人形姫と光焔の王子
「私はこの人形に恋をしてしまったんだ。もう他の誰も愛せない」
そう言って微笑みながら私の隣に座るのは、この国の第三王子。金髪に紫の瞳の美形で、ロイヤルブルーの上着がその美貌を際立たせている。中世から近世のヨーロッパ風の豪華な部屋に漂う空気は、初夏だというのにひやりとしていた。
「アーヴァイン様、どうか正気にお戻り下さい。わたくしとの婚約破棄が、そのような馬鹿げた理由とは、到底認められません」
頬を怒りに染めながらも冷静な口調で話すのは、美しい令嬢。銀髪に緑色の瞳。痩身のモデルのようで、淡い薄荷色のデイドレスがとても似合っていて素敵。
黒髪に焦げ茶色の瞳、普通体型の私とは雲泥の差すぎて心が痛い。
「クラリッサ、君が隣国王子と通じていることは判明している。君と公爵家に国家反逆罪を科すこともできるが、君の単独行為だともわかっているから、不問にしたい」
王子が笑いながら告げた言葉で、令嬢は表情をこわばらせた。紅潮していた頬が血色を失っていく。
王子が部屋から人払いをした理由がわかった。こんな話は側近にも使用人にも聞かせてはいけないと思う。
「そ、それは……」
「無実の公爵家を潰そうか?」
「それだけはお許し下さい……私は……」
「君が隣国王子を愛していることは知っている。婚約破棄でいいじゃないか。君は自由になって、隣国王子の求婚を待つことができる」
王子の微笑みを見て、倒れそうだった令嬢の頬は血色を取り戻した。
「わたくし……」
「私はこの人形を愛している。お互いに愛する者を大事にしよう」
うさんくさい。王子が他者に向ける慈しみの笑顔は、整いすぎている。目もちゃんと笑っているというのに、仄かなうさんくささを感じてしまう。
闇を照らす光のような美貌で、国民からは『光焔の王子』と呼ばれていると聞いて、本人の目の前で笑ってしまったのは昨日の話。
「アーヴァイン様の慈悲深い御心に感謝致します」
令嬢は深い感謝の礼を示し、どこか軽やかな足取りで部屋を退出していった。
◆
「さて、隣国王子は彼女に求婚してくるかな?」
「無理でしょ。どうせ使い捨てなんだから」
王子のつぶやきに突っ込みを入れると、王子の表情が一変して、口の片端をあげる。にやり。そんな感じ。
「さすが弥衣、察しがいいな」
「ヴァイの本当の顔を皆に教えてあげたいわね」
たった数日一緒に過ごしただけで、王子の表の顔と裏の顔を知ってしまった私に遠慮は無かった。人望厚く、誠実で優しい王子の顔と、笑顔で毒舌を吐くひねくれ者の顔。……どちらかと言えば、ひねくれ者の顔の方が人間っぽくて好きだと思う。
「私が弥衣を愛してるのは本当だよ」
「はいはい。そういうことにしておきます」
王子の言葉が本当なのかはわからない。ただ、大事にしてくれている。
五日前に新宿駅を歩いていた私は、突然この異世界に転移した。理由なんて不明。ただ、私がこの世界に現れた時、白い光と強い風が、暗殺者に囲まれて死にかけていた王子を助けた。
(王子にとって、私は命の恩人ってだけなのよね)
異世界に来ても、元の世界に未練は無かった。同棲していた彼氏は、突然動画配信者になって稼ぐと妄言吐いて、出て行って、それっきり。優秀な弟だけを可愛がっていた家族とは、学校を出てから音信不通。唯一心配してくれていた祖母も一昨年に亡くなった。
(あ。新作の服を見れなくなったのだけが未練かも)
私がこの世界に持ってこれたのは、彼氏と別れた腹いせに衝動買いしたブランド服。異世界転移するとわかっていたら、もっと買っておいたのに。
