大福とナイフ
「ちょ、あんさん最近どないしたん?怪我ばっかやんか」
最近同僚の調子が悪い。
普段なら、任務を完璧にこなし、そして何事も無かったかの様に何時ものツンとした態度で帰ってくる。そんな彼が最近は辛うじて
任務を成功させるものの、必ず怪我をして帰るようになった。
深夜3時、帰ってきた彼は、またもや怪我をした様子である。
「嗚呼……大丈夫だ、それとも己のせいで、お前にとって迷惑になる様な事が起こっておったか……?……だとしたら本当に申し訳無い」
「そうやって又深読みして……こっちはなーんにも問題あらへんで、唯あんさんが心配なだけや」
彼は俯き顔に薄ら唇を動かし微笑んだ、矢張り最近の自分の異常を彼も自覚している、そして焦りと不安に駆られているのだろう。
あんなに完璧だったのに、何故、まるで階段から雪崩落ちる様である。
「ほら、あんさんずーっと書類に任務、書類に任務で忙しくしとるさかい、屹度疲れてんねや!偶には休んでみたらどうやろか?」
「安心しろ。……先刻上に呼ばれた、少し休め、と言われて来た。…………安心しろ、暫く邪魔者は静かにしておるさ」
そう言い残して、彼は自分の横を重い足取りで横切って行った。
嗚呼、戦力外と言われたと思ったんかなぁ……。彼は自分を過小評価する節がある、上司は彼を気遣って休めと言ったに違いない、
然しそれを"使えない人間は要らない"と彼は受け取った。と、勝手に納得する。
「……プレッシャーなんかなぁ」
自分に比べ、多くの部下を従える身としての重圧も酷いのだろう、人の期待と尊敬は、時に鋭い刃として身を貫く。それも相まって彼の心は傷ついているのかも知れない。
そんな時に何も出来ない自分が余りに愚かである、何かしたい、だが何時もヘラヘラして、正真正銘、迷惑ばかり掛けている此の身で何が出来るというのだろうか。
「んん…………あーもう分からん!!」
自分の気の利かなさに半ば呆れ、半ば悲しくなった。
そしてこんな時間である、屹度頭が回らないんや、せや、適当に自分を鼓舞しては寝る事にした。考えても答えが出ないならば仕方ないだろう、今宵は何時もより深く毛布を被って眠りについた。
翌朝、朝から給仕室の厨房に立ってお菓子を作った。散々寝ながら考えた結果、彼の好きなものを作ってあげるのが精々、自分の出来ることではと考えたが故である。
蓬が香る皮に粒餡を乗せて包む、彼は蓬大福が好物だ。
「良し……あっパックにした方が好きな時に食えるかな、でも他の人に……無いか!渡さんわな好きなもんやし!」
何時も作る時より心がドキドキしているのが自分でも分かる、何時もなら何気無く作ったものを渡す程度であった、然し今回は誰かの為に作っている。落ち着かせるように態と大声を出し、自分を落ち着かせる。
昼頃迄せかせかと大福を作り、中から形の良いものを2つ、プラスチックのパックに詰めた。彼の大福である。
(上手くいくやろか……元気になるかな)
否々、菓子に迄不安が移ってはいけない、と頭を大きく振るい、パックを持って部屋を飛び出した。急ぐ必要も無いのに、廊下をどかどか走り彼の元へと向かう。自分でも何故こんなに必死になっているのだろう、普段仕事をサボる事が得意の芸の筈の自分が、こんなに必死になっている。
一瞬で彼の執務室の前に着いてしまった、彼の部屋は給仕室から少し離れた場所に位置するのだが、真逆こんなに早く着いてしまうとは。自分でも驚く早さだ。
さて、普段ひそひそと忍び込んでは悪戯を仕掛ける彼の部屋、今日だけはとても重々しく見える。獰猛な獣が、塒で寝息を立ててでも居るかの様な緊張感がある。
ふう……と深呼吸をし、普段はしないノックをちゃんと三回した。……何も起こらない。ドアノブに手を掛けてみた、どうやら鍵が開いている様だ。
「おーい……居る……?」
ドアを少し開けて隙間から様子を伺った。誰も居ない。整頓された部屋には、塵一つ落ちてはいない。読書をしていたのだろうか、机の上に三冊ほど本が積まれていた。
(出掛けとるんかな……?別室にも居らんし)
別室の鍵は定位置に置かれている。彼はその部屋に行く時、必ず鍵を持ち込む為、定位置にあるということが彼がそこに居ないことを証明している。
ちぇっ、居ないのか。先刻のスピードは何処へやら、自分はゆっくりと部屋を後にした。折角頑張ったのに何故居ないのか、昔からずっと一緒だと言うのにこうも都合の合わないものか。愚痴を吸い込む壺があれば直ぐにでも不平不満が出てしまいそうだ。
然し彼の為、これは彼の為に自分が勝手にやっているだけなのだ。壺があったとしても、逆に正論を吐き返されてしまうだろう。
思い切り頭を振るい、頬を叩いた。アカンアカン、これはボランティア、ボランティア活動だ…………ボランティア……?
