17日目『ヒナドリ』
「・・・ん」
身じろぎをし、少女が薄っすらと目を開く。
「気がついた?」
私は、眩しそうに目を細めながらも焦点の合わない目でこちらを見つめる少女に呼びかけた。
――ようやくお姫様のお目覚めか・・・。
数十分前。意識のない人間を着替えさせるという意外に過酷な至上命題を仰せつかった私は、四苦八苦しながらも彼女を泥だらけの制服から解放し、私のワンピースに着替えさせることに成功した。その後暫くの間、彼女が横たわっているベッドに腰掛け一息つきながら、不運な、しかしちょっと羨ましくもある少女の寝顔をぼんやりと眺めていたのだ。
「あの、ここは・・・?」
身体を起こした少女は辺りをキョロキョロと見回し、戸惑い気味に尋ねてきた。
私はそんな彼女の不安を和らげるように優しく微笑みかける。
「私の家よ。あなたを助けた秋人が、ここまであなたを運んだの」
「あきと・・・?」
いま一つ状況が飲み込めないというように、困惑の表情を浮かべる少女。
「別に怪しいところじゃないから心配しないで。ちなみにその服は私のね。あなたの服泥だらけだったから、勝手に取り替えさせてもらったわよ」
「すみません・・・」
彼女は自分の身を包んでいる白のワンピースを見て、申し訳なさそうな表情をする。
「いいのいいの、気にしないで。それより、名前を教えてくれない?」
「は、はい。片瀬緋那です」
そう言ってぺこりとお辞儀した。
「そう、緋那ちゃんね。よろしく。私は――」
「あ、綾崎先輩、ですよね?」
控えめに彼女が口をはさんだ。
「あら、知ってたの?」
「はい。先輩は有名人ですから・・・」
はにかむ少女に私は苦笑いしか返すことができない。
――有名人、ねぇ・・・。
なんとも複雑な心境だ。意図してそうなったわけではないし、囃し立てられるのはどうも好きになれない。それに、全く知らない人が私のことを知っているというのも少し嫌な感じがする。芸能人もこういう心境になったりするのだろうか。
何と無く返す言葉が見つからずあやふやな笑みを浮かべていると、控えめにドアがノックされた。
コンコン――
「瑞穂、俺だ。開けてもいいか」
くぐもった小さな声がドア越しに聞こえてきた。
「どうぞ」
私が了承の言葉を口にすると、静かに扉が開き、秋人が足音を忍ばせて部屋に入ってきた。
「あっ・・・」
緋那ちゃんが秋人の姿を確認すると、小さく声を漏らし、大きい目を更に大きくさせる。
「なんだ、起きてたのか」
声量を抑えていた秋人の声音が普段の大きさに戻る。
「ついさっきね」
「そう。じゃあちょうどよかった。明日香さんが夕飯の支度出来てるから呼んできてって。えっと・・・あー、君。夕飯食べてくでしょ?」
「ふふっ、君って何?片瀬緋那ちゃんよ」
秋人がまだ彼女の名前を知らないことを思い出し、私は自分もついさっき知ったばかりの彼女の名前を教えてあげた。秋人が「君」って二人称使うのは全く似合ってなかったし。
「え?ああ、片瀬さんね。霧宮秋人です。よろしく」
緋那ちゃんに笑いかけ自己紹介する秋人。
そんな秋人を見て、緋那ちゃんは慌ててベッドから降りて秋人と向かい合った。
「片瀬緋那です。こちらこそよろしくお願いします」
そして私にしたときと同じように律儀にもお辞儀をする。
――む・・・。
ぎこちない二人を傍観していると、まるでお見合いみたいだ、と思う。秋人の笑顔が無性に癪に障るのはなぜだろう。
半眼でじとーっとした視線を二人に投げかけている私を他所に、二人の会話は続く。
「えっと、私・・・き、霧宮くんに助けてもらったんですよね?・・・あの、ごめんなさい。助けてもらったのによく覚えて無くて・・・・・・。霧宮くんが私を助けてくれたって綾崎先輩に教えてもらいました」
本当に申し訳なさそうに顔を俯かせる。
「いや、気にしないで。それより、怪我は?」
「あ、私はほんとなんともないです。・・・・・・霧宮くんこそ、その包帯・・・」
緋那ちゃんが指摘して私は秋人が怪我をしていることに初めて気がついた。秋人の右手には包帯が巻かれている。しっかりと巻いてあるところを見ると、ママにしてもらったのだとわかった。
