不死者、異世界へ!⑤
村祭りを境に、神妻がミユの所を欠かさず通って十三日目。
だいたい昼食後に行って、夕方に家に帰るのがいつもの日課になっていた。
いつもの時間になると、今日も自主的に日課を熟しに山に入って行く。
「ふ~……、誰にもバレずに井戸まで行くのも結構大変なんだよなぁ……。みつ姉ぐらいには話しても良いかもだけど。
……言ったら言ったで反対されそうだし、ま、良いか」
祭りに近道して行く時に通った道なき獣道を神妻は今日も行く。行くというか、基本的には人が通るには危険な急激な角度を増した斜面を五分ほど滑り下りるだけといった感じだが。
躓きでもしたら大怪我に繋がりかねないが、これがかなりの近道なので神妻も止めよう止めようと思っていながら、つい逸る気持ちを抑えきれずに使ってしまう。
そういうこともあって、みつは神妻に付いて行くのを拒むに違いない。現に一度危険だからと神妻と一緒に行くのを止めたことがある。
遠回りをすれば安全な道もあるのだが、その場合、まず早足で十分ほど掛けて祭りが執り行われた広場まで行く。そこから五分早足で進むと神社に着き、さらに裏側に回ると高さ2メートルはある大人でも視界を塞いでしまうような茂みがうっそうと生え渡っているので、それを掻き分けてようやく井戸に辿り着くのだ。
ちなみに帰りは、坂を上って帰るのは行きの時と比べるまでもなく大変さが増しているだろうし、比例して危険度もアップしているはずなので、そちらは使わずに近道遠道に関係なく帰りは同じ茂みを通る。
「言っても信じられないよなぁ……
井戸の中に何年も女の子がいて、その女の子は外に出れず閉じ込められてるなんて。普通に考えたら、井戸っていうぐらいだし水分はなんとかなってるかもしれないけど、食料はどうしてるんだって話。
ミユは自分のこと人間だって言ってたけど、本当にそれって人間なのかどうか……。
まぁ、話してみたら、全然怖くないから実感沸かないんだけど」
付け加えるなら、彼女は寂しい思いをしている。
それが神妻から恐怖心を奪い取ったのかもしれない。
放っておけないのだ、神妻は――。
ここ二週間ミユと交わした会話も至って普通の女の子だった。
井戸の外の世界を知りたい――
そんな彼女の細やかな願いを、神妻は自分の知る範囲で話すことで少しでも叶えてあげようと思っ――
「!! しまっ……」
突然神妻は全身の体重が宙に浮く感覚に見舞われてしまう。
足下に視線を動かすと、足場の悪い凹凸の激しい地から自分の両足が離れてしまっていたのが見えた。
ミユのことに意識が集中するばかり足下の注意を怠ってしまったことに遅れ馳せながら気付いたが、同時にもう手遅れなことにも気付いてしまった。
悲鳴を上げる暇もなく、背中から、肩から、頭から、岩やら木やら斜面に総身を叩き付けられる。痛みを伴い急斜面を転げ落ちる速度は一向に落ちない。
地獄のような苦痛と恐怖を感じ――けれど、その時間は滑落の終点に辿り着いたことによって、意外とあっさり終わりがきた。
「……ぐ……がは……」
うつ伏せのまま、肺に溜まった酸素を吐こうとして胸に鋭い痛みが走る。口から鉄のような普段は口にすることのない味がし、ペッと吐き出すと赤い血が。
痛みがするのは胸だけじゃない。
身体を動かそうとして総身からたくさんの痛覚の信号を脳が受け取った。
「いてぇ……な……んだ、これ……、腕も足も折れてるのか。……うご……か……ない……」
苦痛を感じる部位に視線を向けると、右肘、左足が在らぬ方に曲がっていた。何より致命的なのが腹部からの大量の出血。これに至っては痛みを最早感じない。痛みが限界を超えて神経が麻痺してしまったようだ。
子供の目から見ても自分の身が危険な状態なのが一目でわかった。
「こんなことなら……みつ姉の言う通りに……するんだっ……たな――」
やがて神妻の意識が遠退いていく。
「――誰かそこにいるのですか?