ーーなどと考え事をしている内に給仕室を通り過ぎるところだった。数歩バックして戻ろうとして、奥から歩いてくる黒い影に気付いた。彼だ。
何だ居たじゃないか、何の偶然だろう。嗚呼矢張り良い事をすると運が回って来るものだ。
「おーい!何やねん何処行っとったん?探したんやで、ほら、あんさんの好きな大福作ってん……」
「……」
あれ……?
聴こえていないのだろうか、ポケットに手を突っ込んで俯き加減の彼は其の儘自分の横を通り過ぎてしまった。
今は話し掛けない方が良いのだろうか、通り過ぎた彼の背中から陰鬱の陰と鬱が溢れに溢れている様に感じた。
うん、やめた。暫く時間を置く事にした。
10分程、多めに作っておいた大福を数個食べて時間を潰した。我ながらとってもとっても美味しかった。
重い腰を上げ、部屋に向かうのが気不味い様な、渋る様な、兎に角直ぐに彼の部屋に向かえず、皿を洗って気を紛らわす。
とはいえたかが皿1枚、其の時間はあっという間だ。
パチン、と両頬を先刻より強く叩いて勇気を振り絞った。良し、行くしかない。
大福のパックを持ち部屋を出、亀の如く足取りで部屋へ向かった。
のそりと部屋の前に又着く。あれだけ沈んだ雰囲気だった彼だ、どうすれば元気づけられるだろう。暫く部屋の前をうろうろし考えた。こういう時に良いアイディアが浮かばないとは、何て不都合だろう、料理のレシピなどは直ぐ浮かぶのに何故その能力がこういう場合に発揮できないのか、不甲斐なさがとても悔やまれる。
ーー考えた結果、元気付けるには自分も元気でなければならない。何時も通り突撃するように話し掛ければ、彼も驚いて陰鬱も吹っ飛ぶだろうという答えに至った。後は実行するのみである。
「ハロー!!先刻無視したやろ〜酷いわぁ折角あんさんのだーい好きなだ、い、ふ、く、それも蓬で作って……」
がっと、イメージ通りに部屋を開け大声で声を掛けた、が、違う。そんな事をしている場合では無い。眼前で彼は……?何故ナイフを自らに向けている……?
咄嗟に彼の手からナイフを奪い遠くに放り投げる、抵抗するかと思ったが、彼は俯いた侭動かない。ナイフもすんなり奪えてしまった。
「あんさん何しとん!?真逆死のうとか考えとったんとちゃうやろな!?」
肩をがっしり掴んで彼を揺さぶる。抵抗しない彼は頭から膝に掛けてぐわんぐわんと揺れる。
余り怒る事の無い|(と思っている)自分だが、こればかりは耐えられなかった。何故?何故いきなり帰ってきたかと思えばあんな事を?
