<青年と神父>
路寄りさこワールドへようこそ!
不思議なひとときをご堪能ください。
「それはしかたないさ。人の人生には、それぞれ重みがあるんだ。質という重みがね」
若い男がそう言った。
「質?重さが違う?」
「ああ」
「どう違うというのかね。人はみな、神の創造物。みな平等に量られるべきで、差別は悪徳というものだ」
冷静な、しかし、弱々しく優しい声が突然、割り込むようにして語った。
「あなたは宗教家ですね?」
若者が尋ねた。
「ええ。そうです。町の小さな教会で神父をしていました。いろいろな人の人生を見てきましたよ」
神父は、いささか得意気に話す。
「いろいろな人の人生をご覧になって、それで、人はみな同じだとお思いになられたのですか?」
若者は、皮肉を込めて言った。
「同じとは?ハハ……、誰一人として同じドラマを展開した人はいませんよ。大統領になる人もいれば、花屋や学校の先生もいる。だが、最後に審判を受けるときは、みな神の前に平等に、その評価を受けるのですよ。花屋だろうと教師だろうと、大統領だろうと、王様もホームレスも」
「確かにそうでしょう。職業に貴賤はありませんし、いかに偉大と言われる職業に就いていて人から羨望の眼差しでみられようとも、その心根において神のみ心から遠いものがあれば、それは立派とは言いがたい。また、どんな小さな目立たない仕事でも、その人の思いが清らかで誠実であったなら、偉大な人生を生きたと言えましょう。結果は、決して平等ではありません。平等であることがすべて美徳ではありません。そして、結果は、その人のしてきた努力で公平に量られるのです」
若者の言葉は、誠実で迷いがなく、確固とした足取りが聞こえてきそうな気配だ。
「あなたは、神を試しておられるのですね」
神父は、全く唐突に、脈絡のない言葉で反論した。
「それとどう関係があるのか私には分かりかねますが、……」
「あなたは奢っている。その若さで。悲しいことです。あなたには裁く権利も、またその力もないはずです。神だけが、その力をお持ちです」
神父は、ますます高飛車に、そしていかにも教え諭そうとする聖者の風格を示し、若者の言動を哀れんでみせながら話を続けた。
「人は、どのような立場にあろうとも、どのようなことを成そうとも、天の門をくぐるときには、すべてがなくなってしまうのですから、大統領だろうと、花屋だろうと、みなその重さに変わりはなくなるのです。ただ等しい重量が残り、神がその差を裁かれるのは、善悪においてのみです。たとえば、盗みは悪、盗まなかったことは善です」
神父は、若者に対して得意の説教をしながら、いかにも楽しげな様子だ。
「それは、道徳的すぎやしませんか」
若者が言った。
「道徳的であるからこそ、悪人の生き方はしないものだ」
「私は常日頃、考えているのですが、きわめて道徳的であるということが、果たして良いことなのかどうか。私には、たいへん無意味に思われることがあるのです」
「あなたは、少し信心が足りないようだし、人生のなんたるかが分かっていないようだ」
神父は、呆れた様子で大きなため息をもらしながら、首を振って哀れんだ。
「宗教的、ということを考えてみてください。我々は皆、宗教的に生き、そして宗教的にその価値を評価し、また評価されるのではありませんか?」
若者は、清洌な迸りでもって神父に立ち向かってゆく。
「だから言っているのです。あなたは宗教的という言葉からはほど遠いのですよ。宗教的に判断されれば、全ては白紙です。諸人は、神の前の子羊です。我々はただ、あらゆる物事に害を与えずに生きることが使命でしょう。そして、心清く生きながら、神の声を伝えるのが使命ではありませんか」
神父は、どうにか若者を諭そうとしてか、懸命に言葉を尽くそうとするのだが、若者の確固たる精神を揺るがすことはできない。
「神父様、お言葉を返すようで申し訳ございませんが、あなたは、何か誤解をなさっているようです」
「誤解ですと?」
「ええ。まず神の前の子羊である我々というのは、我々に対する許しではなく、神の偉大さ、崇高さを言うのであって、そのとてつもなく大きな存在への畏怖と、そしてそれを感じる我が身の極小さを教えてくれるものではないでしょうか。そして、心清く生きるのは、当然の根本であって、ただ害を与えることを恐れて生きるのではなく、神から与えられたこの命を、どう生かしてゆくことができるのかを考え実行してゆく、それが宗教的に生きるということではないでしょうか。
それにはそれぞれ質の違いがあるでしょう。どのような思いで判断し、選択してきたか」
「それが差別意識だと私は言っているのです。ひいては、その様な心持ちが、軽蔑へと堕してゆくのですよ」
神父は、言葉を割り込ませて言った。
「軽蔑ではありません。先を進む者への尊敬と、後ろから来る人たちへの導きと思いやりです」
若者は、ひたすら優しい眼差しを湛え、また、自らの思いの崇高さをかみしめていた。それは、公正で極めて明るい、そしてえもいわれぬ美を内包した、高い境地への溢れんばかりの憧憬であった。
「いったい自分をどれほどの人物だとお考えなのでしょう。おお、神よ許したまえ」
神父は、大袈裟な表情で身震いをし、祈るように瞳を閉じて両の手を組み合わせた。
「私は、神父さま、あなた同様、導かれし者です」
若者は、静かに答えながら神父に手を差し延べた。しかし、神父は、その手を無碍に振り払った。
