3話 グラビアアイドルの公称スリーサイズは優しさで出来ています
「ん、何?」
アレコレと愚にもつかない事を考えながら千里を眺めていると、見られている事に気付いた彼女は首をかしげつつ視線をハッシュポテトから俺の顔へ。
「ん、別に」
とだけ応えて、彼女の顔以外で適当に目についたものへと視線を逸らす。
俺の視線を追いかける千里。 その先には――
露出度の高い衣装と長い金髪が特徴的なボーカロボット、Yulyの格好をした色っぽいお姉さまの太ももがあった。
「……むっほぉ、エロい太もも」
「自重しろ、変態」
女の子がそんな台詞を口走るんじゃありません、と軽く頭を張る。
とは言いながらも、俺の目もその色っぽい太ももにくぎ付けなのだが。
何かしらのスポーツをしているのか、平均的な女性のそれに比べるとやや太いが無駄な脂肪はなく引き締まったおみ足が、白地に黄色のラインの入ったミニスカートから覗いている。
太ももに限らず、うっすら割れている腹筋や締まりの良い二の腕と、露出の多いコスプレから覗くパーツの一つ一つが鍛えられた健康的な色気を纏っていた。
「思わずかじりつきたくなるおみ足……もふもふ」
「マフィンを齧りながら言うとただの食事が変態行為に見えてくるから不思議だ」
アーリーで何かを読んでいるその女性が足を組みかえたりする度にスカートで隠された部分のその向こう側が見えそうになる。
その都度、店内の男性陣(千里と店員、悔しいが俺も含む)が思わず固唾を飲み――直後、安堵と失望の混じったため息が漏れた。
しばし、店内にいる人口の3割近くがその神々しい一点を食い入るように見つめていた。
異様な、と言うか酷く禍々しくも痛々しい光景である。
やがて女性がケータイの着信音と共に立ち上がり、トレイの上のゴミを片付けて階段を降りて行くのをこの上なく名残惜しそうに見送り、ゲリラ的に開催された美女の太もも観賞会は終了した。
「で、何だっけ?」
「何だっけって何だよ?」
「分からないから聞いてるんだが」
「俺に分かる訳ないだろ」
「そっか。 じゃ、何でもいいや」
不毛過ぎてその不毛さが少し新しいやり取りだ。
そんなやり取りの最中に千里は壁にかけられた時計を横目で見やり、それからのんびりと立ち上がった。
「どうした?」
「もうすぐ時間」
「会場まで送ろうか?」
「いや、ここまで付いて来てくれただけで十分」
立ち上がろうとする俺を手で制し、二人分のトレイとゴミを片付けた千里はのんびりとした足取りで1階へと消えへ行った。
ストフェスと重なる日程で開催されたフトモンの大会の会場はまさかの通天閣。
あの辺りはお世辞にも治安が良くてお子様を安心して歩かせられる場所ではない。 それだけに小柄な、そして曲がりなりにも女の子である千里を一人で活かせるのは心配だ。
とは言え、ついてこなくて良いと言っている相手に無理矢理追いかけるのもどうかと思う。 女の子だからこそ触れられたくないプライベートだってあるだろうし。
とは言え見てくれだけは確かに高得点だしなぁ。 しかも若干ロリっぽいので声をかけて来る輩は間違いなく困った性癖をお持ちに違いない。 やっぱり心配だからこっそり後をつけようか……?
といった感じの思考を瞬時に展開し、自分の過保護に気付いたところで我に帰り、千里の背中をコーヒーのストローを咥えたまま見送った。
「……上から71、52、73か」
あいつ、意外とスタイル良いのな。ウエストとアンダーでそこまで数字が変わるような体系ではないだろうから、トップとの差を考えると確実にD……ん?
目の錯覚だろうか?
