63話 買ったは良いが微妙だった時のリスクを考えると大きめの家具を買うのはなかなかに大変
金曜日の放課後。 生徒の多くは明日以降の過ごし方に想いを馳せながら部活を満喫している。
サッカー部のエースのシュートがゴールを外すのも、野球部の4番打者の打率が低いのも、夏直前の陽気と休日の足音が彼らを浮かれさせるからだろう。 或いは単に下手くそなだけなのかもしれないが。
そんな浮かれたムードは生徒会およびAR部にまで伝わってきているのか、現在生徒会室には俺と千里と会長の3人しかいない。
「まあ、そんな感じで無駄に充実した一日だったわ」
「そりゃ良かった」
要所要所は伏せながらの報告をどうでもよさそうに聞き流しつつ、ARキーボードを操作する千里。
なにやらいかめしいメガネが小さな横顔と相まってえらい存在感を放っている。
「便利か、それ?」
「めちゃくちゃ便利。 タイピングを認識する方式の兼ね合いである程度広い机に置かなきゃならんのはネックだけど、ウインドウの位置は自由に変更できるし。 スマホの3倍くらいの重量プラスこのメガネでノーパソ3台分くらいの活躍はしてくれる」
「そりゃお前の魔改造アーリーだからだろ」
アーリーそのものが独自規格満載ゆえ、一概には比較できないものではあるが。
「これよりさらに利便性の高い機能を裸眼で使う存在自体魔改造には言われたくなーい」
「……アレの日か?」
「まだ1週間先なのは秋一も知ってるだろ?」
「ちょい待ち。 アンタ、千里ちゃんのアレの日なんか把握しとんの?」
「まあ、付き合い長いしなぁ。 じゃあ、なんでそんなに不機嫌なんだよ?」
唖然としている会長を尻目に千里とのやり取りを再開する。
「で、結局何が理由で怒ってるんだよ? 言い出しっぺのお前が夏芽とデートしてた事に憤ってるなんてのは筋違いも良いところだぜ?」
「わーってる、夏芽ちゃんと仲直りしてもらえた事に不満はないぜ!」
「……ああ、ただの寝不足かよ」
「大正解。 ホレ、例の鶴橋さんの弟くんの誕生日の件、言われた通りにサンプル作ってメールに添付して送りつけたら、返信が夜に来て……」
なるほど、それで返信に手間取っている内に日が変わり、夜が明けた訳か。
そう言えばコイツは睡眠不足だと露骨に機嫌が悪くなる奴だった。
「で、首尾の程は?」
「ちゅーか、言われた通りってどういうことなん?」
「私と夏芽ちゃんじゃ手詰まりだったから秋一に相談したら、「そんなもん、直接問い合わせりゃ済む話じゃないか。 ついでに金になることを証明してやれば食い付いて来るだろ」って言われた」
「今のものまね、めっちゃ似とるやん」
室内の何もない空間とにらめっこしながらも、いちいち混ぜっ返す会長。 悪気がある訳ではなさそう……と言うか構って欲しいだけなのだろうが、少々鬱陶しい。
が、今日はわりと機嫌が良いので許してやろう。
「して、会長は何をやってるん?」
「色々あるけど、今はラックを新たにもう一つ調達できへんかなぁ……とか考えてる」
「にらめっこしてても意味ないだろ?」
「そりゃそうやねんけど……サイズくらいは測りゃ済むとして、色合いとか、やっぱり置いてみてから気にくわんかったとは言えんからなぁ……資金は少ないやし」
と、軽い口調に反して虚空を睨むその表情は真剣そのものだ。
「ふーん、それならアレの出番だよな、千里?」
「ああ、あれね。 確かにあれは便利だよな」
「アレ?」
お互いに顔を見合わせてうんうんと頷く俺達を会長は訝しげに眺めている。
そんな彼女を尻目に千里はARキーボードをやウインドウを片付けると、のっそりと立ち上がった。
「んじゃ、私はちょっくら眠気覚ましのコーヒーでも買ってくる。 後はイくなりヤるなりお好きなように」
「お前は何を言うとんねん」
「ま、アレの事は放っておいて、さっさと置きっ放しのそのメガネをかけてくれ」
「え、なんで? ……っは! アンタ、もしかしてメガネかけたままが――」
「いや、必要だからだよ。 正確にはその方が間違いなく便利だから」