「汚らわしい手です。私は、神のみ手と神を信ずる者の手のみに触れさせていただくのです。導かれし者が、自分以外の人々をそのように見分けたりはしません。みな平等に導かれているのですから」
神父は、いとも簡単に言い訳を言ってのけた。彼自身、それを非常に気高い信仰と思想の現れであると自負して止まなかった。
神父の信仰は、ちょっと見には確かに誠実で、思いやり深く感じられた。しかし、教養深い若者からすれば、神父の言うとおりに全てが安直に見た目の善悪だけで量られるのならば、なにゆえに人生というものが存在し、なにゆえに今またこうして天国の門の前で尋問を受けているのか、それら神秘と言われることが全て、単なる数量的判断に終わってしまうのである。
人間は、意味あって生きているのであり、意義あって存在しているのであり、その証は神から授かったそれぞれの尊い魂のなかにあり、さまざまな人格が生きたその軌跡の上にあるのである。
「神父様、あなたは神の声を伝えた偉大な方を尊敬し、愛しておいでですね。私も同様です。あの気高いお声に導かれ、諭され、教養を与えられ、知識を与えられ、至福を与えていただきました。
神の声を伝える偉大な方は、我々に正しい人生の行路を指し示され、光のありかをお教えくださった。しかし、私より偉大な方は、その方だけではなかった。その方より偉大な方はいない。しかし、その方のもとにいる小さな存在たちが、すべて同じ顔だったわけではない。すべて同じ背丈だったわけではない。すべて同じ質量だったわけではなかった。
天国の門の前で、皆、公平に裁量されていったのです」
若者が滔々としゃべりだすと、一同は静まって、神父も、何か言いたそうに眉を顰めてはいたが、黙して耳を傾けていた。
若者は、さらに話を続けた。
「私は、ある詩人を尊敬していました。いや、尊敬しております。深く敬愛しております。彼の作品を読むとき、彼のその高貴な思想に触れるとき、私の胸は高鳴り、踊り、跳ね、そして感動に打ち震え、さらに彼に続きたいという衝動が迸るのです。ああ、どうしてあなたと同時代に生きることができなかったのか。残念でなりません。しかし、あなたより後々に生まれたからこそ私は、吟味されたあなたの作品群に触れることができた。そして、それらを心行くまで堪能することができたのだ。そう思っています。
明らかに、自分より優れた存在がいる。神の声を直接お聞きになりそしてお伝えになられる偉大なお方とはその比肩の限りではありませんが、しかし、どう考え及んでも、自分よりも偉大な人々が存在しており、彼らが歴史を物語り続け、我々に遺産を残し続けている。その事実に気づいたとき、私は、全くの新鮮な驚きに、胸は張り裂けんばかりでした。おおげさかもしれませんが、神様からいただいたこの人生の意味が見えたのです。
神父様、あなたは、あなたより偉大な人がまったくいないとはおっしゃいますまい」
「さきほどから、私は、そのようには言ってはおりません。自分より偉大であるとか、自分より偉大でないとか、そのような事実は存在しないと言っているのです」
神父は、いささか疲労気味の様子で、それでも自らの意見を曲げようとはせず、相変わらずの口調で主張する。
「それでは、詩人のアンテテや哲学者のピガテトスが、ご自分と同等の、同質の仕事をなしたとお思いですか?」
「そ、それは……たまたま、彼らが新しい発見をしただけであって……」
神父は、言葉に詰まった。
「それでは、私とあなたが同じ門扉に招かれても、不服はないのですね」
穏やかな若者にしては、いささか調子の高い問い掛けだった。
「大いに不服だね」
神父はしてやったりと、居丈高に言葉を返した。
「大いに不満だ。あなたと私では、生きてきた年月が違う。だいいち、私には神にお仕して、人々のため尽くしたという輝かしい経歴がある。あなたは、そう、お見かけするところ、まだ大学を出たて、といったところではありませんかな。それを比べてもらっては大いに困ります」
「それでは、さきほどのあなたのご意見とは矛盾してしまうのではありませんか?神の声を伝える偉大なお方以外は、みな同等だと。なぜ、私とあなたの間に差ができるのですか。私には分かりかねます」
「そ、それは……」
神父はいよいよ言葉に窮し、冷汗をかきながらも必死に答えを探していた。
「人は、」
と、今の今まで一言も口を挟むことのなかった衛兵が、重圧感に満ちた声でおもむろにその存在を知らしめた。
「人は、その生きた長さで価値を定められるものでもなく、また、その職業の種類によって量られるものでもない。人は、その心のなかにある天国との架け橋の色と大きさによって審判されるのである」
群衆は、どよめいた。
そして彼らは、安堵しているようでもあった。
終始一貫して衛兵が問いかけていた質問に、ああしました、こうしましたと事実の表層を詳しく答えることがそれほど重要ではないのだな、と推し量ったのだ。
さらに言えば、彼らは、一部のエリートを除いては、さほど自分の生涯に自信を持ってはいなかったし、ましてや職業に誇りを感じてもいなかったからである。
言わないで済むなら、地上を離れた今となってはなおのこと、そんなことを誰かの面前で披露などしたくもなかった。
最後まで読んでくださり、ありがとうございます。
お楽しみいただけたと思います。
次回は4月14日ごろの投稿を予定しております。