一瞬、千里の頭上に妙なプロフィールが浮かんだような……。
具体的に言うと千里のスリーサイズ的な何かだろう。
不審に思った俺はとっさに店内を見渡す。 すると――
新田 啓示 男 18歳 同士社大学
久里浜 良太 男 20歳 フリーター
宮本 佐代里 女 19歳 龍山大学
大須 冬彦 男 27歳 新天寺社
梅崎 田朗 男 23歳 ローゾン
今宮 栞 女 33歳 Zyoshin
小野 悟 男 29歳 東吉住高校教師
五十嵐 光太郎 男 16歳 フリーター
佐々木 花音 女 17歳 九尾高校
泉野 鍵 男 31歳 フリーライター
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ざっと目についただけでもこれだけの情報が俺の視野になだれ込んできた。
表示方式はフレンドユーザーをチェックする時のそれに近い。 しかし、フレンドユーザー機能はプライバシーの問題を考慮して実名や所属は表示されない。
「なんだよ、これ……?」
訝しがりながらも、動揺を表情に出さないように注意を払う。
右目に手を添え、改めて店内を見渡す。 あの奇妙なプロフィールは見当らない。
恐る恐る右目から手を離す。再び 俺の視野を膨大な情報が埋め尽くした。
薄気味悪い。 ゲームの映像が見える事よりも、アニメのキャラのARを肉眼で視認できる事よりも、淡白な文字の羅列がただただ不気味だった。
他人の私生活を盗み見ているような居心地の悪さに耐えられなくなった俺はコーヒーを飲み干し、急いで階段を駆け下りて店を後にした。 が、逃げた先にも情報の洪水。
人名、性別、年齢、所属。
一つのプロフィールを一定時間凝視すると更に新しい情報が公開されるらしい事にたまたま気付く。
ブログの有無、最近遊んだゲーム、大会等への参加経歴や戦歴。
アドレスやソフトのラインナップを見る限り、このプロフィールはアーリーに関連するもののようだ。
もっとも、そんなものを見なくとも俺の目に映るARはまず間違いなくアーリーのそれなのだが。
更に凝視しているとまたしても情報が更新される。
経歴、病歴、前科。
親の名前、出身地……etc、etc。
これは本当にアーリーに関連するものなのか?
あまりの情報の細かさに自分の目に対する確信すらも疑わしく思えて来た。
最初の情報はまあ良い。 最近ではARを学校教育に活用しようなんて話が平気で立ち上がるくらいに浸透している代物だ。 これくらいの情報が求められる事だって十分あり得るだろう。
しかし、経歴や病歴、前科はおろか各人の由来なんて……。
『そこのあなた!』
突然、後ろから声を掛けられたような気がして弾かれるように振り返った。
何かろくでもないものを目の当たりにしてしまった、そんな感覚に襲われていた事もあった神経質になっていたんだろう。
傍から見れば挙動不審もいいところの動きに違いない。
振り返った先、戸惑う俺の瞳は一人の少女を捉えた。
茶髪のツインテールとヘッドフォン、ピンクの制服と中途半端に属性過多のどこかで見たような女の子だった。
『……アタシの姿が見えるみたいね』
アニメチック、というかまんま二次元系の顔立ちは確かにこの街のマスコット音々ちゃんそのものだった。
ただ一つ、違うところがあるとすればどちらかと言うとたれ目系で常に笑顔のイメージの強い彼女にしては造形や表情が妙に凛々しい事くらいか。
直感的に、というか常識的に考えて即座に彼女はARの映像なんだと理解する。
が、視線を感知するARの技術的な難しささやアーリーを持っている訳でもないのに音声が聞こえてくる事に対する不自然さに気付き、彼女がARであるという確信が持てなくなる。
そもそも、ARの映像であるならばアーリーの画面を眺めながら歩いている連中にだって見える筈で、『アタシの姿が見えるみたいね』という言葉は不自然だ。
とは言え、生憎と俺は幽霊なんて信じる性分ではない。
『あんまり使えなさそうだけど、この際仕方ないわね。 あなたに頼みたい事があるの』
俺の困惑なんてお構いなしに、マスコット少女は話を続ける。
俺を値踏みするような視線を足元から頭頂部へ向かって這わせる。
失礼な態度だ。 生身の相手だったらこの時点で既に一発引っ叩いているだろう。
この女がARである事が忌々しい。
そんな俺の思考になど気付く気配も見せず、ふてぶてしい表情のまま、頼むという言葉の意味を辞書で引きたくなるような偉そうな口調で、彼女はこんな事を口走った。
『アタシに協力しなさい!』
半ば反射的に出た突っ込みは彼女の顔をすり抜け、形容しがたい虚しさをもたらした。