20話 世界観が現実に近いと警察の存在が凄まじくめばちこ
再び愛千橋病院。
看護士の女性の話によると、コスプレした女性二人によるちょっと常識はずれな乱闘があったらしく、病院内は色めき立っていた。 が、その割には警察の気配がしない。
聞くところによるとRUMIコスの子は10階から叩き落とされたらしいが、それだけ派手に暴れて誰も警察を呼ぼうとしないというのは少々不自然だ。
「……本当に新天寺社の息のかかった施設なんだな、ここは」
「いや、正確に言えば息のかかった人間が何人かいる、医療関係の機材やカルテの管理なんかでそれなりに利害関係がある程度だ。 警察がいないのはどっちかって言うと余所の判断だろうな。 どんな力が働いて動けないのかは知らないがな」
頭の中は妹のことでいっぱいらしい。
その受け答えからは警察に対する無関心が透けて見えた。
俺としては変なタイミングでやってこられてもそれはそれで具合が悪いから、もう少し気にとめておいた方が良いと思うのだが。
「なあ、秋一。 ここって脳の手術を出来るような大それた設備があるような病院だっけ?」
なし崩しに通天閣からここまで手をつないだままだった、そして今も手を握っている真っ最中の千里がそんな疑問を口にする。
が、病院の設備のことなんて俺に分かる筈もない。
「……どうなんだよ?」
「問題ない。 脳の手術と言ってもただの電磁波照射だ」
「ただの、ねぇ」
だとすれば、わざわざ千里の力を借りようとした理由が説明出来ない。
あと、それは手術とは言わない気がする。
なら何というのかと訊かれても答えられないので、いちいちつつく程の事でもないだろうが。
大須 冬彦は間違いなく夏芽の兄で、夏芽のことを誰よりも想っていた。
その事実だけあれば十分だ。 何の意味もなく、何の勝算もなく、ただ自棄になって肉親の命を危機に晒すような真似はしないだろう。
大須 冬彦がエレベーターのボタンを押す。
ちょうど1階に止まっていたエレベーターのドアが静かに開いた。
患者や看護士たちの騒ぎを尻目に俺達4人――と言っても一人は俺にしか見えないのだけれど――はエレベーターに乗り込み、10階を目指す。
ドアが閉まり、静かに昇り始める。
「……今から、夏芽の手術の詳細を伝えたい」
ゆっくりと上昇を続けるエレベーターの中で、大須 冬彦が静かに口を開いた。
「夏芽の手術に使う機材は出力、照射位置の調整等にARネットワークを利用して行っている。 で、通常はそこまで多量の演算能力は必要ないんだが、何せ夏芽が眠ったままになっている原因は通常の人間の脳の機能としてはあり得ないもの。 だからいざとなったら中止する事も視野に入れて、いろんなケースに対応できるようにしておきたい」
「ああ、だからストフェスにフトモンの大会を重ねてまで演算能力を確保したのか」
少しでも妹の安全を確保するため。
動機としては納得すべきなのか突っ込むべきなのか微妙な線だ。
そもそも、大須 冬彦のような役目を担う、どちらかと言えば組織の暗部の人間にどの程度の権限があるのかも定かでないし。
「そういうことだ。 ネットワークの無断利用になる以上、それに勘付かれた時に外部から干渉を受けないように演算をこの一帯のエリア内で完結させたい」
「それじゃ、私はエリア外部からのアクセスを出来ない状態にすればおk?」
「いや、それは僕がやっておく。 君はエリア内のセキュリティの無効化を頼む。 ……あと、羽原 秋一。 君はそうだな、夏芽と一緒に病室の前で見張りでもやってもらおうか」
「まあ、そんなところだよなぁ」
俺は千里のようにネットワークに侵入して云々なんて大層なことは出来ない。
かと言って何か特別な事が出来るかと言えば特にそんな事もなし。
それに、いて損は無い役どころには違いない。
「もちろん、ただ漫然と見張りを押し付けた訳じゃない。 君の目なら……」
一旦言葉を切った大須 冬彦は、懐から取り出したアーリーを弄って何かしらのアプリを起動させた。
瞬間、俺の目にこの病院の間取り図と思しき映像が浮かび上がる。
フロアマップだけであれば特に驚くべきものでもない。 が、問題は複数の丸印がフロア内を行き来しているのが表示されている点だろう。
「青は病院の関係者、赤は患者、部外者は黄、新天寺社の関係者は緑で表示されている」
「へえ、便利だな。 もしかして病院内のカメラか?」
「正解。 もちろん、データのネットワークへの送信もこういう形での利用も病院には無断で行われている。 だから、こんな事も出来る」
もう一度、大須 冬彦が端末を操作する。
1階のエントランス付近を見下ろす画像に切り替わった。
「なるほど、確かに見張りにはうってつけみたいだな」
「時間があればもっと有効なアプリを用意してやる事も出来るんだが」
「いや、これだけで十分」
大須 冬彦のアーリーを受け取り、ポケットにねじ込んだ。
「操作方法は分かるか?」
「いざとなったら夏芽に頼むから大丈夫」
『なんか良く分からないけど頼まれた!』
本当に何も分かってなさそうに得意気にふんぞり返る夏芽。
その様子が少しおかしくて、思わず噴き出しそうになってしまう。
「ああ、頼りにしてるぞ、夏芽」
「おいこら、僕に見えないからって妹に変なことするんじゃないぞ?!」
「しねえからちょっと落ち着け、シスコンマスター」
声を荒げる大須 冬彦を苦い笑みを浮かべつつなだめる。
「酷いわ、私というものがありながら妄想女に浮気するなんて……!」
「変なタイミングで便乗してふざけるんじゃねえよ!?」
いい加減付き合うのが面倒になった俺は二人の頭を軽く引っぱたいた。
その直後、10階に到着したエレベーターのドアが開き、俺達を待ち構えていた協力者と思しき人物が頬をひきつらせる。
「ふむ、なにやら愉快なことになっているようだね」
その人物の正体は先ほど俺に夏芽の病室を教えてくれた初老の医師だった。
その言動や態度を見て、脈絡もなく思った。 カエル顔じゃないのが惜しいな、と。