【Omen Of Ruin】
俺たちは気絶した赤毛と火種をその場に残し、破壊された橋を飛び越えて制御盤に向かって進んだ。
人狼と神童の安否は気がかりだったが、あっさりとやられるチームではないだろうし、殺されかけておいて何だが、赤毛もそこまで非道ではないはずだ。
博士の案内に従い通路を進むと、俺たちは羅紗と遭遇した。
遭遇したのだが――しかし、彼女は通路にちょこんと三角座りをして、熟睡しているようだった。
おそらく俺たちを待っているうちに眠ってしまったのだろう、目を閉じてすーすーと寝息を立てている。双子だけあって、寝ている姿はケイトとそっくりだ。
そのままスルーして先に進みたいところだったが、そのためには彼女をまたぐようにして通過しなければならず、気づかれずに行けるかどうかは微妙なところだった。
実際、可能な限り音を立てないようにそっとまたいだのだが、気配を感じたのか、彼女は三人目の博士が通過した直後に目を覚ました。惜しい。
はっ――と短く息を吸い込んで目を開けると、彼女は慌てて立ち上がった。
「お、おしょかったにゃあ」
羅紗は涎を拭い、改めて、遅かったにゃあ――と無表情で言い放った。
とはいえしかし、俺たちと彼女の関係はそれくらいのことでチャラにできるものではなく、彼女の猫化はスルーされることとなった。
「待ちくたびれたよ……その腕はどうしたの?」
羅紗がケイトの右腕を見て言った。
先ほどの爆発で俺を助けた時に怪我を負ってしまい、包帯代わりにした布に血が滲んでいる。
「赤毛チームから不意打ちを受けただけよ。……あなたの差し金?」
「……僕じゃないよ」
羅紗にはそこまでの組織における影響力はない、というのが先ほど聞いたケイトの意見だった。
それに、赤毛は首領からの司令と言っていた。首領の姿は誰も見たことがなく正体不明らしいが、理由は不明だがそいつが俺を殺そうとしている。
しかし、羅紗の反応を見る限り、彼女に命令は届いていないようだ。
なるほどね、と羅紗は呟いた。
「足止めをするつもりだったけど、白けちゃったよ……それに、もう十分時間は経ってるし。僕は先に帰るとするよ」
そう言い残し、彼女はあっさりと姿を消した。こちらは身構えていただけに拍子抜けした気分だ。象牙刀の準備までしていたのに。
しかし、まだ夜叉の姿は見ていない。
「急ごう、制御室はもうすぐだ」
俺とケイトは博士に続いて通路を進む。足止めをするつもりだったということは、その間に夜叉が制御盤を確認する意図だったと予想される。
しばらく進むと、メインシステムの制御室へ到着した。
懸念どおり室内には夜叉の姿があった。すでに作業は終えているようだ。
「残念ながら一足遅かったですね。僭越ながら私がシステムのエラーを修復させていただきました」
能面の男は博士に向かって首を傾ける。
「これはこれは、五百竹博士。忠告は聞き入れていただけなかったようですね」
「君は何者だ? 素人にいじれるほど単純なシステムではないはずだが……ましてや、別の世界から来たとなれば尚更だ」
夜叉は不気味に沈黙する。
これでも組織の精鋭部隊に身を置かせていただいてましてね――と答えると、俺たちの横を素通りし、制御室の出口へ向かう。
「おい」
考えるよりも早く身体が動いていた。俺にだけわかる直感のようなものが働いたのかもしれない。
「全く、君は本当に危険分子だな」
象牙刀で真っ二つに割られた能面の下で、男がくちびるを歪ませた。
☆
「抜かりなく全ての並行世界で処理したはずなのに、一体どこから湧いてきたんだか」
正体を暴かれた男は勿体ぶった言葉遣いを止め、しかし今まで以上に癇に障る話し方で告げた。人を見下している。
「ケイトが俺を探し出してくれたのさ。世界の果てからね」
「まあ、それについては素直にケイトをよく頑張ったと褒めるべきかな」
ケイトを呼び捨てにされ、神経がざわついた。こんなに不快に感じるものとは思わなかった。
「気安く私の名前を呼ばないで」
彼女も同じ気持ちのようだ。隣で俺の手を握る。
「酷い言い草だな。俺を求めて並行世界を駆けずり回ったんだろ?」
嫌悪感が身体中を走った。ケイトはバシッ――と小気味いい音を立て、男に平手打ちを食らわせる。
男が再度顔を歪ませた。俺と寸分違わぬ、瓜二つの顔を。
ケイトが俺を本気でひっぱたく光景など見たくはなかったが、しかし、こいつは断じて俺じゃない。たとえほかの世界の九一郎だとしても。
「あなたは九じゃないわ」
「ははは、まあでも、その言葉は正しいよ。俺は九一郎ではない。その名前は捨てたからね」
「では、君は誰なんだ?」
博士は予想が付いていたのだろうか。今この中で一番冷静な様子だ。
「俺は組織の首領――九段だ。死人であって半人半牛の怪物であり、破滅への階段だ」
首領――そして、死人?
