1日目『当たらずとも遠からず』
所詮人の一生なんてちっぽけで、大して他人と変わらない人生を送るもんだ。電気を発明した偉大なる発明家トーマス・エジソンも、果敢に敵国と戦い自国の為に己の全てを尽くした英雄ジャンヌ・ダルクも、20世紀以降で最も有名な画家であるパブロ・ピカソも、皆死亡率100パーセント。誕生すると同時に死へと闊歩している。歩んでゆく道のり自体は違えど、スタート地点と終着点は同じなのだ。行き着くところ皆同じだと思うと、俺は途端につまらないと感じてしまう。死んだとき、自分には何が残るのだろう。天国や地獄でもないかぎり、死は生まれたときと同じ「無」に還ると、俺は思う。
それでも、己の人生を全う出来た奴等は幸福なほうだ。若くして命をなくしたツタンカーメンや、日の目も見ること叶わずに流産された子供なんて報われないにもほどがある。前日はあんなに元気だったのに今日にはポックリ、なんていうのはよくある話で、“死”に対する理解も覚悟も何もできないまま残された遺族も、また哀れで報われない。
そうした何時襲い掛かって来るか分からない死の恐怖に震え脅えながら、希望や夢に縋ってヒトは生きてる。
本当は怖いのに笑って誤魔化す。
そんなことをしながら恐怖や苦痛を全部まとめてオブラートに包み込んで、顔を背け無理やり希望や夢に眼を向ける。
それは皆一緒。
とどのつまり、ヒト科である俺にも夢くらいはある。
5割の実力と4割の運、1割の恩恵さえあれば実現できるくだらない夢。
まぁ今のところ、実現確率0パーセント、見込みなしだが。
長くてウザッたかった梅雨も明け、季節はいよいよ初夏を迎えていた。
7月に入ると太陽はますます日照り、アスファルトの上は暑さで歪む。日中は早朝から蝉が鳴き、夜は蛙と鈴虫の大合唱。身体を舐めまわすぬるい風を感じると、梅雨が狂おしいほど恋しくなり、温室効果ガスとそれに伴う地球温暖化を本気で恨みたくなる。
地球上の全人類が一日中息を止めていたら、どれだけの二酸化炭素が削減できるのだろう。
そんなとりとめのないことを真剣に考える、平日の朝。
「ふぁぁぁー」
自分の机にへばり付き、人目も気にせず大口を開けて欠伸をする。いやはや、学校というものはめんどくさいことこの上ない。
「秋人、お前朝からへばってるな」
倉本司が呆れを大分に含んだ声で話しかけてきた。
「見えるか?俺の後ろにへばり付く亡霊が」
「ん?亡霊のような秋人がか?」
「何でもいい・・・」
会話のキャッチボールが億劫になり、適当に返事をし、机とキス。
だいたいなんで朝っぱらから「男の敵」としゃべらなければならないのだ。
この男――倉本司は学年一の美形。いや、学校一といっても針小棒大ではない。
180センチの長身に、長めの前髪から覗かせる切れ長の眼。顔のパーツ一つ一つが整っていて、基本的に友達になりたくない奴ナンバー1。流し目なんてされた女子なんかは、即フォーリンラヴ。
しかし言い寄って来る女子は星の数ほどいるのに本人には全くその気はないらしい。それがまた波紋を呼び、同学年だけでなく今や2,3年生のお嬢様方にもモテている。
容姿端麗、頭脳明晰、運動神経抜群――。
才色兼備とはまさにこのことだ。
うぜぇ。マジで思っていた。それは男なら誰でも抱く感情であり、自分より優れた人材に嫉妬するのは人間の性だ。
しかし、普段はクールで分かりにくいが意外と情に厚い。そのことを知ってからは一応親友的ポジションについてる。
窓の外を眺め、一人ごちる。
「夏だなぁ」
――昼休み。
いつもの場所へと向かうため、弁当片手に廊下を歩く。
ここ、東雲高校は浦浜市のほぼ中心部に位置する。私立である東雲高校は生徒数一千人を優に超えるマンモス校で、創立十数年というその歴史の浅さとは裏腹に著名人を数多く輩出している。
「自由」が校風のこの高校の最大の特徴は学校行事の豊富さにあり、学校祭や修学旅行、スポーツ大会に加え、クリスマスパーティや歩行祭などもある。
更にもう一つの特徴、それは学費の安さであり、俺がこの学校に通う理由でもある。
