12日目『噛み合わぬ二人』
秋人と昇降口で別れてから、朝の活気と雑踏で混みあった校内を一人歩いて教室を目指す。すれ違う生徒に挨拶を返しながらも、その愛想笑いを浮かべたプリンセスの表情とは裏腹に、腹の中はどうしようもない怒りで煮えたぎっていた。
――秋人のバカ!
ばかばかばかばか。てゆうか何見とれてるのよ!
先ほどの電車での出来事を思い出して、無性に蹴りたい衝動に駆られる。もちろん秋人をだ。
日直などとはもちろん嘘だ。とりあえずあの場からすぐに立ち去りたかった。だって当然じゃない。電車が揺れても私のことなんて気にも留めてくれなかったし、ぶつかってきた子にデレッデレだったし、二人が話している間私は蚊帳の外だったし・・・。
朝からテンション下がるわ、ほんと。
肩を落としながら3棟の廊下をとぼとぼ歩いていると、
「おはよっ」
と後ろから親友に奇襲をかけられた。バチンと痛々しい音が廊下に木魂する。私は叩かれた背中をさすって涙目で声の主を睨み、
「有紗!思いっきり叩かないでよ!」
眉を吊り上げて怒鳴ると、彼女は能天気にあはははと笑い手を合わせる。
「ごめんごめん・・・・・・痛かった?」
そう言って上目遣いで舌を出す確信犯に腹が立って、また怒鳴る。
「痛いに決まってるでしょ!まったく、物事には加減というものがあってね、有紗はいつもそれができて――」
「わかったってば。以後、気をつけます」
にへへとおどけて笑いながら敬礼する有紗を見て、私は更に深く肩を落とした。
この子は絶対に学習していない。さっきみたいな挨拶は何度目だかわかったもんじゃないのだ。今日という今日こそは、その捻じ曲がった愛情表現を絶対に矯正してやるんだから。
「有紗、あなたホントにわかっ――」
「わ、私先生に呼ばれてるんだった。それじゃっ!」
それだけ言い残すと、有紗は廊下を駆けていった。もとい、脱兎の如く逃げていった。
――どいつもこいつも・・・。
握った拳をわなわなと震わせ、やがて落ち着き深い深い溜息をつく。窓の外を仰ぎ見ると、私の心の中をそのまま切り取ったかのようなどんよりとした曇り空から、ぽつぽつと雨が滴り落ちてきていた。
「あ、雨・・・」
ん?そういえば傘持ってたっけ?朝出るときは確実に持っていたのを記憶しているが、今手元にあるのは鞄だけ。私はおでこに手を当てて記憶の糸を辿る。駅まで秋人と歩って、秋人と電車に乗って、秋人にあの子がぶつかって、秋人をホームに引っ張り出して・・・・・・あ。
「・・・・・・電車の中だ」
手すりに引っ掛けておいたのをすっかり忘れていた。お気に入りの傘を置き忘れたことに落胆し、本日2度目の溜息をつく。
たぶん今日は厄日だろう。
そう思わずにはいられなかった。
――『ありがとうございます』
名前も知らない彼女の言葉を反芻する。あのとき俺に見せてくれた笑顔は、儚げに揺れる一輪花のようだった。なんて詩人じみたことを考えてみたりもする。
今朝出会った美少女は確かこの学校の生徒だと言っていた。ならば近いうちに会えるかもしれない。もしかして彼女の方から俺を探してくれてたり?・・・まさかなぁ。ただ文庫本拾って渡しただけの男を探すわけないか。
それにしてもいい子だったなぁ。世の男性全てがあの子のことを守ってあげたくなるような、なんとも形容しがたいオーラを放っていた。優しい、おしとやか、清楚。・・・どっかの誰かさんに見習わせたいぐらいだ。
「――ちゃん、秋ちゃんっ」
ったく、瑞穂の奴、名前尋ねる時間くらいくれてもいいだろ・・・。
「はぁ〜・・・・・・霧宮っ!!」
「は、はいっ!」
突然俺の名前が呼ばれたので動揺してしまい、ガタッと音を立てて起立する。
「今は授業中、わかってるの?」
男性教師が呆れたように注意する。こいつはいい年したオヤジのくせに女口調のため、生徒中でオカマだと噂されている一歩置きたい教師だ。つか、「秋ちゃん」はやめろ。キモチ悪い。俺を「秋ちゃん」って呼んでいいのは明日香さんだけだっつーの。
「もうバッチリわかってます!」
「そぅお?じゃ、問4の答えは?」
「ああ、えと、問4ですね・・・・・・」
慌てて教科書を開き、ページをめくる。問4問4問4・・・・・・。文字の羅列に視線を這わすが、いかんせん、どのページかもわからないので見つかる気配もない。
嫌な沈黙が教室を包み込む。
「・・・・・・・・・」
その長い沈黙の後、俺は息苦しい空気に耐え切れず、おずおずと口を開いた。
「・・・あの〜、」
「なに?」
「問4って、どこですか?」
しばらくして、クラスのあちこちからくすくすと笑う声が聞こえてくる。司に至っては腹抱えて必死に笑いを噛み殺していた。コ、コロス・・・。
「秋ちゃんは放課後、職員室にいらっしゃい」
呆れ声でできの悪い教え子を諭すように命令する。
「はい・・・・・・」
俺は恥ずかしさで顔を真っ赤にしながら、周りの視線から逃れるように着席するのだった。
やっぱりウソはつくもんじゃないな。これ、教訓。
――昼休み。
俺たちは飲み物を買うため、3棟と4棟との間にある自販機へと向かっていた。廊下の窓から屋外に隣接してあるプールを見やる。水面は幾つもの波紋が重なり合って大きく揺れ、風雨の激しさを物語っていた。ほんとに傘持ってきて良かったわ。
視線を窓の外から隣に移すと、司が俺を見ては含み笑いをしていた。
「何だよ」
司を睨みつける。
「いや、別に」
そう言ってまた口の端を上げる仕草が妙にイラっとくる。たぶん化学の授業のアレを思い出しては、俺を見て嫌がらせのように嘲笑しているのだろう。あー、腹立つ。
「答えられなかったくらいで笑うこたないだろ?」
司を半眼で睨み、口を尖らせる。すると意に反して友人はまた笑い出した。
「くくく、お前、まだ気付いてないのか」
「何が」
俺は答えを催促する。
「“問4”なんてどこにもないぞ」
――どこにも、ない・・・?