「…………」
「黙ってても分からん、さっさと答えぇや!!」
「……っ…………」
あ、しまった。やってしまった。
彼の心は繊細だと分かってはいたものの、つい怒鳴り散らしてしまった。
彼は小刻みに震えてはごめんなさい、ごめんなさい、と小さく涙を流しながら呟き、沈む様にしてその場に崩れてしまう。
自分は彼を元気付けたかったのでは無いのか?これでは彼の精神不安定に拍車をかけてしまう形になる。相変わらず自分の役立たずに呆れてしまう。
先ず自分を落ち着かせるように一つ、深呼吸をし、彼の斜め横に自分もしゃがんだ。今度は失敗しない様に、優しい口調を心掛け慎重に言葉を探す。
「御免な……?いきなり怒鳴って……怖かったな、あんさん心配やってんつい……御免。」
「…………」
背中を擦りながら声を掛ける、彼は自分の謝罪に首を振った。未だ涙を流してひくついている彼が落ち着く迄、彼の心に寄り添う様な言葉を掛けるようにした。
暫くして、彼が少し落ち着きを取り戻した。良し、本題に、といった感覚で、先刻の事について訊き出す事にした。
「何でナイフなんか自分に構えとったん?死のうとしたん?昨日休めって言われたのが辛かったんかな」
「…………」
「大丈夫やて、上の人はあんさんが心配やったからそういってん、別に使えないからとか、そういうんとちゃうと思うけどなぁ」
「……お前に何が分かる」
「何も分からん、だって話してくれへんやん……だから、わいはこう思うって話」
「…………」
「……教えてくれへん?分からんもの」
「……先刻」
彼はゆっくりと、一言一言呟く様に話した。此処では彼の話を軽く要約して伝えたい。
先刻彼は眼科に出かけていたという。前々から医者に来るようにと言われていた訳ではなく、気に障る事があったらしく念の為に受診したという事だ。
幾つか検査をした後、ずっと主治医として彼を診てきた医者と面談をした、その時に医者から告げられた事実が、彼の思った通りの、それでいて酷くショックな結果だったという。
「片目が…………もう殆ど見えない」
左目を軽く触りながら声低く告げた彼の言葉に、事の深刻さと心の傷の深さが窺える。
何も気にせずにのうのうと生きている自分が本当に嫌になってくる。この二日間で反省する事ばかりである。同期の筈の彼なのに自分とはまるで違う、同じ師の下で此処迄来た筈なのに何故こんなにも違うのだろう。出来損ないと嘆く完璧な彼と、出来損ないの癖にそれを自覚しない自分――どうしてこんなに違うのだろう。だから昔から彼の背中をこっそりと追っていた、筈なのに、どうやら何処かで道を間違えてしまったらしい。
「そっか……そらショックやったな……。でも片目やん?両方見えんようになった訳やないし、未だ良かったやん?」
この言葉だってそうだ、慎重に言葉を選んで笑い掛けた結果がこれだ。
彼は俯けていた顔を少し此方に向けたと思えば酷く鋭い目つきで自分を睨んだ。
「良かった…………?何処がだ……何処が良いんだッ!!何処が、何処が……!!お前にはたかが片目かも知れんが己には大事なものを失ったも同然だ!!片目一つで間合いも取れなくなる、左側からやられれば全く対応できん……こんな状況でお前は"良かった"と言うのかッ!?」
胸ぐらを掴まれ大きく揺さぶられた。本当に自分は何も出来ない"出来損ない"だとやっと自覚した。
一度落ち着いた筈の彼は酷く興奮したように肩で息をしていた。其の鋭い目には又涙が次々に流れている。
近距離で多くの敵を相手にする彼にとって、片目が使えなくなる事は可也の痛手であった、隣で一緒にやってきた仲間というのに想像出来なかった自分は、なんて愚かだ。
消え入りそうな声で、すまない、と呟き、彼は自分から手を離して座り込んだ。
「……前から、片目悪かったん」
「……お前が海外に居る時にな、戦闘中に近くで割れた硝子の破片が顔の左側に多く刺さって、その破片の一つが目に刺さった。失明にはならなかったが、前々から、もう治し様が無いと言われていた」
知らなかった。そんな事実、知らなかった、知りたくなかった。
