5話 用件を聞いた後で女子の無茶ぶりから逃れようとすると非難轟々だから気をつけろ!
「色々突っ込みたいところはあるが、とりあえず名を名乗れ」
と、突っ込みの平手を見事にすかした俺が取り繕うように発した言葉がコレだった。
周囲から変な目で見られないよう、ちゃんと大通りから一本裏に入って人目に付きにくい場所に移動している当たり我ながら妙に冷静だと言わざるを得ない。
『あ、それもそうね。 アタシは中野 夏芽よ、ヨロシク』
「はぁ……」
確かに名を名乗れと言ったが、本当にそのままの反応を返されるとは……。
見ず知らずの相手に突然声を掛けられた上にそいつが妙になれなれしかった時に暗に失礼だろという注意だとか、お前に対して警戒しているぞという意思表示の為に発せられているものであって、名前を知る事がその言葉の核心ではないのだが。
が、どうやら目の前のAR少女はその事を理解していないようだ。 二次元(体積が存在しない)だから多少おバカなのは仕方がないのかも知れないが、何とも面倒くさい。
『なんか今失礼なこと考えなかった?』
「モノローグでも表示されてたか?」
『そんな訳ないでしょ、ゲームじゃないんだから』
呆れた、とばかりに肩をすくめてみせた。
俺の胸中の「お前、その格好で言うなよ」という突っ込みには一切反応しない辺り、どうやら本当にモノローグは見えていないようだ。
『で、アンタは?』
「は?」
『は? じゃないでしょ。 アンタの名前は、って聞いてるの。 まさか人に名乗らせておいてそっちは秘密です、なんて言うんじゃないでしょうね?』
睨みつけるような挑戦的な目線で俺を指差し、さあ早く名乗れとあごをしゃくる。
そんな仕草を音々ちゃんの姿を借りてやっているので違和感が凄まじい。
「ああ、悪い悪い。 俺は羽原 秋一だ、よろしく」
と、手を差し出す。 夏芽はそれを握ろうとするものの、彼女の手は少しばかり俺の手にめり込んでしまった。
分かりきっていた事だが、握られている感触は全くなかった。
何となく、夏芽の手がすりぬけた後の手をじっと見る。
「……本当に実体がないんだな」
『実体はあるわよ。 今、ここにないだけ』
「って事は本体はどこかで昏睡状態だったりするのか?」
『ご明察。 意外と鋭いわね』
鋭いも何も、漫画のお約束を思い付きで口走ってみただけだけど。
本体が昏睡状態で幽体離脱して誰かに憑依して密かにリターンしてみたり、好きな人の右手になってみたり。
「それで、夏芽だっけ? 君は俺に何をして欲しいんだ?」
『それは……』
一旦口を開くも、何かに気付いたように言い淀む夏芽。
そうして俺の様子を伺いながら口ごもっている彼女を眺めつつ、なるべく表情に出さないように気をつけながらも、考える。
常識的に考えれば分かる事だが、彼女はあまりにも普通じゃない。
幽体離脱だか超能力だか生き霊だか知らないが、とにかく存在自体が超常現象である。
この点に関しては残念ながら程度の差こそあれ一種の超能力者である俺がとやかく言う筋合いはないだろう。
問題はその次だ。 その超能力者がわざわざ自らの超能力を駆使して助けを求めている。
しかも、本人の話によると本体は絶賛昏睡中。
これまた漫画や映画のお約束、飛躍しすぎた妄想に過ぎないのだが――
「君が昏倒するに至った出来事に大なり小なり関わってくる、どっかの超能力を研究する悪の秘密結社の陰謀を阻止してくれ……とか言うんじゃないだろうな?」
『ほぼ正解よ』
……マジかよ。
未だに脳みそが思春期から抜けきらないようなお年頃の少年少女や陰謀論者の毒電波と同レベルという現実の安っぽさに思わず頭を抱えそうになった。
『と言っても、何もその秘密結社を壊滅させてくれなんて言ってる訳じゃないわよ』
「当たり前だ」
『……そこまで当てられたんならもう隠す必要ないかも、ね?』
「そこで可愛らしく首を傾げられても同意しかねる」
隠している内容が分からないし。
まぁ、可愛いのは大いに結構なのだが。
「とにかく、早く本題に入ってくれ。 でないと何の判断も出来ない」
『そうね。 アタシとのやり取りを盗み聞きするのは不可能みたいだし、いざとなれば聴かなかった事にすれば済みそうだし。 分かったわ、あと3分だけ待ってちょうだい』
そう告げた彼女は不愉快そうに空を見上げた。 つられて早春の空へと視線を向ける。
彼女が睨むように見つめるその先には雲ひとつない青空が広がっている。
ビルと電線に遮られてはいるものの、それでも広く、澄み渡った空だ。
「なあ、一体何が起きるって言うんだよ」
「見てれば分かるわ、きっと』
きっとって何だよ、いい加減だな。 そう口にしようとした瞬間、確かに俺は思い知らされた。
まず始めに、街の景色が塗り替えられた。
見慣れたでんでんタウンの風景が一瞬にしてどこか異国の、建造物の雰囲気から察するに西欧の長い歴史を持つ街へと変貌を遂げる。
驚き、戸惑いながら様相の一変した街を見まわす俺の頭上に、巨大な影が差す。
再び見上げた空には、ちょっとした高層建造物をひっくり返したような、流線形の物体が浮かんで――と言うか、こちらめがけて落ちて来ていた。
ARだと理解しつつも逃げなければと警鐘を鳴らす本能。 常軌を逸した事態にショートする理性。 結果、俺はぽかんと口を開けたまま落下する巨大建造物の行く末を見守り続ける羽目になった。
それから2秒ほどして、ようやく我に返って右目を瞑れば良いだけだと気付いた時には視界が真っ赤に染まっていた。
我ながら要領を得ない情景描写だとは思うが、そうとしか説明しようがないのだから仕方ない。
あまりにも鮮烈で強烈な赤、赤、赤。
現実の出来事でないにもかかわらず、その色彩だけで皮膚が熱を帯びるような錯覚を覚えるほどだ。
現実であればそれらの内のどれか一つとして認識する暇もなく消し炭になっていただろう。
そう確信出来る程の圧倒的な迫力を伴っていて、熱はなくとも、その強烈な閃光を焼き付けられた右目が痛む。
耐えきれなくなった俺は手で右目を覆い隠して、その場に膝をついた。
「なんなんだよ、これ……」
『その言葉に対する説明は何通りかあるわ。 アナタがこのまま何も見なかった事にするんならARで映し出された映像と説明して終わっておくべきなんでしょうね』
「……っ」
返す言葉が思い浮かばない。
何とも言い難い気持ち悪さと、ろくでもないことを知ってしまった恐怖から嫌な汗が噴き出してくるのを問答無用に実感させられる。
彼女の言う通り、このまま何も見なかった事にしてしまうのがきっと賢明なのだろう。
右目から手を離すや否や飛び込んできたARの死体の山(と言っても多くは今や影だけだが)と廃墟となった景色がその想いの正しさを証明している。
けれど――
「いや、やっぱりちゃんと説明してくれ。 それと君の頼みについても。 最終的な判断はそれからでも遅くないだろ?」
『……そうね。 それじゃあ、何から話せば良いかしら?』
「――まずはさっきの映像について、だな」