9話 寝ている女子の放屁で夢から覚める少年たちに告ぐ、むしろそれが良いと思えるようになったら一人前だ
「うーん……まさしく眠り姫って感じだな」
それがベッドで目を閉じたまま微動だにしない少女を見た時、真っ先に浮かんだ感想だった。
長らく使われていない四肢は痩せ細っており、もしも今目を覚ましたとしてもまともに動けないだろう事は容易に想像できる。
痩せこけた少女の顔は不相応に肉が少なく、不健康もいいところだった。 が、それでもなお思わず見とれてしまいそうな程に美しかった。
長く伸びた絹のように艶やかで繊細な黒髪。 手入れをしている訳でもないのに形の整ったまゆ毛。 閉じられた瞼から伸びるまつ毛は豊かで長い。 鼻筋は良く通っており、更に視線を下へやると形の良い唇が微かに寝息を立てている。 どうやら呼吸器の類は使用していないらしい。
「って、この子が本当に夏芽なのかよ?」
『どういう意味よ、それ?』
「いやだって、なぁ?」
もっと男勝りで勝ち気そうな姿格好をイメージをしていただけにこれには面食らった。
このかぐや姫もかくやの(と言ってもかぐや姫の実物を見た事はないが)少女が口を開くとこっちのAR少女みたいな感じになるのかと思うと……とても残念だ。
じっと彼女の寝顔を眺めていると彼女のプロフィールが浮かび上がってきた。 さすがにそれをまじまじと見るような真似はしなかったが、少女の名前が中野 夏芽である事だけはしっかりと確認させてもらった……ああ、残念だ。
出来る事なら彼女が夏芽の本体だなんていうのはただの妄想で、この子は上品に微笑んで「ごきげんよう」とかそんな感じの挨拶をする深窓のお嬢様であって欲しかった。
別に夏芽の人柄が嫌いなわけでは断じてない。 が、それを彼女の中に突っ込むのはどうしても違和感が拭いきれない。 ギャップ萌えならぬギャップ萎え。
身勝手と言われればまさしくその通りではあるのだが、それでも夢は夢として夢のままに胸の中に留めておきたいのが人情なのだから仕方ない!
『だってなぁ、なんて言われても分からないわよ。 そもそも自分の顔なんてしばらく見てないんだから』
「それもそうか。 まあ、アレだ。 悪戯するなら今のうちかな、と思える程度には美人だ」
『ほっほう。 さすがはアタシね』
でんでんタウンのイメージキャラクターの姿を借りた少女が妙に得意気な表情で頷く。
……やっぱりなんか違う。
『でも、変なことしちゃダメよ!』
「額に肉って書いてやるぜ……とかか?」
『悪戯ってそういう!?』
「そういうって、他にどんな悪戯があるってんだよ?」
『そ、それは……』
少し大げさにたじろく夏芽。
徐々に顔が赤くなっていくのが面白くも可愛らしい。
すると舌の根も乾かぬうちにこういう方向性ならあの子の中身でも良いかもとか思ってしまう辺り、俺はわりとどうしようもない類の人種なのかも知れない。
『で、でも美人って言ってたわよね? 額に肉じゃ美人である事と悪戯の間に意味のある繋がりが見いだせないわ!』
「そりゃあれだ。 まっさらな壁を見ると落書きしたくなる心境」
『アタシは壁と同レベルか!? そしてアンタはヤンキーか!?』
夏芽はうがーっと両手を掲げて威嚇するみたいに構える。
が、相手は二次元美少女のARなので威嚇されたってちっとも怖くない。
「それが嫌なら商店街のシャッターでも良いぞ?」
『せめて生き物にしなさいよ!?』
「んじゃ、よく小学校の校庭に紛れ込んでた眉毛犬」
『……はぁ、もうそれでいいわよ』
夏芽は漫画みたいな横線一本の目になり、がっくりと肩を落とした。
ああ、そうか。 ARだからこういう感情表現も出来るんだな。
なんてどうでも良いことに思わず感心した直後、こちらに向かって近付いて来る足音が廊下に響いた。
「……夏芽、静かに」
口元に人差し指を押し当てた格好のまま、息を潜め、ドアに張り付いて耳をすませる。
遠くから反響して聞こえていた靴音が、徐々に大きくなってゆく。
カツン、カツンとリノリウムの床を叩く音はやがて、1007号室の前で止まった。
そう言えば小説なんかで病院の床材に使われているのが大概リノリウムなのは何故だろうか?
