8日目『姫君と騎士』
見上げた空は夏の星座が黒を飾っていた。さして都会でもないこの地域では、夜になると幾億もの星が瞬く。耳を澄ませども聞こえてくるのは虫たちの囁きばかり。辺りに人の気配はないが、近隣の家々の窓から漏れ出す温かな光には、なぜか胸をほっとさせられる。
一陣の夏特有の熱気を含んだ生暖かい風が汗腺を刺激し、ぬるりとした汗が頬を伝う。
俺は今、綾崎家の前にいる。
携帯を開く。液晶画面には6時58分の文字。綾崎家の夕食はだいたいいつも7時頃。いいかげん顔を出さねばなるまい。しかし未だに敷居を跨げない俺がいる。
――なんて話せばいい?
さっきからそのことばかり考えている。堂々巡りもいいとこだ。つくづく俺の度胸のなさに嫌気が差す。時が経過したらほとぼりが冷める?馬鹿じゃないのか俺は。余計謝りにくくなっただろうが。こういうのはタイミングが大切なんだ。千載一遇の好機はたぶん、一緒に下校するときだったのだろう。その好機を俺はみすみす逃してしまった。くそう、あの忌々しいロ○ット団め・・・。
しかしいくらお邪魔虫を呪っても現実は変わらない。俺は大きく深呼吸を一つすると、頬を叩き、喝を入れた。
――よしっ!
扉を控えめに開く。
「お邪魔しまーす・・・」
前方に人を確認。
なんとも運が悪いことに、ひよこのパジャマを着た瑞穂がいた。
風呂上りなのか、バスタオルで頭を拭いている。が、俺の姿を確認すると固まり、俺もドアから半分身体を覗かせている状態で氷結する。
二人の間に気まずい雰囲気が立ち込め、嫌な沈黙が続いた。
――なにも“風呂上り”じゃなくても・・・・・・。
「よ、よう、メシ食いにきた」
俺は気まずい空気を払拭するために、わざといつも通りに接してみる。
「あっそ」
しかし彼女の返事はあっけないもので、すたすたと奥に消えていってしまった。
――ンノヤロッ・・・!
落ち着け、落ち着け俺。今日は何しに来た?・・・・・・謝りにきた。よし、それでいい。
自分に対して「どうどう」と落ち着かせている、傍目には危ない人に見える俺を、出迎えにきた明日香さんに見られた。
・・・なんとも間が悪い。
久しぶりに三人で食卓を囲む。しかし口を開く者はなく、黙々と食物を胃に押しやっている。
はっきり言って美味しくない。
別に明日香さんの手料理に文句を付けているわけではないが、このようなピリピリとした空気の中では、舌は味を全く感知しようとしない。
「テレビでもつけようかしら」
明日香さんが苦笑いを浮かべながらリモコンを手にする。
テレビからは淡々としたニュースキャスターの声が聞こえてきた。
――それでは次のニュースです。
手を組んで原稿を読み上げている男性が声のトーンを落とす。
――7月×日未明、浦浜市に住んでいる20代の女性が、通りを歩いていたところ、何者かに腹部を刺され、近くの病院に運ばれました。
(浦浜市・・・?)
