第二章 36 『届かせない道』
補強中の保守用魔導具が、白く焼けるような光を放っていた。
四本へ分散されるはずの負荷が一基へ集中し、外殻を押さえる金具が赤く熱を持っている。亀裂の隙間から漏れた魔素が床を走り、第一分霊石の台座まで細い光の筋を作っていた。
「役割を分け直します」
千佳は七星との間合いを保ったまま、封印区画全体へ声を通した。
「流川さんとゲブさんは負荷の流れを確認してください。成瀬さんとティナさんは、魔導具へ集まる圧力を外へ逃がす。西野さんとラールさんは、魔導具と正規線の位置を固定してください」
亀裂の入った一基には、騎士二人が補強作業を続けている。残る二人は退避路と第一分霊石の間に立ち、黒い解除線が台座へ近づかないよう監視していた。
「ナーヴァ団長と私は、芹沢さんたちを止めます」
「了解」
卓斗は返事をしながら、痺れの残る右手を開いた。
中指と薬指はまだ反応が遅い。左肩も二度受けた打撃のせいで胸の高さまでしか上がらず、両腕を使って姿勢を支える動きは難しかった。
「これ以上、右手へ大きな出力を通すのは勧めないわ」
ティナが卓斗の手首へ白銀の魔素を沿わせる。熱だけを外へ逃がしても、竜紋の奥に残る鈍い痛みは消えない。
「勧めないだけで、止めはしないんだな」
「止めて聞くなら、最初から苦労していないもの」
「俺の信用、終わってるわ」
「正しく把握しているだけよ」
言い返しながら、卓斗は補強中の魔導具へ視線を向けた。
本体へ直接干渉すれば、正規線まで引っ張る可能性がある。逃がすべきなのは、外殻を内側から押す圧力と、床下から一方向へ集まっている魔素の流れだった。
その時、春が高い足場から動いた。
カラドボルグを横へ振るうと、足元から石の橋が伸びる。橋は真っ直ぐ絵麻へ向かわず、途中で一段高くなり、幅を狭めながら退避路の側面へ接続した。
「来る!」
絵麻が立ち上がる。
春は橋を渡りながら、左右へ短い石壁を作った。絵麻からは春の上半身しか見えず、移動先に使えそうな床も柱によって細かく区切られていく。
春の狙いは絵麻ではない。
絵麻とラールを保守用魔導具から離し、固定を崩すことだった。
「西野さん、位置を維持してください。迎撃は最小限で構いません」
「分かってる!」
絵麻は保守用魔導具と自分の間に置いた座標を確かめた。
春を追って前へ出れば、ラールとの固定線が伸びる。双葉の秩序が残る空間では、距離が広がるほど補助が弱まる。
だから、待つしかない。
春が橋の先端へ到達し、カラドボルグを振り下ろした。
刃は絵麻を狙わない。足元の石床へ突き立ち、そこから新しい壁を隆起させる。
絵麻は半歩横へ位置をずらした。
直後、元いた場所を石柱が突き上げる。避けた先にも細い壁が立ち、退避路との視線が遮られた。
「昔から変わらないな」
春は壁越しに静かに告げた。
「お前は、守ろうとすると周りが見えなくなる」
「四年前の私で決めつけないで」
絵麻は壁の端へ手を向け、その位置をわずかに横へずらした。
春が作った壁と既存の床の間に、身体一つ分の隙間が生まれる。ラールはすぐに白鋼を流し、隙間が閉じないよう両側を固定した。
「変わったから分かることもある」
春が隙間へ踏み込む。
「変わっても、置いていけないものは同じだ」
「知ったようなこと言わないで」
「知ってる」
その短い言葉が、絵麻の足を一瞬だけ止めた。
春は昔の絵麻を知っている。強がって、負けるのが嫌で、誰かが困っていれば自分から前へ出ていた頃を知っている。
