第7話 騎士の正体、そして告白
その日、工房の空気は凍りついていた。
正午きっかり。
大げさな馬車の音と共に、彼らはやってきた。
「ここが例の違法建築か。ひどい異臭だ」
ハンカチで鼻を覆いながら入ってきたのは、ジェラルド様だ。
後ろには、武装した私兵と、帳簿を抱えた役人が数名。
狭い工房が、一気に圧迫感で埋め尽くされる。
「……いらっしゃいませ。お待ちしておりました」
私はカウンターの奥で、努めて静かに頭を下げた。
足元の床板が『あいつだ、嫌な靴音だ』と唸っている。
ミケは棚の上に避難し、毛を逆立ててシャーシャーと威嚇音を出していた。
「挨拶など不要だ。ただのゴミ処理に来ただけだからな」
ジェラルド様は私を見ようともせず、店内を見回した。
棚に並んだ花瓶や、修理預かりの食器たち。
彼にはそれらが価値のないガラクタにしか見えていないようだ。
「監査の結果を通達する。この『アトリエ・ベルン』は、建築基準法第12条に違反している」
役人が読み上げると、ジェラルド様が得意げに顎をしゃくった。
「聞いたか? 耐震強度が足りないそうだ。倒壊の恐れがある危険な建物は、即刻取り壊しが義務付けられている」
「……いいえ、それは違います」
私は顔を上げた。
恐怖で喉が引きつるが、言葉を飲み込んではいけない。
建物が、私に訴えかけているからだ。
「この柱は言っています。『俺は百年ここにある』と。基礎の石も『びくともしない』と言っています。先日の地震でも、この工房は瓦一枚落ちませんでした」
「はあ? 柱が言っている?」
ジェラルド様が呆れたように鼻を鳴らした。
「相変わらずだな、リア。魔力がないあまり、頭までおかしくなったか? 幻聴を根拠に法に逆らうつもりか」
「幻聴ではありません。事実です。床下の梁を見てください。三百年モノの『鉄木』が使われています。最新の魔導建築よりも強度は上です」
私は床を指差した。
木材が『そうだ、見せてやれ!』と息巻いている。
この工房は、見かけこそ古いが、歴代の職人たちが最高級の素材で補強し続けてきた要塞なのだ。
それを「強度不足」だなんて、素材への侮辱だ。
「口答えをするな!」
ジェラルド様が激昂した。
彼は私の言葉の内容ではなく、私が「言い返した」こと自体が気に入らないのだ。
昔からそうだった。
私が正しいことを言うと、彼はいつも不機嫌になった。
「役立たずの分際で、偉そうに専門用語を並べるな! 壊せと言ったら壊すんだ! おい、やれ!」
彼が合図をすると、後ろの兵士たちが棍棒を構えた。
商品棚に向かって振り上げる。
私の大切な作品たちが、壊される。
「やめて!」
私は咄嗟にカウンターを飛び出し、兵士の前に立ちはだかった。
「どけ! 怪我をするぞ!」
「どきません! ここは私の店です! 指一本触れさせない!」
「生意気な……!」
ジェラルド様が舌打ちをし、自ら歩み寄ってきた。
彼の手には、装飾過多なステッキが握られている。
それが高く振り上げられた。
『来るぞ!』『避けろ!』
空気の振動が伝わる。
でも、後ろには壊れやすいガラス細工がある。
避けられない。
私はギュッと目を閉じて、衝撃に備えた。
ガシッ!
