25日目『バケーションは夏の島』
変わらない世界などあるはずもなく、俺を取り巻く状況も日々刻々と変化していく。
それは空を漂う雲よりも、道を行きかう雑踏よりも早くて、目まぐるしい変化に自分が追いつけないほどだ。
そんな中ふと足を止めてみると、何気ない所作の中にも大切な意味が込められていることに気付くことがある。
けれども、たいていの人間は足早に通り過ぎ、その自らが歩んできた道程を振り返るときにはっと気付くのだ。
まさしく今がその時だと思った。
後悔しているかと訊かれたら、たぶんそうではない。
蒸し暑い体育館に詰め込まれて校長のありがたいお話を聞いたのが数日前。ありがたすぎて欠伸が止まらなかったことだけは覚えている。
それよりもこれから始まる夏の長期休暇で頭がいっぱいで、俺はどうずればいかに邪魔されず夏休みを怠惰に楽しめるだろうかと構想を練っていた。
終業式の帰り道、片瀬はそんな俺にある提案をした。
「あの、夏休みなんですけど、みんなで旅行にいきませんか?」
なんでもそれは片瀬の執事である狩谷の企画で、普段お世話になっているお礼にとぜひとも招待したいらしい。
招待してくれるのは片瀬家の私有する無人島。詳しくは知らないが暖かい海に浮かぶ島で、それでも一応国内であるらしい。期間は三泊四日。費用は全てあちらが負担するようで、身の回りのものを持参するだけだとか。プラン及びレクリエーションについては、有意義な旅行にするため狩谷に任せてほしいということだった。
俺は二つ返事で了承した。
多少申し訳ない気持ちはあるもののせっかくの夏休み、楽しまなければ損だという自分の欲望にも勝る断らなければならない理由はこれといって見つからなかったからだ。
「みんな」というからには当然瑞穂や有紗先輩も招待するらしく、それだけでなく誘いたい人がいれば気軽に誘ってくれていいそうだ。
俺はその夜、さっそく司に電話した。
「もしもし司か?あのさ――」
「嫌だ」
一言目に来るべきではない単語が電話口から聞こえた。まるで俺がこれから何を言うか知っているような対応で多少面食らったものの、根気強く誘うとしぶしぶながらも一緒に行くことになった。
なんだかんだといって結局他人に流される友人は、どことなく俺と同じ匂いがする。決していい意味でないことだけは確かだ。
旅行当日の早朝、俺たちは片瀬邸宅に集合した。
集まったメンバーは代わり映えのないメンツで、俺と司と有紗先輩と瑞穂。それに片瀬と狩谷を加えた5人での旅路となる。
俺を含めた3人は浮き足立つのを隠せず、ボストンバックを持つ手にも力が入っている。
しかし、司だけは険のある瞳を隠さず機嫌が悪いようだ。
「やっぱり無理に誘ったか?」
俺がさり気なく尋ねると、「ああ」と婉曲もない言葉が返ってきた。強引に誘ってしまったと思ってはいたが、ここまで不機嫌だとさすがに罪悪感を覚える。
片瀬と狩谷が邸から出てきて俺たちは二人に挨拶すると、さっそく片瀬家の愛用するリムジンへと乗り込んだ。運転手はもちろん狩谷である。
片瀬は終始にこにことしていて口数も多く、本当にこの旅行を楽しみにしていたようだ。
狩谷はというと、いつもの執事服に身を包み、柔和でいて食えない笑みを湛えていた。
しばらく車に揺られ片瀬家専用の滑走路に辿り着くと、今度はそこにある自家用セスナに搭乗して無人島のある県まで向った。
そこからクルーザーに乗り継ぎ、半時ほど海原の中を一路進んで行く。
そんなこんなでVIP待遇な旅路をはしゃぎまくって終えた俺たちは、昼もだいぶ過ぎてから片瀬家の所有する無人島――緋砂島へと辿り着いた。
緋砂島。そこはまさにアーサー王の物語に出てくる幸福和楽の島アバロンのような場所だった。
だからといって林檎の木が辺り一面に生えているわけではないが、学業という日々の疲れ、また人付き合いの辛さによってできた傷を癒すという意味ではそんな形容も大仰ではないかもしれない。
