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7日目『心の準備』

 今年の梅雨明けはやけに早かった気がする。今は7月の半ばだというのに、空に浮かぶは夏の雲。どんよりとした雲に覆われている空を眺めるのも憂鬱な気分になるが、容赦ない太陽と格闘するのも億劫なのだ。やはり季節の変わり目が一番過ごしやすい。そしてこんな日はクーラーが備え付けてある教室で過ごしたい。

 そう思うが、それでも習慣というものは侮れない。馬鹿の一つ覚えのように校舎裏に足を運んでいる自分がいる。


 いつしか俺の特等席となった少しだけノッポな広葉樹。その樹に腰掛ける。木陰は涼しくて心地よい。自前の弁当で腹を満たすと、目を閉じた。そして近況を整理し始める。


 それは俺の日課。




「こんにちは」


 柔らかな女性の声によって、浅い眠りは妨げられた。どうやら考え事をしているうちに眠っていたようだ。次第に焦点が合う。その人は屈んで膝に手を当てて、俺を上から覗き込んでいるようだ。短いスカートから伸びている長い足にどうしても目がいってしまう。いけないと思い、視線を上げるが、相手の顔には影が落ちていてよく見えない。


 横になっていた身体を起こし、相手の顔をまじまじと見た。


――うん、誰ですか?


「あ、え〜と、たしか・・・・・・」


 眉間に手を当てて考えるが、答えは喉の奥でつっかえてなかなか出てこない。


 そんな俺を見かねたのか、その人は腰に手を当てて、


「有紗だよ。有紗先輩」


「・・・ああ、瑞穂の友達の!」


 パチンと指を鳴らす俺を見て、有紗先輩は肩を落とし溜息を吐く。


「人の名前と顔は覚えておくもんだよ。これ、世界の常識」


「すみません・・・」


 それにしても、先輩が俺のところに来るって事は、やっぱり瑞穂がらみか?


「あの、俺になんか用ですか?」


「うん。とっても大切な用事」


 有紗先輩はそう言うと、俺の隣に腰掛けた。スカートの裾を押さえ、体育座りをする。


「瑞穂のことなんだけど――」


――やっぱりか。


「最近ね、どことなく元気ないんだよ。普段生活しているぶんにはいつもの瑞穂なんだけど、ふとした瞬間表情が陰るって言うか・・・・・・。この前なんかぼーっとして電柱に頭ぶつけちゃうしさ」


「はぁ・・・」


「それで秋人っちは原因知ってるかな〜って」


――あ、秋人っちって俺のこと?


 元気がない、ねぇ・・・。たぶん風呂場の件とか関係しているのかもしれない。ロケット団介入以来俺はすっかり戦意喪失し、ここ何日か瑞穂とはしゃべっていない。校舎が別なので学校ですれ違うこともないし、結局綾崎家での夕飯も自粛しているからだ。といっても明日香さんが毎日夕飯を届けてくれているので自炊はしていない。明日香さんには悪いことをしているとつくづく思うが、思うだけで行動に表せないでいるのが現状。仲直りを諦めたわけではないが、ほとぼりが冷めた頃合を見計らってから改めて謝ろうというのが、今の俺の考えである。

 とにかくここは知らぬ存ぜぬを突き通すしかあるまい。


「さぁ?俺はよくわからないです」


「ほんとかなぁ?」


 有紗は身を乗り出して俺に疑わしげな視線を投げかけてくる。女性特有の甘い香りに少しドキッとする。先輩顔近い。


「・・・はい」


 有紗はわざとらしく大きな溜息を吐くと、再び木に寄りかかった。


「まぁいいや。それでね、秋人っちに瑞穂を元気付けてもらいたいのよ」


「俺が、ですか?」


 元気喪失させた張本人に元気付けられるのは、正直どうかと思うが・・・。


「有紗先輩、俺に拒否権ありますか?」


「有紗でいいよ」


「はい?」


「だからあ・り・さ。呼び捨てでいいよって言ってるの」


 なんて事を言うのだ、この人は。


「でも先輩ですし・・・」


「先輩命令。隔たり感じるから親しい人には先輩とか付けてほしくないんだよね。私呼び捨てとか気にしないし」


「先輩が気にしなくても俺が気にします」


 なおも有紗は食い下がる。


「瑞穂のことは呼び捨てなのに?」


「瑞穂は特別で――」


「ふぅ〜ん、“特別”なんだぁ?」


――結局これを言わせたかったのか。


「幼馴染だからって意味です」


 多少むっとする。


「あははは、そんなにむきにならなくてもいいって。呼び捨てにしなくていいからその代わり、拒否権は無しってことで」


――ハメられた?


