出会いは唐突に
シンデレラや白雪姫、人魚姫に憧れるのは幼い女の子には不可避の通過儀礼だ。しかし、幼かった女の子もやがて少女になり一人前の女になる。淑女であったり、娼婦であったり、最終地点はまったく異なる地点だとしても。
そして、気づくのだ。幸せは待っているだけでは手に入れることはできないということに。
シンデレラは手始めに愛する両親を失くす。
母を死によって亡くし、さらに、愛欲に溺れる嫌悪すべき存在と教えられていた醜い男への変貌を間近で目撃することで父を失う。
そして、数年間、継母と義姉たちの奴隷となってやっと王子様を手に入れる。白雪姫もしかり。彼女はシンデレラと同じ境遇を味わい、さらに一度死ぬことによって王子を手に入れる。人魚姫なんて、家族も、今までの地位も、自分の命を捨てても王子は手に入れられなかった。しかし、お伽話は「そうして王子様といつまでも幸せに暮らしました」と締めくくられる。
だが、それはあり得ない。あり得ないていうことが、あり得ないというくらいにあり得ない。それほどまでに奇妙な締めくくりだ。いつまでも幸せに暮らせる人間など、はたしてどれくらいいるのだろうか。
たとえ、周囲の少女たちが憧れていたとしても、少なくとも私にとって、そのような受け身の人生を選択することはしない。要するに彼女たちは、持っているものをすべて奪われ、捧げ、その代償として、やっと幸福を得るのだ。そのような幸せは果たして幸せと言えるのだろうか。そして、その幸福さえもいつ失われるかわからない脆いものにすぎないのである。
王子に見初められる彼女たちは、薄皮一枚の美貌で王子の寵愛を得られたのだ。信頼関係など無に等しく、王子の寵愛が続くとも思えない。ただでさえ、ヒロインは王子を薄皮一枚の美しさとほんの少しの交流で見せたその心根の美しさだけで手に入れているのだ。
人の心は移ろいやすい。このあとに、いくらでも第二、第三のヒロインが登場するだろう。そして、その座を明け渡さなければならない状況がすぐにやってくるだろう。それに、いつまでヒロインはその美しさを保っていられる?その美しさなしに彼女たちは王子を繋ぎ止められるのだろうか。答えは、否、だ。
彼女たちに待ち受けるの現実は、幸福を自らの手で手に入れなかったゆえの代償として、他者に依存し、固唾を飲んで見守るしかないのだ。すなわち、自分の手腕によって未来を切り開けないという哀れな人間を意味する。
幸い、わたしはお伽話の彼女たちと違ってスタート地点は男爵の一人娘。母は子供を一人産んだきり、新たに子どもを産むことはなかった。血統を絶やさないため、その実、祖父が親戚嫌いのため、いずれは夫を迎えるまでは女男爵になることが約束されている。だから、夫を得るまでに他の男爵として遜色がないように、最高ではないが、女児にとっての最高の教育を受けた。正直に言えば、美しく着飾り柔和に微笑む村の娘たちを見て何も心に抱かないわけではない。だが、それがいったい何だと言うのだろうか。私には私の役目がある。隣の芝生が青く見えるのは当然だ。羨んでいるだけでは、何も得られるだけではない。だから、私は勉学や体術の獲得に邁進する。それが、私にとってのもっとも安全な見返りになるからだ。
もしかしたら、父には他の思惑があるのかもしれない。祖父の意を汲まないというもっとも手酷い家族への裏切りを考えている可能性が高い。
そもそも、私たちは家族ではない。利害関係によって生まれた書類の上だけの家族だ。私を産み、さっさと王都の別荘に住み込んでしまった母は、祖父の葬式に一度帰ったきり、この地へ戻ったことはない。これ幸いと、入り婿であった父は祖父の死によって解放され、母の監視の目もなく、どこからか優しげな女性と私よりも少し年上の男を招き入れた。この母子は家族で、父親はいない。決定的なことは何もないが、優しげな女性は、労働力不足とも思えない父の侍女になり、父によく似た息子は侍従扱いで、よい教育を受けている。これを疑わずして何というのだろうか。彼らは間違いなく家族だろう。契約によって結ばれただけの紛い物ではなく愛情によって裏打ちされた本物の。
しかし、祖父が生前自分の血を引いた跡継ぎを残すために、私は祖父に大切に育て上げられた。肉親からの愛に飢えていた私にとっては、もっとも信頼する相手が祖父だった。祖父が望むならばと、年頃の子が嗜む遊びは全て犠牲にして、彼の望み通りの跡継ぎの像になることに努めた。そうして、一人の可愛げのない女ができた。
後悔はしていないというと嘘になるかもしれないが、今の状況に感謝すれども、忌々しく思う気持ちはは世の女性が置かれている立場を考えれば少しも湧かないと言える。
「アン、街に出る準備を」
ロードは思索を一旦止め言った。
「またお忍びで城下にいかれるのですか」
アンは溜息をつきながらも質素な服を用意した。
「そうだ。私には息抜きが必要だからね。では夕刻までには帰る」
ロードは手慣れた様子で服を着替えた。
しかし 、その高貴な生まれは隠せない。侍女によって着替えを手伝われ、自分の世話を一つも行わないことが貴族の婦女の常であるだろうに、ロードは自ら簡素な洋服に身を包み 、庶民に身を呈することができる。だが、長年をかけて身につけた癖は変えられるはずもなく、少しの所作のなかにでも、上品な仕草が滲み出ている。どこからどう見ても庶民には見えないというのに、本人は気にする様子もない。