自分は、彼と同じ師――先生が亡くなって一年後に、イギリスでスパイ活動をしに行った。他の仲間には左遷される様なものだ、生きて帰る奴は早々居ないから断れるならば断わった方が良いと諭されたが、意地を張って4年間で任務を終わらせて帰って来てやった。
帰ってからゆっくり彼と話す機会が一度あった。その時に何か変わった事は無かったか、と訊ねたのだが、彼は特に何も無いと一言で済ませて別の話に逸らした。
若し、それが目の事を隠す為であったならば、ずっと隠した侭で居て欲しかった。自分が訊き出したのではあるが、もう一度、はぐらかして欲しかった。
「だが……偶に夢を見てしまう、この目が治ればと――治る筈も無いのに」
「…………」
「だから……だから、いっそ完全に見えなくなってしまえば、くだらん夢を見る事も無いのにと思って……左目を潰そうとした」
「っ……」
嗚呼、そんなに追い詰められていたのか。それなのに自分にも、そして部下やその他大勢に悟られない様に振舞っていたのか、一寸した話や隠し事には直ぐ気付くのにどうして大事な事になると気付かないのだ。悔しくて堪らなかった。悔しい、辛い、何故、何故……。
「……随分と下らない話をしてしまったな、申し訳ない。心配してくれたのだろう……なのに乱暴してしまった、本当に、申し訳ない」
彼は丁寧に頭を下げて謝った、違う、謝るのは自分の方だ、なのに、どうしても体が動かなかった。頭が回らない、自分でも分からなかった。今度は自分が黙り込んでしまった。
「…………」
「……嬉しかった、こんなに親身になってくれる奴など、お前以上に誰も居ない。有難うな」
「……っ…………うん……」
横から抱き寄せられ、随分と優しく大きな手で頭を撫でられた。安心した、と、同時に泣いてしまった。自分に泣く資格など無いのに、もっと泣きたいのは彼の方なのに、頑張って止めようにも止まらなかった。
普段滅多に笑わない彼が、潤んだ瞳で微笑んだのが悪い、狡い、自分はこんな風にアンタを慰めたかったのに、元気付けたかったのに。
「……あ、そういえばお前、大福作ったとか言っていなかったか?」
「んあ……作った、これ」
「これ?」
手に持っていたものを差し出した、が、酷く不気味だという風な顔で返された。
「ほらこれ……あれ?持ってきたのに、あれ!?」
緊急事態だ。
先程の涙などすっかり忘れたかのように立ち上がり辺りを見回す、無い、持ってきた筈の大福のパックが無い。
「えっ、だってちゃんと持ってきたんやで!?今迄で一番上手くいってん、えっ、だって、ほら、部屋来た意味!?」
「……なぁ、若しかして…………これか?」
彼は部屋の一角を指差した。自分がナイフを投げたところだ。
その近くには……ん?
「あぁぁぁぁぁぁ!?大福ゥゥゥゥゥ!?」
直ぐに走って拾って確認する、幸い中身はパックから飛び出していなかったものの、折角上手くいった形がぐしゃぐしゃである。
「あえ、あの、ホンマ上手くいったんやで?すんごく上手くいって、味だって……」
「己の為に作ってくれたのだろう?形が変わっても味は些か変わらん、くれ、腹減った」
「えぇ……未だあっちに余ってんねん、形ええの持ってくるで……?」
「今食いたい、待って居られん」
「んん……」
渋々形の悪い大福を渡した。それでも彼は上手に食べては美味い美味いと食べてくれた。
「……もっとくれ」
「もっと?食べれる?」
「良いからもっと」
子供の様に強請る彼がなんだか可愛く見えてしまった、嗚呼作って良かったなぁ。
自分は急いで給仕室に戻って大福を並べたトレイごと持ってきた。こんなには食えんと彼は言うが、それでもトレイの半分以上を食べてしまったのだから面白い。
彼のように上手く元気付ける事は出来なかったが、これはこれで、自分らしく出来たのかなと思う。
屹度彼は元気に振る舞ってはいるが、未だ心の傷は完全に癒えた訳ではないだろう。その為に、自分はどんな事が出来るだろうか。今度こそ上手く出来るようにサポートしていきたい。