だからこそ、今の自分まで分かったように扱われることが腹立たしかった。
「会いたかったのは本当よ」
絵麻は春を見据えたまま、右手を前へ出した。
「でも、それが通す理由にはならない」
春との間に空間の歪みが走る。
距離そのものを切り離し、橋の先端と絵麻の立つ床を一時的に別の位置へ分ける。春の足が前へ出ても、絵麻との距離は縮まらなかった。
春は立ち止まり、カラドボルグを横へ向ける。
新しい石橋が歪みを迂回するように伸びた。
「絵麻ちゃん、長い道は駄目です!」
ラールが白鋼の固定を維持しながら声を上げた。
「レクイナさんに終わらされたら、もう使えません! 短く作って、使ったら捨てましょう!」
絵麻は一瞬だけラールを見た。
焦りで声は上擦っている。それでも、提案は具体的だった。
「それでいく」
「は、はいっ!」
絵麻は長い退避路を作るのをやめた。
春が伸ばした橋の側面へ、一メートルほどの短い接続を作る。ラールがそこへ白鋼の足場を固定し、絵麻が渡り切ると同時に接続を閉じた。
使い終えた場所へ、レクイナの黒銀の魔素が触れる。
足場の縁から魔素が失われ、灰色へ沈んだ。もう同じ場所は使えない。
「一回ごとに作り直すつもりか」
「そうよ。道が終わるなら、新しいの作ればいいでしょ」
絵麻は春の右側へ移り、短い空間の裂け目を足元へ開いた。
春は絵麻本人へ剣を向けず、着地点へ石柱を出す。絵麻は足が床へ触れる直前に座標を横へずらし、柱の側面へ滑り込んだ。
連続した位置変更により、視界が一度傾く。
床が斜めになったように見え、吐き気が喉元まで上がった。
「無理をすると、次が遅れる」
春はその乱れを見逃さなかった。
カラドボルグを床へ滑らせ、絵麻の背後から保守用魔導具へ続く細い回廊を作る。
春自身が通れる幅しかない。だが、絵麻を振り切るには十分だった。
「行かせない!」
絵麻は春ではなく、回廊の先端へ干渉した。
石の道が台座へ接続する直前、その座標を横へずらす。橋の先は保守用魔導具から外れ、右側の石壁へ突き刺さった。
「ラール、先を固定!」
「分かりました!」
ラールの白鋼が橋の先端を包み、向きを変えられないよう固定する。
春がカラドボルグへ魔素を流しても、橋は第一分霊石側へ戻らない。絵麻は春を止めるのではなく、春が作る道の終点だけを外していた。
一方、補強中の魔導具では、内部圧力がさらに上がっていた。
恵依は四本の魔導具と床下の流れを同時に追う。残る三基から弱まった魔素が、一本の細い通路を通って補強中の一基へ流れ込んでいる。
「単純に終結へ寄せられているだけではありません」
恵依は床下へ向けて視線を細めた。
「春さんの創造した構造が、負荷を一方向へ導いています」
「どこ?」
卓斗がしゃがみ込み、右手を床へ近づける。
「あなたの右足から一メートル前です。床下に細い溝があります」
「壊していい?」
「正規線とは離れています。ただし、全体を崩すと負荷が逆流します」
「じゃあ角度だけ変える」
卓斗は溝を覆う床石の端へ、短く斥力を加えた。
強く押さない。石材を数度傾け、流れの向きをずらすだけに留める。
右手首へ鋭い痛みが走った。
「っ……」
「タク、続けて使わないことね」
ティナが卓斗の前へ降り、白銀の魔素を床へ流した。
溝の周囲だけ空間密度が変わり、一方向へ集まっていた魔素が左右へ広がりやすくなる。さらに石材の摩擦が薄れ、卓斗の小さな斥力でも角度を保てるようになった。