よく知っている単語を耳にし、テレビに集中する。それは瑞穂も同じだったようで、箸を咥えたまま視線がテレビに釘付けになっている。
――幸い、命に別状はなかったようですが、腹部に全治六ヶ月の大怪我を負ったとのことです。犯人は未だに逃走している模様で、××県警は早急に連続通り魔事件の――・・・
変わって、やけに司会者が煩いバラエティ番組が画面に映し出された。
明日香さんがチャンネルをテーブルに置く。
「暗いニュースはよしましょう」
「そ、そうですね」
場の空気が更に悪化する危険性を感じ、相槌を打つ。
「連続通り魔事件」は、最近学校でも話題になっている。今回で3人目。いずれも被害者は若い女性のようで、我が校の女子たちも何かと不安なようだ。学校側としても全校集会を緊急に開くなど、対応に追われていて忙しい日々を送っている。それに比べて男子生徒はお気楽なもんだ。
俺は息を大きく吸い込み、言葉と共に吐き出した。
「あのさ瑞穂、何度も言うようだけど――」
「ごちそうさま」
瑞穂は俺の言葉を遮り、席を立つ。そのまま2階へと上がっていってしまった。
扉が閉まる音がすると、明日香さんが口を開いた。
「秋ちゃん、怒らないでね?あの子も戸惑ってるのよ」
瑞穂の行動に唖然としている俺に、明日香さんは申し訳なさそうに瑞穂のフォローをする。
「・・・そうですかね?ずっと避けられてるし――」
「瑞穂ちゃんは恥ずかしがってるだけ。ホントはもう怒ってないんだから。秋ちゃん、あと一歩だよ」
明日香さんが軽く背中を叩いて促す。
どうやら正念場らしい。
ノックをする。当然の如く返事はない。予想していたことなので、一声かけて瑞穂の部屋に入ると、瑞穂はいつかのようにベッドの上でぬいぐるみを抱えていた。
ベッドの近くまで寄る。
「何で逃げんだよ」
ついつい口調が荒くなっていることに気付く。
「逃げてないし」
そう言って瑞穂は上目遣いで睨んできた。
「俺には謝る権利もないのか?」
「そんなことは・・・・・・」
俺は頭を掻き、今まで溜まっていた鬱積を口から吐き出した。
「風呂、覗いちまったことは本当に悪かったって思ってる。でも正直なところ、瑞穂になんでここまで避けられてるか分からない。何度も謝ったじゃんか。そんなに俺に見られたのが嫌だったのか?あん時に殴っただけじゃ気がすまないってんなら、お前の気が晴れるまで殴っていい。それに俺は、瑞穂に会う度気まずくなるのはもうごめんだ。それはお前もだろ?」
一息つく。
「だから、その・・・・・・もう許してくれないかな?」
俺がいっきにまくし立てると、瑞穂は終始俯いていた顔を上げる。
「許すから」
その一言に胸を撫で下ろす。
しかしその言葉には続きがあった。
「私の言うこと一つ聞いて」
おいおいおいおい、展開がヤバイ方向に流れてるぞ。
それでも俺に残された選択肢は一つしかない。
「わかった。・・・なんでも聞く」
女子生徒の制服を着て一日登校だとか、全裸で校庭を全力疾走しろだとか、明日香さんに向かって「ブス」って言えだとか、そんな考えるだけで恐ろしいことを命令されるんじゃないかとビクビクしていると、瑞穂がぼそっと呟いた。
「私を守って」
思わず身構えた俺にかけられた言葉は意外なもので、気が抜けてしまう。
守る?何から?つーかお前は守られなくても大丈夫のような気が・・・・・・とは口が裂けても言えない。
「通り魔、知ってるでしょ?そいつから私を守って」
「えっと、つまり、俺に何をしろと?」
「登下校、毎日一緒にしなさい」
そう言って明後日の方角を向く瑞穂の顔は、ほんのり赤みが差しているように見えた。
「わかった。そんなことでいいならやってやる。明日からでいいよな?」
「そうね、明日から。朝、寝坊したら承知しないからね」
「肝に銘じておきます」
恭しくお辞儀をすると、自然と口元がほころんだ。瑞穂もつんけんしているように見えるが、口元は明らかに笑っている。
一応は、成功したらしい。ようやく蟠りが取れると、今まで悩んでいたのが馬鹿馬鹿しく感じた。
事実、俺一人ではこうもいかなかっただろう。司や有紗先輩や明日香さんがいたからこそ、やっと仲直りできた。しかし何故、周りの人達は瑞穂の気持ちが解るのに、俺には解らないのだろう。瑞穂と過ごしてきた時間は長いはずなんだけど、どうも瑞穂の心が読めない。最近は特に何考えてるか理解不能だ。
単に鈍感なのか?
「・・・・・・・・・」
途端に悲しくなったから思索をやめる。
才色兼備で何でもこなす東雲校の姫君。
それでいて、わがままで暴虐無人な俺の天敵。
目の前で犬のぬいぐるみを抱えている、そいつを見て思う。
明日から犯人が捕まるまで、自分が期限付きの騎士なのだと。
どーもです。クロノです。
この前この後書きについて感想をいただきました。驚きましたけど、嬉しかった。
なんだかこの欄、日記と化してきてます。ごめんなさい。ウザかったらスルーしてください。
ああ、PCから離れられない自分はなんと愚かしいことか・・・。父さん、ごめん。
あ、投票よろしくお願いします。