わけがわからないが、こいつがほかの世界の九一朗を皆殺しにした。そして今も俺の命を狙っている。おそらく羅紗を蘇らせ、並行世界を滅ぼしているのもこいつの仕業だろう。
「君はこの世界の九君だな? いや、かつてそうだったと言っておくか。メインシステムを暴走させたのは君の作った兵器だろう?」
「そうですよ、五百竹博士。かつてお世話になった手前殺したくはなかったんですが、情けが俺の首を絞めましたね……しかし、やはり読めなかったのは危険分子の君の行動だ。なぜわかった?」
いつの間にか、九段の後ろに羅紗の姿があった。彼女は九段に刃渡りが異様に長い日本刀を手渡す。象牙刀の2倍近くはあるだろう。
九段は抜刀し、切っ先を俺に向ける。
「できれば故郷は滅ぼしたくなかったが、こうなった以上そうも言ってられない。君達ごとこの世界は消えてもらうよ。だが、君は俺が直接殺す」
俺は象牙刀を構える。
――どうする? まともにやったって素人の俺に勝ち目はない。ケイトの能力は羅紗に相殺されてしまうから助けは期待できない。第一、奴の九器が刀だけとはとても思えない。あの喪服だって防具の可能性が高いだろう。
咄嗟に、九段の横薙ぎを象牙刀で受ける。
危ない――ぼやぼやしてたらあっという間に首を刎ねられて終わりだ。とにかく時間を稼ぐしかない。
一回、二回、甲高い金属音を鳴らし、俺は後退しながら間一髪で九段の斬撃を防ぐ。
限界だ――
「うおおぉぉ!」
俺は全力で刀を右へ弾き、九段の懐に飛び込んだ。相手は刃渡りが長い分、密着したら攻撃しにくいはずだ。
しかし、そんな俺の浅知恵を嘲笑い、九段は刀を引いた。刀身が瞬時に四分の一程の長さに縮む。長さを調節できるのか。
脳天を串刺しにされる――と思った瞬間。
銃声が響いた。
俺は咄嗟に後ろへ飛び、九段と距離を取る。
どうやら、誰かが九段に発砲したようだ。危機一髪命拾いした。
だが、九段は平然としている。弾丸を防いだのか、それともやはり喪服が防具としての機能を持っているのか。
「無駄ですよ、博士――」
突然、閃光が視界を覆った。
★
「べルゼ、オーケーだ!」
「よっしゃ! 一瞬で地獄に送っちゃるわー!」
と、聞き覚えのある声が響いた。
続いて、地響きのような轟音と共に周囲が激しく揺れた。俺は壁に片手を突き、体を支える。立っていられないほどの揺れだ。
閃光で目が眩んで何が起きているかは理解できないが、先ほどの声は人狼と神童のものだ。
「一体なに――?」
ケイトの声に続き、今度は落雷のような爆音が轟いた。建物が崩れ落ちるけたたましい音。
一呼吸置き、ぴたりと轟音と揺れが収まった。
「ちっ、逃げられた」
「逃げ足の速い奴らじゃのう……くあー! 失敗か! 惜しかったわい」
二人の悔しがる声が聞こえる。どうやら九段と羅紗はこの場から去ったようだ。
俺はふらつきながら立ち上がる。まだ視界は回復していない。
「人狼と神童か? 一体どうなって――」
ガツン、と頭に衝撃を受けた。
「その名前で呼ぶなといっちょろうが」
神童から拳骨を食らったようだ……くそ餓鬼が。俺は手を伸ばしてとりあえず何かに掴まる。
まあしかし、今回は彼らに命を救ってもらったことになる。それに二人共無事でなによりといったところだ。
「こらこら、胸を揉むな胸を」
数秒後、ようやく視界が回復した。こんなに目が眩んだのは人生で初めてだ。爆音のせいでまだ耳鳴りがする。
しかし、そんな驚きは直後に雲散霧消した。
目の前に妖艶な――悪魔的美しさを持った麗人が立っていた。見蕩れるなと言われたら誰もが無理だと即答するほどの美貌だった。
「あまりじろじろ見るな、みっともないのはわかっとるわい」
などと麗人――神童が言った。もっとも、今は童の姿はしていない。
みっともないとはどういう意味だろうか。みっともない所など――エレガントでない所など一つもないが。
「こんなあちこち出っ張った軟弱な体など、悪魔の恥晒しじゃわい……」
そう言って彼女は元の子どもの姿に戻った。もしかしたら、神童は本当に悪魔なのかもしれない。というか今の姿を見たらそうとしか思えない。
周囲を見回すと、室内は散々たる状況だった。制御盤を含む機械や器具は粉々に破壊され、倒れ放題の散らかり放題で、壁も一部崩れている。神童、ケイト、博士、人狼は無事のようだ。もちろん九段と羅紗の姿はない。
「……とりあえず、助かったか」
あとでケイトに引っぱたかれることになりそうだ。