不死者、異世界へ!①
刻々と経過する時計の針とは違い、山中の道は荒れ、激しく上下に揺れて走るバスは遅々として進まない。
「五年前より道悪くなってるんじゃないのか……?」
土剥き出しの踏み固められた道という点では、昔も今も大して変わらないように思える。
整備の整い具合を除けばだが。
野城神妻は辛うじて残る五年前の記憶を呼び起こし、かつては通ったことのある道の惨状に嘆息を洩らした。
「思い出と現実を比べるにあたって、たいてい思い出の方が美化されがちだと思ってたけど……これは反対だな」
バスの窓越しに見える代わり映えのしない風景に視線を移す。
これで何度目だろうか?
と、辟易する神妻に、
「――」
その表情を見計らったわけではないだろうが、後ろの席にいたはずの神妻以外の唯一の乗客が不意に声をかけた。
この車内には、神妻が知っている人などいなかったはずだ。
それも若い女性の声。
「村の住人がたまに使うだけの道だからね~。バスも一日に二回しか通らないし。使用頻度の少ない道の整備なんて、お金が勿体ないってことで、もう何年もこの状態なの」
後ろを振り向くより先に神妻の隣にやって来たのは、神妻の予想通り若い女性……栗毛色の長い髪の上に麦わら帽子を乗っけている。おそらく神妻より一つ二つ年上に見える女の子。
ピンク色のいかにも女の子といったポーチを肩に吊るしている。
神妻が今十七歳なので、隣の子は十八~十九歳あたりか? もしかしたら二十歳いってるかもしれない、少女から大人に変わろうとしている境。
ちなみに神妻と麦わらの女の子の容姿を比べてのことではない。
あくまで年齢のみを比較してのこと。
容姿で比べようものなら、神妻の身長は154cmしかなく、悲しいことに十二歳の頃には、すでに成長は止まってしまっていた。
見た目だけで言うなら、小学生と高校生が一緒にいるようにしか見えないはず。
一方で麦わらの女の子の外見から受ける印象は、神妻とそう歳が離れていなさそうなのに、落ち着いた大人の色気を思わせるものを孕んでいる。要するにボン、キュッ、ボン、なのだ。
そして付け加えるなら猛烈に美人。
見知らぬ美女にまさかバスの中で……しかも、こんな田舎の名も知れぬ山の中で声を掛けられるとは思いもしていなかった神妻は、どう反応して良いか困惑した。
「え、え~と……そ、そうなんだ」
自分のコミュニケーション能力の無さが嘆かわしい。
こんなふうに女の子から声を掛けてくれることなんて、都内にいる時ですら神妻にはほとんど経験がない。
つまり、年齢=彼女いない歴である。
そんな神妻が、最善の選択を瞬時に考えつくことなど、当然できるはずがないわけで。
「あ、急に話しかけてごめんね。びっくりしたよね? 私と歳の近い子と会うの珍しかったから、つい」
そう言うと、女の子はてへぺろ……所謂ウインクをしながら舌をぺろっと出す仕草をして見せた。
「歳の近い子? 俺と君が?」
「うん。違った?」
端から見れば、両者の年齢には決定的な隔たりがあるようにしか見えない。
少なくとも神妻以外には。
だから、大いに女の子の言葉に神妻は驚いた。
それなのに目の前の麦わらの女の子は自分と神妻の歳が近いことを、誰かに言われるまでもなく見事に的中させたのだ。
この年齢に相応しくない身長で、今まで随分からかわれ苦渋を舐めさせられたが、こんなことは初めてだった。気も良くなるというもの。
「隣、座っても良い?」
「……隣?」
運転手を除けば、この長方形の箱型の空間の中には、たったの二人しかいないわけで、誰の目から見てもガラガラな状態。神妻の席以外なら、それこそ好きな席に座れる。
にも関わらず、神妻の隣を選んだということは、この麦わらの女の子――、改め麦わらのお姉さんは神妻との会話をご所望なわけだ。
その考えに至った神妻は、大慌てで二度大きく頷いた。
隣の席に置いていた自分のリュックサックと、布に入った細長い竿状の物を急いで退かす。
いつの間にフラグ立てたんだ、俺!? などと、心の中で神妻が叫んでいるうちに、お姉さんが隣に腰掛けた。
神妻の驚きは、これで終わらない。
「俺の顔に何か付いてたり?」
「ううん。そういうわけじゃないんだけど……」
ジッと顔を覗き込まれる神妻。
正直、ばつの悪さを感じた神妻は、気恥ずかしさにただ目を泳がすのみ……だったが、
「……あれ? なんか見覚えがあるような……? ないような……?」
彼女の整った顔を見ているうちに、記憶の片鱗にふと触れた気がした。
それに彼女の被っている麦わら帽子――どこにでもあるような物のはずなのに、神妻は懐かしささえ感じる。
だが随分と遠い記憶な気がするが、それ以上の情報は、残念ながら頭の引き出しから出てきそうな気がまるでしない。
その間、観察され続けられているのが、どうにもむず痒い。
と、思ったところで、無意識に自分も相手の顔を覗き込むような態勢になっていたことに神妻は気付いた。
お互いがお互いの顔を覗く姿は、端から見れば、まるで恋人同士がこれからキスしようとしているみたいではないか。
「うわぁっ!!」
恥ずかしさが限界に達した神妻は、反射的に飛び退こうとした。しかし、神妻の席は窓際だ。隣に座られた今、逃げ道などない。
「あなた――ううん、君は……カヅマ君?」
「――! ……どうして俺の名前を知って……?」
こんな山奥の辺鄙な場所に、知り合いなんていないぞ!