「・・・・・・は?」
言葉の意味がうまく飲み込めないのですが・・・?
「お前教科書見てなかっただろ?嵌められたんだよ、あいつに。つかお前、まだ気付いてなかったのか」
「バ、バカ、そんなのとっくに気付いてるっつーの。だからムカついてるんだよ」
俺は腕を組みそっぽを向く。そんな俺を見て司が笑っているが、無視することにした。
はぁ〜、どうりでいくら探しても見つからなかったわけだ。つか、俺って嵌められてたのね。相手の思惑通りにしてやられたんだと思うと、なんだかもの凄い敗北感。
「あ、あのさ」
俺はこれ以上墓穴を掘って司に弄られないようにするために、話題を変えることにした。
「んー?」
司もこれ以上いたぶるつもりはないらしく、軽く聞き返す。
「ここの女子生徒で、思わず守ってあげたくなるような可愛い女の子の名前知らないか?」
司は特に考えようともせず口を開く。
「お前の幼馴染」
俺は手を振り司の言葉をすぐさま否定する。
「いや、あいつは守ってやりたいと思わない」
瑞穂が可愛い女の子?俺が知りたいのはナイトの助けを待っているお姫様で、荊の城に住んでいる陰険魔女などではない。つーか司に聞いた俺がバカだったよ。こいつ色恋沙汰に興味ないこと頭から抜けてた。司は俺の考えを肯定するかのように、
「知らん。興味ない」
「うん。聞いてから思った」
司は俺にそう言われて、少しむっとする。
「・・・つか、何でそんなこと聞くんだよ」
「な、なんとなく・・・」
言葉を濁し、視線を外す。ふと、自販機の前に人だかりができているのが目に留まった。それも男ばかりで、見ているだけで暑苦しい。時々、「今日もお綺麗ですねぇ〜」だとか「お前ら!お触り禁止だぞ」などといった会話が喧騒に混じって聞こえてくる。
まるで天啓のように、それだけで全てを悟った俺は、
「司ストップ」
司のワイシャツの裾を掴み、引き止める。
「なんだよ」
司は怪訝な顔つきで振り向いた。俺は人差し指を立てて上を指す。
「今日お天気お姉さんが言っていた。人ごみに注意しましょう、特に男の群れには警戒しましょう、と。だから俺たちは違う自販機で飲み物を買おうじゃないか」
うんうんと頷きながら親友の肩を叩く。司よ、理解してくれ。あの集団の真ん中には絶対魔女がいる。男をかどわかす恐ろしい魔女が。見つかって俺が酷い目にあわされないうちに引き返そうじゃないか。
「面倒だ」
司はそう言って暴風域に向かって歩き出した。俺は慌てて腕を掴み引き止める。
「このアホっ!巻き込まれる俺の身にもなれ!」
司は上を向いて少し考える素振りを見せる。そしてしばらくの後、
「問題ない」
「大ありだっ!!」
叫んだ後で、その声がやけに渡り廊下に響いたことにはっとする。冷や汗を掻きながら前方の集団に目をやると、
魔女と目が合ってしまった。
彼女の顔が獲物を見つけた喜びで嬉しそうに歪んでいる。こ、怖い。きっと次の瞬間には俺の名前を呼ぶに違いない。そうなればたちまち四面楚歌だ。
「つ、司っ、ほらっ引き返すぞ」
そう言って司の首根っこを掴んだ。
「は?ちょ、おい秋人――」
俺は司の声には耳を傾けず、嫌がる友人をずるずると引き摺ってこの場を慌てて去った。
喧騒と雨音に混じって、後ろから司の溜息が聞こえたような・・・・・・まぁ、気にしないでおこう。
や、やっとテストが終わりました・・・。解答はボロボロ。涙もボロボロ。でもこれでしばらくは小説のほうにも力を入れることができます。
投票よろしくお願いします。評価・感想等もどーぞよろしくお願いします。
「あなたの一票が世界を変える」・・・なんて宣伝文句あったなぁ。
あ、独り言です(笑