第5話 素材の声が救う街の危機
ドォォォォン……。
地響きが、足裏を揺らした。
工房の棚に並んだ小瓶たちが、カタカタと怯えた音を立てる。
地震ではない。
もっと重く、粘り気のある振動だ。
「なんだ? 広場の方だぞ」
クラウスさんが剣を佩きながら立ち上がる。
表の通りが騒がしい。
人々が慌てふためき、中央広場の方角へ走っていく。
悲鳴も聞こえる。
「行ってみましょう」
私はエプロンの紐を締め直し、工具袋を掴んだ。
嫌な予感がする。
空気がピリピリと痛い。
風に乗って、巨大な石の『唸り声』が聞こえてくるのだ。
*
中央広場はパニック状態だった。
街のシンボルである「守護の魔導像」――高さ五メートルほどの巨人の石像――が、不気味に明滅している。
普段は青白く輝き、魔物除けの結界を張っているはずの像だ。
今はその光が赤黒く濁り、ガタガタと痙攣している。
「下がれ! 下がるんだ! 魔導省の管轄だぞ!」
怒号が響く。
像の周りには、立派なローブを纏った魔導士たちが数人。
そして、高そうな服を着た小太りの男――役人だろうか――が、ハンカチで汗を拭きながら指示を飛ばしている。
「何をしているんですか! もっと魔力を注げ! 結界が消えたら私の査定に響くんだぞ!」
「し、しかし長官代理! これ以上は入りません! 回路が拒絶しています!」
若い魔導士が悲鳴を上げている。
彼らは杖を掲げ、必死に光の帯を像に流し込んでいた。
強制的な魔力供給。
それを見て、私は耳を塞ぎたくなった。
『やめろぉぉぉ!』
『苦しい! 吐きそうだ! もう食えない!』
『足が! 足が腐る!』
像が絶叫している。
魔導士たちには聞こえないのだろうか。
これはエネルギー不足ではない。
消化不良だ。
無理やり詰め込まれた魔力が、体内(石の内部)で暴走し、ひび割れを起こそうとしている。
「……止めなきゃ」
私は人垣を掻き分けた。
このままだと、像は内側から爆発する。
そうなれば結界が消えるどころか、飛び散った破片で怪我人が出る。
「どいてください! 爆発します!」
私が叫んで規制線のロープを潜ると、小太りの役人がギョッとして振り返った。
「な、なんだ貴様は! 一般人は立ち入り禁止だ!」
「聞こえないんですか? 像が『もう無理だ』って泣いてます! 魔力注入を止めてください!」
「はあ? 石が泣くだと? 頭がおかしいのか?」
役人は鼻で笑った。
私の汚れたエプロンと、煤けた顔を一瞥する。
侮蔑の色がありありと浮かぶ。
「魔力も感じられない平民風情が。我々は国から派遣されたエリートだぞ。さっさと摘み出せ!」
衛兵が私に手を伸ばす。
その時、黒い影が割り込んだ。
クラウスさんだ。
彼は無言で衛兵の腕を掴み、軽く捻り上げた。
衛兵が悲鳴を上げて膝をつく。
「……彼女の話を聞け。この像の状態、普通じゃないぞ」
クラウスさんの低い声には、有無を言わせぬ威圧感があった。
役人が怯む。
「な、なんだ貴様ら! 反逆か!」
「リア、やれ」
クラウスさんは役人を無視して、私に背中を向けた。
私を守るように立ちはだかる。
その背中が「責任は俺が持つ」と語っていた。
私は頷き、像の足元へ走った。
巨大な石の足。
地面に埋まった台座部分。
そこから、腐ったような異臭が漂っている。
魔導士たちは上ばかり見て、足元を見ていない。
『足が……ふやけて……気持ち悪い……』
像の声に従い、私は膝をついて地面の泥を手で掻き出した。
冷たくてドロドロした感触。
昨日の大雨で流れてきた落ち葉やゴミが、排水溝を完全に塞いでいる。
そのせいで台座の下に水が溜まり、さらに悪いことに、そこへ魔導士たちが流し込んだ魔力が漏れ出して、ヘドロ状の「魔力溜まり」を作っていた。
これが原因だ。
足元が腐ってバランスが崩れているのに、頭からエネルギーを注がれれば、誰だって気持ち悪くなる。
「ちょっと痛いですよ。我慢してくださいね」
私は工具袋から小さな鶴嘴を取り出した。
詰まっているのは、石化したヘドロだ。
手では取れない。
「おい! 神聖な像になんてことを!」
役人が叫ぶが、クラウスさんが動かないので近づけないようだ。
私は集中する。
一点突破。
石と泥の境目。
『ここを突いてくれ』と願う急所へ、切っ先を叩き込む。
ガキンッ!
硬い音がして、何かが砕けた。
直後。
ゴボッ、ゴボボボボ……!
黒い汚水が、勢いよく噴き出した。
詰まっていた排水溝が開通したのだ。
溜まっていた悪い水と過剰な魔力が、渦を巻いて流れ出していく。
『ああぁぁ……すっきりしたぁ……』
像から、心底安堵したようなため息が聞こえた。
同時に、像の振動が止まる。
赤黒かった光が、澄んだ青色へと変わっていく。
優しい光が広場全体を包み込んだ。
「な……!?」
役人が口をあんぐりと開けている。
魔導士たちも杖を下ろし、呆然と像を見上げている。
「魔力数値、安定! 結界強度、最大値まで回復しました!」
若い魔導士が報告すると、静まり返っていた広場から、ワッと歓声が上がった。
住民たちが拍手をしている。
「すげえ! あの姉ちゃん、泥んこになって直しちまったぞ!」
「魔導士様たちが束になってもダメだったのに!」
私は泥だらけの手を拭いながら立ち上がった。
足腰がふらつく。
緊張していたらしい。
「き、貴様……何をした! どんな魔法を使ったんだ!」
役人が顔を真っ赤にして詰め寄ってくる。
魔法?
そんな高尚なものじゃない。
「ただの掃除です」
私は正直に答えた。
「足元の排水溝が詰まって、台座が水没していました。人間だって、水たまりにずっと足を突っ込んだままご飯を食べさせられたら、お腹を壊します」
「そ、そんな馬鹿な理屈が……!」
「理屈ではありません。事実、像は喜んでいます」
私は青く輝く像を見上げた。
石の巨人は、感謝するように明滅を繰り返している。
「ふん! 偶然だ! 我々の魔力注入が効いてきたタイミングだったに決まっている!」
役人は捨て台詞を吐き、逃げるように去っていった。
その後ろ姿を見送ってから、私は大きなため息をついた。
どっと疲れが出た。
「……よくやった」
クラウスさんが、私の頭にポンと手を置いた。
泥だらけの髪なんて気にもせず。
「君は本当に、素材の医者だな」
「医者だなんて。私はただの職人です」
照れ隠しに俯くと、周りの住民たちが集まってきた。
「ありがとう」「助かったよ」と口々に礼を言われる。
おばさんが焼きたてのパンをくれたり、子供が花をくれたり。
かつて「魔力なし」と蔑まれた私が、魔法を使わずに感謝されている。
胸の奥が温かくなった。
魔力なんてなくても、手と耳があれば、世界は変えられる。
そう確信できた瞬間だった。
けれど、私たちは気づいていなかった。
逃げ帰った役人が、王都への報告書に私の名前を書き記したことを。
『辺境にて、魔導省の権威を揺るがす不敬な魔女を発見』と。
その報告書が、あの男――ジェラルドの目に留まるまで、そう時間はかからなかった。