――と言いたかった神妻だが、実はまったくいないわけでもない。
五年前まで神妻は、この辺りに住んでいた。
今、バスで向かっている所は、住人しか知らないような寂れた村であり、神妻の生まれ故郷だったりする。
よって、かつての同郷の知人と会う可能性もあるわけで……
「いやいや。俺、村には小六の頃までしかいなかったし!
もう五年も経つんだぜ?
子供の頃と今とじゃ、全然見た目違う……わけないか……
自分で言うとけっこう精神的ダメージあるな……」
「ふ~ん……お姉ちゃんはすぐにカヅマ君だって分かったけどなぁ」
自分のことをお姉ちゃんと言った、神妻と年齢上は歳の近い年上の女の子。
麦わら帽子を外す姿がきっかけとなった。
かつての記憶を総動員して呼び起こそうとする神妻の頭に、ついに確答する人物が突如として浮かび上がる。
一度思い出すことができれば、なんてこともない。
次々と甦る記憶が、彼女以外ありえないと訴えてきた。
「もしかして……みつ姉?」
「あったり~っ!!」
喜びを全身を使って現した、年上の少女の体当たりを正面から受け、神妻は窓に頭をぶつけてしまう。
痛みの走る頭に、一言何か言ってやりたい気もしたが、それは止めた。
胸の中に勢いよく飛び込んできた、みつの心底喜んだ顔に何も言えなくなったのだ。
この笑顔には、五年前の面影があると神妻は思った。
「うん。これは確かにみつ姉だ」
美都みつ――
同郷の幼馴染みで、神妻が村を出る五年前までは、本当の姉のように神妻を可愛がってくれた、一つ年上のお姉ちゃん。
神妻が村に住んでいた頃は、これでもかというぐらいに面倒を見てくれた。
年の近い友達といえば、村にはみつしかいなかったこともあり、その過保護とも言える可愛がり方を嫌にはなれなかった。
けれど、もの凄く恥ずかしかったのを今でも神妻は覚えている。
「う~ん! こうやって誰かの胸の中に飛び込むなんて久しぶり過ぎて、お姉ちゃん嬉しい!」
「嬉しいのは分かったから、年頃の女の子が男に顔を擦り付けるんじゃない!」
「カヅ君成分補充中~」
「さっきはカヅマ君呼びだったのに、もうカヅ君呼び!? 俺への順応早っ!
