30話 一人暮らしをしてみると飯を作って待っていてくれる人のありがたみが良く分かるが、その一方で「料理ってちょろくね?」と思うのもまた然り
「ただいま」
「あら~、おかえり、秋一」
えらく呑気な声で出迎えられ、リビングへと歩を進める。
リビングの中央に置かれた背の低いテーブルの前の座り込む影が一つ。
いや、よく見てみると二つの影が重なり合うような格好になっているらしい。
ひとつは母さん。 俺を産んだのが19歳なので今だ34歳とかなり若い。 見てくれは実年齢に輪をかけて若い。 のほほんとした雰囲気のまあ、客観的に見れば美人さん……だと思う。
で、もう一つの影は親父、だったら二つの影が重なり合っているの意味が歳の離れた弟か妹の可能性を示唆するものになるので非常に気まずい。 が、幸いにもその影は父親でもなければ、他の男でもなく、俺の良く見知った顔だった。
「なんだ。 千里、来てたのか?」
「……んっ」
と、何だかうめ先輩みたいな微妙な反応を返ってきた。
こちらを見る制服姿の彼女の頬は紅潮しており、小さな唇から洩れる吐息は少し荒い。
実際に見た事はないが、何となく事後と言われれば納得してしまいそうだ。
「……で、何やってんだよ?」
「もちろん、千里ちゃんのおっぱいを揉みしだいてるのよ~」
「ちょっと何を言っているのか分からないんだけど」
事後ではなく真っ最中だった。
と言うか、男の目があるんだから流石にその手を止めて欲しい。
片や自分の母親、もう一方はただの変態だとは分かっていても目のやり場に困る。
「と言うかだ、何のために千里の乳を揉み倒しているんだよ?」
「決まってるでしょ。 大きく育てる為よ!」
「そこで突拍子もなくキリッとした表情になられても困るわ」
しかも口調はおっとりしたまま。 それだけに表情との格差が酷い。
そして何より、口走った台詞の内容があまりにも酷い。
もう一つおまけに後ろから組み付かれている千里の表情が……まあ、そのアレだ。
「秋一も触ってみる? 凄く柔らかいわよ?」
「で、今日の夕飯は何?」
「千里ちゃんでも食べてれば良いじゃない?」
「バカな事言ってないで早く食おうぜ」
「全く、面白みのない子ね。 千里ちゃんはアナタの為にこうして花嫁修業してるのに」
本当に何を言っているんだ、この母上は。
これが一緒に夕飯を作っている最中だって言うんなら確かにその通りだろう。
しかし、現状はただ大輪の百合が咲き爛れているだけじゃねーか。 その事に特に不満はないのだが、これが自分の母親とそれなりに付き合いの長い友人、かつ曲がりなりにも一番親しい異性だと思うと不安にならざるを得ない。
「運んどくから、それまでに千里は着衣の乱れとそこに脱ぎ捨ててあるブラをつけ直せ」
目にやらしい光景を避けるべく、キッチンへと退避。
まだ作り立てといった感じの輝く衣に包まれたトンカツが千切りキャベツに行儀良く腰かけていた。
冷蔵庫から豆腐を引っ張り出して、笹を敷いたお皿へとエスコート。
百合にように白く、乙女のように柔らかい肌を生まれたての小鹿みたいぷるぷる震わせて誘ってやがる。
「後は醤油とソースがあれば完璧、と。 おおっ、しば漬発見」
鼻歌など口ずさみつつ、小皿にしば漬を投入。 続いてお椀にご飯をよそう。
俺が多め、母さんが並、千里が少なめ。 今日も元気な銀シャリだ。
ちなみにその日の気温や湿度まで加味した完璧な飯盒炊爨は母さんの得意とするところ――と言うよりも、一番の得意料理と言っても過言ではない。 その腕前たるや炊飯器無くても完璧に仕上げる事が出来る程だ。
もっとも、現代社会において役に立つ事なんて限りなく無いに等しいのだけれど。
「あとは汁ものを……いや、メインがトンカツなのに豚汁は無いだろ……」
ついでに、組み合わせとか色彩とか、そういうところに頓着しない。
多少栄養バランスや見た目が悪いのは構わないが、こういうのは勘弁して欲しい。
「二人とも席に着いたかー?」
「おうともよ!」
「おーともよー」
まず、二人の分を載せたお盆を手にリビングへと引き返す。
言われたとおりに服を着直した千里と母さんは綺麗に片づけられたテーブルの前で正座していた。
「先に食べてていいから」
「おk」
「おk」
「母さん、変態がうつるからそういう口真似は止めなさい」
まあ、千里を変態にしたのは母さんという疑惑も無きにしも非ずだが。
頂きます、と手を合わせる二人を横目で眺めながら再びキッチンへ行き、片手に自分の分の乗ったお盆を、もう一方の手でコップとお茶の入ったヤカン、醤油を持ってUターン。
空いている場所に腰をおろし、二人に倣って手を合わせる。
「いただきます」
箸を手に取り、まずはキャベツに手を伸ばす。
瑞々しくシャリシャリとした食感が口の中で斉唱を奏でる。
「それで、秋一。 結局、副会長とは何の話をしてたん?」
「創部の話の続きだよ。 ほれ、上級生の心当たりなんてないだろ? だから副会長に協力してもらおうかと思って拝み倒してた」
「……で、本当のところは?」
「残念だが、お前の期待するような素敵な展開は何一つとしてねえよ」
「高校生離れしたモンスターサイズだって話よね、その副会長さん。 そんなものを前にして何もないなんて……我が子ながら情けないわ」
「アンタは息子に何を求めているんだよ」
行儀悪いとは思いつつも箸でビシッと母さんを指す。
母さんは俺の言葉なんて気にも留めず、冷奴を箸で割いている。
「お母さんはいつでも逞しく育って欲しいと思っているわよ?」
「逞しさの方向性に問題があり過ぎるわ、阿呆」
「で、本当にそれだけ?」
俺と母さんのやり取りを遮るように千里が尋ねる。
……なんか妙にしつこいな、こいつ。
「そんな事を訊く為にわざわざうちまで来たのか?」
「え、えーと、それは……アパートでキノコが繁殖してもうて……」
「お前は何を言っているんだ」
申し訳程度に突っ込んでからご飯に口を付ける。
弾力、粘度、柔らかさが奇跡とも言えるバランスで共存した素晴らしい歯ごたえだ。
咀嚼した白米を飲み込み、お茶を一口。
「あと、顧問も確保出来るかも知れない」
「ほう、誰?」
「多分、お前も知ってる人だよ」
千里がそんな事は聞いて無いという顔を向けて来るが取り合わずにトンカツを一切れ箸でつまんだ。
「今週中には分かるだろうから、見てのお楽しみで良いだろ?」
「念の為に言っておくが、巨乳美女以外は認めないお!」
「……そうか」
あえて何も言わず、目を逸らした。