脈絡もなく湧きあがったそんなアホみたいな疑問を脳の片隅に追いやり、
「なあ、中学生相手にこそこそする必要もないだろ?」
「……」
話し合いを持ちかけてみるも、全くの無反応。
警戒されているのか、相手にされていないだけなのか。 ふむ、となると……
「あんまりつれない反応するとこのお嬢さんに悪戯しちゃうぜ?」
『オイコラ、ちょっと待て』
「はあ、人質だなんて悪い子ね。 そういうのはお姉さんは感心しないわよ?」
安っぽい作戦ではあるが、効果はあったようだ。
足音の主はゆっくりとドアを開けて俺の前に姿を現した。
ただ、困った事に釣りあげる相手を間違ってしまったらしい。
俺の目の前に立っていたのは、露出の多いファッションと歩くたびに揺れる金色のエクステがひときわ目を引く、そしてそんな中々に敷居の高いコスプレを完璧に着こなす引き締まったボディのセクシーなお姉さまだった。
「……えーっと、ワクドぶりっすね?」
「あれ、私の尾行に気付いていたんじゃないの?」
「いえ、全く」
直後、彼女は「あー、やっちゃったー!」と頭を抱えてうずくまった。
もっとも、「やっちゃったー!」なのは俺も同じなのだが。
すっげぇ真面目な感じに、ちょっと格好つけて「中学生相手にこそこそする必要もないだろ?(キリッ)」とか言っといて別人でしたってどういうオチだよ。
しかも、それに応じた相手がレイヤーのおねーちゃんって……。
穴があったら入りたい心境って、こういう事を言うんだろうなぁ。 いや、むしろ私は穴になりたい、そんな心境だ。
「で、何で俺を尾行していたんです?」
間抜けな失敗の恥ずかしさなど微塵も表情に出さず、そう切り出した。
レイヤーの女性もちょうど良い助け舟、とばかりに立ち上がってその話題に乗る。
アーリーを所持していた筈だが、彼女のプロフィールは表示されていない。
大須 冬彦が俺の尾行を止めたからだろうか? それとも彼女のアーリーが特別な仕様なのだろうか? コスプレのせいで顔の認識がうまくいかないのだろうか?
とにかく理由は分からないし、そもそもどうやってこの目が、アプリが、個人を認識しているのかさえも知らないが、彼女の情報を覗き見る事は出来ない。
「私は……君のお友達の事を訊きたかったのよ」
「友達? 誰の事ですか?」
「彼女さんだった?」
「いよいよもって誰の事だか」
ガールフレンド、だなんて全く心当たりがない。
……とは言わないが、思い当たる節をおいそれと話すほどボケてはいない。
「はぁ、面倒くさい子ね……。 分かったわ、はっきり言えばいいんでしょ?」
「はい、なんでしょう?」
訊かれたところで答えたくないものには答えないだろうけど。
「あなたがワックで一緒にいた女の子は北里 千里ちゃんよね?」
「……訊きたいのはそんなことですか?」
はっきり、と言いながら明らかに迂回している女性に訝しげな視線を送る。
相変わらず警戒されている事に気付いた彼女は少し困った風な笑みを浮かべ、所謂降参のポーズをとった。
「別に彼女に悪さしようって訳じゃないのよ?」
「人から何か訊き出そうとしている人が、なおかつ悪さしようとしている人は皆そう言います」
「うっ……」
「アナタはあいつの知り合いでも何でもないんですよね? 生まれも育ちも大阪のあいつにワックなんて略称使う知り合いがそうそうもいるとは思えないですし。 仮に知り合いならこんな風に嗅ぎ回っている状況自体かなり不自然。 大方、昔の大衆誌の記事であいつの顔を知って、偶然見かけたからミーハー心で……ってところですか? もしもそうだとするならそんな輩に話す事なんて微塵もありませんし、それ以外だと胡散臭くてなおさら話せません」
まくし立てるように、一気に話した。
女性はぽかんと口を半開きにして、瞼をしばたたかせている。
対する俺は口を真一文字に結んだ不機嫌そうな表情でじっと睨み合う。
「……分かったわ。 あなたの千里ちゃんへの愛に免じて大人しく引き下がらせてもらうわよ」
やがて、Yulyのコスプレをした女性が折れた。
再びドアを開けて廊下へと一歩踏み出した彼女は、去り際に一言、こんな事を言い残した。
「もしも彼女が新天寺社と変な関わりを持っているようなら引き止めてあげなさい」
言葉通りに受け止めるならば「千里を守ってやれ」という意味になるのだろうか。
しかし、同時に「よほどの意思がないなら千里に関わるな」と受け取ることも出来るし、或いは「新天寺社に気をつけろ」という忠告の可能性もある。
他にもそれらの複合、俺の反応から何かしらの情報を引き出す為のトラップなんて可能性も考えられるか。
色々なケースを想定して、どれと断ずる事も出来そうにないと判断した俺は、
「なぜ新天寺社なのか分かりませんけど、悪い付き合いなら言われるまでもありません」
ひとまず適当にはぐらかすことにした。
千里に関しては追々
それはそれとして、任○堂カンファレンスのAR○クさんが可愛過ぎて生きているのが辛い……
AR技術さえあれば手乗りミ○さんが現実のものになるんですよ
あと【禁則事項です】とか【放送禁止です】とか【規制対象です】とか!!