秋人の怪我に気付いてやれなかった自分に嫌悪する。さきほど誤解して秋人をドツいたことも思い出し、更に落胆。
――なんで私はこういつもいつも・・・・・・。
気付かれないように溜息をついた。
秋人は罰の悪そうな苦笑いを浮かべて手をぷらぷらと振る。
「これは、その、別に通り魔がどうとかじゃなくて、単にドジったというか、なんというか・・・。とにかく、大したことじゃないから気にしないで。まぁ、大事をとって明日は病院に行ってみるけど」
秋人は緋那ちゃんを励ますように明るく笑った。
「ほんとにすみません・・・」
それでも緋那ちゃんはまるで自分が元凶とでも言うように謝る。
「片瀬さんが謝ることじゃないから、マジで。悪いのは片瀬さんを襲った男だし。それに――」
そこまで言って一拍置き、
「片瀬さんが無事ならそれでいいって」
そう言ってから秋人は恥ずかしそうに頬を掻く。
「あ、はい・・・」
それが伝染したのか、向かい合っている緋那ちゃんの頬もほんのり朱に染まる。
そして二人押し黙った。
――ん?何なのよ、この空気。
甘酸っぱい空気が部屋に充満している・・・気がする。
なによ、秋人のやつ。私にそんな優しい言葉かけてくれないくせに。
さっきよりも秋人のはにかんだ笑顔が心の奥をささくれ立たせた。
そもそも二人は私のことなど忘れているのではないだろうか。そんな錯覚に陥り、倉皇として言葉を紡いだ。
「秋人、ゴハンは?」
「ん・・・?あ、ああ、そうだった」
私には秋人の様子がいつもと違うように思えて、胸の中が微かにざわつくのを感じた。
「でも、送ってもらうなんてやっぱり悪いです」
「何言ってんの。危ない目にあったばかりなのに。それに、途中まで道わかんないだろ?」
優しい月明かりに照らされた仄かに明るい夜道を、俺たちは肩を並べて歩く。
生暖かい夏の夜風に乗って、虫たちの心地よい羽音が聴こえてくる。ここは住宅街のため車の通りも少なく、虫たちの囁きの他には俺たち二人の足音が聞こえるだけで、辺りはひっそりと静まり返っていた。
昼間は“閑静な”という表現もしっくりくるが、夜間はただ不気味なだけである。こんな夜道を女の子一人で歩かせるのはやはり忍びない。
ということで、
夕食を済ませた後はさすがに時間帯も遅くなったため、片瀬を俺が送ることになったのだ。
「霧宮くんって、あの綾崎先輩と幼馴染だったんですね」
「言っとくけど、全然これっぽっちもいいことなんてないぞ?片瀬さんが抱いている綾崎瑞穂先輩像は虚像だ。その実体はもっと凶悪で残忍な――」
「そんなことないんじゃないですか?」
「むー・・・。どうして?」
片瀬は少し考えるようにして夜空を見上げる。
「う〜ん、どうしてでしょう?・・・でも、優しい人だと思います。ほら、この服だって貸してくれたし」
「う〜〜ん・・・」
――優しい人、ねぇ・・・。服貸したぐらいでか?
肯定できない。思い出されるのは辛かったあの日々と、口では言えないような拷問の数々。そして悪魔のような冷笑・・・・・・というのはいささか針小棒大に語り過ぎだが、俺に対して優しかったことなど一度もないのだから、頷けるわけがない。
俺は瑞穂に対する自他の見解の違いについて考え、押し黙る。
俺に合わせるように片瀬も口を噤み、そしてそのまま二人とも黙って歩き続けた。
しばらく歩いてふと思う。
「あれ?そういや片瀬さんの家ってどこ?」
眼前には、数時間前に肝が潰れるほどの思いをした日向公園が迫ってきている。そもそも片瀬がこの公園に訳もなく来るはずがない。それに、夕食のときに帰り道だと言っていたから、片瀬宅はここからそう遠くないはずだ。
「もうすぐです」
片瀬はあやふやに答えて、夜の公園に何の躊躇もなく足を踏み入れる。
――片瀬って、意外と度胸あるんだな。
妙に感心してしまう。しかし、襲われたばかりの公園に簡単に足を踏み入れることなどできるのだろうか。いや、普通無理だろ。
――もしかしてこの公園に住んでたりして。だから怖くないとか?
