”――〈闇禍〉」
彼女から放たれるのは全てを導く純白の光。
彼から溢れ出るのは全てを飲み込む純黒の闇。
真っ向から対立する二つの色が二人の中央でぶつかり合った。
頂点同士による力のぶつかり合いは凄まじい突風と轟音を生み出す。しかし二人には周りのことなどまるで頭にない。
考えるのは次の一撃。自らの全力を放出するに足る瞬間。
そして二人は、寸分違わず同時に地を蹴った。
「――〈最後ノ剣・極光〉ッ!」
加速と共に上半身の捻りを力へ変え、全身を一体化させた回転運動により剣速を底上げ。光を纏った長剣を右上から左下へ抜けるように彼へ叩きつける。
「――〈破壊刃〉ッ!」
あらゆる抵抗を無視するかのような滑らかな接近と同時、超高速で剣を引き戻す。短剣だからこそ成せる取り回しで剣は膨大なエネルギーを得ると、闇を纏い通常時の二倍近くへとその長さを変え、右下から掬い上げるような軌道で彼女の長剣に真っ向から激突した。
極大と極大の激突。かつてない規模のエネルギーの衝突は、二人を中心とした段階的な地面の陥没と一際強烈な突風を引き起こした。
まさしく互角、あるいは拮抗。完全に二人の中間で静止した二振りの剣。
それでも負ける訳にはいかない――と、二人が限界を超えた力を放出した瞬間に。
「「――!!」」
――奇跡が起きる。
二人の脳裏を過ったのは記憶。この世界が辿ってきた正しい歴史。勇者と魔王の存在と、あらゆる過ち。
歴代最強の勇者と魔王である二人の全力が交錯した結果起こった特異な現象を二人は即座に理解した。
本当にすべきことは別にあると、二人は刹那にして悟った――
***
仰向けで頭を付き合わせるようにして空を見上げる二人。全力を放出した反動もまた凄まじく、二人はいまだ立ち上がることができずにいた。
「ねえ……私たち、これからどうすればいいのかしら?」
彼女は澄み渡った青い空を優しい眼差しで見ながらそう呟いた。それが答えを期待するものだったのか彼は判断できかねたが、それでも彼は無愛想な――しかし幾分か先程より穏やかな顔で告げる。
「……俺よりも自分の方がよく分かっているだろうに。ただ、さしあたっては……お前を殺す必要はなさそうだ」
「そうね。けど私は殺せないわよ? だって私の方が強いもの」
「戯れ言を。今この世に俺より強い者はいない。例え何が相手であろうと斬り伏せる」
「なら後でもう一度やってみましょう。私を斬り刻めるか試してみるといいわ」
まるで子供のような口喧嘩をしながら、二人の心は穏やかだった。
なぜなら。
「……もう、我慢しなくていいのよね。ネストラウス」
「ああ。どちらかが死ぬ必要も、どちらかを殺す必要もない。いつまでも共にいられる。……シャリル」
力なく投げ出された二人の左手は、しっかりと重ね合わせられていた。
そして今、この瞬間。
停滞していた世界の歴史が、再び動きだしたのだ。