【The World Of Beast Person】
その後――鋼鉄都市にて九段と対峙したあと、俺は人狼と神童と一緒に二人の故郷へ向かうことになった。色々と聞かなければならないことがあったし、これから彼らの助けが必要になると思ったからだ。
ケイトは博士と一緒に鋼鉄都市に残った。九段はあの世界を俺たちごと滅ぼすと言っていたが、ケイトがいる世界には羅紗も手出しできないため、とりあえずは大丈夫のはずだ。
ケイトから平手打ちを貰う前に、俺は神童の時空転移で並行世界へ移動する。ケイト以外の人に他の世界へ連れて行ってもらうのは初めてだ。
「九、あとで話があるからね」
転移する直前、ケイトがにっこりと微笑んだ。
転移後、俺はしばらく気分がすぐれなかった。転移酔いのせいだけではないだろう。
人狼の本名は「狛蕾・カルバン・シー」、神童は「ベルゼーヌ・ドレ・エクスプロージョン」というらしい。
「まあ、今までどおり人狼でいいぜ。それに、ベルゼは自分で付けた名前だけどな。本当はネクタール・シーだ。ベルゼ―ヌ・ネクタール・シー」
「い、いいじゃろ、その姓だって本当の名前とは限らないんじゃから」
自分で考えたのか……。神童的にエクスプロージョンは悪魔っぽくて威厳がある名前なのだろうか。
「ドレ・エクスプロージョンはフランス語で黄金色の爆発という意味じゃ、かっこいいじゃろう!」
解説された。
「本当の名前とは限らないっていうのは、どういう意味だ?」
「べルゼは一部記憶を失ってるんだよな。そもそも道端で倒れているところを俺が発見して、討伐隊に入ったんだ。だから、自分の家も覚えてない」
「儂は悪魔だって言っちょろうが。この立派な角がなによりの証じゃ! だから、本当の故郷は地獄じゃな」
彼女は人狼の上で自慢げに角を披露する。
「でも、地獄へは帰れないんだろ? 地獄にいた記憶でも残ってるのか?」
「少しだけな。なんとなく朧げにうっすらと残っちょる」
はっきりしない答えだ。とはいえ、彼女の変身後の姿を見てしまったからな……。見た者を虜にする魔性の魅力というやつだろうか。本人に自覚が無いのが幸いだ。
「さっき言ってた討伐隊っていうのは、九段を倒すための組織ってことでいいのか?」
「九段をっていうより、組織そのものをだな。説明が難しいんだが……とりあえず九に会ってもらいたい人がいるから、移動しながら簡単に説明するよ」
しかし、酷い一日だった。二度に渡って死にかけて、ケイトと獣人二人のおかげで命拾いをした。分かっていたことではあるが、今回の件で自分の力のなさを痛感した。俺のせいでケイトまで危険にさらしてしまったのだから。……この先、俺とケイトだけでは心細い。人狼たちの討伐隊とやらに力を貸して貰いたいところだ。
とりあえずは無事に危機を乗り切って安心したからか、肩の荷が下りたといった感じだ。体が軽い。
「俺とべルゼは九段を倒すために組織に潜入してたんだ。組織の首領は正体不明で滅多に人前に姿を現さないんだが、俺は前から夜叉が怪しいと睨んでいた」
「どうして夜叉が首領だと?」
まあ、たしかに怪しいことこの上ない格好ではあったが。
「組織は数十年ごとに首領が入れ替わるんだ。だから、俺はあらかじめ次の首領候補に目星をつけていた。そうしたら、突然九が消え、間もなく夜叉が現れた。
