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子供の頃は漫画家に憧れていた—闇のホワイト—  作者: 説人


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子供の頃は漫画家に憧れていた—闇のホワイト—【前編】

※本作は前後編の物語です。以下はその【前編】です。

※著者が生成AIで作成した本作のイメージ画像です。

挿絵(By みてみん) 


 ◆友達に誘われたホワイトなバイト・稚玉◇


 都内マンションの一室。郷仲稚玉(さとなかちたま)は家族と夕飯を終え、自室でくつろぎながらスマホで友人と話し込んでいた。

『明日さ、簡単でホワイトなバイトがあるんだけど、一緒に行こうよ』

 そう誘った友人と稚玉は最近入った芸能学校で出会ったばかりで、それほど仲良くなかった。

『うーん。明日は夜に彼と会うけど、それまで空いてるから、いいけど?』

 稚玉は友人と距離が縮まる気がして受け入れた。

『ホント?!じゃあ、詳細はあとで送るから、絶対一緒に行こうね。稚玉ちゃんとなら楽しくバイトできそうだな』


 翌日、稚玉は送られてきた詳細の通りに現地に向かった。先に到着し、事務所で事務員に通されたタバコ臭い待合室でスマホをいじっていると、時間を計算していたように、友人から連絡が入った。

『ごめん。急用で行けなくなった。私の分も頑張ってね』

 稚玉はそのメッセージを読んで、固まっていた。

「ちっ!」


(どうやって逃げ出そう……)


 これは、それぞれの事情で集まった、ある闇バイトの一日の物語……。


 ◆上からの指示・鴉磨◇


 都内の集合場所で闇バイトのリーダー役の鴉磨実(からすまみのる)がタバコを咥えながら集まった若者の人数を数えていた。

「……よくも毎回集まるもんだ」

 車の助手席に乗り込み、窓を開けて煙を吐いた。

(これで終わりにしよう……)

 後ろを振り向き、予定のメンバーが乗り込んだのを確認した。

(今回も見事に結果を想像できないアホが揃ったな)

 ドライバーに視線をやって、ジェスチャーで指を前に出して出発しろと伝えた。

 空が曇り始めていた。


 高速を降りると閑静な住宅街に出た。この街の端に巨大な黒い門と高い塀で囲まれた洋館のような屋敷が建っていた。

 館のすぐ脇は浜辺で波が打ち寄せている。背後には大きな山が(そび)えていた――夕方、帰宅ラッシュの時間帯。駅には人が溢れ、飲食店は賑わい、多くの出前のバイクが行き交う。