 この人、あなどれん。うまい具合に相手のペースに飲み込まれる。


「仲直りにもつながるし、悪い話じゃないと思うんだけど?」


 有紗先輩は俺が風呂覗いたこと知ってるのか。その辛い事実に肩を落とす。


「で、元気付けるって言っても、俺は何をすればいいかわかりませんよ」


「大丈夫。すごく簡単なことだから」


 簡単なことって言っても、先輩と俺とで価値観の違いが激しそうです。


「これまでの生活に戻って」


「・・・と、言いますと、プレゼントをあげるとか遊園地に連れて行くとかして機嫌取りをしろってことですか?」


「違う違う。なんでそうなるかな・・・。つまりね、具体的に言うと、夕飯を綾崎家でとって」


 先輩の存外な提言に暫し呆ける。


「そんな簡単なことでいいんですか?」


 綾崎家に赴く勇気のない自分は棚に上げる。


「だから簡単だって言ったじゃん」


 信用してないな、と半眼で睨まれた。


「でも、そんなことで元気付けられるんですか?」


 有紗は「分かってないな」とでも言いたげに首を振った。あ、なんかこの態度にデジャヴを感じる。はて、誰かさんにも同じことをされたような・・・。


「そんなこと、だからだよ」


――?


「秋人っちにはまだわからないか」


 先輩が優しい眼差しを残して去った後も、俺は首をかしげたままだった。







 壁に立てかけてある丸い時計を一瞥すると、ちょうど夜の7時を回ったところだった。


――そろそろかな。


 読んでいた雑誌を畳んでテーブルの上に置く。



 ピンポーン



――ビンゴ。


 ソファから立ち上がり、玄関へと赴いた。


「こんばんは」


 戸口を開け、明日香さんを招き入れる。


「こんばんは。秋ちゃんおなかすいたでしょう」


 明日香さんが持っていたトレイを差し出すと同時に、食欲をそそる香りが鼻腔をくすぐる。


「はいもうペコペコです。おっ、今日はカレーですか」


 明日香さんの作るカレーは特別にうまい。いやもう三ツ星シェフもビックリの味で、一度食べたら病み付きになること間違いなしだ。


 俺はトレイを受け取りながら、「いつもすみません」と付け足す。


「そう思うんだったらうちで食べてほしいわね」


 明日香さんがゆるく笑って踵を返そうとしたとき、俺は慌てて引き止めた。


「あのっ、そのことで話があるんですけど・・・」


 呼び止められた明日香さんは向き直り、小首を傾げる。


「なにかしら?」


「明日から、また、明日香さんの方に食べに行ってもいいですか?」


 俺のおずおずとした要求に明日香さんは笑顔になり、手を叩く。


「ほんとうっ?じゃあ瑞穂とのわだかまりも解消したのね?」


 直接原因を言ってないのに、明日香さんは俺と瑞穂の状態をなんとなく理解していた。瑞穂が愚痴った可能性もあるが、俺への軽蔑の眼差しがないところを見ると杞憂にすぎなかったらしい。まったく、この人の洞察力には舌を巻くばかりだ。また、全てを黙って受け入れてくれる寛大さにも。俺は一生明日香さんに頭が上がらない気がする。


「あ、いえ、それはまだなんですけど・・・。でも、解消するためにも一緒にメシ食べようかなって」


 苦笑いしながらポリポリと顔を掻く。


「秋ちゃんもやっと女心が分かってきたのかな?」


「まぁ、そんなところです」


 有紗先輩の提案なんだけど、と心の中で小さく付けした。


「今日からじゃダメなの?私たちも夕飯まだよ?」


「今日は、ちょっと・・・」


 今からじゃ、何を話せばいいのかわからない。


「そう、秋ちゃんにも心の準備が必要だものね」


「まぁ、そんなところです」


 いたずらに微笑む明日香さんにたははと笑い返す。




 明日香さんが食器を取りにくる時間を確認して綾崎家に引き返した後も、俺は暫く玄関に立ち尽くしていた。そして真剣にタイムリミットを指を折って計算し、その期限の短さに愕然とする。



 小心者だなぁ、俺。

ども、黒野晋です。

課題と小説を天秤にかけ、小説を取ってしまう私は愚か者でしょうか。

少なくとも親にはそう見えるでしょうね。


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