負荷の流れが三つへ分かれる。
弱まっていた残り三基の光が、わずかに戻った。
「分散しています」
ゲブが変化を確認する。
「ただし、モルティナさんの終結条件は残っています。流れを戻そうとしています」
「一回止めれば十分。次を考える時間は作れる」
卓斗は右手を引き、指を握ろうとした。
痺れで完全には閉じない。だが、補強中の一基から聞こえていた金属の軋みは少し弱まっていた。
その直後、絵麻の足元から三本の石柱が突き上がった。
一本目は正面。二本目は左後方。三本目はラールとの間を分断する位置だった。
「ラール、先に逃げて!」
絵麻はラールの足元へ座標を置く。
空間をずらそうとした瞬間、金色の火花が散った。
双葉の秩序が、二人の出力差を拾って干渉を弾く。白鋼の固定を続けているラールの方が、一時的に高い魔素をまとっていた。
「えっ、今!?」
判断が遅れた。
絵麻は正面の石柱を横へ避けたが、左後方から伸びた二本目が脇腹へ迫る。
「絵麻ちゃん!」
ラールが白鋼の障壁を斜めに出した。
正面から止めれば押し潰される。柱の側面へ障壁を当て、軌道を外へ流す。
石柱は絵麻の身体から外れたが、完全には逸れない。肩口が脇腹へぶつかり、絵麻は右側の石壁へ叩きつけられた。
「っ、あ……!」
肺の空気が抜け、膝が床へ落ちる。
右脇腹に鋭い痛みが走り、息を吸うたびに身体の内側が引きつった。視界の揺れも強まり、春との距離が一瞬分からなくなる。
春は倒れた絵麻を斬らない。
その横を抜け、外れた石橋から第一分霊石側へ新しい足場を伸ばした。
「絵麻ちゃん、立てますか!?」
「いいから、橋を止めて!」
絵麻は壁へ手をつき、無理に身体を起こした。
春本人へ空間の魔素を向けても、双葉の秩序に阻まれる可能性がある。負傷した今の出力では、なおさら直接止めるのは難しい。
なら、道だけを消せばいい。
絵麻は春と第一分霊石の間へ右手を向けた。
そこにある距離を、前後で切り離す。
春が一歩進む。だが、台座との距離は縮まらない。
石橋は前へ伸びているのに、終点だけが同じ場所へ留まり続ける。
「春を止めるんじゃない」
絵麻は乱れた呼吸を整えながら、空間の切れ目を維持した。
「分霊石まで行かせなければいい」
ラールが絵麻の隣へ立つ。
切り離された空間の縁へ白鋼を流し、隔絶した状態を固定する。半透明の壁が春と第一分霊石の間へ立ち上がった。
春はカラドボルグを床へ当て、新しい接続点を作る。
絵麻はそのたび、座標を少しずつ横へずらした。
一つ目は右へ。
二つ目は上へ。
三つ目は既存の石壁の裏側へ。
長い道を維持しない。春が届こうとするたび、終点だけを別の場所へ移す。
「俺を倒せないまま、いつまで道だけ塞ぐ?」
春の問いに、絵麻は眉を寄せた。
「倒す必要ないでしょ」
「俺が進み続けてもか?」
「今日ここで勝つって、あんたを壊すことじゃないから」
春の手が止まった。
ほんの一瞬だった。
絵麻はその隙に、春が作りかけていた接続点を石壁の反対側へずらす。ラールが白鋼で固定し、道を完全に外した。
「会いたかったし、助けたいとも思ってる」
絵麻は脇腹を押さえながら立ち直る。
「でも、あんたがやってることまで通す気はない」
春の瞳がわずかに揺れた。
絵麻が自分を傷つけられないことは、春も分かっていた。だから、道を塞ぎ続ければいつか限界が来ると考えていた。
だが、絵麻は倒すか通すかの二択を選ばなかった。
春を残したまま、目的だけを失敗させようとしている。