一歩退きつつも言われるままにメガネを掛けている阿呆の世迷言を右から左と聞きながしつつ、千里のアーリーを操作してお目当てのアプリを起動させる。
今から使うアプリは作成元は世界最大の家具販売店、IKEYA。
当然、家具販売に繋がるアプリであり、その機能は「AR映像の家具を部屋に置いてみる」という代物だ。
「で、どこにどんなラックを置こうと思ってるんだ?」
「キューちゃんの紅茶セットの対面に、今ある書棚と同じくらいの高さをひとつ」
「そうか。 じゃあ、指示は出すからやってみ?」
「え、やってくれるんとちゃうん?」
却下だ、と一蹴しつつ千里のアーリーを押し付ける。
受け取った会長は文句を言いながらも、画面を自分の方に向けてタッチペンを引き抜く。
「まず、カメラボタンがあるだろ? それを使ってラックを置きたい場所を撮影する」
「ふんふん。 壁全部収まりきってへんけど、大丈夫なん?」
「大丈夫だよ、床と天井の面積に大きな開きがある訳でもないんだから」
アーリーのカメラのシャッター音が二人っきりの室内に響いた。
「で、あとはその映像の4点をタッチして接地面を決める」
「はいはい、ポチッとな」
「そしたら縦横の幅を自動計算してくれるから、今度は高さを決める」
「えーっと、もう一枚撮影すればええのん?」
「いや、大体2メートルくらいだろ? 手入力して後で調整した方が早い」
そこまで言うと流石に要領を把握したのか、俺に言われるまでもなく彼女は高さを入力するボックスをタッチし、「200」と数値を打ち込んだ。
直後、壁と床が見えていたはずの空間に白い箱のようなものが現れた。
「おわっ、何なんアレ?」
「見りゃわかるだろ。 そこの数値通りの家具があるとこんな感じになるってことだよ」
「って言われても、流石にこれじゃあなぁ……」
と、文句ありげにバカでかい白い箱を睨みつける。
「これで終わりな訳ないだろ。 良く見てみろ、検索ってボタンがあるだろう?」
「あ、ホンマや」
「それでこの条件に該当する家具を探せるはずだから」
言い終えるよりも早く、検索ボタンを押した会長がじっと見つめる画面を覗き込む。
検索中の3文字がでかでかと表示され、画面の中の2Dの店舗をドット絵の店員が忙しそうに駆け回っている。
そうして5秒ほど、顔を寄せ合って小さな画面を眺めていると、画面が切り替わり、アーリーの小さな画面に9種類ほどの家具が表示された。
画面の左上には小さく「該当商品10829品」の文字。
「さすがに多過ぎるで、これ……って、うわたっ!?」
こちらを振り向いた会長は至近距離に俺の顔がある事にようやく気付いて、慌てふためきながら飛びずさった。 目をまん丸に開いた表情に反して、無数の金糸はたおやかに優雅に揺れている。
距離を取った彼女は2度3度と軽く深呼吸をして気持ちを落ち着かせると、キッと瞳を吊り上げ、こちらを指差して叫んだ。
「近いわ、アホーっ!!」
なまじ肌が白いせいで分かり易く顔が赤い。 そんな会長に向かって、俺はクールにこう言ってやった。
「そういや会長の両親ってミックスなのか?」
「いや、ヒトの話を聞かんかいッ! ハーフ言わんかったんは評価したるけど、何さらっと話題を逸らしとんねん!?」
「いやー、前から気になってた事なんだけどな」
あまりにも平然としている俺を見て、バカバカしくなった会長は咳払いを一つ。
実を言うと「真剣な顔してりゃすげー美人だなぁ」とか、「何この金髪、超艶やか」とか、「しかもなんか柑橘系のすげー良い匂いがする」とか考えて内心結構どぎまぎしていたのだが、それを悟られるのが嫌で話を逸らしただけなのだが。
「おばーちゃんがアメリカ人やねん」
「うそつけ」
「……なんで嘘や思うた?」
「会長のばーちゃんの世代で片方がアメリカ人の場合、男である確率の方が圧倒的に高いからってのが一つ。 それから金髪は劣性遺伝だから片方の先祖に金髪の遺伝子があっても発現しないよな? 漫画のハーフじゃあるまいし」
指摘するや否や、会長は「うわっ、コイツ面倒くさっ」とでも言いたげに顔をしかめた。
