第6章 災害・環境の基礎条件 〜自然災害(地震・火山・洪水)〜
災害は自然現象ではない。自然現象が、社会の配置に触れたときに現れる政治事象である
自然災害を「自然の暴発」と呼ぶことは容易い。しかしそれは、自然の側へ因果を押し付ける修辞である。地震も火山も洪水も、社会がそれを災害として経験するのは、自然が生む危険が、人口・資本・制度の配置に触れ、損害を増幅する脆弱性を通過したときである。危険の発生確率は統治の外側に近いが、曝露と脆弱性は統治の内側にある。ゆえに災害は、地質学の事件であると同時に、国家が歴史的に積み上げてきた選択の帰結であり、端的に言えば政治の請求書である。
本節の課題は、地震・火山・洪水を「劇的破壊の演出」から引き離し、都市と国家の設計条件として定式化することにある。そこでは、被害規模は自然の大きさだけで決まらない。むしろ、被害が大きい社会ほど、平時の合理性が高い場合すらある。回廊が強い社会ほど、集積は深まり、地代は厚くなり、結果として守るべきものが増える。災害統治の困難さは、この繁栄と危険の同根性にある。
1. 地震︰揺れではなく、崩壊と火災と到達不能が国家を破る
地震は、発生の回避が困難である点で典型的な「不可避の危険」に見える。だが社会を殺すのは揺れそのものではない。揺れが引き起こす崩壊と、その後に続く火災・断水・衛生悪化・救助遅延が、被害を社会的現実へ変換する。したがって地震は、自然現象というより、都市の組成に関する試験である。
第一に、地盤と立地である。都市が集積するのは合理性ゆえである。河川・港・盆地・街道結節は、交易と徴収と動員に都合がよい。ところが、同じ合理性が地震に対しては逆方向に働く。軟弱地盤の増幅、液状化、斜面崩壊、狭隘路地の閉塞。都市は便利さの代価として脆弱性を抱え込む。ここに「立地は運命である」という冷酷な格言が生まれるが、実際には運命ではない。運命に見えるのは、立地の選択が短期利得を通じて制度化され、後戻りが難しくなるからである。地震は、立地選択が固定化された社会に対し、強制的に再交渉を迫る。
第二に、建築と普及である。耐震技術の有無が差を生むのではない。差を生むのは、標準がどの階層にまで降りたか、監督がどこまで及んだか、維持が誰の負担になっていたかである。技術が存在しても普及しなければ、災害は「自然の不運」ではなく「身分の宿命」として現れる。逆に、普及が広い社会では、地震の痛点は建物そのものより、むしろインフラ(橋梁・上下水・燃料供給)へ移る。すなわち、地震の被害は社会が成熟するほど目に見える崩れから機能の停止へ移行する。
第三に、二次災害である。都市が燃えるのは木造だからではなく、火気・密集・消火能力・断水・道路幅の組み合わせだからである。地震後火災が政治問題になるのは、火災が「事故」ではなく、都市運用の設計欠陥として理解されるからだ。火災を抑えるには、建築規制だけでなく、水利と道路と避難地と消防組織が要る。ここで初めて、地震対策が建築の問題ではなく、行政の問題として立ち上がる。
第四に、到達性である。救援は地理に従うが、政治は到達に従う。回廊が断たれれば、中央の善意も財政も届かない。届かない場所は被害が大きいだけでなく、国家の実在を疑い始める。地震の長期的帰結が、復興の成否に加えて、自治化・離反・治安悪化という形を取り得るのはこのためである。地震は地面を割るが、より致命的には統治の連続性を割る。
2. 火山︰繁栄を呼ぶ危険 誘因と強制移動を同一の地形が生む
火山の制度的特異性は、危険の周辺がしばしば生活と富を与える点にある。肥沃な土壌、温泉、鉱物、信仰の聖地。火山は人を遠ざけると同時に、人を呼び寄せる。ここでは危険は単なる脅威ではなく、立地の誘因である。ゆえに火山統治は、「危険を避ける」よりも、「危険とともに生きる」形で制度化されやすい。そして、この共生は、破局のたびに正統性の再編を要求する。
火山災害が一枚岩でないことは強調してよい。溶岩、火砕流、降灰、泥流、有毒ガス、山体崩壊。それぞれ到達速度も予兆も、被害の時間尺度も異なる。制度論的に重要なのは、どの脅威が支配的かによって、国家が迫られる能力が変わる点である。火砕流が中心なら避難は秒の政治になる。降灰が中心なら災害は「生活の破壊」として年単位で続き、農業・水・屋根・交通・呼吸器疾患が国家財政を削る。泥流が中心なら、洪水に似て流域管理へ引き寄せられるが、原因が火山活動にあるため、責任の所在がより曖昧になり、補償と規制の正当化が困難になる。