ここの校長兼理事長は某有名財閥の当主であり、私立東雲高校の創設者なのだ。有り余る金の使い道に困ったのだろうか、十数年前に開校し破格の学費で生徒を通わせている。大物と俺ら一般ピーポーとのスケールの違いをまざまざと見せつけられた思いだ。
俺――霧宮秋人はそんな高校の1年3組に所属している。
1年3組の教室は、4棟あるうちの4棟目。つまり校門から一番離れた場所に設置された校舎にある。各棟は3階構成の2階部分に通された渡り廊下で繋がっており、1棟は職員室と特別教室。2棟3棟4棟はそれぞれ順に、3年2年1年の教室である。1年生は移動教室の際にかなりの距離を歩かなければならないので、この配置は1年生への嫌がらせではなかろうか。
俺の住居は浦浜市のやや東に位置する住宅街の一戸建て。浦浜駅から二駅ほど行ったところだ。通学時間は40分程。これが多少ネックである。学校が近場であったならどんなに救われることか。
1年3組の連中は騒がしい奴らばかりだが、大半はいい奴で構成されている。入学して約3ヶ月が経ち、ようやく蟠りが解けてきた状態で、俺にも友達はできた。その一人が倉本司である。
俺は良き友人たちに囲まれ、学校生活をめい一杯満喫し、青春を謳歌している最中、だと思うが、果たして青春とは何なのかと疑問を感じるのもまたしかり。
廊下の突き当たりにある非常口を開け、その先にある非常階段を下りて裏庭に出る。
学校の裏庭は雑木林となっており、幾つかのベンチが置いてある。しかし普段この場所に訪れるのは俺くらいで、人気と人気のないスポットだ。俺がこの場所を知ったのは少し前のこと。
慣れた感じでいつもの木の下で幹に寄りかかり、弁当を開く。
遠くから運動部の掛け声と女子たちの嬌声が聞こえるくらいで、この場所は閑散としている。
蝉の鳴き声が聞こえない、不思議な場所。
弁当をかっ込み終わると、片膝を立てて眼を閉じる。
瞼の裏側に映る木漏れ日が心地よい。そよ風が前髪を弄び、小鳥たちが子守唄を囀る。
じわじわと押し寄せるまどろみに意識を預け、俺は暫しの浅い眠りに堕ちた。
ピピピピッ、ピピピピッ、ピピピピッ―――
アラームの音と、バイブレーションの振動により眼が覚めた。
昼休み終了5分前。いつもこの時間に携帯のアラームをセットしている。
「よっと」
老人のように腰を上げると、両手を挙げ伸びをした。関節がぽきぽきと音を立てる。
「さてと、あと3時間頑張りますか」
俺は弁当を提げ、教室へと引き返した。
「おい秋人」
教室に戻ると司が声を掛けてきた。
「ん?なんかあった?」
「綾崎先輩が探してたぞ」
「あっそう」
「あっそうって・・・」
司が俺を嗜めるような表情をした。
「いいんだよ別に。どうせこき使われるだけだから」
俺はやれやれという風に首を振ると、窓際の席へと向かう。
開け放たれた窓からグラウンドを疾走する女子生徒をぼんやりと眺めつつ、古文担当のハゲ教師の話を聞くともなしに聞いていた。
ここは2階。景色はいいのだが、夏の暑さが教室全体のやる気をなくさせる。身体にべったりとした汗が纏わりつき気持ち悪い。
ぼ―――。
女子生徒数人がグラウンドから離れたこの棟のすぐ近くで体操をしている。
東雲高は現代に屈強として残るブルマ適用校だ。今時時代錯誤もいいとこだが、もちろん男子生徒からのブーイングはない。女子生徒の中にちらほらと抗議の声が上がるが、男子によってうまく言い包められてきた。
前後屈をしてちょうど前屈みになっている女子生徒の後ろ姿に目が留まる。
ブルマから伸びる長い足がなんとも……ではなく、なかなかスタイルが……ごっほんごっほん。
自然と顔の筋肉が弛緩する。たぶん情けない顔をしているのだろう。だけどどうしても弛んでしまうのだから仕方がない。
じっと彼女を見つめていると、何かが脳裏を掠めた。
――どこか見覚えがあるような……
刹那、眺めていた女子生徒が後ろに反り返る。
これまで見えなかった顔が目に飛び込んできたと同時に彼女と目が合った。
途端に俺はパブロフの犬の如くほぼ条件反射と言っていいほどの勢いでみるみると蒼くなった。脂汗が頬を伝う。1秒ほどして我に返ると、俺は急いで顔を逸らした。