思わず片瀬が公園のベンチで寝起きしている姿を想像してしまった。
はっとなって頭を左右に振り、その妄想を掻き消す。
――俺の阿呆・・・。普通に考えてありえねーっつうの。片瀬、すまん・・・。
俺の少し前を歩く片瀬の後姿にむかって手を合わせた。
ふむ、それにしても・・・。
結構おかしな話だと思う。近所に住居を構えているのなら、俺は片瀬のことを何らかしら知っているはずだ。小学校の学区だって一緒だったろうし。けれども、俺は今朝電車でぶつかるまで彼女の存在を知らなかった。
最近引っ越してきたのか?それなら辻褄が合う。
俺はゆったりとしたペースで歩く片瀬に疑問を投じてみた。
「片瀬さんは最近引っ越してきたのか?」
彼女は振り向き、
「え?私は一度も引っ越したことはありませんよ?」
どうしてそんなことを尋ねられるのか分からないという風に首を傾げる。
「あ、そうなんだ・・・」
――ますます謎だ。
俺が一人思案に耽っていると、いつの間にか公園の反対側まで来ていた。そのまま片瀬に付いて歩道を歩く。
中学に入ってからというもの、日向公園の反対側の地域を訪れる機会はめっきり減ってしまった。まぁ、これと言って用も無かったしな。それでも、幼少の頃はここら辺にある友達の家によく遊びに行ったものだ。だからこの地区もよく知っているはずなんだが・・・。
やっぱり、単に今まで出会わなかっただけなのか?
数年前に見た景色と何ら変わりない今の夜景を見て、そんな結論に辿り着いた。
時々、俺たちの横を車が追い抜き遠ざかる。それと同時に、ライトに照らし出されてできた二つの影も、伸びては消え、そんなことを繰り返していた。
俺は懐かしくなって辺りを見回す。古びた文具店、看板、垣根、その向こう側にある民家・・・。見える範囲でも郷愁を覚えるものばかりだ。
――本当に変わってねぇよなぁ・・・。あ、もしかしてアレもまだあるのかな?
昔よく、悪友2、3人と一緒に忍び込んで遊んでいた秘密基地を思い浮かべる。とっておきの場所で、かなり気に入っていた。
あれはマジでスリルあって楽しかったなぁ。あ、そういや一回だけ見つかったこともあったっけ。ちぇっ、俺一人だけ置いて皆そそくさと逃げやがって。ショックだったんだぞコノヤロー。
その場面を思い出し、思わず笑みが零れた。今となってはいい思い出だ。まぁ、実際悪いことばかりじゃなかったしな。
俺が一人でくつくつと笑っていると、片瀬が歩くスピードを落とし俺の隣に並んだ。
「あの、今日は本当にありがとうございました。おかげで命拾いしました」
片瀬が何の脈絡もなしにいきなりそう切り出し、微笑む。
「あ、うん。どういたしまして。ほんと大事に至らなくてよかった」
「そう・・・ですね」
一瞬だが、片瀬が思案顔になった。
「どうかした?」
「いえ、なんでもないです」
そう言って笑う片瀬は、少し様子がおかしいように思えた。自分が襲われている場面を思い出したのだろうか?トラウマになっていないか少し心配だ。
隣を歩いていた片瀬がある門の前で立ち止まる。
「あの、私の家ここなので・・・」
「へー、片瀬さん家って結構近――い、んだ・・・・・・な」
前景を見て、思わず目が点になる。信じられず瞬きを数回繰り返した。
「どうかしました?」
片瀬が開いた口が塞がらないでいる俺を覗き込んできた。しかし俺の視線は目の前の景観に釘付けで、片瀬を視界に入れる余裕などなかった。
ゴクリと音を立てて生唾を嚥下する。
――家、そう、家・・・・・・
「・・・・・・・・・って、マジ!?」
今日一日で一番驚いた瞬間だった。
どうやら今日は眠れそうにないな・・・。
更新遅くなってすみません・・・。
諸事情によりPCが使えず、更新できませんでした。
“諸事情”については、えー、ご想像にお任せします。はい。
また、テストが近いので更新が今までよりも遅れがちになるやもしれません。学生の身分ゆえ、ご了承ください。
多くの評価・感想等いつもありがとうございます。