火山災害が最も制度を試すのは、「避難」よりも「帰還」の局面である。危険区域の線引きは、生命と財産の価値を行政が序列化する作業である。線が内側なら生活が死ぬ。線が外側なら人が死ぬ。この二者択一を、技術的説明(噴火確率、堆積厚、河道変化)で薄めることはできるが、消すことはできない。火山の周辺では、災害が一度起きるだけで、危険区域が一種の恒常的境界となり、移住・補償・土地権利・信仰・生業の再配置が不可避になる。火山とは、強制移動を内蔵した地形である。
3. 洪水︰水は上流で生まれ、被害は下流で政治化する
洪水は雨が多いから起こる、という理解は半分しか正しくない。被害規模を決めるのは降雨量よりも、土地利用、河道管理、排水能力、都市の低地集積である。洪水は「自然の水」が暴れるのではなく、社会が水の道を誤った結果として現れる。より制度的に言えば、洪水は原因と被害が同じ場所にないため、必然的に責任の政治へ転化する。
洪水を理解する単位は流域である。上流の伐採・開墾・採掘・道路建設が流出を増やし、下流の都市が沈む。上流の利益は局所的で即時だが、下流の損害は広域で遅れて高額になる。この時間差と空間差が、規制と補償を不可避にする。洪水統治とは、下流の財産を守るために、上流の行為を統治の射程へ引き込むことである。ゆえに洪水は、国家が領域国家から流域国家へ変形する契機になり得る。
洪水にはさらに逆説がある。堤防は都市を守るが、堤防は安全の期待を作り、期待は低地への集積を促す。集積が進めば、破堤の損害は指数的に増える。守るほど脆くなる。洪水対策はこの構造から逃げられない。だから洪水政策は堤防建設に還元できない。遊水地、河道の余裕、土地利用規制、排水の冗長化、避難の反復訓練が一体でなければ、堤防は単に破局を先送りする装置になる。
洪水の長期的損害が政治化するのは、直後の溺死よりも、供給と価格の崩れとして現れる場合である。田畑が浸り、交通が止まり、食料価格が跳ね、病が広がる。洪水は水害では終わらない。水が引いた後に始まる生活の破壊が、国家財政と治安を削る。ここで統治が失敗すると、避難が共同体を解体し、差別と暴力が生まれ、災害が自然災害から社会災害へ転化する。洪水は、国家の顔(救済の公平と配給の手際)が最も露わになる災害である。
4. 三災害は国家の別々の弱点を突く︰破綻様式の選択
地震・火山・洪水はいずれも「自然災害」と呼ばれるが、国家に突きつける問いは異なる。
・地震は、都市の組成を突く。密度、火気、水利、到達性。短期の救助と中期の機能復旧が勝敗を分ける。
・火山は、時間尺度を突く。破局の瞬間よりも、帰還・移住・補償・生業の再配置が国家能力を試す。
・洪水は、空間尺度を突く。流域という単位での責任と規制、そして守るほど脆くなる逆説への耐性が問われる。
したがって「災害が多い世界」という叙述は、制度論としては空疎である。むしろ問うべきは、どの災害が支配的で、その支配が行政・法・財政・都市計画の隅々にまで反映されているかである。災害は偶発ではない。災害は、社会の常数として沈殿し、世界の政治を形づくる。
5. 自然災害の最小記述︰世界設定として効く確定事項
本節を設計に落とすとき、情報を増やすことは目的ではない。目的は、災害が世界の底で一貫して作用するよう、少数の定数を確定することである。最低限、次の五点を確定させればよい。
1.支配的災害:この世界で人々が最も恐れるのは何か。
2.頻度と社会記憶:それは制度(建築規制、移住慣行、保険、信仰)に固定されるほど繰り返すか。
3.被害の時間尺度:即死型か、長期困窮型か。国家能力の焦点が変わる。
4.到達の断裂点:救援が遅れる場所はどこか。そこが政治的にどう扱われてきたか。
5.復興の原理:元に戻すのか、移すのか、諦めるのか。これが正統性を規定する。
これで十分である。細部(避難所の間取りや堤防の高さ)は後から付け足せる。まず定数を決めよ。定数が決まれば、災害は「演出」ではなく「歴史」として働き始める。