「前より、周りを使うようになったな」
春はカラドボルグを持ち直した。
「一人で全部やるほど馬鹿じゃなくなったの」
絵麻が返した直後、春は隔絶壁を正面から壊さず、上空へ石橋を伸ばした。
壁を越え、第一分霊石の真上から降りるつもりだった。
絵麻は空間をずらそうとしたが、脇腹の痛みと空間酔いで反応が遅れる。
「絵麻ちゃん、上は私がやります!」
ラールが先に両手を上げた。
白鋼の梁が斜め上へ伸び、成長途中の石橋へ接触する。橋を壊すのではなく、伸びる方向だけを固定した。
春の石橋は第一分霊石へ向かわず、横の石壁へ曲げられる。
先端が壁へ食い込み、その場で止まった。
「できました!」
ラールは驚いたように自分の梁を見上げた。
「自分で驚かないでよ」
「だ、だって、ちゃんと狙った場所に出たので!」
「普段もそうして!」
絵麻は痛みに顔をしかめながらも、短く息を吐いた。
春と第一分霊石の間には、複数の短い隔絶壁と白鋼の固定線が残っている。どれも長くは保たないが、春が一気に台座へ到達する道は消えていた。
補強中の魔導具でも変化が起きていた。
卓斗とティナが負荷の流れを三方向へ分けたことで、残る三基の光が戻りつつある。一基へ集中していた圧力はまだ強いが、外殻がすぐに砕ける状態からは外れた。
「負荷集中、緩和しています」
恵依は正規線の明滅を確認した。
「完全には戻っていませんが、四本すべてが役割を持ち直しています」
「じゃあ、次の手が来る前に固定を増やす」
卓斗は痺れる右手を左手で押さえながら、補強枠の周囲を見た。
強い操作はもう難しい。それでも、崩れそうな石材の角度を一つずつ変える程度なら続けられる。
ティナは何も言わず、卓斗が次に触れる場所の摩擦だけを薄くした。
春は石橋の上から、絵麻とラールが作った防衛線を見下ろしていた。
正面にも、上にも、直接つながる道はない。
「絵麻」
春の声は静かだった。
「その道は長く保たない」
「長く保たせる気ないから」
「使い終われば、レクイナが葬る」
「なら、終わる前に次を作る」
絵麻は春から目を逸らさない。
「何回でも」
春の背後で、レクイナが一歩前へ出た。
黒銀の魔素が広がり、絵麻とラールが使い終えた短い足場や隔絶壁へ触れていく。役割を終えたと判断された場所から色が失われ、再利用できない灰色の構造へ沈み始めた。
同時に、オブリナとモルティナも前へ進む。
白い面の奥から虚無の魔素が流れ、群青の瞳から終焉の線が伸びる。三つの冥精霊の魔素が、ティナ、ゲブ、ラールへ向けて別々の軌道を描いた。
ティナは卓斗の前から離れ、空中へ上がる。
ゲブも恵依の隣で立ち上がり、白銅の線を短く整えた。ラールは絵麻を庇う位置へ移動し、白鋼の障壁を低く構える。
「次は私たちを分けるつもりね」
ティナの白銀の瞳が、レクイナを真っ直ぐ捉えた。
「分けるのではないわ」
レクイナは穏やかに微笑んだ。
「苦しみが続かない形へ、終わらせるだけ」
絵麻たちは春を倒さず、第一分霊石へ届く道だけを潰した。保守用魔導具への負荷も、わずかながら分散し始めている。
だが、作った道を葬る者、基準を消す者、選択肢を終わらせる者が、今度は三竜精霊そのものへ狙いを定めていた。
白銀、白銅、白鋼の魔素が封印区画へ広がり、黒銀、虚無、群青の魔素と正面から向かい合う。
人間同士の道を巡る攻防の上で、六百年前から続く精霊たちの対立が、ようやく戦場の前面へ姿を現した。




