75話 女子の太っているは可愛いに輪を掛けて男には理解不能。 多少あまり気味のお腹の肉の需要を理解すべき
ダイエット。 それは女の子にとって永遠のテーマに違いない。
当然、一人称がボクであろうと、多少力持ちであろうとそれは同様のこと。
言うまでもないことだけれど、『ボク』こと坂田 うめもまた体重とよばれる悪魔の数字に頭を抱える多数の中の一人だった。
「なるほどー……でも、坂田先輩は特異体質って感じだから普通の基準で考えない方が良いと思うけど? 無理なダイエットは体に悪いし」
「……分かってる。 だけど、それでも……」
「うーむ。 確かにARを用いたダイエットって発想はあるんだけど、そもそもダイエット自体ちゃんとした知識のある人の指導と監視に基づいてやるものだから、あんまり軽々しく紹介したくないんだけど」
ツインテールの良く似合う小柄な女の子は困ったという風に頭を掻く。
彼女は北里 千里。 私の後輩で、大体いつも変なことばかり口走っているけれど、物凄く頭の良い子……だと思う。 とにかく困った時には泣き付いてみれば「仕方ないなぁ、うめ太くんは」なんて言いながら不思議なアプリを紹介してくれそうな、そんな根拠不明の信頼感のある子だ。
普段なら中学時代からの付き合いのある数少ない親友に相談するところなのだけれど、彼女は体重関係で悩んでいる気配が微塵も無さそうなので、こういったケースではとてもじゃないがアテに出来ない。
他にも何人か相談出来そうな人はいるのだけれど、ご飯を作ってくれるおばあちゃんにそんな相談をするのは気が引けるし、もう一人の後輩にこの話をしたところ「え、何それイヤミ?」とでも言いたそうな目を主に胸に向けられたので挫折。
もう一人の後輩は色々と信頼出来そうではあるのだけれど男子なのでこういう話をすること自体に抵抗を感じる。 と言うか、彼に「今からダイエットします」なんて宣言するようなもので、いくらなんでもそれはあり得ない……というのが本音だ。
「秋一は気にしないと思うけど……どうしても?」
「……どうしても」
「ん、分かった。 それじゃ、有名どころを幾つか紹介する」
と、北里さんは物凄い速さで右手の五指全てを使ってテーブルを叩き始めた。 正確に言えば、AR機能に特化した携帯ゲーム機、通称『アーリー』の正面を叩いている。 ボクにも、そして彼女にも見えてはいないだろうけれど、そこにはAR表示の、肉眼では見えないキーボードが確かに存在する。 彼女はそれを全く見えない状態のままブラインドタッチで利用しているらしい。
ブラインドタッチ、と言えば慣れれば何とかなりそうな気はするけれど、実際に一切見ないでとなると流石に相当の技術を要求されるし、ARキーボードのタイピングの認識はカメラを利用して指の位置を監視して行われているため、パソコンのそれとは微妙に異なる挙動を要求される事もあるのでなまじキーボードが扱える人ほど苦労するなんて話もあったりする。
彼女のようにヤケクソの如き速さと量の超絶タイプとなるともはや完全なる特殊技能と言って差し支えないだろう。
「……検索?」
「んにゃ、改造OKの適当なアプリを速攻で作り直してる」
ヤケクソの如き速さと量のタイピング。 そんなものは既存のアプリを探すだけなら一切必要ない。
と言うことは、彼女はそれを見つけ出した後に、猛烈な速度でソースコードを弄くり始めたため、その変態じみた芸当を存分に発揮していたとのだろう。
「作り直し?」
「そそ。 AR機能を利用したダイエットアプリの機能はカロリー計算や管理をサポートするもの、運動を補助するもの、食事制限を補助するものの3つに分類されるんだけど、いま弄ってるのは3つ目の奴」
「……食事制限?」
「うんむ。 たとえば同じチョコレートでも一方は有名な海外のメーカーのものだという説明付きで、もう一方は何の説明も無しで目隠しして食べるとか、無味無臭の着色料でリアルにう○こ風にしたものと普通のを食べ比べたらどう感じる?」
