81話 人の死が悲しいのは当たり前、というが現実においてはそうとも限らないことがむしろ悲しい
私の名前は天橋 仁。 フルネームで呼ばれた事はここ数年殆どなく、専らジンと呼ばれている。
かつては新天寺社の前身となる組織で脳、より正確に言えば通常は見られない特異な反応を示す脳の持ち主を調べ、その特異性の応用を考える施設に勤めていた。
その組織が一度解散した後、膨大なデータと研究成果を整理して正体不明の新興企業“新天寺社”として再編される際に幸か不幸か声をかけられ、今に至る。 新天寺社の名を掲げたその組織は研究よりも応用の部分に特化した組織であり、かつてはあまり見かけなかったマネジメントに特化した人物や工学系の技術者も多く集められていた。
以前は中核とも言える存在であった特殊能力の研究という分野はもはや片隅に追いやられており、私と同じく招集されたものの中にはそれを不満に思う者もいたようだが、私自身は特に何を思うこともなかった。
私は、給与にも地位にも名誉にも、何の魅力も感じなかった。
元より原因不明の昏睡状態にあった娘を助けるためだけに全くの専門外の分野に手を伸ばし、気がつけば堕ちるところまで堕ちていただけに過ぎないのだから。
「と言う訳で、私に力を貸して欲しいのよ」
「断る、と言ったら?」
「もちろん、断られないように交渉材料は用意しているわ」
「……ほう」
喫茶店のテーブルを挟んで向かい合った女が意味ありげに笑う。
実体の掴めない新天寺社の中核を成すと目される西条姓の一族のひとりだ。 もっとも、本当に西条一族が新天寺社の中心にいるのかは定かではないのだが、彼女達の殆どが特異な才能を持ち、半数近くが確かな影響力を有しているのは間違いない。
そしてこの女、西条 七もまた新天寺社の裏側において絶大な力を持ち、同時に“人心掌握”と呼ばれる超能力を有している。
命名者の五曰く、持ち主は女性なのにインキュバスな辺りがミソらしいが、ヤツの感性は私にはさっぱり理解出来ない。
私の知る限りでは五のそれと並んで、使い勝手が良く、凶悪極まりない能力と言って差し支えないだろう。
「あなたの娘さんに関する記録、というのはどうかしら?」
「……一考の余地はあるな。 ただし、記録の確認が先だ」
「それじゃあ、約束を反故にされた時に困るじゃない」
「面白い冗談だな」
彼女の能力は記憶の改竄。 しかも五同様にニューロンを介することで、特殊な装置を利用することで遠隔地にいる対象の記憶をも操作してしまう。
つまり、視力の兼ね合いでほぼ常時強力な電波を照射可能なメガネを装着している八をいつでも廃人に出来る、ということでもある。
もちろん、それを許せるはずがない以上、私は彼女の指示・命令には従わざるを得ない。 それでも一応の報酬を提示しようとするのは彼女なりの誠意なのか、それとも余裕の表れなのか。
「そんな怖い顔で睨まないでよ、おっかない」
「それで、娘に関する記録というのは?」
「ほい、コレ」
言い終えるが早いか、西条 七は手元に置いてあったアーリーを操作する。
数秒後に、私のアーリーの画面にメール受信の文字が表示された。 ファイルの添付されたもので、ゴーグル・メガネ使用での閲覧も有効らしい。
はやる気持ちを抑えて、携帯しているメガネをかけてファイルを開く。
【氏名】 天橋 立
【生年月日】 1983年6月19日
他にもつらつらと節操無く彼女の個人情報が列記されている。
血液型。 家族構成、両親の出自――そこには当然ながら私の名もあった。
学歴、病歴、入所日、入所理由……原因不明の昏睡。 超能力の反動の可能性有。
いまだに忘れられないようなものから、父親の私でも知りもしなかったものまで、よくもまあこれだけの情報を集めたものだと感心させられる。
更にページをめくる。
娘の超能力に関する詳細なデータ。 彼女の才能が花開いたのは小学2年生の頃、学校の帰りに友達と公園で遊んでいる所を不審者に声をかけられ、無理矢理連れ去られそうになったのがきっかけらしい。
そう言えばそんな事件もあった。 私の遺伝子の影響なのか、年齢のわりに大柄だった彼女が友人をかばい、その隙に走って逃げた友人が大人を連れて戻って来ると、犯人は原因不明の発作によって倒れていた……というのがこの事件の顛末だ。
警察は「襲われているのにこう言うのも何だが、運が良かったとしか」と結論付けていたが、新天寺社はこんなローカル紙にも載らないような出来事まで調べ上げたて、娘の才能について検討していたらしい。
娘の担当者(彼に関するデータは伏せられていた)によると、彼女の能力は自分の周囲数メートル、特に自分と向かい合っている相手の迷走神経に干渉する能力らしい。 迷走神経は副交感神経とも呼ばれる神経であり、交感神経と併せて血管の拡縮を調整し、正常な血流を保つ機能を有する。 それによって強制的に血管の拡張を促し、急激な血圧・心拍数に低下による酸素不足、ひいては気絶させてしまうのだそうだ。 この能力は感情が昂った時に半ば自動的に発揮されるもので、訓練次第では自在に使えるようになるかも知れない――いや、知れなかったらしい。
過去形なのは彼女が既に帰らぬ人となっていたからだ。
【享年】1998年12月24日
ARの文字列が無情に残酷な事実を突きつける。
もっとも、既に予想は出来ていた事だ。 悲しくないと言えば嘘になるが、不思議と胸中は穏やかなままだった。
