【Welcome To The Parallel World】
「あれ、無反応!?」
俺が反応できずにいると、女の子が反射板の上であたふたと慌て始めた。
「……あ、説明が足りないか。つい端折っちゃった」
よくないねー、と彼女は腰に両手を当て一人で納得したように頷く。
「私は怪しい者ではない。君に会うためにこの世界とは別の並行世界から来たんだ。危機に陥った世界を救うために、君の力を貸して欲しい」
そう力強く言って、彼女は俺に手を差し出した。
沈黙。
「あれ!? ダメですか!?」
相変わらず俺に反応がないところを見て、君に協力してもらえないと困るんだけど、と彼女は狼狽する。
彼女はさっきから反射板の上で挙動不審なくらい身振り手振りをしているが、まったくバランスを崩さない。すごい平衡感覚だ。
「じゃ、じゃあ、世界を救ってくれたらデートしてあげるから、それならどう?」
これなら文句ないだろう。とでも言いたげな顔で、彼女はにっこりと微笑んだ。
デートに釣られたわけではないが、俺は気を取り直して上体を起こした。
「悪いけど、ほかを当たってよ。世界を救う前に俺は自分の生活をなんとかしないと」
宗教の勧誘か新手の悪質商法だろう。可愛くて面白い人だけど、今はそんなのを相手にする気にはならない。
彼女はいよいよ腕を組み、眉間を寄せる。
「おかしいなぁ、君、九一郎だよね?」
「そうだけど……」
そこで、俺はある異変に気づいた。
彼女の頭上で点灯している信号機が、さっきからずっと青のままだ。
それに、そろそろ空が白み始めてもいい頃なのに、張り付いたような群青色をしている。
俺は慌てて左手の腕時計を見る。
四時二十七分。
そんな馬鹿な。
「ふふ、私が時を止めた」
彼女は動揺する俺の様子を見て、にやりと笑った。
「私は世界を支配する能力を持っているのだよ。ぬははひゃは」
いい加減使い回されているが、まさか自分が止まった時の世界に入門することになるとは思わなかった。
「さらに私は、別の並行世界に自由自在に移動することができる」
「かくもたやすく行われるえげつない行為!」
吸血鬼で大統領とか、無双すぎる。
どうやら彼女が時間を止めたというのは本当のようだ。そうすると、彼女が別の並行世界から来たというのも本当だろうか。
だが、そんな荒唐無稽な話、すんなりと受け入れることはできない。
「ってことで、実際に世界を救ってみたほうが話が早いかな」
彼女はそう言って、まだ事態を飲み込めずにいる俺の手を握る。
次の瞬間。視界がホワイトアウトして、目が眩むような色とりどりの色彩の渦が俺を飲み込んだ。
「ようこそ、あと一時間で滅亡する世界へ」
俺の頭の中で、激しく赤信号が点滅していた。
☆
瞼を開くと、俺は断崖絶壁に立っていた。
これは地理的な意味だ。つまり、標高差数千メートルはあるかという切り立った崖の上に、俺はぽつんと立ち尽くしていた。
見たことのある風景だ。もしかしてここは、アメリカ合衆国アリゾナ州北部にあるというグランド・キャニオン国立公園ではないだろうか。
「……夢か?」
俺はつい今の今まで、日本国は東京のとある中央分離帯にしゃがんで変わった女の子を見上げていたはずだ。
それに、夜明け前だった時刻も一瞬にして半日近くが経過している。昼間だ。
夢ならここから飛び降りても大丈夫のはずだ。俺は眼下に広がる赤い大地を見下ろす。
しかし、飛び降りるのを思いとどまるほど――それは、美しい風景だった。まさに風光明媚というやつだ。
「うーーん! グランド・キャニオン! ずっと来たかったんだよね!」
ケイトは俺の横でとびきりの笑顔を見せる。
「まあ、たしかに」
圧倒的な景色だ。
ここまできたらもう、彼女の言うことを信じるしかない。
彼女は別の世界から来て、ここは並行世界なんだ。
「1時間後、ここに巨大隕石が落下するんだ」
隕石衝突。それによって、あと1時間でこの世界は滅亡する。
見上げると、上空には凶悪な岩石が大地を押し潰さんとばかりに空を覆っていた。
