所為転換手術~ぶあんVer.~
そこは真っ白な部屋だった。
全てを出し尽くし、やり遂げた自分にふさわしい白である。
儂は今、病院のベッドに横たわり、静かに死を待っていた。
最強の力を持ってしても、老衰には敵わなかったという事だ。
儂を見送る為に家族全員、ひ孫までもが一同に集ってくれた。
この状況は随分と贅沢なものだと言えるだろう。
二十代で立ち上げた会社は今や世界的な企業に成長しているし、儂自身も歴代最年少の日本国首相になれた。首相の任期を終えた後は政財界のボスとして君臨し、ありとあらゆる富と名誉を欲しいままにする事が出来た。この国で儂が頭を下げるべき相手は一人もおらん。
満足だ。
完璧な人生であった。
それもこれも全てはアレのおかげなのだ。
十七歳の夏のあの日。
ジメジメとした薄暗い廃病院の中。
自殺しようとしたあの日から、儂の人生は始まった。
今となっては信じられん話だが、儂は高校生の時にひどいイジメにあっておった。暗い性格で凡庸な少年は恰好の対象だったのだろう。
両親はとうに他界しておったから、この世にさほど未練はなかった。
儂は夏休みに入ってすぐに、幽霊が出ると噂されておった廃病院に向かった。
雑木林の中にひっそりと建つそれは昼でもなお暗く、こびりつくようなカビの臭いと共に、死をイメージさせる廃墟が、自殺するつもりだった儂でさえも恐怖させた。
持参したロープを階段の手摺りに括り付け、いざ2階から飛び降りようとしたその時、足元に妖しい銀光を放つ物を見つけたのだ。
儂はその輝きに心を奪われた。
自殺寸前だった少年をこの世に引き留めた物は、一本の美しいメスだった。それは、外科手術で使われる小さな刃物で、長い時間放置されていたであろう筈なのに、曇りの一つも見当たらない逸品であった。
それを手にした瞬間、全てが変わったのだ。
儂の運命さえも動かす劇的な変化だった。
そのメスに触れると見えない物が見えるのだ。
廃病院の中は得体の知れない物で満ち溢れておった。
儂は無我夢中で首に巻いたロープを解き、メスを持って外に飛び出した。
魂の奥深くまで絡みついて来るような、妖しい魅力を持ったメスは、まさしく妖刀の類であった。
業とでも呼ぶべきか、因果の因とでも言えばいいのか、人や物に絡みつき厭らしく蠢く黒い物質が、メスに触れている間は見る事ができ、触る事もできた。
いかなる方法を持ってしても、黒い物質を人から引き剥がす事は適わなかったが、唯一そのメスを使えば簡単に切り離す事ができた。切り離したソレを他人に投げて引っ付ける事も容易であった。
これは凄い事だ。
どんな犯罪でも、いかなる非人道的な行いでも、全て他人の所為にできるのだ。
薄暗くジメジメした廃病院で終わった儂の人生を、たった一本のメスがさんさんと照らしだし、爽風が吹き抜けていくようだった。
高校2年の夏に始まった儂の快進撃を阻める者など皆無であった。
誹謗中傷、悪口雑言、カンニング、横暴、窃盗、強盗、強姦、殺人、詐欺、誘拐、脅迫、虚偽、賄賂、粉飾、インサイダー、条約破棄、侵略、先制攻撃、無差別爆撃。
およそ考えられる全ての罪を犯しそれらを全部、人の所為にして来た。他国の指導者を公の場で罵倒して、それを違う国の指導者の所為にし、両国に戦争をさせたこともある。
儂は歴代首相の中で最も日本の地位を高めた名首相であろう。
世界中の指導者が儂を恐れていると聞く。
この世で儂が成すべき事はすでに無いと言っていい。
だから死を前にしても安らかでいられるのだろう。
例のメスはすでに長男に引き継いである。
今後、代々家宝として伝えられていくはずだ。
過去の出来事を思い出している内に、どうやらお迎えがきたようだ。
親族がむせび泣く中、儂の魂はゆっくりと光の中に吸い込まれていった。
ふと気づくと薄暗い河原に立っていた。
正直に言うと死後の世界など信じてはいなかった。
だがどうだ。
ここは状況からして賽の河原ではないか。
という事は前方に見える川が三途の川なのか?
儂は上流の方で微かに灯っている光へ歩を進めた。
ススキのような植物が疎らに生える河原には、いたる所に石が積み上げられている。
吹き渡る風は冷たく、夜とも昼とも言えない空は雲も月も星もなかった。
そこここでボロを纏った子供たちが虚ろな目で石を探している。
薄気味の悪いところだ。
儂は足早に明かりの場所へ移動した。
薄暗い河原を照らすのはたった一つの提灯であったが、どうやら中身は裸電球のようだ。近代化の波はこんな所まで及んでいるのか。
そこはどうやら船着き場のようで40人近い人間が順番待ちの列を作っている。
皆一様に虚ろな目で無駄口を叩く者はいなかった。
生前ならば有無を言わさず先頭に割り込むところだが、今はメスがない。
反感を買ってもいい事はないので一番後ろに並ぶ事にした。
「おぉー、やっと来たか。お前は豪尽 張男だな?」
突然後ろから声を掛けられて振り向くと、儂は腰を抜かしてその場にへたり込んでしまった。
そこに居たのはまさに鬼。
2m近い巨躯にスーツを着てはいるが、その上にある顔は鬼そのものであった。下あごから突き出した鋭い牙は天を向いており肌の色は赤であった。当然の如く額の両側に2本の角が生えている。
手には巨大なかな棒を……否、違う。
妖しい銀光を放つそれは見慣れたメスのそれであった。ただし、大きい。全長7,80cmはあろうかというメスだった。
「い、いかにも儂は第九十九代元首相、豪尽張男だ」
「お前さんが来るのを皆楽しみに待っていたんだ。すでに60年も待っている奴さえいる。こっちに来てくれ」
巨体にふさわしい万力のような力で儂の腕を掴み、船着き場の列から引き離されていく。
「おい。貴様、鬼とはいえ無礼であろう!」
「おー、痛かったか? すまんな、すぐそこだから辛抱してくれ」
鬼は儂の事などお構いなしに河原の上流の方へ儂を引きずって行く。
儂に会いたいと言う者が待っている?
