15日目『ヒーロー?』
俺は物陰に隠れて、バクバクと慌ただしく波打つ心臓を押さえつけながら状況把握に努める。
――よし、こういう時こそ落ち着け。落ち着け秋人・・・。
ここから10メートルばかり離れた場所で起きている、極めて悪質な非常事態。
未だ信じ難い光景であるが、通り魔がか弱い女の子を今まさに手にかけようとしているのは紛れもない事実。
そしてその女の子とは、今朝出会ったばかりの名も知らぬ美少女。
俺は今現在の状況を整理、冷静な判断を下すべく、脳細胞を総動員させて自分の執るべき最善の行動を模索する。
――と、とりあえず警察だ!こういう場合「警察に通報しなさい」と、あれほど口を酸っぱくして小学校の先生が教えていたではないか。そうだよ、警察に通報するんだ。大丈夫、信じろ。小学校の先生を・・・。
しかしその考えをすぐに否定する。
――馬鹿か俺は!通報してから警察が現場に到着するまで何分かかるんだよ。その前にあの子は天に召されちまうだろ。
まったくもって正論である。俺は急ぎ次の手段を模索。
――じゃ、じゃあ瑞穂に連絡を。そうだ、あいつなら絶対何とかしてくれるはずだ。少々気に食わないが、ずべこべ言ってる暇は無い。そうだよ、瑞穂に連絡するんだ。大丈夫、信じろ。瑞穂を・・・。
「・・・・・・」
――いや、ダメだ。そもそもこんな近くで電話していたら会話が漏れて気付かれてしまう。それに瑞穂がこの危機的状況を打開してくれるとは思えない。
ここまで考えるのに数秒。しかしその間にもカウントダウンは刻一刻と刻まれているわけで、凶悪な通り魔が脅え腰を抜かして動けない少女にジリジリと近づいている。
俺は頭を振った。
――秋人、冷静になれ。冷静になればわかることじゃないか。今彼女を助けられるのは俺しかいない。俺が、俺自身が彼女を助ける他に道はない。
だが、心では分かっていても、臆病風に吹かれて手が震える。
――臆するな、恐れるな。得物がなんだ。そんなの切られる前に奪っちまえ。ここで黙って見ていて後悔するより、一生罪悪感に苛まれながら生きる人生を選ぶより、今自分にしかできないことをしろ!
目を閉じ、深い深呼吸を二度繰り返す。
――よしっ!!
「いやっ・・・こないでっ・・・・・・」
少女が恐怖に打ち震え、なす術も無く首を振る。黒服に身を包みサングラスとマスクで顔を覆っている男は、マスクだけを外し、あたかも殺戮を愉しんでいるかのような笑みを口元に浮かべた。
「ヒッ、ヒヒッ・・・」
僅かに漏れた笑い声には正気の沙汰とは思えない響きが込められている。
男が得物を逆手に持ち、大きく振りかざす。
少女が目を閉じる。そして鋭利な刃が彼女めがけて振り下ろされる刹那――
ヒュッ――
「――っつ!!」
通り魔が小さな悲鳴を上げた後、手を押さえ数歩よろける。
地面にはさっきまで男が手にしていた包丁と、中身が入ったスチール缶。
その缶が飛んできた方向には、
「あっぶねぇ〜〜」
投擲を終え、手を振り下ろした体勢のまま安堵の溜息をつく秋人。
もしも相手に向かって走って行き止めようとしていたら、完全に間に合わなかっただろう。俺は一か八か持っていたスチール缶を投げた。“相手の顔めがけて”だが・・・。しかし汗で僅かに手元が狂った。一瞬ヒヤッとしたが、運よく相手の手に当たってくれたようである。
とどのつまり神様が手助けしてくれたのだ。
俺は自分の強運にしばし感嘆し、やがて我に返ると、眉間にしわを寄せ通り魔を睨んだ。
通り魔は身の危険を察知したのか、公園の奥へと逃げだした。
「あっ、待てっ!!」
このとき、慌てて追ったのがいけなかったのだろう。足元への注意を怠ったために、足元に転がっている“物”に気付かなかった。
自分の投げたミルクティ−を運悪く踏んづけてしまう。
「えっ・・・?」
クルっと回転し、俺の身体は空中へ。
一瞬の浮遊感。
このままでは尻餅を搗いてしまう。咄嗟の判断で地面に向けて右手を伸ばし、そして・・・
ゴキッ
耳障りな音が辺りに虚しく響いた。
「遅い」
いくらなんでも遅すぎる。飲み物一つにどんだけ時間をかければ気が済むのだ。
秋人が自販機に飲み物を買いに行ってからずいぶんと時間が経っている。まさか私を置いて先に帰ってしまったのではなかろうか。
嫌な予感がして携帯を取り出す。
「何やってんのかしら。あのバカ」
秋人に電話をかけると、何度目かの呼び出し音ののち「もしもし瑞穂か」と秋人の声が聞こえてきた。
「秋人!いつまで待たせる気よ!」
『悪いっ、ちょっとこっちも色々あって。お前先に帰ってていいから。それじゃっ――プツッ』
「あっ、ちょっと待ちなさいっ・・・・・・もうっ!」
一方的に電話を切られてしまった。憤りを禁じ得ず、ベンチを叩く。
「――っ!」
案外な痛さに涙目になって手を押さえる。
しばらく悶えた後、私は居ても立っても居られなくなり、秋人を探しに歩き出した。
眩しい夕日に照らされているのは柳眉を逆立て公園内を歩く瑞穂。
「どこいったのよ秋人のやつ・・・」
不安げに辺りを見回す。先ほどの憤慨はどこかに消え失せ、瞳に浮かぶのは不安ばかり。
――せっかくイイ感じだったのに・・・。
私は溜息を吐く。
あれほど苦労して絞り出した謝罪の言葉だったのに。少しは進展があってもいいはずなのに。
しかし現実は厳しい。天はいつだって私を見放す。
何気なくイチョウの林を見遣った時だった。林の中で何かが動いた。
「秋人?」
何と無くそんな気がして、遊歩道から外れ薄暗い芝生の上を歩く。
近づくにつれ、それが確かに秋人であることがわかった。
だが、様子がおかしい。一本の木に向かって何かやっている。
逸る気持ちを抑えてゆっくりと近づくと、そこには一人の少女が目を瞑った状態で木に寄りかかっていた。
その少女の肩には秋人の手。
一瞬にして頭に血が上る。両手を震わせ、顔が引き攣る。
「あぁきぃとぉ・・・」
「げっ!瑞穂!お前なんでここにいるんだよ!?」
振り向いた秋人の顔が私よりも引き攣っていた。
「心配になって探しに来たんじゃない!それなのに・・・・。『ちょっとこっちも色々あって』ってそういうことぉ・・・・・・」
私はゆらゆらと秋人に近づく。
「は?違うっ!お前の考えてるようなことじゃない!」
「じゃあその手は何よ!」
私は少女の肩に置かれた秋人の手を指差す。
「え?・・・あっ!ああっ!いや、ち、違うっ!これは・・・、と、とにかく俺の話を聞けっ!!」
動揺し慌てて手を離すところがまた怪しい。
「問答無用っ!!」
逢う魔が時。真の悪魔、ここに降臨。
眠いです・・・。しかし今は読書の秋!
そして、読み始めると止まらない今日この頃。
まぁ、今に始まったことじゃないんですけど。