なんといっても無人島だ。ほとんど手の加えられていない自然を満喫できる、そんな機会など一生に何度あるかわからない。
俺はとりあえず、大きく深呼吸をした。
「すぅぅぅぅ……はぁぁぁぶっ!!」
背中に衝撃が走り、前につんのめった。
「秋人!なにしてんのよっ、無人島よ無人島っ!キャー」
「瑞穂……お前もう少しテンションさげぶっ!!」
立ち直りかけたところにまた衝撃が走り、今度は完全に倒れ込んだ。
「秋人っち!なんて顔してんのっ、陰気よ陰気っ!」
「有紗先輩、明らかにワザとでしょ……」
「あ、ばれた?」
有紗先輩は舌をチロリと出すと瑞穂を追いかけていった。
――ふざけんな……。
俺は砂浜を走り回っている瑞穂といつもより暴力的な有紗先輩を見て嘆息した。
「あの〜、霧宮君大丈夫ですか?」
「うん。ああ、ありがと。……大丈夫じゃないのはあの二人だ。少し注意してくれないか」
上から覗き込んでいる片瀬の手を借りて立ち上がると、俺は二人を指差した。
「あははは、でもこういうときは楽しまなきゃダメです。霧宮君もあのくらい元気のほうがいいと思いますよ」
俺は笑って茶を濁すと心の中で呟いた。
――それは司に言ってくれ。
クルーザーを振り返り、狩谷と一緒に荷物を下ろしている友人を見て苦笑いした。
司は道中話を振ってもおざなりに答えるだけで、ずっと窓の外を見ていた。何がそんなに面白くないのだろう。つまらないにしても、いつもは他人に合わせるくらいには気を使っていたはずだ。それがまるで子供みたいに不機嫌まるだし。片瀬や狩谷も心配していた。
「よし」
俺はクルーザーが横付けされている桟橋に向って歩き出した。
「どこ行くんですかー?」
だいぶ進んでから俺がいないことに気付いた片瀬が訊いてきた。
「ちょっとあっち手伝ってくるー。片瀬さんは休んでてー」
後ろからの声に歩きながら応える。
このままではせっかくの旅行が台無しだ。せめて司が不機嫌な理由だけでも聞こう。
そう思い、荷物を運んでいた司に声をかけた。
「司、ちょっといいか?」
「ん?ああ」
司は肩に下げていた二つのボストンバッグを砂浜に置くと、俺に向き直った。
「あのさ、お前ずっと不機嫌だろ?」
その言葉に司は顔を渋くする。
「そんなに俺たちとの旅行が嫌なのか?せめて訳だけでも教えほしいんだけど」
司は視線を逸らししばらく逡巡した後、
「旅行が嫌なんじゃない。むしろこういうとこに来るのは好きだ。ただ……」
べちっ
司の頭に何かが直撃した。横からの衝撃に頭を傾げたようになる。
よく見るとそれは星型をしており、だけど星とは似ても似つかない海洋生物のヒトデだった。
司は張り付いたそれを摘むと後ろに放り投げた。
「きゃははははははは!今の見た!?べちっ、だって」
嬌声の上がったほうを見ると有紗先輩が腹を抱えて笑っていた。その隣で瑞穂は失笑している。
一方司は握りこぶしを作りわなわなと震えている。
俯いていた顔を上げると彼は叫んだ。
「っざっけんな姉貴!!今まで静かだったと思えば……。毎回毎回ガキみたいなことして恥ずかしくねーのかよ!」
「恥ずかしくないもーん。恥ずかしいのは毎回毎回こんなことでキレる司のほうじゃないの〜?」
「っ!ノヤロ……」
司はずんずんと歩いていくと有紗先輩に向ってゲンコツを落とした。
「あいたっ……女の子に向って何すんのよ!」
「女の子?誰が?こんなデケェ女いるか!」
「ひっど……瑞穂もなんか言ってやって!」
俺は何がなんだかわからなくて呆然と立ち尽くしていた。瑞穂は顔を手で覆っている。
司の台詞を反芻する。
――っざっけんな姉貴!!
「………………」
瞬きを数回。
「姉貴ぃ――――――――――!?」
俺の叫び声が一番でかかった。
今回は特に感想を頂けると嬉しいです。
有紗先輩と司が姉弟であることは当初からの設定で、伏線は今まで色んな所に散りばめてきました。名字を出したのはまずかったかなと今では思っています(汗
「はっ、そんなの気付いてたよ馬鹿作者」でもなんでもいいので、コメントしてくださるとありがたいです。