* 3 *
「おはようございます! よろしくお願いしまっす! 」
昨日の約束どおり、朝6時半。研修生用のジャージに着替えて社食へ行き、ハナは厨房を覗く。
忙しなく動き回っていたチエが、ピタッと動きを止めて ハナを振り返り、
「ああ、ハナちゃん。おはよう! よろしくねっ! 」
包み隠されたものの一切無い感じの 底から明るい笑顔で言い、ダスターでササッと手を拭ってから、ハナに歩み寄って来た。
「良かった。ちゃんと起きられるか心配してたんだよ? 昨日、サスケちゃんに だいぶ しごかれてたでしょ? 夕食を食べに来た時にフラフラしてるのが見えたから……。
大丈夫? 疲れは残ってない? 一晩経って、筋肉痛とかになってない? 」
「はい! 大丈夫でっす! 筋肉痛には なってないし、疲れは、昨日の夜、チエさんの作ってくれたゴハンを食べたら取れちゃいましたっ! 」
チエは一瞬、ポカンとした表情になり、それから、ハッと我に返った様子で、頬を少し赤らめ、ハナの肩をバシバシ叩いて笑いながら、
「もー! ヤダよお、この子は! どこで、そんな お世辞を覚えたんだろうねえっ! 」
言い、フウッと1回 小さく息を吐いて落ち着いて、穏やかに笑み、
「でも、ありがとうね。そうやって言われると嬉しいよ」
それから、スッと真顔になった。
「ハナちゃんは、いい子だねえ。いい子なんだってことが、見てて すごくよく分かるよ。サスケちゃんのために、辞めないでやってね。
SHINOBIは、ほんとに人が続かなくてね。身辺警備部自体が大変な部だけど、SHINOBIは特に危険任務が多いからかな? せっかく高倍率くぐり抜けて採用されて 厳しい入社前新人研修を乗り越えて入社式を迎えても、SHINOBIに配属が決まって ちょっともすると、皆、辞めてっちゃうんだよ。サスケちゃんも、去る者追わずだし。危険だって分かってるから、引き止められないんだろうね。だから毎年、4月5月だけは サスケちゃんとツキさん以外にも5・6人くらい所属してるんだけど、他は常にサスケちゃんとツキさんだけで……。SHINOBIへの依頼件数が いくら少ないとは言え、2人じゃ、きっと大変だよねえ……。それで、ハナちゃんを雇ったのかな?
異例中の異例なんだよ、こんな中途半端な時期の新人……しかも、アルバイトなんて存在自体が この会社じゃ初だって、社内で、既にちょっとした話題になっててさ。サスケちゃんの立場だから出来たことだろうけど」
(師匠の立場だから……? )
ハナ、ちょっと考え、思い出す。
「あ、班長さんだから、ですか? 」
チエは、少し驚いたように、
「あれ? 知らない? サスケちゃんは、この キリ・セキュリティ株式会社代表取締役社長の次男、つまり、社長令息ってやつだよ。
よくは知らないけど、おうちで色々あるみたいで、立派なご自宅があるのに寮で暮らしてるし、お兄さんである健真さんの副社長って立場に比べると 1つの部署の中の更に1つの班の班長なんて 下のほうに感じるけど、仕事上での階級じゃなく、ある意味、やっぱり、特権階級ではあるよね。あんまり良い言い方じゃないけど……。
サスケちゃんは、とっても いい子なんだけど、その特権的立場へのヒガミから、良く思ってない連中もいてね。だから、ハナちゃんには、サスケちゃんのために頑張ってもらいたいなって思ってるの。特権を使って例外的にサスケちゃんが採用したアルバイトだから、この先のハナちゃんの仕事ぶりが、直接、サスケちゃんに対する周りからの評価に関わってくるはずだから」
ハナは内心、困ったな、と思った。だって自分は、そんなに長く ここにいるつもりは無い。とりあえず、ここに来てから今まで、ここにいる誰に対してでも そうしてきたように、
「はいっ! 頑張りまっす! 」
明るく元気に返事だけしておいたが……。
(私が気にするコトないよね? 私が師匠にお願いしたのは弟子入りであって、バイトをと提案したのはツキさんで、師匠は、私の事情を知っていて その提案を受け入れたんだから……)
チエは ハナの返事に満足したようで、明るい笑顔を呼び戻して軽く頷き、
「さ、仕事仕事! ハナちゃんに やってもらう仕事の説明をしなくちゃね! 」
