24日目『氷解』
――打ち明けるんじゃなかった。
肘を突き、その上に顎を乗せている上機嫌の友人を見てそう思った。
正面に座る彼女とは対照的に、陰鬱な面持ちで嘆息する。
そもそも後を付けるとのたまった時点で断るべきだったのだ。否、断ったのだが「大丈夫よ。それに瑞穂だってライバルの動向は気になるんじゃないの?あの娘、かわいい顔して秋人っちの貞操食べちゃうかもよ」なんて有紗の煽り文句にまんまと乗せられてしまったのだった。
自分でも馬鹿だと思う。嘆かわし過ぎて救えない阿呆だ。しかしこればかりはどうしたって抗える衝動ではない。
有紗の視線の先にはどんな表情で向かい合う二人がいるのだろう。
困った顔をしているのか。笑いあっているのか。それとも照れているのだろうか。
振り向きたい欲求を抑え、机の下で拳をぎゅっと握った。
数日前の教室で有紗の口車にうまいこと乗せられた自分の愚かさを、今になって痛感する。こんなことになるなら打ち明けず、一人で悶々と過ごしていたほうがマシだった。
「ねぇ、いつまでこんなストーカーまがいのことしなくちゃいけないのよ」
私はこの釈然としない気持ちを声音に乗せて有紗をきっと睨みつける。
「んー?知らなーい」
私の憤りを知ってか知らずか、有紗は無責任な態度でアイスコーヒーをすすった。
私はどんと机を叩く。
「ちょっと!ふざけてるんなら帰るわよ!」
有紗はストローから口を離し、にこりと笑う。
「まあ待ちなさいって。これから合流するんだから」
「合流って・・・まさか、秋人と!?」
「そうに決まってんじゃない。なに当たり前のこと言ってんのよ」
それを聞いた私は顔面蒼白になり、有紗がくすくすと笑う。
「瑞穂は何も心配しなくていいの。ただ黙々とパフェを食べててね」
有紗に言われてさっき特大のパフェを頼んだことを思い出す。あちらに移るということはそれも二人の前に運ばれると同義だ。秋人の前だけならともかく、緋那ちゃんの前で食い意地を張るのは羞恥心が許さなかった。
「ぜっっっったい、いや!!私ここから動かないからね」
腕を組み、ふんっとそっぽを向いて不動の構えを見せる。
ここで引いたら今度こそ有紗にレッテルを貼られてしまう。「扱いやすい女」と書かれたレッテルを。そのような不名誉極まりない授与式は何としてでも避けねばならない。
動かざること山の如し、当面の間私は見ざる聞かざる言わざるを貫く心意気である。
「あ、すみません。これからあっちの席に移っても・・・・・・はい・・・・・・はい」
ぎょっとして目を開くと、有紗は店員と交渉し終えたところだった。
店員が去っていく。
その後姿が遠ざかるにつれて景色も灰色に変わっていく。
私は母親に置いていかれた赤子の気持ちがわかったような気がした。
たぶんこんな気持ちだ。
「あ・・・ああ・・・・・・」
「ほらっ、なに呆けてんの。早く行くわよ」
有紗は飲みかけのアイスコーヒーを片手に立ち上がる。無情にも告げられたその言葉には幾ばくの譲歩も含まれていない。
軽く泣きたくなった。
――十数分後。
私は上機嫌の一歩手前くらいには機嫌が良くなっていた。
「別に」
そう言った彼の顔は笑っていた。私はついいつもの癖で顔を背けてしまう。惚れた弱みなのかもしれないが、秋人の笑顔にきゅっと胸が締め付けられるのだ。
それと同時にほっとしてもいた。
秋人は怒ってない。
こんなことなら変に逃げ隠れせずに夕食を共にしていればよかったと思う。
いつの間にか有紗への怒りは感謝の念に変わっているのだが、彼女には黙っていよう。また着け込まれること必至だ。
「あの、綾崎先輩?」
緋那ちゃんが控えめに声をかけてきた。そういえば挨拶もまだだった気がする。
「なに?」
「先輩も同じものを頼んでいたんですね」
緋那ちゃんは口元に手を当てて笑っている。
私は机の上に並んだ二つのパフェを一瞥してから、
「ほんと偶然ね。それにしても、緋那ちゃんは食べきれるの?」
緋那ちゃんも頼んでいたとは・・・。心底意外だ。
「それ、霧宮君にも言われました。実物見て失敗したなって思ってます」