「あのバッグ出前だろ?この街、出前のバイクが多いな……俺たちもなんか頼むか?」

「いいっすね」

「バカ、冗談だよ」

「え……」

 住宅街を抜けて街の端、海側へ向かってハイエースは走っていた。

 車の窓から遠くに見える大きな屋敷が近づくと、男は膝上の漫画雑誌から視線を上げ、その手前にある大きめの家を指差してドライバーに言った。

「こっちの家も大きめだし、ここだったらもっと楽だったのにな」

 助手席で鴉磨が窓から腕を出し、タバコを挟んだ指先で、ちょんちょんと屋敷の手前にある家を指した。

 沈んだ表情の若者が一斉に窓から家のある方へ視線をやった。

「ああ、間違えたとか言ってこっちにしちゃいます?」

 ドライバーが軽口を叩いて話に乗った。

「バカ、それやって本部にバレて全員処分されたの知らねーのか?」

「マジっすか?」

「あいつら、カメラ回して、じっくり拷問して殺すんだから、滅多なことを言うなよ」

「ええ……見たんすか?」

「思い出さすなバカ!」

 鴉磨はドライバーの男を軽く小突いた。

「えぇ……」

 鴉磨は横切るときもその家を見つめていた。窓の明かりが消えた。

 車内の全員が口を閉ざしている。鴉磨はその空気を変えることなく、漫画の続きに視線を落とした。

 館を目前として、曇った空に稲光が走っていた。出前のバイクが忙しなく行き交う景色が流れた。

「……俺ならもっと上手く描くのになぁ」

 鴉磨の口から漏れた言葉をドライバーが拾った。

「……漫画、描けるんすか?」

 鴉磨は視線を漫画から外さずにページをめくった。

「憧れてたな。金がなくて諦めたけど、画力で人に負ける気はしないね」

 そう言って胸のポケットからメモ帳とペンを取り出して、ささっと目の前に広がる景色を描いた。車内の窓越しから切り取られた構図が見事にメモ帳に模写されていた。

「……すごいっすね」

 鴉磨は視線をドライバーに向けた。

「……すごいだろ?」

 ドライバーも鴉磨に横目を向けて無言で小刻みに頷いていた。


 屋敷前で車が止まった。

「着きましたよ」

「見たら分かるよ、お前は待機な。終わったら連絡するから、そのとき運ぶの手伝えよ。それまで楽しんでていいからさ」

 鴉磨はそう言ってダッシュボード上に置かれたティッシュ箱を指差した。

「え?いや……あ、うっす」

 続いて闇バイトのメンバーの顔を見渡して指示を続けた。

「おい、お前ら武器をちゃんと持てよ」

 後部座席の参加者に胸から銃を出して見せた。

 一瞬、場の空気が固まった。

「おいゲーマー、普通プロフィールにゲーム歴なんて書かねーだろ?名前は嵐山?……ゲームで鍛えてるから銃の扱い上手そうだな」

 携帯ゲーム機で遊ぶ男が、胸に忍ばせたナックルを半分出して答えた。

「いや、俺は格闘ゲーム派なんで、これでいきます」

「なんだよそれ。おい、そっちの女、名前なんだっけ?」

 若い十代の女が銃を見せて構えた。

「ちっ!知ってるでしょ?稚玉だよ。早く行こうよ」

「ちたま?」

 鴉磨は指先を忙しくしてスマホを操作した。

「郷仲稚玉?変な名前」

「変?これでもタレントのタマゴだから!」

「は?タレントのタマゴの稚玉?……タマちゃんて呼ぶわ」

「ちっ!好きに呼べば?!早く行こうよ」

「そう焦るなよ、ここはチームワークが大切なんだから。呼び方は重要だぞ」

 稚玉はお決まりのように舌打ちをして視線を外した。

「おま、いくら雑魚しかいないって情報でも、当てになんてなんねーんだからな」

 鴉磨はスマホを見ながら家主であるターゲットの情報を伝えた。

「お前らちゃんと聞けよ――一年前にこの世を去った、世界的に有名な画家の本郷師重(ほんごうもろしげ)、享年七十。彼が住んでいたこの屋敷に……」

「ちっ、来る前に目的は聞いてるから!いらないよ詳細なんて」

「いいから聞けよ。未亡人の本郷嶺子(ほんごうれいこ)、四十五歳が今も住んでいる」

 誰ともなく感想が溢れた。

「奥さん若い」

 持田が手に持った鉄パイプを離さずに口を隠して言った。

「だよな……科学者で今はバイオインフォマティクスの……」

 参加者の中では年上に見える男がバッグの中から縄とガムテープを取り出した。

「へー、私は縛る担当でいいですよね?」

 そう言うと同時に男の腹がぐぅと鳴った。

「おい、聞けよ。へーってなんだよクソデブ。日本語分かるよな?」

「く、クソデブ?私ですか?太ってないですけど?」

 鴉磨はスマホを操作してチラチラと見ながら続けた。

長田卓(おさだすぐる)?お腹空いてんだろ?重要な話してんのによ。聞いてる?」

「空いてるけど、聞いてますよ」

「空いてんのかよ!ったく。んでな、この未亡人……ってどこまで話したっけ?」

「バイオインフォが、とか言ってましたよ」

「あ、そだっけ?まあいいわ。つまり、タンス預金が凄いらしいんだわ」

「ちっ!結局、端折(はしょ)んのかよ?!」

 鴉磨は何度もチラチラとスマホの画面を見ながら得意げに語っていたが、説明を遮ってメンバーは全員ぞろぞろと車を降りた。

 鴉磨は慌てて斧を持って勝手口まで歩きながら会話を続けた。

「おい、ちょ、ちょい待てよ。リーダーが喋ってんですけど?おい!ちょ、聞けよ!」

「鴉磨さんもういいから。金庫の金を貰って帰る。そんだけでしょ?」

「うっせぇお姉ちゃんだな。持田翠(もちだみどり)だっけ?鼻毛出てるぞ」

 長田がニヤニヤと笑う。

「は?出てないよ!」

「いやいや、シャーン!してるけど?」

「は?シャーン?」

 鴉磨は手の甲を鼻の下に付けて下に向いた五本指を鼻から毛が生えたように勢いよく下に広げた。

「鼻毛シャーン!」

 パーン!と破裂音が響いた。持田は鴉磨をビンタした。

「痛っ!おま、いて……」

 持田は握った鉄パイプを鴉磨に突き付けた。

「お?やるか?!お?」

「いやいやいや、鼻毛、やんねーよ」

 パーン!