カヅマの声が聞こえた気がしましたが……、そこにいるのはカヅマなのですか?」
この声は……、ここ二週間何度も耳にしたことがある声に、神妻は薄れていく意識に抗いなんとか頭を上げると、思っていた通りそこにあった5メートルぐらい先にある井戸を目にした。
相変わらず井戸の入り口には鉄蓋がしてあり、さらにその上には大岩が乗っかっている。いつも通りの光景。
「ミ……ユ……ごめん。もっと……外の世界のこと……いっぱい話してあげたかったんだけど……俺、もう無理……みたい……だ……」
重くなってきた瞼が閉じようとするので神妻は自然に任せることにした。
その時――
瞼を閉じた神妻の耳に、とてつもなく重そうな何かが地面に落ちた音が聞こえてきた。寝そべっていたので地面に叩き付けられた際の振動が地面を通してよく伝わる。その後、数十秒ほどを要して先程ほどではないが今度も重量感のある何かが落下して甲高い金属音を響かせたが、すぐに音は止んだ。
騒々しい音が辛うじて神妻の意識を現実に引き戻させる。
「いったい……何だ……?」
うっすらと瞼を持ち上げると――
「――」
視界がボヤけてはいるが井戸が見える。
ただし神妻が今まで見たこともない姿としてだ。
大人でも動かすのは大変そうな塞いでいたはずの岩が横に転がっており、鉄蓋も役目を果たしていない。岩と同じように井戸の側にあった。
誰が、どうやって開けたんだ? という、もっともな疑問が生まれるが、再び神妻は目の前の異常に意識を奪われてしまう。
神妻の閉じゆく最期の瞳に映ったのは――
「――」
井戸の中から伸びた手が入り口の端を掴む。
全身を持ち上げ、上半身が這い出るように顕になった。
裸足で地に着くと、ゆっくりと神妻に歩み寄ってくる
長い髪で黒く……ということもなく、綺麗な銀色の髪が顔を隠している。女性というにはあまりにも幼い。
「なぁんだ……、俺と似たような歳なのに……敬語なんて使ってたの……かよ…………
みつ姉なんて――」
みつ姉なんて敬語めちゃくちゃなのに……と、最期にしては冴えないセリフを言い終えることなく神妻の短い人生の幕は静かに閉じた。
動かなくなった神妻をジッと見下ろすミユの長い髪の隙間から窺える表情は暗い。
「…………リンゴ飴、約束したのに…………」
寂しげに溢した声にも、昨日までの明るさは感じられない。
確認せずとも、既に神妻が息を引き取ったのだとミユは気付いた。
「カヅマ……、私が助けてあげます」
命の灯火が消えた神妻をしばらく眺めていたミユの唇がようやく動いた。
力尽きた神妻の目の前でミユは膝を折ると、神妻の身を仰向けにしてそっと寝かす。
両手を横に広げて、滑らかに詠唱を唱え始めた。
すると広げた両掌を中心に銀色の光に包まれだす。
銀光に包まれた手を今度は左右から神妻の頬に差し伸べた。
ミユの唇が神妻の顔に近寄っていき――
「さぁ、蘇るのです……カヅマ」
✳✳✳
「……ん……ん~…………」
まどろみの底に沈んでいた神妻の意識が徐々に目覚めていく。
空が夕焼け色に染まっていたので、今の時間はだいたい想像できた。
上半身だけ起き上がらせ、意識がまだはっきりしない頭で現状の把握に努めようとした神妻の瞳に真っ先に飛び込んできたのは例の井戸だった。
「俺……確か大怪我をして……いっぱい血が出て……それで……!!」
――死んだはずだ……
「ミユ! そうだ……あの時、ミユがいたはずだ!」
急に立ち上がって、思ってたより力が入らなかった両足をよろめかせながら、井戸に飛び込みかねない勢いでしがみついた。
「あれ? 気失う前って…………おかしいな」
今、神妻が両手でしっかりホールドしている井戸を少し頭を上げて見ると、そこには岩がしっかりと重石の役目を果たしており、井戸との間には鉄蓋まで戻っていた。薄れゆく意識の中で確かにどちらも退かされたはずだ。
それに身体にも違和感がある。
「あの時、銀色髪の女の子が井戸から出てくるところを見たはずなのに……
全身の擦り傷どころか、折れてたはずの右肘と左足もなんともなってないなんて…………夢でも見てたのか……」
いつもなら神妻が井戸の前どころか、井戸を目視できるぐらいの距離まで行くとあの凛とした透き通った声が聞こえてきたものだが、その度に神妻は「何でそこから気付くんだよ!?」と脳内でツッこんだものだ。
ところが直前にいる今ここに至っても何の反応も見せないミユに、神妻の内に何とも言えない不安が起こり立った。
「ミユ」
………………反応がない。
もう一度、
「ミユっ!