やってしまった。
何故気がつかなかったんだ俺は。
授業を受ける気など毛頭なくなってしまった俺は、へなへなと机に平伏すのだった。
「どうした秋人、いつにも増して生気が感じられないぞ」
放課後の教室で司が声を掛けてきた。
「わかるー?」
「ああ、アホ面してる」
「うっせぇ!」
ったく、司は心配してるのかどうかいまいち分からん、と心の中で毒づく。司の本心理解できる奴って大物だ、きっと。
「その様子じゃ、どうせあの人絡みだろ」
「ちっ、分かってるなら傷口広げるようなことするなよ」
「別にそんなつもりはないんだがな」
心底心外だと言うように肩を落としてみせる。
「どーだか」
仏頂面している俺を見て、司は目を細める。
「なんだよ」
俺が問いかけると、
「ご愁傷様」
それだけ言い残して薄情な友人は颯爽と教室を去っていった。腹立つな本当に。
教室で一人時間をつぶして、空が茜色になりかけた頃に下駄箱へと向かった。別に居残りさせられていたわけじゃない。これも“彼女”に会わないため。
スクールバッグを担ぎ、校門へと向かう。
ヒグラシの悲しげな鳴き声がどこからともなく聞こえてくる。まるで俺の未来を暗示するかのように。
校門に近づくにつれて、誰かが門柱に寄りかかって立っていることがわかった。
姿確認。
――げっ
極力顔を合わせぬように素通り決定、と脳内会議で瞬時に結論が下される。
俺は俯き、できるだけ他人の風を装って門柱を通過した。
「ねぇ」
例の彼女に呼ばれる。
無視。
「どうしたのかな、秋人君」
猫なで声で俺の名前が彼女の口からつむがれる。思わず寒気を催し、冷や汗が背中を伝う。
「……」
ただならぬ殺気を感じ、結局俺は壊れかけのブリキ人形のように振り向いた。
口調が妙に優しいとき、こいつはかなり怒っている。長年に亘る経験の基、培われた知識である。
「なんだよ、瑞穂。いたのか」
そう、こいつの名前は綾崎瑞穂。
一つ年上の、俺の天敵にして幼馴染。東雲高校2年6組所属。部活動は俺同様、帰宅部。成績優秀、容姿端麗の我が校のプリンセスで、その人気はファンクラブが立ち上げられるほど。言い寄る男は数知れず、フッた男も数知れず・・・。
身長160センチ強。スタイルはモデル顔負けであることは彼女のプロポーションから一目瞭然だ。子顔でパッチリ二重、すうっと通った鼻筋、ほっそりとした顎。髪は少し茶色がかり、背中まで伸びるノングヘア。
「どこをとっても見劣るところなどない。まさに神の申し子と呼べる存在!!――ファンクラブ会員No1さん談」
だがっ!俺は声を大にして叫びたい。外見に騙されるなと!
普段の奴は猫かぶりもいいとこだ。俺はそんな瑞穂の学校生活を垣間見て心底驚いたものだ。俺に対する態度との違いには、もはや閉口するしかない。
「白々しいわね。これだけ待たせといて、その言い草はないんじゃないの?秋人」
なおも優しい口調。だが、目が笑ってないぞ、目が。
「別に待っててなんて言った覚えはない」
瑞穂の眼光が鋭さを増す。
「こんな時間までいったい何してたの」
「瑞穂に教える義理はない」
「お腹空いたな」
「あっそ」
「奢って?」
――やっぱりそうくるか。
「生憎と、今俺金欠なんだわ。悪いね」
「ふぅーん・・・・・・・・・それにしても暑いわね」
瑞穂は制服の首元をパタパタとさせて風を送っている。豊満な胸の谷間も見え隠れする。
「どこ見てんのよ」
「べ、別に」
「6限目。私に色目使ってたでしょ」
「何のことだ?」
声が僅かに上ずる。
「惚けないで。私視力いいの。ああ、秋人にそんな目で見られてたなんて、私心外だわ・・・」
明らかに演技と分かる落ち込み方。それでも、俺に対する効果は抜群だった。
当たらずとも遠からず、俺だって最初からお前だってわかってりゃ、色目なんて使わなかったのに・・・・・・。
「誰がお前なんかに色目つか――」
「秋人」
「・・・・・・」
「奢って?」
「・・・・・・ハイ」
俺はがっくりとうな垂れ、真っ白になるのだった。