「鼻毛って言うな!」

「いってぇ!ポンポン殴るなよ!俺は年上だぞ……」

 車を降りて全員で門の勝手口へと歩みを進めた。

 勝手口の前で、いざ始まるとなると、全員が震えていた。一人が弱音を吐くと、本音が続いた。

「ほ、本当に捕まらないですよね?」

「ちっ!私このあと彼氏とネットフリークで映画見る約束してるから早くしよ」

「だいたい、ホワイトで検索したのに、なんで強盗?……って鼻ばっかり見ないでよ」

「俺もこのあと友達とオンラインゲームやるから、なる早で」

 次々と本音が漏れた。

「……」

 何も言わないフードを被った男に鴉磨が言った。

「おい、お前、勝手に逃げたらどうなるか、面談のときに動画見たよな?」

「……」

「無視?……業務連絡ー、こいつを逃したら連帯責任で取り分半分に減らしまーす」

 全員から「ええー!」と不満が漏れた。

「ちっ!」

「稚玉、お前だけ舌打ちばっかしてるな。俺リーダーだから。態度、頼むよ」


 着信音――お馴染みのメロディーが流れて場の空気を遮った。鴉磨がスマホを取り出して画面を見ている。

「お、誰だ?あ、本部……」

 片手に持っていた斧を勝手口の脇に立て掛けて電話に出た。

 静かにというハンドジェスチャーで空いた手の人差し指を口の前で立てている。

 指示役からの電話だった。話しながら歩いて五人と距離を取る。電話相手に何度も頭を下げていた。それまでの態度とは対照的で、腰の低い様子は奇妙な空気を作っていた。

 鴉磨は一通りのやりとりを終えてスマホをしまい、ため息を吐いた。ウロウロと狭い間隔で彷徨い、小石を蹴って不満を散らした。


『ターゲットは用が済んだら問答無用で殺し、金庫を強引にでも開けて金を確保しろ。集めたメンバーは用が済んだら全員殺せ』


 指示の内容にブツブツと不満が口から漏れた。


「ちくしょう、ちくしょう、ちくしょう」


(自分達は安全地帯で言いたい放題言いやがって!そもそもの話が違うじゃねーか!)


 憤り――視線に気づいて顔を上げ、バツが悪そうに五人の元へ戻った。


 ◆最初の犠牲者◇


 勝手口の前に全員が集まっている。すぐ横の浜辺から流れる潮風がひんやりと身体に染みた。鴉磨は斧を強く握って振り上げた。

「ずいぶん雑に入るんだね」

 ぼそりと『鼻毛』の持田がつぶやいた。

「一気に攻めて短時間で終わらせる。丁寧にやる必要はない」

 塀にある勝手口なのに洒落た立派な扉。金の匂いが鼻に付く。鴉磨は斧を振り下ろして思い切り叩きつけた。雑にドアノブが破壊された。パラパラとノブと木片が落ちてドアの固定が外れ、キィ……と音を立てて開いた。

 ぐずついた空がゴロゴロと鳴っていた。

「行くぞ」

 鴉磨の合図で全員が勝手口を潜った。中に入るとデコボコの石畳が奥へと続き、周囲は森のように木々に囲まれていた。屋敷までは距離があり、道の先は暗闇で見えなかった。見上げると遠くに見える屋敷の窓から光が漏れていた。

 湿った空気が身体にまとわりつく。風で木々が揺れて葉が擦れ合う。暗くて姿は見えないが、時折カラスが鳴いていた。

 屋敷の裏口へと続く石畳にライトを照らして歩き出す。

 塀の外での会話が嘘のように止まり、視線が泳ぎ、静かな呼吸音がそれぞれの耳に届いた。歩みを進める毎に砂利を踏み締める音が闇に浮き立った。屋敷が近づき、窓から漏れる光がいくつも目に付いた。