……って、だんだん思い出してきた。
みつ姉はこういう人だった……
――こうなった、みつ姉は気が済むまで止まらないんだっけ……」
途端、左右に振って擦り付けていた顔の動きがピタリと止まると、
「正解~♪」
満面の笑顔を見上げて神妻に向けた。
「……好きにしてくれ」
何も言えなくなり諦め顔の神妻と、現状の維持を許可され満足顔のみつという対照的な表情を浮かべる二人。
対象が満足するまで待つつもりの神妻だったが、意外にも膠着はすぐに破られる。
「カヅ君、村に……戻ってきたんだよね?」
途端、神妻の心臓が大きく跳ねた。
「……そりゃあ、五年ぶりって言っても俺の故郷だしな。ま、一時帰郷ってやつさ」
当たり前のように答える神妻だが、みつ姉が望んでいた答えじゃないだろう。なんとなく察しながらも、神妻はあえてそう口にした。
だから、みつも言葉を付け足す。
「明後日だね。あの子との約束の日……」
「…………ああ。みつ姉、よく覚えていたな?」
「うん。だって、忘れられないよ。
……カヅ君が村を出たことと関係あるもの」
✳✳✳
五年前、神妻は唐突に父親と二人で村を出た。
野城親子がどういう経緯で村を出たのか詳細を唯一知ってるのがみつだった。
知ってたからこそ、離れ離れになるのは本当は凄く嫌だったのに、見送ることしか出来なかったことをみつはずっと忘れられずに今日まで過ごしてきた。
当時、まだ小学生で、本当は自分に出来ることなど何もなかったことを頭で理解しながらも。
五年後――
カヅ君は必ず村に帰ってくる。
その時になったら、絶対に言おう。
カヅ君に聞いてもらうんだ。
私の――
大事に胸の奥に閉まい続けてきた言葉――
想いをみつが解き放つ決心をする。
「カヅ君! 私……!!」
そんなみつを嘲笑うかのように、タイミング悪く? 運悪く? どちらとも言えない具合に突然、バスが大きく跳ねた。
✳✳✳
さっきからデコボコ気味の道を通り、お世辞にも快適と言えない乗車だったが、ここに至って一際高さのある路面にタイヤを通らせてしまったらしい。
バスと共に一瞬、みつの身体が浮き始め、
――が、もともと神妻の胸の中に顔を埋めていたみつ。その腰に後ろからさりげなく神妻の手が周り、みつを支える形となる。
みつ姉、大丈夫か?
そう言おうとした神妻だったが、結果は声にならず口をモグモグさせるだけで終わった。
なぜなら、身体が浮き始めたみつ姉を神妻が咄嗟に自分の方に引き寄せたのだ。
ちょうど、みつの豊かな二つの丘に神妻は顔を埋める形に。
「ん、……カヅ君、そんなところで喋ら……ないで!」
「ん、くっ……悪い。……それより、みつ姉、動けるか?
……どうやら不味いことになってきたみたいだ」
「な、な、な……動けるかですって……!? ちょっと、カヅ君! 何を言って!? そ、それにお姉ちゃんの胸に顔を埋めておきながら、それよりって何ですか!? それよりって!! お姉ちゃんの胸って、そんなに不味いの!? 美味しくないの!?」
激しく勘違いし、的外れなことを言うみつに、今はそれどころではないんだけどと、神妻は心の中で呟く。
顔色が赤く変わり、動揺してか口早に話す暴走気味のみつを、神妻はまずは落ち着かせることにした。
「え~と……想像力逞し過ぎてツッコミどころ満載だけど、全部違うから。
そういうとこ五年経っても相変わらずだな、みつ姉。
人の胸の中で猫みたいにジャレていた時は、頬に紅の一つも差していなかった癖に、こういう予想外なことがあった時だけ、一転して恥ずかしがるって、年頃の女子としてはどっちが正しいのよ?」
「むぅ~……カヅ君の癖に生意気!」
変な方向に走り出そうとした、みつを神妻が収めている間に、バスの方は打って変わって、急停車とまでは言わないが、割かし慌ただしく止まった。
もちろん、そうさせたのは神妻とみつ以外に唯一バスに乗っている人物。地方のバス会社と思われる制服と帽子という定番装備を身に付けた、年配の運転手だ。
ただし、バス停でもない場所に、運転手が突然バスを停車させなければならなかったのには理由がある。
車外正面を見れば、一目瞭然。
それはバスの前に大量に現れた。
「なんだよ……あれは……?」
声は神妻たちのところまで届いた。
その声には怯えの色が濃く込められており、運転手の異常に、ようやくみつもただ事ではないと気付いたようだ。
運転手の側に近寄ろうとするみつの後を、神妻も追っていく。
――そして、みつも運転手と同じ反応を示した。
止まったバスのフロントガラス越しに、この世のものとも思えない異様を目の当たりにしたからだ。
人の形をしているが人ではない。
人間ならば当然に備わっている目もなければ鼻も耳もなく、そもそも顔がない。
全身真っ黒で、肌が黒いとか、そういったレベルでもなく、すべてを飲み込んでしまいそうな闇が人の形を成して動いている……そんなふうに神妻は思えた。
考えるまでもなく、地球上で存在を確認されているどの生物とも明らかに違うし、そんな話聞いたこともない。
いや――
たまに夜中に放送してる心霊やオカルト番組でなら聞いたことがあるかもしれない。
しかし、それらはフィクションであり、たいていは番組側が用意したものだったり、作られたものというのが定番。そんな化け物が本当にこの世の中にいると思っている人は、今時そう多くはないだろう。
少なくとも今ここにいるみつも運転手も信じていない。
だからこそ、今起きている現実を受け止めきれないでいるのだ。
だが、神妻だけは違った――
「もう来やがったか……『刻詠の遣い』」