第2章 研究設計と前提固定 〜例外の制度化:「勇者補正」を世界の側へ引き戻す〜
創作世界における例外は、しばしば「物語だから」で免責される。勇者が死なない。偶然が重なる。奇跡が起きる。預言が都合よく当たる。読者がそれを受け入れるのは、作者の技量というより、例外が例外として機能する枠組みが世界の側に用意されているときである。逆に言えば、例外が世界の枠組みを踏み越えた瞬間、それは「劇中の奇跡」ではなく「作者の手」として見える。
本節の目的は、この視線の転換にある。例外を否定しない。むしろ例外を積極的に採用する。ただし採用の仕方を変える。すなわち、例外を「世界法則の破れ」としてではなく、世界がもともと持っている例外処理として書く。そのために必要なのは、例外を制度化することである。
制度化とは、官庁や法律を必ず置くという意味ではない。より一般に、(1)例外が発生する条件、(2)例外を認定する権限、(3)例外がもたらす利得とコスト、(4)例外が乱用されたときの抑制。この四点を、世界の側に持たせることである。これがあると、奇跡は「都合」ではなく「争点」になり、勇者補正は「作劇」ではなく「政治資源」になる。
以下では、例外を四類型に分け、それぞれの制度化の作法を示す。ここでいう例外は、勇者補正・奇跡・預言・作者都合である。ただし最後の「作者都合」は、世界内の言葉として言い換えなければならない。世界内では、作者は存在しないからである。存在するのは、観測できない介入、説明できない偶然、そして制度の外部で働く力だけだ。
1. 例外の四類型:「能力」「介入」「情報」「確率」
例外は一見ばらばらに見えるが、構造としては四つに整理できる。
第一に、能力例外。ある個体が、同じ訓練や資源配分では説明できない力を発揮する(勇者補正がここに属する)。
第二に、介入例外。神や精霊、あるいは世界そのものが、通常の因果を飛び越えて出来事へ介入する(奇跡)。
第三に、情報例外。未来や遠隔情報が、通常の観測を超えて手に入る(預言)。
第四に、確率例外。偶然が偏り、あり得るが起こりにくい出来事が繰り返される(作者都合に見えるものの多くはこれである)。
制度化の作法は共通している。例外を世界の側へ引き戻すには、例外を「起きる/起きない」ではなく、「どの条件で発生し、どの主体がそれを利用し、どの副作用がそれを制約するか」として扱う必要がある。
2. 勇者補正(能力例外)の制度化:英雄を資源化しない社会は稀である
勇者補正は、個人の運命的特権として描かれやすい。だが社会科学的に見るなら、希少な能力は必ず制度に吸収される。英雄が現実に脅威へ対抗できるなら、国家も宗教もギルドも、彼(あるいは彼女)を放置できない。放置できないという事実が、すでに制度の発生理由である。
したがって、能力例外を制度化する第一歩は、勇者を「人」ではなく「資源」として扱うことだ。資源である以上、①発見、②認定、③保護(または拘束)、④投入(どこへ使うか)、⑤事後処理(功績の配分)が必ず発生する。
発見は教育制度に結びつく。認定は宗教や官僚制に結びつく。保護は治安と軍事に結びつく。投入は外交と戦略に結びつく。事後処理は恩賞と身分法に結びつく。勇者が「勝手に旅に出る」ことが許される世界もあり得るが、その場合は逆に問うべきだ。なぜ国家はそれを止められないのか。止められないなら国家能力が低いのか。止めないなら政治的に得なのか。あるいは宗教が勇者を外部に置くことで正統性を確保しているのか。
さらに能力例外には、乱用への反作用が必要になる。勇者が万能であるほど、国家は依存する。しかし依存は危険である。英雄が死ねば国家が揺らぐ。英雄が反乱すれば国家は崩れる。したがって、世界が成熟するほど「英雄の管理」が制度化する。護衛、監査、誓約、婚姻政策、情報隔離、神殿への組み込み。これらは英雄譚の魅力を削るものではない。むしろ英雄が英雄であるほど政治が寄ってくるという厚みを生む。
3. 奇跡(介入例外)の制度化:奇跡はまず「鑑定」と「配分」を呼ぶ
神の奇跡が起きる世界では、最大の争点は「奇跡が起きた」ことではない。「それが奇跡であると誰が認定するか」である。認定は権力であり、権力は争われる。したがって、奇跡を制度化するには、奇跡が行政資源になる回路を描かなければならない。