「ちっ!一人住まいだよね?」

「使用人が泊まってるとかですかね?」

 目の前を何かが横切り、持田が怯えた声を出す。

「今、なんか通った?!」

「ネズミですか?!」

 喋ろうとした嵐山の頬を無造作に伸びた枝が掠めた。

「犬?痛っ!何これ?」

 全員が嵐山を見た瞬間に鴉磨が言った。

「おい、屋敷の明かりが消えたぞ」

 声につられて屋敷に目を向けると、全ての窓から明かりが消えていた。 

「あ、雨……」

 ポツリと稚玉の頬を雨が一粒掠めた。

「え?降んの?」

 鴉磨が片手を前に突き出して空を見上げると、ポツリポツリと雨の雫が続いた。

「面倒くせー!」

 そう言って屋敷の裏口を目指して走り出すと、全員が雨から逃げるように一斉に走り始めた。雨は強まり雨粒が服の隙間から肌に当たった。

「うわ!たす……」

 それぞれの愚痴が出ていたが、雨音と砂利の音に遮られて誰が何を言ったかは誰も聞き取れなかった。


 屋敷の裏口の玄関前に飛び込むと、全員が揃って雨を身体から払った。水飛沫が地面に滲んだ。

「雨の割増料金つかねーかな?」

 全員が鴉磨に何となく同意するような声が漏れた。

 扉の前には監視カメラがあり、静かに全員にレンズを向けている。それに気付いた稚玉が不機嫌そうに言った。

「ちょっと!監視カメラあるんだけど?こんなのあったらすぐバレるじゃん!私、顔バレしたら困るから!」

 全員が他人事のような無反応の中、鴉磨が答えた。

「タマちゃん、今やってるの不法侵入。顔バレしたら全員困るから」

 稚玉はイラついて腕を組み、どこを見るでもなくほっぺを膨らましていた。

「落ち着けって『俺が責任持ってデータ消すから』任せておけって、な?」

「ちっ!絶対だからね!」

 簡単に納得した稚玉を見つめながら、鴉磨はデータの消し方を頭に思い描いていた。

(ま、消すデータはカメラの方じゃないけどな)

 雨が強まり雷雲が鳴る。

 鴉磨が全員に向かって言った。

「おい、いい加減お前ら、ここから先は俺が言う通りに動けよ」

 視線が鴉磨に集まった。

「さっきターゲットの詳細を言ってる時に言い忘れたけど、俺たちはこの屋敷へ向けられた第二部隊だ」

「ちっ!どういうこと?」

「簡単な話だ。先にこの屋敷を攻めた俺らと同じような奴らは全滅したってことだ」

「そんな話は聞いてないよ!」

 鴉磨は無視して続けた。

「……俺らはその尻拭い部隊ってわけだ」

 屋敷に近付く程に条件が悪くなる。それに気付いた持田が言った。

「いい加減ここで全部言ってよ!この瀬戸際で、ババアを脅して金を奪うだけとはずいぶん条件が変わってるよ!」

 鴉磨は全員の目を見て、ゆっくりと喋り始めた。

「前の部隊が最後に本部に伝えたメッセージは『等身大の白いキャンバス人形』っていうワードだけだ。本部も意味が分からないそうだが、全滅しているから確認しようがない」

「何それ?」

 沈黙――誰も不満を口にしない。何もリアクションを示さなかった。全員が話を聞きながら空中を見つめているだけの時間がすぎた。

「いいか……あれ?クソデブの長田はどこ行った?」

 全員が顔を見合わせてきょろきょろと周囲を見回している。フードの男は相変わらず無言で立っていた。

「……」

 何度となく繰り返された稚玉の舌打ちが鳴る。

「ちっ!いちいちウザいおっさんだな」

「あれ?今また、なんか通った?」

 持田が雨が降る闇を指差すと、そこには今にも飛びかかって来そうなドーベルマンがいた。

「犬?!かなり興奮してるな。ヤバくね?」

 鴉磨は銃を構えて警戒した。

 ガサッと音がしたかと思うと、ドーベルマンの数が増えた。

「ちっ!何匹いる?」

 持田は震えながら指を差して犬の数を数えた。

「ざっとだけど、十七、八……くらい?」

「多すぎ!ちっ!どうすんだよ鴉磨さん!」

「たくっ!犬がいるとか聞いてねーし……っていうかタマちゃんて名前呼ぶときはちゃんと『さん』付けられるんだね」

「ちっ!な?……うっせー!」

 群れとなってこちらを見ているドーベルマンの中の一匹が、なにかを咥えてこちらを見ていた。それはサッカーボールのようなサイズだったが、暗くてその正体を認識できなかった。次々と不満が爆発した。

