50話 廃墟にはロマンがあるが、老朽化していたりして危険なので迂闊に近づかないように!
某県の山中にその施設はあった。
最寄りの村とも呼べない集落までさえも自動車で法定速度を多少オーバー気味にすっ飛ばして1時間、まともに買い物が出来そうな施設となると3時間近くかかるであろう場所――要するに物凄く不便なド田舎に人目を避けるようにその施設は存在していた。
もっぱら高齢者ばかりで構成される地元住民でさえも知らない者は多く、その意義を知るものに至っては文字通り皆無。
まったくもって訳の分からない事だらけの胡散臭い施設にたった今、一組の男女が足を踏み入れた。 どちらも若いがぱりっとしたスーツをしっかりと着こなしており、肝試しにでもやって来た浮ついたカップルといった印象は見受けられない。 一昔前ならば場にふさわしいものだったであろうその格好は、随分とホコリを被った今の施設には不釣り合い極まりない。
男性の方は180はあろう長身を誇るがっしりした体つきの、体格通り顔立ちもややいかつい大男。 これでサングラスなどかけていようものならその筋の人にしか見えないだろう。
女性の方はやや小柄で、身長は150半ば。 女性にしては凹凸が乏しく、頭髪も短めに切りそろえているため、ともすれば少年とも見間違いそうな風貌である。
二人が肩を並べて歩けば、たとえ彼らが私服であったとしても恋人というよりは兄妹、もしくはただの友人として認識されるであろう、そんなコンビだ。
「まったく、こんな辺鄙な山奥に作ってくれなくたっていいのに……」
「東京の一等地のド真ん中にヤバイ施設があるってのもそれはそれで嫌だけどな」
軽口を叩きながらも周囲への警戒を怠らない彼らは分かる人が見れば、相当の訓練を積んだ、一流のエージェントと言っても過言ではない存在だった。
人間の視野は両目合わせて200度と言われている。 二人は何気なくあたりを見回しながら歩いているようで、その200度2つを使って一切の死角を作らない。 どちらかが指示を出していると言った様子も無く、本当にごく自然にそういう風に立ち回る事に慣れきっていた。
「それにしても……本当に何もなさ、そうでもないみたいですね」
「……だな。 微かだが音がする、一部だろうが生きている設備があるみたいだ」
二人は施設内の些細な音を聞き漏らさず、何かあることを理解する。 それと同時に足取りをより慎重なものへと切り替え、元より大抵の人よりもはるかに小さな足音を完全に消しさった。
彼らが気にしているのは音だけではなく、二人の視線を追いかけてみると、ホコリに微かながらも足跡が付いていた。 つまり、誰かしらがそこを通ったということになる。
つま先をわずかに浮かせ、いつでも懐からそこに収めらているであろう得物を取り出せる位置に手を置き、相棒に背中を預けながら、薄闇と静寂に溶け込む。 室内は朝方にしてはかなり暗いものの、彼らが想像していたよりはずっと明るく、肉眼でも十分過ぎるだけの視野が確保出来た。
曲がり角に差し掛かれば即座に連携を取って覗き込んで先の状況を確認する役を一方が担い、もう一方は後方に注意を払う。 丁字路でも十字路でも、互いの背を守りながらも身をかがめてなるべく的を小さく、なおかつ素早く動ける姿勢を維持している。
「カメラも動いているみたいですけど、壊しておいた方が良いですかね?」
「……そうだな、データは別の場所で管理するタイプだろうから、なっ!」
言い終えるが早いか、男性はカメラの下まで駆け寄ると、跳躍、更に壁を蹴ってもう一度跳躍し、中空で身体を捻って握りこぶし大程度のカメラを蹴り飛ばす。