生前からそんな奴は無数にいた。
どいつもこいつも、たっぷりと黒い物質を体にへばりつかせた奴等だった。儂に賄賂を贈って自分たちだけ得をしたいといった連中は掃いて捨てる程いたのだ。
今回もそんなところだろう。
河原の一角には百人を超える人間が虚ろな目をして九十九折に並んでいた。どいつも一様に暗い表情をしている。
先頭にいる男は学生服を着た高校生のようだ。案の定黒いネバネバを全身にへばり付かせている。
しかし……どこかで見たような……。
「おい、今までよく耐えたな。すぐに取ってやるからな」
見た目に反して鬼が高校生に優しく語りかける。
少しだけ頭をあげて、微かに微笑んだ顔を見た儂は愕然とした。
そいつは高校生の頃に窃盗や強姦などの罪を着せたいじめっ子であった。確か無実の罪で収監された少年刑務所で自殺したと聞いたが……。
鬼は手にした巨大なメスで儂をいじめておった高校生の黒い物質を切り取り始めた。
いったいどうするというのか?
程なくして全身綺麗になった高校生は明るい顔をして、鬼に向かって何度も頭を下げながら船着き場の方へ行ってしまった。
「よく分からんが、用は済んだみたいだのう。儂は列に戻らせてもらう」
そう言って踵を返そうとした儂の肩を鬼の手ががっちりと捕まえた。
「バカ言っちゃあいけねえ。まだまだお前を待っていた人間が山のようにいるんだ」
鬼は足元に固まっていた黒い物質を拾い上げ、儂にくっつけようとした。
「な! 何をする! それをこっちに向けるな」
「いいや。これはあんたが背負うべき業だ。ここにいる全員があんたから押し付けられた業を、あんたに返すために三途の川を渡らずに待っていたんだ」
そう言うや否や儂の肩にずしりと重たい物が乗せられ、堪らずに膝をついてしまった。
窃盗や強姦程度の黒い物質なら大した大きさではないのだが、その重さは想像以上のものであった。
「貴様! この儂を誰だと思っておるのだ!」
「お前は豪尽張男で、今からここで待っていた者たちの業を全て背負う男だ」
鬼は爽やかな笑顔でそう言ってから、次の人間の業を切り取り始めた。
冗談ではない! これだけの業を背負える訳がない。
儂は気付かれないように、そおっとその場を離れようとした。
「先に言っておくが逃げ出そうとするなよ。もしも俺の指示に従わないのなら手足を切り落とす」
鬼は作業を続けながらこちらを見もせずにそう言った。
間違いなく本気だろう。この鬼にとって儂の手足など取るに足らない些事なのだと分かってしまった。
「お前は勘違いをしていたようだな。あのメスは現世に居る間だけ罪をなすりつけ、人の所為にする事ができる。しかし死後はその罪を全て返却される、そういう決まりになっているのだ」
「待て! 儂はそんな話は聞いていないぞ」
「はははは、面白いやつだ。お前は自分の罪を他人の所為にする時に一度でも説明をしたのか?」
「ぐっ……それは……。――詭弁だ! 契約の正当性がない!」
「関係ない。黙らんと喉を潰すがどうする? ここでは手足を切ろうが、喉を潰そうが、頭をもぎ取ろうが死ぬことはない。お前等はすでに死んでいるからなあ。俺は面倒な事は嫌いだ。だから黙っていろ」
舌戦に持ち込んでなんとか言質を取ろうとしたが無理のようだ。
しかし……。
鬼が言ったことが事実なら儂の息子はどうなる? 孫は?
「もう騒がないから一つ教えてくれ」
「ほう、諦めたか。いいだろう、教えられる事はなんでも教えてやる」
二人目の業も切り終わり、こちらに向き直りながら鬼が笑顔で快諾した。
「儂はアレを息子に家宝として引き継がせた。だとしたら息子はどうなる?」
「はははは、バカな事をしたもんだ。お前の家系は子々孫々まで残らず地獄逝き決定だなあ」
そう言って豪快に笑う鬼はさらに教えてくれた。
「お前がさっき背負った業を地獄でそぎ落とすのに100年は掛かるだろう。ここにいる皆の業を贖うには気が遠くなるほどの時間、地獄で苦しむ必要があろうな。その間に息子どころか、孫、ひ孫、玄孫、来孫、昆孫、仍孫、雲孫と、どこまでも先の子孫に会えるぞ。良かったな」
「そんな……あんまりだ……」
ひどい話ではないか。
茫然とする儂に向かってこれ以上ないというほどの爽やかな笑顔で鬼が教えてくれた。
「これが因果応報ってやつだ」
この作品は“てこ様”の同名小説に寄せた、私の感想から始まった企画です。
↓てこ様の短編
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