てへへと恥ずかしそうに笑う緋那ちゃんは思わず抱きしめたくなるほど可愛い。女の私でさえそう思うのだから、秋人がどう思っているのかなんて声に出さずとも明らかだ。
さり気なく息をつく。
「ま、残しても問題ないから」
横合いから秋人が口を挟んだ。
「あれ?でもさっき俺は助けないって・・・・・・」
「事情が変わった。というか」
秋人はちらりと私を一瞥し、
「早く食べないとなくなるよ、それ」
秋人の言わんとしていることがわからない緋那ちゃんは首を傾げている。
私は秋人を睨みつけた。が、当の本人はそ知らぬ顔でグラスを煽っている。
緋那ちゃんはますます首を傾げる。
「まぁまぁ。緋那ちゃん、この子たちなりのコミュニケーションなのよ。あんまり気にしないで流していいから。瑞穂も秋人っちも仲がいいのはわかったから、とりあえず私の話を聞いて」
呆れた表情で有紗が仲裁に入った。さり気なく話を掏り替える辺りは流石だ。当然いたずら心も忘れない。
私は反抗しようとして薮蛇になることを悟り、寸でのところで口を閉ざした。秋人も言い返そうとしないあたり、有紗に対する接し方を学んだらしい。
「有紗先輩、相談のほうは?」
秋人が話を促し、有紗は多少高揚した口調で話し始めた。
「うん。相手はね、すっごい鈍感な奴でさぁ、いつまで経っても私の気持ちに気付いてくれないの。ねぇ、どうしたらいい?」
「どうしたらって・・・。えっと、さっぱりわかりませんけど、もっとアピールすればいいんじゃ――」
「これでもかってくらいしてるって。それに、私ってうぶでしょ?思い切った行動とかできないし」
「うぶ・・・・・・」
「何か言った?」
「いえ、何も」
有紗の笑顔に秋人も引きつった笑顔を返す。
「とにかく、男子の気を引くためにはどうしたらいいか、男の子である秋人っちにご教授願いたいのよ」
「気を引くって言っても、どんな人だか知らないし」
「あはは、確かにそうね。趣味は・・・・・・」
秋人は有紗の話を相も変わらず真面目に聞いているが、聞けば聞くほど怪しく思えてきた。と同時に、段々と嫌な汗が吹き出てくるのを感じた。正直気が気でない。
私はパフェをつつきながら有紗を横目で観察する。
いつもの憎たらしい顔だ。
「俺ですか?俺はまあ、構ってくれないよりは構ってくれるほうがいいですけど」
これは有紗の「男子ってほっといてほしいのかな?秋人っちはどう?」という質問に対しての秋人の答えだ。
「でしょでしょ!やっぱり積極的なほうがいいわよね!」
有紗は興奮したように身を乗り出す。
まず口調からしておかしかった。普段通りなのだが、所々妙に演技がかった声音で秋人の反応を見ながら話している。
それに話の内容に何か陰謀めいたものを感じるのだ。どことなく私と秋人の関係と、私に対する秋人の気持ちを探っているように聞こえてしまい、有紗が何か言うたびにひやっとする。このろくでもない友人はいったい何を考えているのだろう。
有紗の胡散臭い話に対して、秋人は要領を得ないながらも真剣に受け答えしている。緋那ちゃんも時々「そういうのすごく分かります」などと追従を交えて話しに加わっていた。
三人が微妙に盛り上がっているようにも見えなくもない。
自分だけがそわそわとしているのが、なんだかおもしろくなかった。
そのまま半時ほど男子の思考パターンや、それに順ずる行動、秋人が友人とどんな恋愛話をするかなど、とりとめもない雑話を繰り広げた。
不意に会話が止み、話を振られた秋人が腕を組みしばらく沈思黙考する。
「そうだな・・・・・・、やっぱり気持ちはちゃんと言葉にしないと、相手には伝わりません。だから、遠回りするよりも・・・えっと、なんだろ・・・・・・」
上手く言いたいことが言えないでいる秋人が、困ったようにポリポリと頭をかく。
有紗の肩がわずかに震えている。
「ずばっと!・・・ずばっと?つまり、ええと・・・・・・俺の言いたい事、解ります?」
有紗はとうとう堪え切れなくなって吹き出した。
「あっははははは、はぁー・・・もうダメぇ、秋人っちかわいすぎぃ・・・・・・」
ひいひいと息を漏らしながら苦しそうにお腹を押さえている。
当然、私を含めた一同が何事かと豆鉄砲をくらう。
――狂った?