「九段は気付かれないと思っていたようだが、俺の鼻はごまかせないぜ。九が次の首領になったんだと直感した」
そうすると、人狼たちは夜叉が九段だと当たりをつけたうえで虎視眈々とチャンスを狙っていたのか。
「だから九がケイトと一緒に姿を見せたときは、夜叉の罠だと思ったぜ。俺は最初は九のこと疑ってたんだ、悪かったな」
「まったく気付かなかった……」
俺とベルゼーヌのやり取りを見て、怪しいところがないか確認していたのだろうか。
「だから、赤毛から不意打ちを受けて眠らされたあと、目を覚まして急いで制御室に駆けつけた時は驚いたぜ。九と夜叉が決闘してたからな。でも、夜叉の正体を掴むことができたし、結果オーライだったな。襲撃は失敗に終わっちまったが」
「九段は何者なんだ? 半人半牛の……死人とかなんとか言っていたが」
「それについては、俺たちのリーダーから話すよ。この先だ」
俺たちは大門の前で立ち止まる。お寺か何かだろうか、外囲いのある立派な門だ。
二人に続いて門を抜けると、見事としか言いようのない雅な庭園が広がっていた。池の周りを紅葉が赤々と彩っている。
庭園を横切り、お屋敷――純木造建築の豪奢な建物に到着した。玄関で靴を脱ぎ、人狼と同じ獣耳のついた女中に案内をされる。
渡り廊下を通りしばらく歩くと、ようやく目的地に到着したようだ。女中が襖を開く。
謁見の間だ。全部で三十畳はありそうな室内の奥半分が一段高くなっており、そこに座布団を敷いて高校生くらいの少女が座っていた。
「にぃ様、会いたかったよ……十年ぶりだね」
俺を見て、少女がそんなことを言った。
☆
「まあ、それはほんの洒落だが」
巫女装束を着た少女は、そう言って微笑した。頭上には狐のような耳が生えている。
「妾の名は、かぐやと申す。討伐隊のリーダーをやっている」
さすがの俺も冗談だということはわかった。うちの家系に狐の血は混じっていない。しかし、この人が人狼たちのリーダーか……たしかにどことなく気品というか、風格を感じられる。
「大まかな事情は狛蕾から聞いている。お主らも大変であったな」
彼女は睫毛を伏せる。
「九段について、知っていることを教えてもらえますか?」
うむ、と頷くと彼女は滔々と説明を始めた。
「お主らの世界には、『件の如し』という言い回しがあるだろう?
「人偏に牛と書いて件。文字通り半人半牛の化物、それが件だ。もっとも、新たな件は九段と名乗っているようだが……呼び方が変わっても本質は変わらんよ」
件――たしか、そんな名前をした妖怪がいるという話を聞いたことがある気がする。
「古くから、件は災厄や凶事の前触れとして現れ、予言をし、災厄が終わると死ぬ――と言い伝えられて来た。だが、実際には件自身が災厄を引き起こしているんだ」
災厄の凶兆として現れ、災厄を引き起こす存在――それが九段。
「なぜそんなことを?」
俺が聞くと、彼女はゆっくりとかぶりを振る。
九段の話しぶりからすると何か目的があるように感じられたが……組織は表向きは報酬を受けて並行世界へ傭兵を派遣し、その影で九段が世界を滅ぼしている。一見して矛盾する活動を行っているように思えるが……それとも、利益が目的なのだろうか。九段が世界を危機に陥れておいて、組織が救う。そう考えればつじつまが合わなくもないか?
