32日目『泣いたカラス』
今しがた戻ってきた司の言葉を聞いて一同は唖然とした。有紗先輩は司にどういうことよと詰め寄り、片瀬は露台に力をなくしたようにへたり込んでいる。瑞穂でさえも頭痛が酷いときのように頭に手をやっている。
司はやはりこう言った。
――クルーザーがない
それは狩谷の計画の始まりであり、俺が端から聞かされていたことだった。
しかし予期せぬこともあった。
俺たち五人が片瀬の別荘から締め出されてしまったらしいということだ。
あれは鍵の開いている窓はないかと一つ一つ確認し、ちょうど玄関から反対側に来たときのことだった。几帳面に、まるでわざとセットしたかのように置かれているある物を、俺は発見した。
そこに申し訳程度に置いてあったのは、俺たち五人分の寝袋と、釣竿二本、鍋、ナイフ、ガスバーナー。
しばらく辺りを探したが、食料や水はどうしても見つけられなかった。
食べるものは自分で確保しろってことなのか、または別のどこかに置いてあるのか……。
それでも一応何とかなりそうな感じではある。特に火をおこせるのが大きい。ただし飲み水を見つけられなければ、どうしようもない。
俺の考えが甘かった。この別荘があればなんということはないと高を括っていたが、裏を返せば、別荘がないとどうにもできないということではないか。
狩谷は最初からただいなくなるだけでなく、俺たちを野ざらしにする気だったのだ。
「あ」
そこではたと閃いた。
――窓ガラスを割って家の中に侵入できるんじゃ?
今手をかけている窓を見つめる。中はどこかの客間であろう。俺たちの寝泊りしている部屋とはまた違ったモダンな雰囲気の部屋で、いかにも高級そうな調度品が部屋の端々に見受けられる。
外で寝るより確実に安全で快適だ。
思い立ったら速行動。転がっていた手ごろな石をつかんで、思いっきり窓めがけて投げつけた。
しかし鈍い音がしただけでガラスが割れる気配はない。
もう一度投げたが結果は同じだった。
――防弾ガラス。
こうなるともう狩谷の思惑通りに動くしかない。俺は辟易する他なかった。
今後どうするか、こうなることを狩谷が予め俺に話していたということを皆に打ち明けようか、そんなことを考えながら玄関前に戻ったのが、司が戻ってくる数分前。
結局、か弱い女の子三人には窓はどこも開いていなかったとだけ説明した。
「おい、これはどういうことだ?」
司が俺に耳打ちする。沈思黙考する俺の姿に、司は何か不自然な様子を感じ取ったのか、やや詰め寄るような口調だった。
俺はそれに答えずに、ただ首を横に振った。
「……あのさ、」
ぽつりと、口を衝いて出た。
しばらく言うのを躊躇ったが、黙っててもしょうがないと踏ん切りをつけて、俺は裏で見つけた物のことを皆に打ち開けた。
瑞穂がずいと顔を近づける。
「はあ!?それって――」
「俺たちはこの無人島に取り残されて、かつこの別荘からも締め出されたってことだな。寝袋が人数分きっかり置いてあるということは、狩谷さんは少なくとも今日には戻らないし、しかも外で寝ろってことなんだと思う」
「っ!!」
瑞穂は俺に詰め寄った状態で固まった。たぶん頭の中は混乱してぐるぐると回っているに違いない。
「さすがの私もこりゃ意味わかんないや……」
あの有紗先輩も眉間を押さえている。
足元からずずずと洟をすする音が聞こえた。
「っ!きり…くんっ…わたしっ…どうすれば……」
座り込んでいる片瀬がこれまで俯いていた顔を上げると、いつのまにか彼女の顔は涙と鼻水でグチャグチャになっていた。
「わわっ、片瀬さんなに泣いてんのっ」
慌てて俺は片瀬の肩に手をかける。手をかけてからどうすればいいかわからず、とりあえず背中をさすった。
「だって、狩谷がっ……どこかっ、いっ…ちゃって…」
「落ち着いて片瀬さん。大丈夫だから」
狩谷が俺にだけ自分がいなくなることを話していた訳がわかる気がする。
自分が消えたことに残された俺たちが気付いたとき、当然パニックになる。でも、そうならないように誰かが心を支えてあげなければならない。言うなれば、皆の「まとめ役」に俺が抜擢されたということだ。
なぜ俺なのかは、普段俺が一番片瀬のそばにいるからなのだろう。もっと言えば、片瀬の警護役として俺にいろんな経験を積ませるため。もしくは……。
片瀬はさっきから子供のように嗚咽を漏らしながら泣いている。
もしかしたら片瀬に一人前になってほしいから、わざと俺だけに言ったのかもしれない。短い付き合いだが、これまでを思い返してみると、片瀬は全幅の信頼を狩谷に置いている。それは言い換えれば、まだまだ狩谷に頼りっきりということだ。
それではこの先、片瀬にとってよくないと狩谷は思ったんだろう。なんとなくだが、親心にも似た狩谷の気持ちが読み取れるような気がする。
そんなふうに俺は狩谷の思惑を捉えた。
どうも俺は狩谷になにかと買われているようだ。じゃあ俺はそれに応えられるよう頑張るしかない。
