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異世界幻想郷 総合設定学 〜ファンタジー世界を学術的に設計・検証する〜  作者: 屋久島昇
第1部 方法論:世界を「研究」と「設計」する

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第2章 研究設計と前提固定 〜世界モデル(均衡・因果ループ・エージェント)〜

 世界設定を「研究」として扱う、という言い方には二重の含意がある。第一に、世界を恣意の集積としてではなく、一定の原理に従う対象として捉えるということ。第二に、その原理に照らして、設定を検討し直したり、改めたりできる、ということである。ここで言う原理は、自然科学的な法則に限られない。制度がどのような条件で成立し、どのような圧力で変形し、どこで破綻しやすいか、といった社会的な「力学」もまた、原理の一部に含まれる。


 しかし、世界をそのまま一つの理論で包み込もうとすると、たいていは失敗する。現実の社会もまた、単一の説明に還元されない。それにもかかわらず、われわれが現実についてある程度語れるのは、世界が全体としてどこかに落ち着く傾向を持ち、しかもその落ち着きが循環的に維持されているからである。総合設定学における世界モデルとは、この「落ち着きの傾向」と「循環の仕方」を、扱える大きさに縮約して取り出す試みだと考えるのがよい。


1. 均衡という発想︰世界はどの範囲に戻ろうとするか


 均衡という語は、静止や停滞を想起させるが、ここで問題にしているのは、停止した世界ではない。むしろ、変動し続ける世界が、それでもなお一定の範囲を外れにくいという性質である。たとえば徴税が過剰になれば反乱の危険が高まるが、徴税が不足すれば軍の維持や治安の確保が難しくなる。統治はこの狭い帯域のなかで振動し、その振動を抱えたまま何とか持ちこたえる。均衡とは、そうした「戻り」の構造である。


 ファンタジー世界では、とかく「魔法があるから可能」という言い方で制約が薄くなりがちだが、均衡の観点から見ると、制約の消失は別の制約の浮上を意味するにすぎない。


 治癒魔法が広く使える世界を考えよう。直感的には、疾病が減り死亡率が下がり、社会は安定するように見える。だが死亡率の低下は人口増を促し、人口増は食糧・衛生・居住の制約に衝突する。都市が膨張すれば、疫病の条件が整い、治癒の供給体制そのものが政治課題になる。しかも治癒が職能集団や神殿によって独占されるなら、それは救済であると同時に、統治資源ともなる。つまり、治癒魔法は「問題の解消」ではなく、均衡点を別の場所へ押しやる契機になる。


 このように均衡を意識することの利点は、世界をご都合の連鎖から引き剥がし、何が社会の上限を規定しているのかを露わにする点にある。上限が見えると、制度はなぜ必要なのかという問いが、ようやく具体性を得る。たとえば「医療政策」「環境政策」が単なる装飾で終わらず、国家運用の核心として現れてくる。


2. 因果ループ︰矛盾を矛盾のまま回す装置


 世界設定が薄く感じられるのは、出来事が直線的に連なるときである。戦争が起き、政変が起き、英雄が現れ、怪物が討たれる。だが、それは出来事の列であって、世界がどう動くかの説明ではない。説明は、多くの場合、循環として現れる。ある原因が結果を生み、その結果が次の原因として作用し、同じ方向へ加速するか、あるいはどこかで反作用が働いて速度を落とす。総合設定学が重視するのは、この循環ループである。


 ループはしばしば「矛盾」を含む。だが矛盾は、欠陥というより、むしろ駆動部になりうる。現実の社会は矛盾に満ちている。自由を掲げながら監視を強め、信仰を掲げながら利権を争い、平和を掲げながら軍拡する。矛盾があるからこそ、正当化の言説が生まれ、対立が生まれ、制度が改変される。ファンタジー世界でも同じである。矛盾を「設定ミス」として排除してしまうと、世界はかえって平板になる。むしろ矛盾を循環として捉え直し、その循環をどの制度が抑え、どの利害が増幅するのかを考えるほうが、世界は厚みを持つ。