じゃあ こっちに来て、と言う チエの後について行くハナ。
食堂と厨房をつなぐカウンター横のドアの真向かいに位置する厨房奥のドアを出ると、そこは薄暗い倉庫のような部屋。入ったドアの向かいにシャッターがあり、左右とドアのある壁に寄せて たくさんの色々な物が並べられたり積まれたり吊るされたりしている。
チエ、シャッターを指さし、
「あそこが、外から運ばれてくる食材なんかの搬入口。もし、さっきハナちゃんが入って来たドアが閉まってたら、こっちから入って来て」
それから、壁に寄せられている色々な物のうちのひとつ、3つの縦長の扉のあるロッカーの前まで歩き、「雪村」と名前の入った扉を指して、
「ここ、ハナちゃんのロッカーにしたから。ハナちゃんは寮で暮らしてるから必要ないかもしれないけど、とりあえず」
そのロッカーを開け、中からチエの物とお揃いのエプロンと三角巾を出し、ハナに手渡した。
「はい、これ、つけてね」
「はい! 」
受け取り、身につけようとして手間取るハナ。チエが横から手伝って、ササッとつけてくれ、
「はい、出来上がり! 」
ハナを上から下まで眺め、
「わー、可愛い! やっぱ、若い子は何を着ても似合うねえ! 」
はい、そうしたら次は こっち、と、チエは、ロッカーの上に載っていた空の500ミリリットルのペットボトルをエプロンのポケットに突っ込み、ロッカーの隣に吊るされたモップと、そのすぐ下に置かれた いかにも業務用っぽい掃除機を、それぞれ片手に、ドアから倉庫を出、厨房を通り過ぎざまモップを持った手の指にダスターを1枚引っ掛けて、食堂へ。
「朝、まずハナちゃんに やってもらいたいのは、食堂のお掃除。今日は私がやって見せるから」
言って、チエは、ダスターをカウンター上、掃除機を その真下の床に置き、ポケットからペットボトルを出して、ドアの すぐ横の洗面台で水を半分くらい入れ、すぐにモップの上に こぼし、もう一度、今度は水を満タンに入れてからフタをし、再びポケットへ。そして、ホウキで掃くようにモップを軽く左右に動かしながら、後ろ向きに歩き始めた。モップを動かし 時々ペットボトルの水を撒きつつの、チエの説明によれば、モップがけの目的は2つ。1つは人が通る場所の床のホコリを抑えること、もう1つはゴミを窓際なり壁際なりの食堂の隅か 椅子・テーブルの下にまとめること。後から、まとめたゴミの場所だけを掃除機で吸っていくらしい。
チエの後をついて歩くハナ。チエは5分弱でモップ・掃除機を終え、今度はダスターに持ち替えて、テーブルの上をザッと拭いていく。
テーブルを拭き終え、道具類を、また いっぺんに持ち、ダスターを厨房へ戻し、倉庫の元の位置へ掃除機を置いてから、モップを搬入口を出て すぐの外水道で洗って絞り、元の場所へ吊るし、ペットボトルも戻して、掃除終了。掃除の所要時間は、片付けも含めて約10分。
ハナ、
(私、こんな短い時間で終わらせれるかな……)
不安になり、チエに そう言うと、チエ曰く、
「短時間で終わらせるポイントはね、どれだけのことを見て見ぬフリ出来るか、かな」
真に受けていいものかどうか分からず、ハナは途惑う。
その表情を見て取ってか、チエ、笑いながら、
「ホントだよぉ、ちょっと言葉が不適切だったかも知れないけど。
うん、初めは、時間かかるかも。必要なのは経験で、日によっての汚れ方の違いで変わる しっかりやるべき箇所と手抜きすべき箇所を判断して、正しく手を抜く必要があるから」
掃除の説明は、そこまで。続いて、社食の受付が始まってからの仕事の説明。
受付開始後のハナの仕事は、入口の注文機で注文された注文内容Aセット・Bセットと5桁のコード番号の載っている作業伝票を確認し、既にチエが調理して厨房内のウォーマーテーブル上に用意してある料理を、同じくチエが用意した盛り付け見本に倣って食器に盛り付け トレーに並べ、カウンターに出して、カウンター内側のボタンを操作し、伝票に記載されているコード番号を電光掲示板に表示する。そして手隙時に、返却棚に戻された食器を種類ごと仕分け 洗い場に運び、更に余裕があれば洗う、というもの。
説明を受けている間に、サーマルプリンターから連続して何枚も伝票が出てき、人がゾロゾロ食堂に入って来て席に座るのが、カウンター越しに見えた。