私は狂気の友人に恐る恐る手を伸ばした。
「ちょっと有紗、あんた大丈夫?」
「大丈夫よぉ。もう訊きたいことも聞けたし、帰りましょ」
私の手を払い除けると、有紗は秋人に向き直った。
「秋人っちの言いたいことはちゃんと伝わったから。今日はありがと。そろそろ出よ」
「はあ、まぁ先輩がいいならそれで。片瀬さん、帰ろうか」
未だに秋人は怪訝な顔つきをしているが、あえて有紗を問いただす気はないらしい。気持ちは言葉にしないと伝わらないと言った秋人を有紗はさり気なく皮肉っているのだが、本人は有紗の質問攻めから抜け出せた開放感で気付いていない。知らぬが仏、という言葉が頭に浮かんだ。
緋那ちゃんも秋人と同じく首を傾げてはいるが、素直に秋人に頷いた。
私たちはそれぞれ違った感情を抱きながら席を離れる。
もちろん、二つのパフェは私が空にした。
緋那ちゃんを送り届ける秋人と別れたあと、私は隣で鼻歌を歌っている有紗に詰め寄った。
「ねぇ、恋愛相談って嘘でしょ」
「まあねー」
しれっと答える有紗からはどことなくうずうずしているような、そんな普段とは違う印象を受けた。いぶかしみつつも、それよりも先に言っておかなければならないことがある。
「秋人の気持ち探ってた」
私はこれ見よがしに不満を呟く。
あれは大きなお世話だった。いくら有紗とはいえ、していいことと悪いことの分別は守ってもらいたい。そういうのは心の準備を整えてから知るべきなのだ。
「は?あんた何か勘違いしてない?確かに恋愛相談は嘘だけど、私は純粋に男の子のもろもろの事情について訊いてたのよ。だから瑞穂は黙ってパフェ食べてなさいって言ったんじゃない」
有紗は鞄を後ろ手に持ち替えると、ややはにかみながら続けた。
「愚弟とのスキンシップのためにね」
「ああ・・・そうか」
私は彼女のその言葉で完全に毒気を抜かれてしまった。また、これまでの全てのことについて合点がいった。
私に相談しない理由も、相談相手が秋人だということも、
「有紗、楽しそうね・・・」
彼女のテンションが高い訳も。
今日は有紗に付き合わされただけだったのか。彼女にいやらしい作為がなかったことに安心しつつも、秋人と私の仲直りなど二の次だったことに不満を感じる。
しかし、この友人のことだ。きっと私たちのこともちゃんと視野に入れてくれていたに違いない。違ってはいけない。
結果として色々と好転してくれたのだから、これまでの有紗の私に対する酷い仕打ちは不問にしようと思うのだった。
「ふふっ、わかる?」
身体だけが大きくなってしまった小学生の瞳を爛々と輝かせて微笑む有紗。
これから弄ばれるだろう弟君に私は大いに同情して、強く生きろと心の中で呟いた。
まず、一ヶ月もほったらかしにしいたことを御詫びすると共に、これからも更新が滞るだろうことも御詫びさせてください。本格的に勉強をしないと留ね…考えたくありません。
はい!話は変わりますが、毎回出だしの文句に悩みます。すごく。そこで、先般の有名な一説をお借りすることにしました。
――瑞穂は激怒した。
妙に合うのはなぜでしょう。