奇跡は希少である(希少でなければ制度は麻痺する)。ゆえに配分が争点になる。誰に奇跡が与えられるか。どの条件で、どの儀礼で、どの代償で。配分の規則は宗教と法を結びつけ、やがて国家の正統性と絡む。奇跡が治癒であるなら医療政策になる。奇跡が豊穣であるなら農政になる。奇跡が戦勝であるなら軍制と外交になる。奇跡は出来事ではなく、制度領域の重心を動かす操作である。
ここでも抑制が必要になる。奇跡が都合よく頻発すると、世界は壊れる。したがって介入例外には、介入条件と副作用が要る。たとえば「介入は祈りの強度ではなく、世界秩序の維持に関わる場合に限定される」「介入は代償として魔力汚染を残す」「介入の痕跡は政治的に追跡され、偽奇跡が流通する」。この種の制約は、奇跡を弱めるためではない。奇跡を世界内の争点へ転換するためである。
4. 預言(情報例外)の制度化:当たるからではなく、信じられるから政治化する
預言は「未来が見える」能力として扱われがちだが、制度化の観点では、預言はまず市場と統治を揺らす情報資源である。預言が当たるか否か以前に、預言が信じられれば行動が変わり、行動が変われば世界が変わる。預言は自己成就し、自己破壊する。ゆえに預言は本質的に政治的である。
預言を制度化する際の中心は、①認定、②秘匿、③利用、④攪乱の四点である。認定は宗教や官僚制が担う。秘匿は国家安全保障になる。利用は外交・市場統制・軍事計画になる。攪乱は偽情報・対諜報・記憶改竄対策になる。預言者は放浪する賢者ではなく、情報機関の主戦場に置かれる。
また預言には必ず反作用がある。予言が流通すれば、未来は固定されるどころか、むしろ不安定化する。なぜなら、人々が予言に合わせて行動し、予言の前提条件が変わるからである。したがって預言は、万能な操作盤ではなく、統治の不確実性を増幅する装置として描く方が世界は強くなる。預言があるのに国家が混乱するのは、欠陥ではない。むしろ当然の帰結である。
5. 「作者都合」(確率例外)の制度化:偶然の偏りを世界内の力学へ翻訳する
最後に、最も厄介で、最も有用な例外がある。読者が「作者都合」と呼ぶものだ。世界内の言葉にすれば、それは「偶然の偏り」であり、「運の局所集中」であり、「因果の見えない介入」である。これを制度化するとは、偶然の偏りを否定することではない。偶然の偏りを、世界の側の解釈装置へ受け渡すことである。
方法は大きく三つある。
第一に、確率例外を世界の法則として置く。たとえば「世界は均衡を崩すと補正が働く」「大災厄が近づくほど因果が収束する」「物語的中心(運命点)に事象が引き寄せられる」。これはメタ的だが、明示することで世界内の学問(運命論、宿命統計、縁起学)が発達し、制度(厄災管理、儀礼、予防政策)が生まれる。
第二に、確率例外を主体の介入として置く。神、精霊、あるいは異界存在が、直接介入ではなく「偶然の配分」を操作する。直接介入よりも痕跡が残りにくく、政治は疑心暗鬼になる。ここから情報戦と宗教闘争が生まれる。偶然が偏るなら、誰かが偏らせたと人は考える。考えること自体が世界を動かす。
第三に、確率例外を制度の結果として置く。偶然が偏って見えるのは、実は情報の偏り、監視の偏り、救済の偏りがあるからだ、という解釈である。英雄が偶然拾う遺物は、実は神殿の配備した試練のネットワークであり、奇遇な出会いは、情報機関が作った導線である。ここまで来ると「作者都合」は「国家都合」「神殿都合」に翻訳され、世界内政治の駆動部になる。
いずれの場合も共通するのは、偶然の偏りが社会に知覚されるとき、社会は必ずそれを管理しようとするという点である。運を測ろうとする。運を売買しようとする。運を避けようとする。運を引き寄せようとする。ここから、賭博、占術市場、厄除け産業、護符経済、運命統計、そして運を巡る差別すら生じうる。確率例外は、最も卑近な制度(賭場)から最も高次の制度(国家戦略)まで貫通する。
6. 例外を置くときの原則:「起きた」ではなく「起きた後」を書く
例外を制度化する際の最重要原則は単純である。例外が起きた瞬間を書くのではなく、例外が起きた後の世界を書く。
勇者が現れたなら、徴税と軍事と宗教と法はどう反応するか。
奇跡が起きたなら、鑑定と認定と配分と偽造はどう動くか。
預言が流通したなら、市場と治安と情報戦はどう変形するか。
偶然が偏るなら、占術市場と国家機関はそれをどう利用し、どう恐れるか。
「例外が物語を動かす」のではない。例外が制度を動かし、その制度が世界を動かす。その順序を守ったとき、例外は都合ではなく必然に見える。