「……海外のは美味しく、変な風にされたのは……食べたくもない、かな」
「だいたい正解。 要するに食事って口から向こうの消化器官だけで行われる訳じゃない訳よ。 誰と食べるか、どこで食べるか、食べ合わせや配色、時には食器も……とにかく色んな要因が重なり合って食の質を決定している」
北里さんの説明は何ら特別なものではない。 今では食育の一環として幼稚園や小学校でも時々聞かされたような内容だし、そうでなくとも「みんなで食べた方が美味しい」とか「お腹が減っている時の方が美味しい」とか、そんな事は経験則で何となくわかることだろう。
しかし、この話の流れでそんな話を持ち出すということは……
「他にもお箸で挟んだものや特定の形状の食材を大きく見せるとか、カロリー表示をあえて実際より高く表示して見せるとか、そういう方法で脳をだましたり、追い込みを掛けたりすることもあるとか何とか」
「……へえ」
大きく見せて満腹感を与える、と言う話は聞いた事がある。 確か、同じお菓子でも大きく表示すると通常の9割程度の量で満腹感を覚え、逆に小さくすると通常の1.1倍程の量が必要になるとか、そんな内容だった。
確かそのニュースでは仮想満腹感なんて言葉で表現されていた気がする。
それにカロリーを表示する機能があるということはつまり、出された料理を認識しただけでカロリーを計算する機能も備わっているのかもしれない。
だとすれば、確かにダイエットの心強い味方だと言えそうだ。
「まあ、一番の問題はどうやってARを目視するかってことなんだけどなー。 あんまりいかついヘッドマウント型なんて論外だし、アーリーみたいな片手がふさがるのもダメ。 となると、どうしてもARゴーグル的なものが必要になるんだけど……」
「……あんまり突飛なのは、家族に心配されるから」
「ですよねー。 本気でダイエットしたいんなら私よりもまず家族に相談するはずだし。 それをしなかったって事は家族に悟られない、少なくとも心配させない程度のものでないとダメ……ってことで」
言葉を途中で区切った北里さんは勢い良く立ち上がり、自分のカバンからメガネを取り出した。
正確に言えば、メガネとヘアピン2つとネクタイピン、それからリストバンドの3点セットを取り出した。
見たところ、それぞれに小型のカメラが付いているらしい。
「本当はメガネにしてももっとしっかりした奴が良いんだけど。 ただ、ある程度機能を絞ってしまえばこのくらいの薄型の表示性能でも十分なはず」
「……これを、どうするの?」
「まず、食事の時に髪を真ん中で分けて髪留めを付けてからカメラの角度を調整。 それからネクタイピンをシャツの襟に取りつけて、お箸を使う方の手にリストバンドを撒けば準備は完了。 後はメガネを装着した上で使ってのお楽しみだ!」
……なんでこんな都合の良いアイテムが文字通り都合良く飛び出して来るんだろう?
ニコニコ満面の笑みを浮かべてそれら一式を押しつけて来る彼女を眺めながら、お礼を言うよりも先にそんな疑問が脳裏をよぎり、思わず首を傾げてしまった。
と言うわけで、後輩からご都合主義の香りに満ち溢れたアイテムを受け取ったボクは現在、家族――おばあちゃんと弟の大の二人――と食卓を囲んでいた。
我が家の食事は当番制で、大体誰が作るかで料理の傾向がはっきりと決まってくる。
弟が作る時はカレーを筆頭に、技術的な問題の少ないシンプルな料理が、ボクが作る時はタッパーに入れて持ち帰った量だけは無駄に多い学食のおかず(と言っても本当に量が多いのでこれで足りてしまう)となる。
そして、祖母が作る時は一汁一菜を地で行く質素なものばかり。 お世辞にも豊かな食生活とは言い難い。
その代わりと言って良いのか、それともそれが原因なのか、食卓に並ぶ料理のバリエーションの乏しさに反してとにかく量が多く、特に米の消費量が凄まじい。