「一説では、件は悪魔だという話もある」
そう彼女が告げると、神童――ベルゼーヌが口を開いた。
「かー! 儂を差し置いて悪魔を名乗るなどとは、片腹痛いわ!」
「ベルには感謝しているよ。件が別の世界から来たということがわかっても、妾たちには異世界へ移動する術がなかったから」
「ま、まあ、かぐや達には世話になっちょるしの。友を助けるのは当然のことじゃ」
ベルゼーヌが照れたように人狼の耳を引っ張る。
「かぐやさんたちの討伐隊は、いつから活動しているんですか?」
「いつかなあ、もう、二百年くらいになるかな。件に地球に住む獣人、人間を一人残らず殺されたのがそれくらい前になる。討伐隊の前身は、そのあとすぐに妾が結成したよ。もっとも、最初は未曽有の自然災害だと思っていたのだが」
二百年前……彼女は一体いくつなのだろうか。いや、それよりも今、地球に住む獣人、人間を一人残らず殺されたと聞こえたが、聞き間違いだろうか。
続く彼女の言葉に、俺は耳を疑った。
「生き残ったのは、月に住んでいた妾達だけだった」
★
嵐の大洋から一歩外へ出ると、そこは紛れもない宇宙空間だった。
嵐の大洋というのは、月の海の中で最も広い海で、月の西側に位置しているらしい。かぐやさんの屋敷を初めとして、月に住む人々は全員この嵐の大洋の中で生活しているとの話だ。
ちなみに、海といっても月に水があるわけではない。クレーターをマグマと化した玄武岩が覆い、固まって平原となった場所のことをそう呼ぶのだそうだ。
俺は人狼のあとに続き、月面を歩く。
荒涼とした月の地面が見通す限りに広がり、周囲は漆黒の闇に包まれている。星の光を遮る大気が存在しないため、澄み切った空には星々が美しく瞬いている。そして前方を少し見上げると、そこには地球があった。
ちょうど太陽が俺たちの背後に昇っており、地球はその地表全体に太陽の光を浴びている。満月ならぬ、満地球だ。
二百年前に件によって壊滅的な打撃を受けたにもかかわらず、地球は相変わらず青々としていて美しかった。相変わらずというか、肉眼で見るのはもちろん初めてなのだが。
しかし、オーストラリア大陸が右半分ほど消滅しており、俺の知っている形とは変わっていた。また、日本も件に消滅させられてしまったのか、それともたまたま雲に隠れてしまっているのかわからないが、確認することはできなかった。
今度、ケイトと二人で見に来よう。思わずため息をつくと、目の前のガラスの表面が白く曇った。
宇宙空間はもちろん真空状態のため、嵐の大洋から外に出る場合は宇宙服を着用しなければならない。
「俺は小さい頃、こっそりと大洋を抜け出して地球を眺めていたんだ。本当は危険だから子どもだけで大洋を出てはいけなかったんだけど、俺は毎日のように地球を見てた」
地面に腰を下ろして地球を眺めていると、人狼が淡々とした口調で語り始めた。
「俺は月で生まれて、その頃にはとっくに地球は生物の住めない環境になっていたから、地球に行ったことがなかったんだ。
「こんなちっぽけで味気ない星なんか抜け出して、あの美しい地球に行ってみたいとずっと思ってた。件のことは学校で習って知っていたから、俺をこんな場所に縛り付けた件のことは許せなかったぜ」
「まあ、べルゼのおかげで地球に行く夢は叶ったんだけどな。でもそれが、俺が討伐隊に志願した理由だ」
人狼が組織と闘う理由。ベルゼーヌは、悪魔を名乗る件が許せないとか言っていたな。俺は……いつの間にか巻き込まれてしまった感じだけど、他人ごとではない。別世界の自分が世界を滅ぼしているなんて、夢見が悪いにもほどがある。
かぐやさんから九段の話を聞いた後、俺は討伐隊への協力を申し出た。かぐやさんは二つ返事でオーケーし、迎え入れてくれた。討伐隊としても別の世界で戦える戦力は大歓迎のようだった。
かぐやさんを初めとして、この世界の獣人たちは不思議な力を持っているようだ。月に植物を生やし大気を生み出して、生物の住める環境にしたのは他ならぬかぐやさんだと言うのだから驚きだ。
「植物が植物として、世界が世界として形を保つためには、氣が必要なんだ。自然エネルギーとでも呼ぶかな。森羅万象には元々その自然エネルギーが備わっている。
「妾はその自然エネルギーの助けを借りる術を心得ている。人間はこの力を仙術と呼んでいたな」
狐の耳をぱたぱたと動かし、ゆうに千歳は超えるという少女が言った。
「修行をすれば俺でもその仙術を使えるようになりますか?」
「ふむ……この力は資質に依るところが大きいからね、人間には難しいかもしれない。現にべルもこの力は習得できなかった。
「とはいえ、最低限、万物に宿る自然エネルギーの存在を感知できるようになれば、いわゆる第六感が鋭くなるから戦闘においても有利にはなるだろうね。自分の中のエネルギーを操作できるようになれば肉体を強化することもできる」
「俺に稽古をつけてください、かぐやさん」
俺が頭を下げると、彼女は微笑んだ。
「よかろう。しかし、妾の特訓は厳しいぞ」