………………ミユ~。
………………ミ~ユ~」
アクセントを変えて何度か呼び掛けても彼女からの反応はなく。
ミユと知り合ってから、こんなことは初めてだった。
「なあ、ミユ! いないのか!? 返事をしてくれ!」
再三どころか再四、再五とミユを呼ぶが山に響く声は神妻のもの一つのみ。
井戸に着くまでの晴れ渡った道中では、よく小鳥や烏、時には虫の鳴き声などを聞くことがあったが、いつもここに来ると不思議と静けさに包まれていた。
まるで神妻とミユの二人っきりの世界にいるかのように。
そんな恥ずかしいセリフ、ミユの前で面と向かって言うような真似は間違ってもなかったが。
けれど、これはどうしたことだ?
「……鳥が飛んでる」
山には鳥がいて虫がいて動物がいて……極々当たり前の存在がこの井戸の付近では、存在を禁じられたかのように当たり前ではなかった。
ところが、今はその限定的なものを感じない。
「それどころか昨日までと違って空気もどこか澄んでる気がする……」
本来なら今の状態が正常であって、今までの方が異常だったのかもしれない。
それでも神妻の中に生まれた不安が徐々に膨らんでいく。
「……ミユには止められてたけど、悪く思うなよ」
もしかしたら中でミユの身に何かあったのかもしれない――
ミユを案じての行為として自分に都合の良い免罪符を抱くと、井戸の鉄蓋に乗った大岩に神妻は両手を伸ばした。
まず、どれぐらいの力加減で動くのか確認した後、手だけでは厳しいと践んだ神妻が全体重を岩に乗っけようと身体ごと押し付ける。
ようやく動き始めた岩は、一度動き始めると案外楽に転げ落ちた。
次いで井戸の口を丸々塞いでいる鉄蓋の排除に取り掛かる。
こちらも子供が持ち動かすには大変な重さだったが、少しずつ横へ横へとズラしていくことで井戸から下ろすのを遂げた。
「……!! おいおい……」
井戸の中をやっとの思いで覗くことができた神妻は絶句してしまった。
石作りで出来ている井戸の内部表面にはところどころに苔が生えており、底はすっかり干上がっていて、水などあった形跡すら見当たらない。無論、食べれそうな物もだ。
一望できる程度の大きさなのですぐわかったが、こんなところに人が住み続けるなんてあり得ない。しかも入り口を蓋されて中は真っ暗闇だったに違いないのだ。
それを数年単位ともなると、普通の人間なら精神に異常をきたしたって何らおかしくないレベルだろう。
けれど神妻は知っている。
とても人の住む場所足り得ないにも関わらず、ずっとこの中に閉じ込められていた彼女のことを――
それ故に寂しい思いをし続けたミユのことを――
「やっぱり……誰も……いない…………」