つま先から床まで3メートル近くはあろう高さから着地し、何事もなかったかのように相方のもとへと戻って行った。
「相変わらず変態じみた動きですね」
「お前もこれくらい出来るようにならないと食ってけないぜ?」
「いやいやいや、無理ですよ、あんなの。 そりゃあ、男の人なら殆ど皆さん出来るかも知れませんけど、女子だと3人しかいないじゃないですか」
「ああ、そういやそうだったな。 ま、それならそれで射撃の腕を磨くなりなんなりするこったな。 お前じゃお局様みたいに溢れんばかりの色香を武器にするなんて出来そうにもないだろうしな」
「誰が貧乳ですか?」
「言ってねーよ」
ある程度施設内を調べた結果、そこまで神経質になる必要はないと判断したのだろう。
二人のやり取りは適度な緊張感を保ちつつも、どこかリラックスした調子で行われている。
とは言え、突発的な事態に備えて周囲への警戒を怠るような失態は見せない。
ただ張り詰めるだけではなく、必要に応じて緩める事も出来る。 そのセルフコントロールもまた、二人がただ者ではない事を伺わせる。
こんな風に軽口を叩きながらも熟練された動きで少しずつ施設の奥へと潜って行く。 変なトラップがないかと警戒しながら機材を触ってみたり、何かしら資料の類が残っていないかと書棚を漁ってみたり。 エージェント、という言葉の大仰さからは想像もつかない程に地味な作業を淡々と繰り返す。
やがて、二人の足取りが止まった。 まだ奥はありそうだが、それでもかなり最奥に近い場所に位置する、これと言って何もない一室で、彼らは何かを目の当たりにした。
先にソレを見つけたのは女性の方で、男性は彼女の視線を追いかけるようにしてその存在に気付いた格好になる。
「あれは?」
「……たぶん女の子、だな」
男性の言う通り、彼らの視線の先にいるのは一人の少女。 不健康そうな青白い肌と若くして白髪交じりの、というよりも白髪の方が多いぼさぼさの頭髪を無頓着に伸ばした、虚弱そうにも見えるか細い肢体を一糸纏わずさらけ出した10代半ばの女の子がただ音がしたから振り向いたと言わんばかりの投げやりな視線を送っている。
正確に言えば、ただ振り向いただけでその瞳には何も映ってはいないのだが。
場違いなものを目の当たりにして、二人は困惑気味に目を白黒させる。 顔を見合わせ、室内をぐるっと見回して何もない事を確認し、再び少女を見た。
しかし、それもものの数秒程度のこと。 軽く深呼吸をして冷静さを取り戻した彼らはすぐさま女性が一歩後ずさり、男性が慎重に少女のそばへと歩み寄った。
「ちょいと突然の訪問で申し訳ないんだが、申し訳ないついでに一つ頼まれてくれないかな、お嬢ちゃん?」
「なんですか、そのチンピラっぽいんだか紳士なんだか良く分からない挨拶は」
女性の突っ込みを完全に聞き流しつつ、彼は柔和な笑みを伴って眼前の少女の様子を伺う。 その視線はあばらの浮き出た薄い胸なども視界に収めるが、そこに観察以外の意図は微塵もなさそうだ。
ただ、必要だから観察しているといった程度の無遠慮さが後ろからでも見て取れる。 付け加えるならば、彼はわざわざ遠慮する必要がない事を理解した上でそういった態度を取っているようでもあった。
彼は確かな観察力をもって、目の前にいる不気味な少女の双眸が自分の顔を捉えていないことを、それが何を意味するかを即座に理解したのだろう。 それでも笑顔を崩そうとはしない辺りに、彼の人の良さが滲みでている。
同時に、笑顔の裏に確かに存在する警戒心をさほど暑くもないのに彼の頬を伝う汗がありありと伝えてくれていた。
「あっちのバカの事は気にしないでくれ。 ところ、で……おぅ……?」