 例として予言を挙げる。予言が政治的に有効であるなら、予言は情報資源になる。情報資源が生まれれば、囲い込みと妨害が必ず生じる。妨害が横行すると、真偽の判定や情報の統制が政治課題になり、監査・認定の権力が肥大する。権力の肥大は、異端狩りや地下化を招き、地下化はさらに偽情報の流通を増やす。ここには、加速する循環と、行き過ぎた統制が統治能力そのものを損なう反作用が同居している。予言は、便利な道具というより、社会を動かす循環装置として理解されるべきだろう。


 同様のことは、蘇生、記憶改竄、契約存在、呪いの体系にも当てはまる。超常要素が強いほど、循環は生まれやすい。そして循環が生まれる場所に、制度が生まれる。制度は循環を止めるためだけにあるのではない。循環を「管理可能な速度」に落とし、時にそれを利用するためにも存在する。


3. エージェント︰「誰が」動くのかを、あらかじめ決めておく


 均衡と因果ループは、世界の力学を与える。しかし、力学だけでは歴史は動かない。何が制約で、どこに循環があるかが分かっても、それを現実に押し進めたり、抑えたり、あるいは利用したりする主体がいなければ、世界は依然として「作者が動かした」ものに見える。そこで必要になるのが「エージェント」、すなわち行為主体の設定である。


 ここで誤解してはならないのは、エージェントが「登場人物」の別名ではないという点である。登場人物は個性と物語を担うが、エージェントは世界モデルの上で、一定の利害と情報条件を持ち、反復的に振る舞う主体として置かれる。言い換えれば、個々の人物は入れ替わっても、同種の主体は残る。官僚機構が存在する限り、官僚はいる。商人層が存在する限り、商人はいる。異端者が存在する限り、異端者はいる。だから、モデルとしては個人名よりも先に、こうした主体類型を置く方が堅牢である。


 行為主体の粒度を揃える方法として、本書は三層の区別を勧める。

 第一は、制度を持つ主体である。国家、宗教組織、都市自治体、軍、ギルド、監査機関といったものがそれに当たる。彼らは規則を作り、資源を徴収し、秩序を維持する(あるいは維持していると主張する)。

 第二は、制度の内側で生活する利害主体である。貴族、商人、農民、職能集団、冒険者、移民、被差別集団などがここに含まれる。

 第三は、制度の外縁や隙間で生きる逸脱主体である。海賊、密輸業者、闇医療、禁術研究者、異端ネットワーク、異界の媒介者といった類がそれである。


 この三層を置くと何が得られるか。第一に、「制度があるのに犯罪がなくならない」「禁制があるのに禁術が消えない」といった現象が、欠陥ではなく当然の帰結として見えてくる。制度主体は秩序を求めるが、利害主体は利益を求め、逸脱主体は制度の穴を求める。しかも、制度主体自身が統治のために穴を黙認する場合すらある。現実の社会でも、密輸は常に取締りと共存し、賭博や売春は禁制と黙認のあいだを揺れ動いてきた。ファンタジー世界でも同じである。異界物資や禁術があるなら、地下の流通が生まれ、その存在が政治の道具にもなる。世界の暗部は、単に「悪人がいるから」ではなく、制度と利害の相互作用として出現する。


 さらに言えば、ファンタジーでは行為主体を人間(人型知性)に限る必然はない。精霊が条約主体であるなら、精霊は国家に近い制度主体として扱われねばならない。森や河川といった環境に固着した存在が交渉相手になるなら、環境政策は単なる規制ではなく外交になる。群体知性がいるなら、それは個体の合理性とは異なる時間尺度で動く。神が制約付きで介入するなら、神もまた特殊な制度主体として扱うべきである。ただし、その「制約」を曖昧にした瞬間、モデルは崩れる。エージェントを増やすとは、世界を豊かにすることでもあるが、同時に、世界に新しい利害と新しい循環を導入することでもある。その代償を引き受ける覚悟が要る。


