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16日目『母親の愛情』

「ふぅ〜ん、それで秋人がこの子を助けたと・・・」


「おおっ、やっとわかってくれたか瑞穂よ!」


 思わず詠嘆の声を上げる。彼女にこの状況に陥った訳をやっと理解してもらえたようだ。その理解を得るために、実に3度の説明を要したが・・・。


「で?どうするのよ、この子」


 俺はその問に対して即答できなかった。


 俺の眼前には規則正しい寝息を立てている美少女。たぶん、刺されそうになったときに気絶したのだろう。あれだけの恐怖の中に身を置けばそれも当然かもしれない。ましてや女の子だ。トラウマにならなければいいが・・・。


 未だ目覚める兆候が見られない眠り姫から自身に目を移し、溜息をつく。


 今日の天気を思い出してほしい。つい先ほどまで雨が降り続いていた。当然、辺り一面はぬかるみ、所々水溜りができている箇所も見受けられる。この芝生の上もそれに同じであり、踏みこめばピチャピチャと音を立てるほどだ。


 とどのつまり何を言いたいのかというと、


 俺と木にもたれかかって眠っている彼女は泥だらけになっているのだ。俺は尻餅を搗いただけなので被害状況は比較的小規模であるが、彼女の場合スカートから制服の上着までたっぷりと湿り気を帯び、白い生地についた汚れも仰々しく自己主張している。これは憶測にすぎないが、仄暗い公園で逃げ惑う中、ちょうど雨のせいで滑りやすくなっている草の上で転んでしまうこともあったのだと思う。それは彼女の制服に付いた緑色の染みからも窺い知れる。


 彼女を横目で一瞥し、あごに手を当てて思考を巡らす。


 彼女をこのまま置いて帰ることなどできないし、かと言って彼女の家がわかるわけでもないし・・・。


 俺はしばらく逡巡した後、口火を切った。


「瑞穂、この子を綾崎家に連れて行ってもいいか?泥だらけだし、あれだけの怖い経験の後だ。一人にはさせられない。頼む」


「それは、別に構わないけど・・・」


 いまひとつ煮え切らない口調で瑞穂は答える。


「けど?」


 瑞穂はこっちをチラッとだけ覗き見てから、


「秋人、ずいぶんとこの子に肩入れするのね?」


 どこか不満交じりの声音で、俺の真意を推し量ろうとするように尋ねてきた。


「はぁ?お前この状況見てから言えよ。普通の人間だったらほっとけるわけねーだろ。・・・まぁ、鬼畜はどうだか知らねーけど」


 瑞穂の言いたい事は何と無くわかったが、あえてそれには触れないことにする。


「だっ、誰が鬼畜よっ!私だってほっとけないわよ!」


「そーですか。どうかご無礼お許しを」


 恭しく頭を下げると、瑞穂はもの凄い形相で俺をキッと睨み、「ふんっ」と顔を背けた。


――おーい、ついさっきまでの素直な瑞穂さんはどこに行ったんですか〜?


 この場に来てからずっと不機嫌オーラを放出し続けている瑞穂に向かってそう言った。もちろん心の中で、だが。


 辺りにはもう闇が落ち、この鬱蒼うっそうと茂るイチョウの葉が風に合わせてさらさらと揺れる。


 瑞穂に付き合っていたらいつまでも無限ループに嵌ったままで、永遠に綾崎家に着けないような気さえしてきた。それに、いくら夏とはいえ濡れた服のままでは風邪をひいてしまう。