チエ、
「さあ、始まったよ。ハナちゃん、集中してね。社食はスタートと同時にピーク突入だから。
ピークが終わるまでは、私も盛り付けをやるから。私、Aセットやるから、ハナちゃんはBセットをお願い」
「はいっ! 」
ハナの返事に頷き返して、チエは動き始める。チエ担当のAセットはパン食で、今日のメニューは、フォッカチオ・ミネストローネ・目玉焼き・ソーセージ・野菜サラダ。伝票をプリンターから取り、書かれていることが見えるようプリンター横の伝票ハンガーに並べて挿し、それから、カウンター内側の、カウンターと一体になっているワークテーブルにトレーを5枚並べ、ウォーマーテーブルからフォッカチオを取り、皿の上に載せては、並べておいたトレーに順に置いていく。次に、別の皿にサラダを盛り付け目玉焼きとソーセージを載せてはトレーに置いていき、サラダの部分にドレッシングをかける。それから ミネストローネをスープ皿によそってはトレーに置いていき、5人前がいっぺんに完成。それをカウンター上に並べて出し、慣れた手つきで電光掲示板のボタンを操作。コード番号を5つ入力し表示して、伝票を5枚、伝票ハンガーから引き抜いて足下のゴミ箱に捨て、また新たにトレーをワークテーブルに5枚並べて同じことを繰り返す。
その素早く無駄の無い、しかし無駄が無さすぎて逆にオモチャのようで可愛く面白いチエの仕事っぷりに、ハナが思わず見惚れていると、チエ、チャカチャカチャカとオモチャのような動きは そのままに、
「ハナちゃん、ちゃんと集中して! B伝票、溜まってるよ! 」
ハナ、ハッとし、
「す、すみませんっ! 」
慌てて、トレーを1枚ワークテーブルの上に出し、見本をパッと見て確認。大急ぎでゴハンをよそって、トレーに置こうと、茶碗を持った手を移動した瞬間、左手の動きに茶碗がついて来ず、
(っ! )
ポロッと手を離れた。
(……ああ……っ! )
腹から胸にかけてに、ゾワッと冷たいものが込み上げるのを感じながら急いで体勢を変え、
(…っぶない……)
受け止め、思わず溜息をついて しゃがみ込んだ。
と、その時、頭上から、
「なあ、Bセット まだ? 」
ハナが、顔を上げて見ると、日に焼け深くシワの刻まれた顔をした、白髪まじりの脂ぎった頭髪の男性がカウンターから覗いていた。
男性は、カウンターを指でコツンコツンコツンコツンと鳴らしながら、黄色く濁った目でハナを見下ろす。
「俺、多分、一番初めに注文したんだけど」
ハナは急いで立ち上がり、
「すみませんっ! 今、やりますっ! 」
手にしていた茶碗をトレーに置こうとした。
と、男性、
「あんたが抱え込んでた その飯を、俺に食わすのか? あんたのフケや唾が入ったかも知れねえし、指で触ったかも知れねえし、汚いら。それに、ちょっと冷めてるじゃあ」
ハナ、そうかも知れないと思い、どうしたらいいか、とチエを窺う。
チエ、ハナの視線に気づいているのかいないのか、チャカチャカと自分の仕事をこなし続け、トレーをカウンター上に出し、電光掲示板にコード番号を表示して、伝票ハンガーの伝票を捨て、と、そこまでやってから、突然、変則的に茶碗とシャモジを持って、ゴハンをよそう。よそったゴハンをハナが出してあったトレーに置き、アジの開きを横長の四角い皿に載せて、小鉢にホウレンソウのおひたしを菜箸でひとつまみ入れ、それぞれトレーに置き、切干ダイコンの味噌汁を椀によそって置き、最後に納豆を1パック トレーの隅に載せ、カウンター上、男性の正面に出し、伝票を1枚 ハンガーから取って見、確認したように頷いてから、男性に向けて、ニーッコリ笑顔。
「はい、お待たせー。ゴメンねえ? 社食でのバイトは今日が初日だから、温かい目で見守ってやってえ」
男性、無言で カウンターから自分の前に出されたトレーを持ち上げ、背を向けて、2・3歩 歩いてから、チエを振り返り、
「まあ、言いたいことは山とあるけどさあ、言わないほうがいいら? オボッチャマが連れてこられたバイトなんだから」
言って、口元を歪め、チラッとハナに視線を流してから、再び背を向け、席へ。
(オボッチャマ、って、師匠のことを言ってるんだよね……)