 ここで一つだけ付け加えるなら、エージェントの設定は「善悪」ではなく「利害と制約」で書いた方が強い。国家は正義だから動くのではない。徴税と統治が可能である限り動く。神殿は善意だから救済するのではない。正統性の源泉を独占できる限り救済する。闇市場は邪悪だから広がるのではない。制度の外でしか需要が満たせない限り広がる。こういう書き方を採ると、世界は人格劇ではなく構造として動き始める。


4. 検証︰世界を「壊して」みるという作法


 モデルがモデルであるためには、確かめ方が必要になる。といっても、自然科学のように再現実験ができるわけではない。ここでいう検証は、正確な予測を競うものではなく、世界の整合性を損なう箇所(言い換えれば、世界が破綻しやすい箇所)を見つけ出すための手続きである。


 最も単純で、しかも有効なのは、世界に意図的なストレスを与えることだ。凶作、疫病、鉱毒事故、宗教分裂、貨幣不安、戦争、異界門の増加、転移網の普及。こうしたショックは、現実世界の歴史でも制度の限界を露呈させ、改革や暴動や粛清を引き起こしてきた。ファンタジー世界でも同じである。違いがあるとすれば、そこに魔力汚染や呪いの伝播、精霊との条約破棄といった超常的ショックが加わる点にある。


 ここでの要諦は、ショックを「物語の事件」として扱うのではなく、「均衡の縁」を確かめる操作として扱うことである。均衡の縁とは、普段は持ちこたえている制度が、どこから先で持ちこたえなくなるかという境界線である。たとえば凶作が起きたとき、国家は備蓄で凌げるのか、価格統制で凌げるのか、あるいは暴動を鎮圧するのか。治癒魔法があるなら、飢餓死は減るかもしれない。しかし飢餓死が減るだけで秩序が保たれるわけではない。飢餓は移住を引き起こし、移住は治安を揺らし、治安の揺らぎは差別と排斥を強め、排斥は地下化と暴力を増やす。ストレスは、こうした循環を一気に可視化する。


 同様に、異界門が増えるというショックを与えれば、安全保障と行政能力の限界が露出する。封印や監査の制度が薄ければ、異界由来の汚染が拡散し、恐怖は政治資源になる。政治資源になった恐怖は、プロパガンダと弾圧を呼び、情報戦が常態化する。ここで世界が「それでも国家が維持される」方向に落ち着くのか、それとも「国家が解体し、都市や宗教が主役になる」方向に傾くのかは、モデルの置き方次第である。つまり検証は、世界の将来を一義的に決めるものではなく、どの制度が強く、どの制度が脆いかを明らかにする作業だと考えるべきである。


 検証の作法として、もう一つ有益なのは、ショックを単発で終わらせないことである。現実の危機はたいてい連鎖する。疫病が流行すれば物流が滞り、物流が滞れば食糧が不足し、不足が暴動を生み、暴動が軍事動員を招き、軍事動員が周辺地域を荒廃させる。ファンタジー世界なら、そこに治癒魔法の独占や、記憶改竄による責任回避、予言による投機、精霊との条約破棄といった連鎖が加わる。こうした連鎖を一度通してみると、制度設計の「穴」は驚くほど見つけやすい。穴が見つかれば、穴を塞ぐ制度がなぜ存在するかという理由が生まれる。制度は、説明のために置くのではなく、危機の経験の沈殿として置かれるべきだ、というのが本書の立場である。



 ここまで述べた均衡・因果ループ・エージェント・検証は、いずれも世界設定を「それらしくする技法」というより、世界設定を「壊れにくくする作法」である。モデルは細部を削る。削ることによって、世界を単純化する。しかし、その単純化は貧困化ではない。むしろ、どの部分が世界の骨格で、どの部分が装飾なのかを区別することで、装飾を安心して増やせるようになる。

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