「ちっ!条件変わりすぎ!」

「私もう嫌なんだけど?」

「ええ、ナックルじゃ無理でしょ」

「……もう逃げられない」

 そのとき、背後で鍵が開く音がして、ギィ……と聞こえた。

 一斉に振り返り、向こうから迎え入れるように開いた扉に訳も分からず全員が屋敷の中へ逃げ込んだ。

「おい!鍵を閉めろ!」

 真っ先に逃げた鴉磨が後に続くメンバーに向かって偉そうに指示を飛ばしたが、誰も反応せずに横を駆け抜けて行った。いつも無言のフードの男が横切るときに、まるで女性のような香りがした。

(え?あいつ女なの?)

 疑問は解決することなく、室内に入るなり、全員が散り散りになって暗い部屋のどこかへ逃げて行った。

「ちょ、お前らどこに行くんだよ!」


 ドン!


 背中で扉にぶつかる音が響いた。慌てて鴉磨は自分で鍵をかけた。

「……どうなってんだよ。さっさとおばさん殺して金持って帰ろうぜ」

 その場に座り込み、暗い室内をライトでなぞった。狭い物置のような部屋だった。スマホを取り出して時間を見ると、ドライバーからのメッセージの通知があった。

『本部に呼ばれたんで一回帰ります』

(はぁ?なんだそりゃ?帰りどうすんだよ?)

 イラつきながらも、とりあえずの危険は去ったと判断して、ポケットから取り出したタバコに火を付けた。扉の向こうで複数の犬の鳴き声が響いている。

 煙を吐きながら目の前の部屋に目を凝らす。冷気が身に沁みる床で、心がざわついていた。

 本部への報告をどうするか?

 起こったこと、これから起こりそうなこと、信じてもらうための説明を考えながら、手が震えて唇を噛んだ。記憶が蘇る……。


 夜の港の倉庫で男の悲鳴が響いていた。

「鴉磨、生きた人間の肉を切り取って焼いたことある?」

 血の滴る日本刀を床に投げ、幹部の男が人肉を持って鴉磨に言った。目の前に突き出された生肉は、切り取られたばかりで、ひくひくと動いている。

 幹部の背後には縛られて拷問を受ける男がいた。生きたまま何ヶ所も肉を切り取られ、苦しみながらいくら悲鳴を上げても誰も助けに来ない地獄に堕とされていた。瀕死の被害者の不規則な呼吸音が、凄惨な『殺人中』の異様な空気を作っていた。

 それはどのホラー映画でも感じたことのない感覚を呼び起こし、見ているだけで神経がすり減った。鴉磨は全身から血の気が引いていた。

「おい聞いてんのか鴉磨ぁ!」

「は、はい!……な、ないです!」

 幹部の男は首を傾げて、鴉磨を睨んでいた。

「教えて欲しいか?」

 威圧されてすくんだ鴉磨は、小さく震えるように頷いた。

「……燃え方が死んだ肉とは違うんだ」

 幹部のキメ顔に言葉が出なかった。

(どーでもいいよ!)

 幹部の男は手に持った肉を地面に放り、近くにあったジッポのオイルをかけた。鼻を突く匂いが広がった。そこにタバコを投げると、ややあって火が付いた。ボウと燃える肉の焦げる臭いが漂った。

「うーん、香ばしい。あ、このあと焼肉行こうか。予約しといて」

 鴉磨は震えて吐き気を催した。

「おぇー!」

「おい、汚ねぇな!殺すぞ!」

 前蹴りを喰らって尻餅をつき、小便が漏れて股間に広がった。

「おい、こいつ小便チビってるよ。今、小便チビる要素あったか?」

 幹部の男は部屋にいる仲間に向かって笑っていた。

(いまチビらないで、いつチビるんだよ)


