<一人目の主張>
路寄りさこワールドをご堪能ください。
遠くに川が見えた。
川は広大で、豊かな水を湛えて静かに流れていた。
川には橋が架かっていた。
橋は、質素でもあり、豪華でもあり、見る者の眼によって違って見えた。
橋を渡る人は、皆、笑顔だ。
戸惑いもためらいもないように見える。
橋の向こう側に大きな門扉が見えた。
門扉は開け放たれ、広く人々に先行きを示していた。
ここまでやって来たひとかたまりの人々は、ひとりの脱落者もなく、その門扉の向こうへ行くことができた。
橋はさらに長くのびていたので、皆は歩みを進めた。
するとその先にもうひとつ、門扉があるのが見えてきた。
それは、前のものよりも小さかったが、より綺麗だった。
その門扉には、さらに小さな扉がついていた。その扉は半開きになっていて、眩惑を湛えて好奇心を誘い、人々を手招いているかのようであった。
ほどなくしてその半開きの扉から、眩い光が見えた。
「おぉー……」
誰もが一様に声をあげ、その感嘆の響きは、喜びとも、恐れとも聞き取れた。
「わぁー……これは神様にちがいない」
「そうだ、話には聞いてたけど」
「いよいよお会いできるのか」
「あれが、世に言う天国だよ」
皆、いたく興奮してすでに天国の心地で一斉に歩みを進めた。
するとどうしたことか、すっと扉が閉じるではないか。
これまでとは様子が違う。
「なんだ、なんだ?」
「おい、開けろ!」
気を挫かれた人々は口々に文句を言い、汚い言葉でののしった。
なかには、無情にも目の前で閉じられたその扉を、力まかせに叩いたり、蹴飛ばしたりする者もいた。
だが、扉はびくともせず、中から誰かが出てくるでもなかった。
人々がしばらくその場で途方に暮れていると、どこからともなく、一人の立派な男が現れた。
男は、中世の騎士のような出で立ちで、腰には長い剣を差していた。身体も大きく、その顔は、鬼のように厳めしくも見え、また、菩薩のように穏やかにも見えた。
「な、なんだ、あいつ」
人々は、ざわめきたつ。
「静粛に!さあ、私の質問に答えるがいい」
突然現れた立派な風体の男は、胸を張って、大仰に命令を下した。
おなかの底から湧き出るような声は、ずっしりとした重圧感を持って、辺りいったいにとどろき渡った。
「あ、あんたは誰だい?」
群衆のひとりが、勇気を出して尋ねた。
「私は、この城の衛兵だ」
「城?城なんてどこにあるんだい?」
見渡したところ、周囲には空虚な空間が広がっているばかりで、大層な城のごとき建物も、いかつい城壁も見当たらなかった。
「いずれ、見える者には、見える」
衛兵は、けむに巻くような返答をして、口許を少しばかり歪めた。
「うそぶいていやがる。おい、だまされるなよ、みんな!」
あくの強そうな男が、えらぶった態度で声をあらげた。
「私の質問に答えずしては、この門扉を通り抜けることはできんのだ」
衛兵は、今度は優しく落ち着いた声で、あくの強そうな男に言い含めた。
「へん、何を言いやがる、衛兵さんよ。オレさまも、衛兵なんだよ。ここはどこの城だい?オレさまの城はな、グラトの西北にあってよ、城主さまは広大な領土を治めてるのよ」
男は自慢げに語った。
「グラト?聞き知らぬが」
衛兵はそう言いながら、表情は能面のように動かない。
「知らないだと?ふざけたことを言うやつだな。ハンラ共和国の王立都市さ。知ってるだろう?」
「知らんなあ」
「とぼけるなよ、衛兵さん」
「知らんものは、知らんのだ」
「じゃあなあ、この勲章を見てみろ」
そう言って、ハンラ共和国王立都市グラトの衛兵とやらは、自分の胸元をまさぐった。
「さあ、これこれ、親しみ深い紋章だろう……?……ありゃ、へんだなあ……おかしいぞ……どこいっちまったんだ……あれ……」
グラトの衛兵は、いつもの衛兵服も身につけておらず、ましてや、勲章などどこにもなかった。
「本当なんだよ。オレは、金輪際、嘘なんかついたこたあないんだ」
グラトの衛兵は、慌てふためいて自分の変わりはてた姿を川面に映して見た。真っ白な布が、ただ身体に巻きついていて、ずっと歩いてきたせいか、裾が痛んで綻びていた。
「オレは、何なんだ……」
グラトの衛兵はいきなり惨めな気分になり、沈んだ様子で我が身を振り返る。
自分というものが、思い浮かばなかった。自分はどこへ行ってしまったのだろうか……。そんな問いを繰り返した。
「さあ、私の質問に答えるがいい」
戸惑いがグラトの衛兵を取り巻いていたとき、ここの門扉の衛兵が再び命令を下した。
「……」
今度は、口答えする者はいなかった。
「おまえは、何をしてきた」
衛兵はグラトの衛兵に、そっと耳打ちでもするように尋ねた。
「……」
グラトの衛兵は、答えない。
「おまえは、何をしてきた」
「……」
グラトの衛兵は答えない。いや、答えられないでいる。
「おまえは、何をしてきた?」
「……」
「おまえは、何をしてきたのだ?」
「私は……」
質問が淡々と繰り返されて、ようやくグラトの衛兵は口を開いた。気弱な様子で、口籠もっている。
「私は、……何もありません。私は、何者なんでしょう?どうか、お教えください」
グラトの衛兵は、謙虚な態度で教えを請うた。すると、橋の向こうの川のまた向こうに、ひとつ、ぽつりと扉が現れ、グラトの衛兵をいざなった。
「おまえの扉はあそこにある。ひとりで歩き、行きなさい。そこでじっくりと、自分の生涯を振り返るがよい」
「…はい、わかりました」
「案ずることはない。おまえの仲間が、助けてくれようぞ」
「はい」
グラトの衛兵は、とぼとぼと歩き始めた。
道のりは、思ったよりありそうだ。
「途中、川には大蛇も棲むゆえ、気をつけるのだぞ」
一人ゆっくりと歩くグラトの衛兵に、もう一度、衛兵は声をかけた。だが、その後ろ姿は、二度と振り向くことはなかった。
「さあ、では、始めよう。次は誰かな」
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次回は2月3日ごろの投稿を予定しております。
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