俺は一つ咳払いをして、皆を見回す。そしてもう一度片瀬を見た。
「とにかく、狩谷さんが俺たちを見捨てるわけないし、殺す気もないことは確かだろ?釣竿とかその他諸々のアウトドア用品を置いていったのが証拠だ」
「じゃあなんで狩谷さんは私たちを置いてどっかに行ったの?」
瑞穂がいまいち納得していない顔で尋ねてくる。
「それはわからない。けど、狩谷さんは俺たちを陥れようとしているわけじゃない。なにか理由があるはずだ。もしかしたら、というかたぶんこれも狩谷さんの旅行プランの内なんじゃないのかな」
皆黙って俺の拙い演説に耳を傾けてくれている。
「だったら俺たちはこれをただのキャンプだと思えばいい。な?ポジティブに考えよう。楽しもう。何の心配もいらない。……あ、食料と水の心配以外に。と、とりあえずどうにかなるって」
俺は皆を、特に片瀬を安心させるように言って聞かせた。
司は初めからたいして動揺してなかったからどうでもいいが、有紗先輩曰くか弱い少女の三人には効果があったようだった。瑞穂も有紗先輩もようやく落ち着きを取り戻したらしい。「確かに狩谷さんだもんね。それにしてもキャンプか……それはそれで…」と、瑞穂もしきりに頷いてはブツブツと呟いている。
俺は不安そうに顔を歪めている片瀬の顔を覗き込む。さっきまで飼い主に見捨てられた子犬のように生気を無くしていた片瀬の目には、涙の代わりに強い意志の篭った瞳があった。
「よくよく考えてみれば、狩谷さんが片瀬さんを見捨てるわけないよ。それに、ここにいる人たちは頼れる人たちばかりだ。俺は……まぁ少し頼りないけど、でもたよってくれて全然構わないから。だから片瀬さんももう泣かないで」
小さい子をあやすように頭を撫でる。安心させるようにできるだけ優しい笑顔を作って微笑むと、片瀬は思いきったように俺の名前を呼んで抱きついてきた。肩膝立ちだった俺は、耐え切れずに尻餅をつく。
「うわっ!か、片瀬さん!?」
条件反射で離れようとすると片瀬は逆に強い力で抱きしめてくる。
有紗先輩が「ひゅうー」と口で言う。口笛じゃないのがワザとらしい。
「霧宮君、私頑張ります。頑張って生き延びてみせます!」
「う、うん、そうだね」
――なんか違う気がする……。
でも、片瀬が気を取り直してくれたので、ほっと胸を撫で下ろした。俺はなんとなくそのまま片瀬の頭を撫でていた。
そうしているうちに気が気でなくなってきたのは、色々と当たる感触だった。
俺は水着で片瀬も水着で、つまり俺は上半身裸で片瀬もほとんど裸で。いかんせん肌の触れ合う部分が多すぎるというか、胸の柔らかい感触が直にくるというか。
不潔だと頭ではわかっていても、どうしても思考はそっちに流され、下半身が反応するのもこれ以上抑えられない。
気が緩んだ瞬間これか……。
今も渾身の力で抱きすくめられたままの俺は、情けないやら気恥ずかしいやらで、自分に対して笑った。
「あきとぉ……なにニヤけてんのよ」
しまった、こいつがいたんだと思ったときにはすでに遅く、口からはさっきとは明らかに種類の違う乾いた笑いが漏れる。
「片瀬さん、とりあえず離れたほうがいいよ」
「えと、もう少し……」
「はあ!?」
極寒の地の湖面が割れる音を聞いた気がする。そればかりではなく寒気までしてきた。
男としてぐっとくるこの状況に瑞穂がいなかったら、と何度思ったかわからない。
「……少し男らしいと思ったら抱きつかれてニヤけて、あまつさえ離そうともしないなんて……あ、秋人なんか今すぐ死んじゃええええ!!」
「お前それぜんぜん意味わかんな、痛っ!ちょっ!やっ!やめてっ!マっ、マジっ、あ、舌噛んだ…!」
後頭部を何度もゲシゲシと蹴られ続ける。
「はは〜ん、嫉妬ね」
「嫉妬だな」
傍観を決め込んだ倉本姉弟が離れたところで腕を組んでいる。司め……。
「ちょっと、緋那ちゃんのこといいかげん離しなさいよっ!」
「いい、かげん、蹴るの、やめろっ!」
今度は俺が片瀬を抱きすくめる形になっている。瑞穂の蹴りが次々と飛んでくるので離すにも離せない。というか、ぶっちゃけ離すには少々惜しい気もする。
ふと、俺の腕の中からくすくすと笑い声が聞こえてきた。
残念ながら片瀬の表情を覗き見ることは叶わないが、それでもどんな表情をしているかは容易に想像できた。
俺も蹴られながらニッシッシと笑った。嬉しかったのだ。
泣いたカラスがもう笑っていたから。
書き始めてみると1話書くだけでもかなり時間がかかってしまうのは俺だけなんでしょうか。
ということで、連続投稿32日目です。ここからやっとバカンス編のサビ(?)の部分です。長かった…。
なんせ企画したのは一昨年の夏なんですから。
いつも(私が全然更新していない間も)感想くださってありがとうございます。応援されるスポーツ選手の気持ちがわかるようです。更新は、たぶん3月中にできると…いやします。