「オーケー、あれを俺が防げばいいんだな。はははは、ってできるか!」
あまりのことにノリツッコミなんかしてしまった。
「君にしかできないことだ」
彼女は真面目な顔でそう言った。
「どうすればいいんだ? 俺にはあんたみたいな不思議な力はない」
「なーに、九にかかればちょろいもんよ」
そう言って、彼女はウインクをする。
「隕石が落ちるまであと少しあるから、せっかくだから観光しようか。あっちにウォッチタワーっていう塔があるよ、行ってみよう!」
あと少しで世界が滅びようっていうのに、彼女は暢気だ。
彼女に続いて10分ほど歩くと、舗装された道へ出た。驚くほど観光客が多い。
世界が終末を迎え、ここにいる人たちは開き直って旅行しているんだろう。もしかしたら借金をしてパーッと使ってる人もいるかもしれない。ごめん、これから俺が世界を救う予定なんだ。
ウォッチタワーは石造りで、中には壁画が描かれていた。螺旋状の階段が上へと続いている。
最上階からの眺めは最高だった。デザートビューというだけあって、グランド・キャニオンの渓谷と断崖の向こうに砂漠が地平の果てまで続いている。渓谷の断層面は茶褐色の縞模様になっていて綺麗な濃淡を作り出している。空を見上げると、クレーターの跡がはっきりと見えるほど接近した巨大隕石。
まさに世界の終わりって感じだ。
視線を感じて横を見ると、ケイトが壁に寄りかかって俺をじっと見ていた。
「九、落ちないようにね。毎年グランド・キャニオンから落ちる人が何人かいるみたいだから」
「自分から飛び降りる人が出る前に、世界を救っとこうぜ」
さすがにこの状況では純粋に観光を楽しめない。
人気のない場所に移動すると、ケイトが何もない空間からバズーカ砲のようなものを取り出した。
「さ、これで隕石を破壊すればオッケー!」
随分とあっさりした説明だ。彼女はさっきから何故かしんみりとた雰囲気をしている。
「急に元気なくなったけど、どうかしたのか?」
俺はバズーカ砲を受け取る。
「んーん、ただ、ここに一緒に来たかった人がいたから」
「また来ればいいじゃないか」
一瞬で移動できるんだから。もはや何でもありだ。
「その人は死んじゃったからね。君はその代わりってわけ」
「ふーん……」
気になる話だけど、深く聞いていいものかどうか。とりあえずこのバズーカ砲は撃つとしても、彼女とあまり深く関わるのはためらわれる。
「隕石に向けて引き金を引けばいいのか?」
「そう、外さないようにね」
的があれだけデカかったら外しようがないと思うが、慎重に狙いを合わせる。
引き金を引くと、ズドン、という衝撃と共に黒い塊が発射された。隕石に向かって一直線に天へ昇っていく。
てっきりビームみたいなものが発射されると思ったのだが、期待が外れてしまった。
だが、狙いは外れていなかったらしく、数秒後まばゆい閃光が空一面を覆った。あまりの眩しさに目を閉じる。
「お疲れ様。これで任務完了だよ」
ケイトの声を聞いて瞼を上げると、巨大隕石は跡形もなく消滅していた。
「すごいな……でも、別に俺じゃなくてもよかったんじゃないか?」
「この武器は九にしか使えないんだよ。色々と事情があってね」
俺はケイトにバズーカ砲を渡す。
「それじゃ、帰ろっか」
そう言って彼女は俺に手を差し出した。
手を握ると、先ほどと同様に視界がホワイトアウトして、目が眩むような色彩の渦に飲み込まれる。
再度目を開くと、そこは元の中央分離帯の上だった。周囲は既に明るくなっており、片側2車線の道路には自動車がせわしなく行き交っている。
ちゅっ――と、突然ケイトから頬にキスをされた。
「今日はありがと、九。またね!」
そう言って彼女は中央分離帯にオートバイを出現させ、それにまたがった。たしか、ローマの休日でオードリー・ヘップバーンが乗ったことで有名なバイクだ。
自動車の流れに合流し、彼女を乗せたオートバイは125ccとは思えない速さで走り去って行った。
俺は彼女を見送りながら、頬をさする。
「またね――か」
彼女とはまた会うことになるのだろうか。