「瑞穂、お前の話なら後でいくらでも聞くから、とりあえず帰ろう。もうだいぶ暗くなってきてる。ほら、この子担ぐから手伝って」


「はいはいそーですね。仰せのままにっ」


 瑞穂はわざとらしく言うと、しぶしぶといった感じで作業に取り掛かった。


「・・・・・・」


 瑞穂がショートヘアーの美少女を俺に背負わせようとして、ピクリと動きを止める。


「どうした?早く乗せろよ」


「・・・・・」


 反応なし。再度呼びかける。


「おい、みず――」


「少しでもヘンなとこ触ったら、ブッ叩くからね?」


 そう言ってにっこり微笑む。笑顔の下で見え隠れする殺気。それが彼女の口から紡がれた言葉に剣呑な響きを与えていた。


「お、おう・・・」


 気迫に押されながらも答えると、ほどなくして背中に重みを感じる。同時に、やわらかい感触が制服越しに背中に伝わってきた。


――うわぁ、やわらけ〜・・・


 煩悩に支配されかけた俺に追い討ちをかけるように、女性特有の甘い香りが鼻腔をくすぐる。


「痛っ――」


 そんな不謹慎な俺に天誅が下ったのか、彼女の身体を支えようとして力を入れたとき右手に鋭い痛みが走った。背中の甘い感覚はいっきに熱を下げる。


「どうしたの?」


 異変に感づいた瑞穂が、俺の顔色を伺うようにして尋ねてきた。


「なんでもない・・・」


――やっべ、家までもつかな・・・


 俺は顔を背け、できるだけ平常を装う。唇を噛み締めて情けない自分に喝を入れると、少女を背負い直して歩き出した。







 綾崎家の玄関では明日香さんが出迎えてくれた。


「お帰りなさい。ずいぶんと遅かったのね。・・・あら?そちらの子は?」


 俺の背負っている少女に気付くと、明日香さんは少し驚いたような表情をした。


「あ、話すと長くなるんで、とりあえずその前にこの子の服を取り替えてもらいたいんですけど。彼女、泥だらけなんです」


「わかったわ。じゃあこっちの部屋に運んでもらえる?」


 明日香さんは嫌な顔一つせず、快く了承してくれた。さすが娘とは違う。



 少女の着替えは瑞穂に一任し、俺はリビングで明日香さんにここまでの経緯を説明することにした。俺のズボンも汚れていたので、篤史さんのジーンズを貸してもらっている。


「・・・・・・と、いうわけなんですよ」


 瑞穂とのいざこざは抜かして一通り説明し終わると、何故だかドッと疲れが圧し掛かってきた。それなりに緊張しっぱなしだったから、我が家とも呼べる綾崎家に無事帰還して無意識に安心したのかもしれない。


「そう・・・。でも本当に無事でよかったわ。秋ちゃん大活躍じゃない。さすが私の子ね」


 終始真剣に話を聞いていた明日香さんが、重苦しい空気を払拭するかのようにおどけてみせる。


「あははは、俺はいつから明日香さんの子供になったんですか?」


「うふふ、冗談よ。それより、秋ちゃんケガはない?」


「あ、ああ、大丈夫です。犯人とも接触してないし・・・」


 そう言って、さりげなく右手を後ろに回す。


 しかし明日香さんの千里眼とも言うべき観察力からは逃れられなかった。


「秋ちゃん、お手」


 笑顔の奥に般若の形相を隠した明日香さんがそう言って手を差し出す。


「うっ・・・」


 俺は瑞穂顔負けの恐ろしさに戦々恐々として、しかたなく隠した右手を明日香さんのそれに重ねた。


「凄く腫れてるじゃない!どうして何も言わなかったの!」


 俺の手を見るなり、明日香さんは声を荒げた。


「別に大したことじゃないかな、って思って・・・」


 たははと笑う俺をひと睨みして、明日香さんが真剣な表情で俺の右手を調べる。


「いっ――!!」


 明日香さんが手首に触れたとき、ビクンと身体が震えた。存外な痛さに顔が歪む。よく見ると、俺の右手は先ほどよりも腫れ上がっているようだ。血液の流動に合わせてジンジンと痛む。


「今日はもう病院閉まっているだろうから、明日学校休んで病院に行きましょう。・・・まったく、秋ちゃんも変なところで我慢強いんだから。男の子だからって無理しちゃダメよ?痛いときは痛いって言うこと。いいわね?」


 明日香さんはわが子をいつくしむように優しく微笑むと、救急箱を取りにリビングを離れた。


 俺はそんな明日香さんの背中に久しぶりに母親の愛情を感じて、ふっと微笑んだ。


一日がもの凄く長くなってしまいました。

やっと次回で明日になる予定です。

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