祖母はお茶碗3杯は最低ラインで、弟は朝からどんぶり2杯分の白米を平らげてから学校に向かう。 ボクに至ってはどんぶり3杯朝飯前と言った有様……それもラーメン用のどんぶりで。
そんな無駄に満腹感溢れる食卓なのだが、北里さんから借りたメガネ越しに見える風景はいつものそれとは随分と異なっていた。
まず第一にとにかく色がおかしい。 鮭の切り身が何故か緑色で、もはやそれを鮭の切り身と認識していいのかどうかさえも怪しい。 思わずメガネを外して確認してみると、間違いなく鮭の切り身だった。
隣で弟が醤油をかけている。 醤油が血の色をしていた。 規制を気にしたような黒でもなく、安物のすぷらった映画のような真紅でもなく、赤黒く濁った多少粘着感のある液体だった。 緑色の切り身に血を塗りたくるその光景は今から悪魔でも呼び出す儀式を執り行うのだろうか、なんて不安を抱いてしまいそうなほどに気味が悪い。
「どうしたの、急にメガネなんてかけて? 髪型もいつもと違うけど……」
そんなボクの視界に広がる魔境のことなど露知らず、祖母は呑気に首を捻っている。
当然、「今、ダイエット中でこのメガネ越しに食卓を見ると口の中に入れるものが一つ残らずグロテスクに見えて食欲がひどく減退するんだ」なんて説明出来るはずも無く、ごまかすように「……かけてみたくなったから。度は入ってない」とだ答えた。
ごまかすようにテレビの方へと視線を向ける。 料理を見ないと余り意味意が無いのだろうけれど、あんなもの一度見てしまえば十分すぎるほどに食欲は削がれる。 これ以上、食卓を眺めていると戻してしまいそうだ。 そう思って視線の逃げ場を求めたのだけれど……
「……?」
「どうした、姉ちゃん?」
「……なんでもない」
どういう訳か音声はちゃんと聞こえているのに映像がまったく見えなかった。 どれだけ目を凝らしても液晶は真っ黒なまま。 どうやら、食べているものを見ないと効果が無いことを理解した上で、余所見を許さない機能が備わっているらしい。
となると、残された選択肢はふたつ。 我慢してこのまま食べるか、ダイエットを諦めて大人しくメガネを外すか。
ラーメン用のどんぶりに盛られたご飯の山に目を向ける。 そこには白米、ではなく白米に良く似た虫がわんさかと積まれていた。 特に虫が苦手と言う訳ではないけど、さすがにこれは生理的に受け付けない。
思わず目を背けそうになるが、視界の隅でおばあちゃんが怪訝そうにこっちを見ている。
残してしまうのは勿体無い。 かと言ってメガネを外してしまうのは協力してくれた北里さんに悪いし、何より自分で決心した事に背く格好になる。
取り繕うようにぎこちない笑顔を浮かべ(たつもり)て、お箸を手に取り、緑の切り身や血色の醤油、虫の米で禍々しく彩られた夕飯との戦いを開始した。
そして、数分後。
「……ごちそうさま」
「おかわりは?」
「……ゴメン、あんまりお腹が空いてない」
「あら、そうなの? ……まあ、そういう日もあるわよね、お年頃なんだから」
何とかおかずを平らげ、ご飯を一杯完食したところで、ボクは食事を終えた。
お腹いっぱいとはお世辞にも言えないけれど、代わりに胸がいっぱいで、精神的にはいっぱいいっぱい。 とてもじゃないけれどこれ以上食べられる気がしない。
食器を流しに持って行って、美味しそうに虫の山を平らげる弟から逃げるように自室へと駆けて行った。
「……うぅ」
確かにこのアプリの効果は本物だ。 けれど、あまりにも強烈過ぎて食事と言う行為そのものに対して拭い去れないトラウマを残してしまいそうでもある。
とてもじゃないが仮にこれでダイエットに成功したとしても他人にお勧めする気にはなれないだろう。 とにかく、それくらい強烈な光景だった。
「……もう、寝よう」
アプリの関連ツール一式を外し、アーリーを閉じて充電器を挿し込む。
宿題があったのを思い出したものの、とても手を付けられる気分ではないので、さっさと布団に潜り込んで目を閉じた。
その晩は、白米によく似た虫の大軍に追いかけ回される夢を見た。