何か嫌な言い方だな、と、ハナは思った。自分が料理を出すのが遅くなってしまったことは事実だし、ゴハンが汚れてしまっていたかもしれないのも その通りかもしれないから、言われて当たり前なんだけど、師匠のことを わざわざ言う必要無いのに、と。
(…って言うか、本当に言いたかったのは、私への苦情じゃなくて、師匠についての嫌味だったのかも……。何か、そんな感じがする……。…もしかして、今のオジサンって、さっき チエさんが言ってた、師匠のことを良く思ってない連中、の1人……? )
「ハナちゃん、盛り付ける時、トレーは5枚までなら並べていいから。何食分か、まとめて盛り付けたほうが速いよ」
男性の背中を見送っていたハナに、チエがアドバイス。
ハナは、また自分が ちょっとボーッとしてしまっていたことに気づき、
「あっはい! 分かりましたっ! 」
急いで返事。
「初めは速くなんて出来なくて当たり前なんだから、慌てないで、落ち着いて確実にやって」
そう言って、チエは自分の作業に戻った。
ハナ、チエからのアドバイスに従い、まずは落ち着こうと深呼吸。それから伝票ハンガーを見、Bの伝票が5枚以上あることを確認してから ワークテーブルにトレーを5枚並べ、ゴハンをよそっては 5枚のトレーに順に1つずつ置いていき、次は アジの干物を順に。それからホウレンソウのおひたし、味噌汁、最後に納豆のパックを置いて完成したBセットのトレーをカウンター上に出し、伝票と しっかり見比べながら、掲示板のボタンを操作。念のため もう一度 番号を確認してから表示し、伝票を捨て、新しいB伝票が5枚以上あるのを数えてから、また、ワークテーブルにトレーを5枚並べ……と、何回か繰り返すうち、リズムが生まれ、何だか楽しくなってきた。
暫くして、いっぺんに盛り付ける伝票が4枚以下になったところで、チエ、
「ハナちゃん、私、そろそろ、洗い場と昼食の仕込みに入るから、Aセットもお願い。あと、手隙で返却棚の食器を洗い場に運んでね」
そして、厨房奥へ。
ハナの作業内容は変わったが、リズムは崩れない。変わらずリズムに乗って、AセットとBセットを交互に盛り付け、盛り付けるべき伝票が無くなってからプリンターから新しく伝票が出てくるまでの合間に、返却棚を片付ける。
丁度、ハナが返却棚の片付けをしているところへ、トレーを返しに来た30代後半くらいの男性が、笑顔で、
「ごちそーさまー」
ハナは嬉しくなり、社食の仕事が好きになりそうだと思った。
(ん……? このコード番号……)
Bセットを3つ、新たに盛り付け終え、掲示板のボタンを操作しようと伝票のコード番号を見たハナは、その数字の並びに見覚えがあった。
そして その番号を表示後、カウンターに受け取りに現れたのは、
「よぉ、ハナ! 頑張ってるか? 」
サスケだった。
あ、やっぱり、と、心の中で呟いてから、ハナ、
「師匠! おはようございますっ! もちろん頑張ってますよー! 」
元気に朝のご挨拶。
サスケ、ハナの もちろん頑張ってます、との答えに、そうかそうか、と 満足げに頷いてから、カウンターの上に身を乗り出し、声をひそめて、
「ハナ、さっき、社食が開いたばっかの頃、交通誘導警備部の立岩さんに、何か言われてただろ? 」
(立岩さん……? …ああ、さっき、出すのが遅いとか、ゴハンに私のフケとか入ってるかもとか、あと、師匠についての嫌味っぽい言い方をした人かな……? )
「オレ、あの人 苦手でさ。ハナに絡んでるとこにオレが行ったら、もっと何か言われるんじゃねえかと思って、本当は、社食が開いて すぐくらいに一度 来たんだけど、一旦 部屋に戻って、あの人がいなくなる頃を見計らって来てみたんだ」
(立岩さん? て人、師匠本人にも、ああいう言い方するのかな? )
「何言われたか知らねえけど、あんま 気にすんな? 」
「はい! 全然 気にしてないですっ! 」
「……」
サスケ、暫し無言。ポリポリと頭を掻き、
「……やっぱ、ちょっとだけ気にしてみるか? 」
「はい! そうですねっ! 反省点もあるしっ! 」
サスケ、大きな大きな溜息をひとつ吐いてから、
「ああ、そうだ、ハナ。オレ、今日・明日は一日中仕事だけど、明後日は午後から空いてから、修行な」