鈍い音がした。
けれど、痛みは来なかった。
恐る恐る目を開ける。
目の前に、広い背中があった。
黒い服。
クラウスさんだ。
彼が片手で、ジェラルド様のステッキを掴み止めていた。
「……何の真似だ、貴様」
ジェラルド様が色めき立つ。
ステッキを引き抜こうとするが、クラウスさんの手は万力のように動かない。
「一般市民への暴行未遂。それに、職権乱用による私有財産の破壊指示」
クラウスさんの声は、地を這うように低かった。
怒りを含んでいるのに、氷のように冷たい。
「現行犯だ。言い逃れはできないぞ、ジェラルド侯爵令息」
「な、なんだ貴様は! ただの用心棒風情が、私に指図するな! 無礼打ちにしてやる!」
ジェラルド様が喚き散らす。
その時。
クラウスさんが、ゆっくりと顔を上げた。
目深に被っていたフードが滑り落ちる。
露わになったのは、夜空のような黒髪と、鋭いアイスブルーの瞳。
そして、その瞳が放つ、王族特有の圧倒的な威圧感。
「……っ!?」
ジェラルド様の動きが止まった。
目が点になり、口がパクパクと開閉する。
ステッキを持つ手が震え出した。
「そ、その顔……まさか……」
「久しぶりだな、ジェラルド。昨年の園遊会以来か?」
「で、殿下……? クラウス・ヴィクトール・アレンティア殿下……!?」
殿下?
私は耳を疑った。
今、なんて言ったの?
「な、なぜ……なぜ王弟殿下が、こんな薄汚い工房に……!」
「言葉を慎め。ここは俺の恩人が営む、誇り高き工房だ」
クラウスさんが――いいえ、王弟殿下が、ジェラルド様のステッキを軽く弾き飛ばした。
カラン、と乾いた音が響く。
ジェラルド様は腰を抜かしたように後ずさった。
兵士たちも青ざめ、武器を取り落とす。
「き、貴様ら! 下がれ! 撤収だ!」
「ま、待てジェラルド様! 監査は……」
「うるさい! 帰るぞ!」
ジェラルド様は脱兎のごとく逃げ出した。
嵐が去るように、彼らは消え去った。
後に残されたのは、静まり返った工房と、呆然と立ち尽くす私だけ。
「……あーあ。驚かせてしまったな」
クラウスさんが、気まずそうに頭を掻いた。
その仕草は、いつもの不器用な用心棒のままだ。
でも、私はもう彼を直視できなかった。
王弟殿下。
現国王陛下の実の弟。
国のナンバーツー。
そんな雲の上の人が、なぜ。
「……騙していて、すまなかった」
彼が私に向き直る。
その瞳には、申し訳なさと、どこか縋るような色が混じっていた。
「身分を明かせば、君に迷惑がかかると思った。それに、俺は呪われた身だ。王族としての公務もできない、半端者だから」
「そ、そんなこと……」
言葉が出ない。
脳内で情報が整理しきれない。
私の相棒は、プリンスだった。
一緒に薪を割り、ミケの毛繕いをし、私の作った欠けたマグカップでお茶を飲んでいた人が。
「リア。俺は君の技術に救われた。そして、君のその……強さに、惹かれている」
彼が一歩近づく。
私は反射的に一歩下がってしまった。
床板が『離れるな』『行っちゃえよ』と野次を飛ばしてくるが、足がすくむ。
「私は……ただの職人です。追放された、魔力のない女です」
「知っている。だが、君は誰よりも高貴な魂を持っている」
彼の手が伸びてくる。
私の汚れた手を、躊躇いなく包み込む。
「身分など関係ない。俺は『クラウス』として、君の力になりたいんだ。……嫌だろうか?」
その目は、王族の傲慢さなど微塵もなかった。
ただ、一人の男性として、不安げに私の答えを待っている。
私の心臓が、痛いくらいに早鐘を打つ。
これは、吊り橋効果?
それとも。
『素直になれよ』
『脈拍上がってるぞ』
カウンターの木材が冷やかしてくる。
私は深呼吸をした。
身分差は怖い。
でも、目の前にいるのは、私の大切な鎧を直させてくれた、唯一の「わかってくれる人」だ。
「……嫌じゃ、ありません」
私が蚊の鳴くような声で答えると、彼は安堵したように、ふわりと笑った。
その笑顔は、今まで見たどの表情よりも輝いていて、私の胸を締め付けた。
けれど、現実は甘くない。
ジェラルド様は逃げたが、これで終わりではないだろう。
王弟殿下がここにいることを知られた以上、次はもっと大きな力が動き出す。
私たちの「ままごと」のような平穏は、もうすぐ終わるのかもしれない。
遠くで、雷鳴が轟いた。