「……っしゃーないなぁ。 父方のおじーちゃんがドイツ人で、母方のおばーちゃんがロシア人。 金髪やったんはその二人らしい。 会うたこと無いからホンマかどうか知らんけどな。 ちなみに父方のおばーちゃんはポーランド人やし、母方のおじーちゃんはサハ人やから、親の代になるまで日本人の血は入ってへんかったり」
しかし、この大阪弁である。
何故かふぁさぁと髪をかき上げながら、得意気な笑みを浮かべている。
「で、サハ人って?」
「ええっと、ロシアの土地が全部永久凍土、半分くらいが北極圏のクソ寒いところの先住民族……でええんかな?」
「つまり、会長も良く分からないんだな」
「しゃーないやろ。 ツンドラ気候の場所なんてお盆に里帰り、とは行かんねんから」
となると、あまりこのネタで話を広げられそうにはないな。
さすがに外国の事なんてよく分からないから、会長に気持ち良く喋らせてやるには格好のネタだと思ったんだが。
「で、ラックはどうするんだ?」
と言う訳で、強引に軌道修正。
「あ、せやったせやった。 で、この1万品目をどうやって絞り込んだらええの?」
「その10829品って数字を押したら絞り込み検索の画面に行くから、そこで他の家具を除いて、あとはサイズの誤差の許容範囲とか、色合いとか、メーカーとか、生産国とかの情報を付け足して行けば結構絞れるはず」
「おーけー」
アーリーの操作を再開する。 タッチペンを動かす手つきはあまりゲーム慣れしていない風だ。 それで最低限の知識はあるようで、時々誤った操作をしては慌ただしく修正……という作業を繰り返している。
千里ならとっくに全ての絞り込みを終えて、お目当ての一品を見つけているだろう。
「絞り込んだよ。 次は何するん?」
「結果は?」
「該当商品103品やて」
「それだけ絞り込めりゃ充分だろ。 適当な商品をタッチしてみてくれ」
言われたとおりに適当なラックを選ぶと、何の前触れもなく目の前にあった白い箱がシンプルなシルバーのラックへとその姿を変えた。
「おおっ」
「他の選べば他のが表示されるから、ちょっと時間はかかるけど色々置いてみれば良い」
「なるほどなぁ~、こんな便利なもんがあったとは……」
感心しきった様子で目の前のラックとアーリーを交互に見る会長。
新天寺社の構成員なのにアーリーを使いこなせていないってのはどうなんだろうか。
「もし今日中に決まらなくてもこの部屋の写真さえ撮っておけば家でも確認出来るから」
「ほー、ホンマに便利なツールやね」
「ただし、千里のやつみたいに性能を上げていないとちょっと重いけどな」
アプリ自体はIKEYAが販促のために無償で配布しているから別のアーリーだろうが何ら問題にならないし、今使ったデータに関しては後で千里に送ってもらえば済む話なのだが、スペックや容量の問題に関しては如何ともし難いものがある。
「多分大丈夫や。 ウチのアーリー、市販のよりハイスペックやから」
「そうか。 近付くだけでも危険なヨウお姉ちゃんと違って大した取り柄のない九ちゃんでも、一応そういうのは持たせてくれるんだな」
「……ッ!?」
興味津々といった様子で他の商品も表示させて遊んでいた彼女の表情が、再び驚愕の色に染まった。
――直後、会長は両手で頭を抱えてしゃがみ込み、苦しそうにうめく。
「おい、大丈夫か?」
状況が状況だけに芝居を打っている可能性もあり、迂闊に近づく気にはなれない。
が、それにしても悲鳴を上げる事すら苦痛そうなその様子はとても尋常のものではない。
さすがに黙って様子を見ている気にはなれず、床に片膝をついて覗き込むように様子を伺う。
「はは、こんな出涸らしの最底辺女に温情をかけようだなんて、君はずいぶんと優しいんだね、羽原 秋一くぅん?」
口を開きかけた俺の言葉をさえぎるように、ねちっこい口調でそう言い放つ会長。
何事もなかったかのように立ち上がった彼女の表情は、別人のようだった。
いや、きっと別人なのだろう。 根拠は何一つないが、不思議とそう直感した。