――そんな彼の逞しい体躯が、何の前触れもなく崩れ落ちた。
前のめりに倒れた身体は少女へと無造作にもたれかかる。 運動不足の貧相な身体にはあまりにも重い。
それを見た女性は即座に一歩飛びずると、懐から拳銃を取り出しながらも少女と相方の様子を伺う。
「毒ガス……何?」
小さな声で呟く彼女の少年のような横顔には一切の余裕がなく、僅かばかりの油断も見られない。 怜悧な眼差しで仲間と少女を交互に見比べながら、動揺を押し殺しながら淡々と状況を分析している。
そうこうしている内に考えても無駄と結論付けたらしい彼女は相棒を放置したまま、踵を返して出入り口へと走り去った。
「あ、逃げた」
『大丈夫だ。 既に入り口で張っている』
「うん。 お願い、ジン」
誰に向けて、という訳でもなく呟いた言葉に倒れ伏す男性とは別の野太い男の声が応じた。 その応答への返事を済ませた少女は部屋の隅へと移動し、開こうが閉じようが何ら変わりない双眸に瞼で蓋をして、物思いにふける。
それからおよそ10分後。 声の通りの雰囲気の武骨な、身長はゆうに2メートルを超えるにもかかわらず、遠目には背の高さを感じさせないだけの横幅も併せ持つ「ジン」と呼ばれる規格外の大男が部屋に入って来た。
左肩から赤々とした鮮血を滴らせ、右腕一本でさっきの女性を抱えている。
「怪我なんて珍しい」
「ああ、抜きざまの早撃ちで肩甲上腕関節を潰されたよ。 一応、正面から奇襲をかけたつもりだったんだが、あそこまで的確に対処されるとは思わなかった。 そっちの男も一緒にいたらまず間違いなくやられていただろう」
「やーいやーい」
少女は重い瞼を押し上げると、眠そうな顔つきのまま、口だけをぱくぱくと動かして彼にそんな言葉を贈った。 彼はそんな対応に半ば呆れつつも、慈しむような微笑を浮かべる。 外見も、雰囲気もあまりにもちぐはぐな二人だが、不思議と仲は良さそうだ。
ジンは女性を床に乱雑に転がすと、羽織っていたロングコートを少女の矮躯に被せた。 彼の長身故に結構な高さから落とされた彼女は短くうめき声を上げたが、目を覚ます気配は見られない。
「その二人はどうするの?」
「適当な部屋に放り込んでおけば良い。 今日明日中には誰かしらが処理してくれる」
「ふーん」
自分から尋ねておいてどうでも良さそうな返事を寄こす少女。
ジンはさっと少女から距離を取りつつ、背中を向ける。 ただし、少女の態度が気に入らなかったという訳ではないらしく、それどころか気難しい年頃のお嬢様の我がままを苦笑いを浮かべながらも見守る付き人のような優しい横顔をしている。
それから、これまた素早い動作でさっき放り捨てた女性を再び担ぎ上げ、一言。
「八、そっちの男を見張っていてくれ。 勿論、うっかりでも殺さない程度にな」
と、だけ言い残して部屋を後にした。
八、と呼ばれた少女は右手、と言うよりもダボダボのコートの袖を振り回して、遠ざかる背中を見送った。
「ああ、そうだ。 一つ、言い忘れていた」
そんな言葉と一緒に少年みたいな女性を抱えたまま、ひょいとバックステップをして少女を視界に収められる場所へと戻って来たジン。 彼の表情はどこか楽しそうで、きっと良い知らせに違いないと確信するには十分過ぎるものだった。
「何?」
「久しぶりに外出許可が出るかもしれない」
「本当に!?」
「ああ、本当だとも。 俺が八に嘘をついた事があったか?」
「ううん、ない!」
両手をぴったりとくっつけて、不器用ながらも笑みを浮かべる少女。 予想以上の好反応が嬉しかったのか、ジンは鼻歌を歌う少女をしばらく見守り、やがて思い出したように歩き出した。 きっと自覚なしに、鼻歌を奏でながら。