アンはそれでも気にする様子がないロードの様子に一つため息をついた。そして、彼女の奇行を咎めずに送り出した。
いつものようにロードは城から抜け出し、街を歩いてた。路地裏から品のない酔っ払いの声と幼い少年の声が聞こえた。いつもなら無視をするところであるが、何の気にもなしに足が止まった。いつも時間を適当に潰すだけであるし、今日のストレス発散はこの男たちを成敗することにロードは決めた。
「やっと見つけた。私だけの姫」
ロードは薄汚れた子供の前で周囲を柄の悪い男たちに囲まれながらも頓着せずに言った。
「十分に見目麗しく、気品をうかがわせる容貌。それに加え、どう考えても勝てない相手に向かって行く負けん気の強さ。ここで臆病風を吹かせるのであれば私の眼鏡にかなわなかったのだがね。私には戦略的撤退と区別かなんてつからないから、立ち向かう小僧を好ましく思うな。私向けの最善の選択だよ。よかったな、小僧。ということで、その捨てられた命を私が買おう」
ロードは金貨を懐に入っている布袋から金貨を5枚を出して男たちにちらつかせた。子供一人の相場が銀貨5枚とすればその10倍の価値の硬貨に男達は喜んだ。しかし、その喜びの理由はこの小綺麗な世間知らずの男から大人しく金貨をもらうのではなく、身ぐるみを剥がすことで得られる利益の大きさの計算が男たちの中で働いているからだった。
ロードもそれを十分承知していた。案の定ロードの予想通り、男たちはすぐにでも飛びかかってきそうな体勢となった。
「金貨5枚と命、全てをなくすことに躊躇しないのならば、かかっておいで」
内心、喜んでいるにもかかわらず、裕福で余ったれている馬鹿な子どもの慢心を装って相手を挑発する。
その言葉に、下品びた笑いを口元に貼り付けた人攫いはロードに襲いかかった。
そして、ロードは躊躇いもなく、剣を抜いた。その上た躊躇数ことなく、一人の男の腕を切りつけた。男の腕から大量の血が流れ、ロードが剣を軽く振るうことによって血が舞った。
その様子に酔っ払いたちの目が覚めた。自分たちがいくら子供に追いはぎをしていても、刃物も持っていないようなにためらいもなく剣を抜く非情さに恐怖を感じ、慌てて、身一つを守るために蜘蛛の子を散らすように散り散りになっていった。小悪党であるがゆえに、仲間を見捨てれば、自分が助かる状況を察知できたがゆえの素早い行動だった。
跡には薄暗い路地裏に腕から血を流す男と薄汚れた少年、そしてロードだけが残った。
「痛てぇ。畜生、最悪だ」
そして、男の悪態だけが路地裏に流れた。
「止血と痛み止めの塗り薬だ。塗れ」
ロードは男に小さな金属の容れ物を投げた。確かに、中には痛み止めと血止めの軟膏が入っていた。しかし、それは試験段階のもので副作用がまだ未知数といういわくつきのものであったがロードはそのことについては言及しない。
そのことを知る由もない男は一も二もなくその容れ物に飛び付き、腕に塗った。
次にロードは、少年の衣服を踏みつけ、逃げられないようにした。さきほどの男たちと同様に手荒な扱いであり、少年は先ほど悪漢たちに対する気丈な態度から一変、及び腰になりロードに怯えていた。それもそのはずだろう。悪漢たちは日々の鬱憤を自分よりも弱いものを攻撃することで、その捌け口を作ろうとしているだけだ。そこには子どもを修復不可能なまでに叩きのめしてやろうといった意図はない。だが、ロードは情け容赦なく労働者にとって大切な資本である体を斬った。彼に待ち受け得るのは暗い未来だろうと思うしかない。
悪漢が薬を塗り終えた様子を見計らってロードは男に剣を再び向けた。
「因みに、その塗り薬には毒も入っているんだ。その毒を中和する薬を塗らなければ、お前の腕は使い物にならなくなるよ。ついでにその薬には、中毒性もある」
嘘八百であるが、動物実験の段階では、従来の薬よりも結果はいいが、途中過程において非常に傷が膿んだようになり見た目がひどくなるという結果が出ている。だが、ロードはそのことについては言わない。人間に試すのは初めての試みであるので、それより悪くなる可能性もあるのだから、脅しておいて損はない。
「何が言いてぇ。よこせよ、その薬」
「当面の間、私に従ってくれないか。もちろん、給金もやる。悪い話ではないだろう」
ロードは男の首元に剣を添えた。その行為は、肯定しか受け取らない問であった。
「何をしたらいい」
それを分かったのか、いち早く男は条件を聞いた。
「話が早くて助かる。この少年を育てたいから、育ててくれないか」
ロードは満足げに鷹揚に頷くが、剣を退けるそぶりは一切しない。
「分かったから、剣をどけろよ。話が早いも何もないだろう。人の命を握っといて、選択できねぇようにしといて」
男はぶつくさと文句を小声で言った。
ロードは剣を終い、子どもに向き直り、少年の目線に合わせるためにしゃがんだ。
「というわけで、私の姫になってくれるかね」
「悪いけど、俺は女じゃねぇ。他を当たれ」
少年は男たちに殴られ、弱っていたが、はっきりと言った。
「悪いけど、私は性別としては男を探しているから、お前で正解だ。あいにく私は女であるのでね。同性よりも異性を育てたいんだ」
その言葉に男と少年は驚いた。先ほどから、小悪党も真っ青な、えげつない方法で自分のしたいようにしている人間が女とは信じれなかったと顔にありありと描いていた。
「まぁ、その反応には慣れているがな。この通りの人間性なので逆らわない方が 得策だよ」
ロードはその反応に薄く笑い、後の取り決めを一方的に行った。