むしろ、もしかしたらというバカげた夢想をきっぱり否定された事で、重荷が下りたような、そんな解放感さえも覚えていた。
「意外と冷静なのね。 その子のためにまともな人生を全て投げ捨てたっていうのに」
「ああ、私が新天寺社に協力するようになったてから3年くらいは面会が許可されていた。 確かそれが出来なくなったのは98年の10月からだったからな、こんなことだろうとは思っていた」
「ふーん……じゃあ、次のページを見ても同じことが言える?」
「次?」
言われるがままに宙空に浮かんだウインドウを指で左から右へとなぞる。 その動きをメガネに取り付けられた小型カメラとアーリー備え付けのカメラが読み取ってウインドウをノートのようにめくる映像を表示した。
次のページもまた大量の文字に埋め尽くされている。
死因、急性の血管の異常拡張及び――
「……帝王切開の際の医師の判断ミス?」
「正確に言えば医師が貧血を起こして、運悪くメスが変なところに刺さったらしいわ」
「それ以前の問題だ。 何故11歳の頃に意識を失ったままのリツが妊娠している?」
西条 七は俺の質問に答えようとせず、アーリーを見つめている。
どうやら、読めば分かると言いたいらしい。 娘の死を悼む気持ちとは別に湧き上がってくる怒りを押し殺しながら、ウインドウ内の文字を読み進める。
遺体の処理、精巣と脳や脊髄などの超能力に関わりの強いとみられるものを残して焼却、共同墓地に埋葬。 脳はホルマリン漬け、卵巣は冷凍保存。
翌日2時12分に無事手術を終え、体出生体重児であった新生児は施設内に併設されたNICUに預けられる。 後に新生児は――
「八と命名される……」
「……と言うことらしいわよ、おじいちゃん?」
「なるほど、どうりで面影がある訳だ。 それに、多少なりともリツの能力に晒されていたせいで、受け継がれたヨウの能力にもある程度の耐性がある……と考えられるな」
「それでも冷静なのね。 つまんない」
吐き捨てるように呟くという器用なまねをしてみせた西条 七は頬を膨らませている。
心底つまらなさそうなその表情は、彼女の性根が腐りきっていることを如実に示しているように思えてならない。
が、もはや今の私にとって目の前にいる彼女の存在などどうでも良かった。
「それで、私に何の協力をして欲しいんだ? 羽原 秋一の生け捕りか?」
「正解。 ちなみにクワトロ姉の依頼ね」
「だろうな。 先日、私のところにその話を持ってきたところだ」
「ふぅん……でも、その様子だと、計画の詳細は聞かされてないみたいね?」
そう言いながら、意味ありげな視線を向けてくすくすと笑う。 どうやらクワトロの持ってきた話にはろくでもない裏があるらしい。
もっとも、それがどんなものかは話の流れとこの女の性格を考えればおおよそ想像はつくが。
「おおかた、ヨウを使うつもりなんだろう?」
「正解。 1000万円まであと8問」
「……日本だとテレビ番組の賞金は200万が上限らしいがな」
「と言う訳で、明日の朝に迎えに行くから準備を済ませて待っててね」
西条 七は気だるそうに立ち上がると、自分の飲食した分も支払わずに喫茶店を後にした。
遠ざかって行く背中を見送り、もう一杯コーヒーを追加注文する。
店主以外に店員のいない寂れた店。 ギシギシと木製の床を踏みながらしながらひげ面のむさくるしい店主自らコーヒーを運んで来る。
「……ここでこうしてコーヒーを飲むのも今日で最後になりそうだ」
「そうかい。 別に長い付き合いって訳でもないが残念だ。 最後に一緒に一杯どうだ?」
「八のそばに居てやりたいからな、遠慮しておくよ」
リツがあんな風になってしまった後、彼女にばかりかまける私に愛想をつかせて妻は家を出て行ってしまった。 表の世界での社会的地位も良心も何もかも捨て去って助けたいと願った娘には先立たれた。
そして、今まさに唯一の肉親と言っても過言ではない孫娘さえも人質に取られている。 これからあの子の元に戻って、五と七の能力から逃れるためにメガネを捨てて逃げたとして、逃げ切ることなど不可能だろう。
そもそも、私の有する耐性は気休め程度のものでしかない。 常人が10秒で気を失うところを30秒ほど堪えられたとして、それで彼女に何をしてやれるのか。
考えて導き出された結論は「残念ながら何もない」以外にはありえなかった。
しかし、それでも考えて考えて一つの結論を導き出す。
――せめて、新天寺社の監視下からは解放してやろう、と。
羽原 秋一。 アレを襲撃するというのならむしろ好都合。
何としてでも彼の周辺を守っているらしい組織にヨウを保護してもらえるように立ち回ってみせよう。 その組織が信用出来るかどうかは定かではないが、それでもこのまま新天寺社にいるよりはマシだろう。
そんな想いで臨んだ翌日。 羽原 秋一は謎の狙撃手の助力を得ながら6人の襲撃者を振り切って、ヨウの能力を兵器転用するべく作られた装置を乗せたワンボックスカーへと迫り、私と対峙した。
機を見計らって助けてやる予定だったのだが、大体自力で何とかしてしまったらしい。 何とも可愛げのない小僧だ。
目の合った時の彼の表情を見る限り、ヘルメット越しでもそれが私である事に気付いていると見て間違いない。
一旦、視線を後部座席に向けてから改めて彼と目を合わせ、いまだに余裕の態度を崩さぬ運転席の西条 七に聞こえぬように呟いた。
「ヨウを頼んだぞ」