 鴉磨の手から灰がぼとりと落ちた。暗闇を見つめながらしばらく過去の体験を思い出して怯えていた。

「……休んでる場合じゃねーか」

 立ち上がり、タバコを落として踏み潰し、狭い部屋を抜けて通路へ出た。

 左は行き止まりで右手が長い通路になっていた。壁には額縁が並び、人や動物、湖や森など、様々なモチーフの絵がいくつも並んでいた。

 通路は長く、途中に大きな窓が薄いカーテンの裏に見えた。本部からは間取り図の一つも与えられておらず、この先がどこへ続いているか見当もつかなかった。

 鴉磨は逃げたメンバーを集めるために、部屋を一つ一つ当たって探すことにした。

 手に銃を握りしめ、ライトを照らして警戒しながら歩みを進める。通路を少し歩くと、扉があった。ドアノブに手をかけて、ゆっくりと回して扉を開けた。開閉音がキィーと響いた。


 ◆部屋の中◇


 ハンドライトを添えてサッと銃を構えて部屋を見回す。銃を下ろし、壁にライトを当てて照明のスイッチを探した。オンにすると一斉に部屋が浮かび上がり、眩しくて薄目になる。そこにはテーブルと椅子が並び、休憩所のようだった。壁に沿ってキッチンスペースが続き、シンクの横に冷蔵庫がある。

 綺麗に片付けられ、まるでさっきまで誰かがいたように整理されている。

 テーブルにはクロスが掛けられ、中央には調味料が置かれていた。そばの棚には綺麗に食器が収納され、引き出しを開けると中には銀食器が揃っていた。

 なんの手掛かりもない、ただのハウスキーパーの休憩所のようだった。鴉磨は喉が渇いたのでコップを取って冷蔵庫を開けた。

 中に飲み物はなく、空っぽだった。

「しけてんなぁ……」

 横のシンクへ移動して蛇口を捻った。

「ここまでなんもないなら血くらい出せよ」

 ドロリとした赤い液体が流れた。

「うわ!ホントに出すなよ!」

 すぐに蛇口を閉めたが、シンクは鮮血で赤く染まっていた。コップを台に置くと照明が落ちた。

「うわ!今度はなに?!」

 通路から誰かが走る音が聞こえた。それは遠くから徐々に近づき、休憩所の前を通り、先へと抜けていった。暗闇の中、音だけが移動するのをしばらく固まって聞いていた。すぐにライトの電源を入れて前を照らすと、誰かの足が浮かび上がった。

「おい、誰だ!」

 ライトを上げると、身を翻して闇に消えた。扉の開閉音はしなかった。胸が早鐘を打った。冷や汗が頬を流れる。

 無音の中、ライトを照らして他の異変はないか探した。ゆっくりと通路に顔を出して、ライトを照らして左右を見たが、何も見えない。外に出て奥へと歩みを進めた。


 ◆通路の行き止まり◇


 ライトを頼りに長い通路を歩いた。途中の部屋には何もなかった。

 行き止まりの壁にたどり着いた。

 目の前の壁には額縁に納められた絵画があり、それは西洋の銀色の甲冑が剣と盾を持った姿が描かれていた。

 暗闇の中、ライトの明かりに照らされて、不気味に浮かび上がっている。横には扉はなく、そのまま抜けられた。小部屋のような空間があり、そこを抜けた先は広いホールのように見え、明かりが点いていた。

 そのまま去ろうと歩き出した瞬間にその変化に気付いた。絵画には見る角度によって絵が変わるギミックが施されていた。正面から見ると銀色の甲冑。角度をずらして見ると、甲冑の兜が開いて、中の顔が現れた。

「も、持田?」

 精気を失った持田が白目を剥いて死んでいるのが描かれていた。

(休憩所で聞いた、誰かが走る音――あれは持田だった?)

 なんで絵の中で死んでいる?次々と疑問が湧いては解決せずに宙に浮いた。

 もう一歩横にズレると、さらに絵が変化した。甲冑が開き、血だらけの持田が地面に倒れている。開いた甲冑の内部は棘だらけだった。

(拷問用の甲冑?)

 実物の死体があったわけではない。鴉磨はそれほど取り乱すこともなかった。絵の中の持田にしばし手を合わせ、次へと歩みを進めた。


 ホールへ続く途中の小部屋には壺や絵画が飾られていた。そこに等身大の『白いキャンバス人形』が奇妙なポーズで立っていた。

 気にはなったが、余計なことは考えずにホールへ進んだ。


――後編へ、つづく。

最後までお読みいただき、ありがとうございました!


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