何枚も重ね着するファッションは、異世界の貴族服とも見劣りしない。それでいて、異質な空気を漂わせている。
「それにしても、まだ私は人形扱いなの?」
「異世界人より、その方が私が狂ってる感じがするだろ?」
「それはそうだけど、一日中一緒にいるって、不便じゃない?」
王子は国のために狂人を演じようとしている。人形を愛する王子になって、貴族たちとのしがらみを捨て、静かな侵略を仕掛けている隣国の企みを潰すため。
「異世界人は、女神から特殊な能力が授けられていると知られている。人形なら、そんな能力はないと油断させられるから都合がいい」
「この世界に、自分で動く人形ってあるの?」
「ああ。魔法で動かしているらしい。我が国には無い技術だ。誰も見たことがないから、どうとでも話を作ることはできる」
昔は魔法を使う者が多かったこの国は、今では使える者がほとんどいなくなっている。近隣の国でも魔術師や魔女、そういった能力者がいつの間にか疎まれ、蔑まれた結果、船に乗って遠い外国へと逃げてしまっていた。
◆
王子は毎日私を連れて公務に向かい、貴族たちに私を魔法で動く人形だと紹介していく。王子との奇妙な協力関係に慣れてきた私は、必要最低限の会話ができる人形の演技を続けていた。
異世界転移した私には、様々な言語を自動翻訳する能力が付与されていて、外国語でもしっかりと日本語として聞こえるし、読むことも出来る。
その能力を利用して、外国語での密談を聞き取り、犯罪の計画を潰したりと、忙しい日々を送っていた。
◆
一ヶ月が経ち、私は公爵家で行われる舞踏会へと参加していた。王子から贈られた王子の紋章入りのドレスや装飾品は、美しく煌びやかで重い。結い上げた黒髪に煌めく金のティアラには王子の瞳の色に似たアメジストとダイヤモンドがあしらわれ、ラベンダー色のドレスはシルクの上品な光沢。背筋を伸ばし、感情を殺して人形のように振る舞う。
この国の舞踏会は変わっていて、ペアで訪れた者も、一度男女に分かれて、ダンスフロアで出会うことになっている。
女性ばかりの控え室は十分に広さがあっても、ドレスを着ているから体感では狭く感じる。そんな中、私は周囲の女性から距離を取られていた。
「人形姫様、お久しぶりでございます」
遠巻きにされる私に近づいてきたのは、王子の元婚約者のクラリッサ。ふわふわとした柔らかな笑顔が、先日会った時よりも明るく感じられた。
「おひさしぶりです」
静かに答えて会釈すると、令嬢がそっと私の手を取って囁いた。
『わたくし、あの方に求婚されましたの!』
あの方とは、隣国王子のことだろう。そんな馬鹿なと思っても、それが本当なら不幸になる人がいなくなってよかったと思う。
『おめでとうございます。心からお祝い致します』
『ありがとう。……王子は……わたくしの為に婚約破棄して下さったのかしら……』
脳内お花畑の空気がざくりと刺さる。実は王子は、隣国王子とクラリッサとの縁をつなぐために私を利用したのだろうかと、浮かんだ疑問は、続いた言葉で打ち消された。
『あの方は、国での問題を片付けたら正式に求婚するから、待っていて欲しいと』
『失礼ですけど、それ、騙されていませんか?』
他人事ながら心配が先にきた。理由を付けて、待っていて欲しいというのは、結婚詐欺師がよく使う言葉。
『大丈夫です。こちらが約束の品ですのよ。……これがあの方の秘密の紋章』
令嬢がドレスの胸元の隠しポケットから取り出したのは、輝く青い石が嵌められた金の指輪。台座の裏に彫られた紋章が、隣国王子が持つ二つ目の紋章らしい。
『大変、失礼致しました。本当におめでとうございます』
疑って申し訳なかったと思う。姿勢を正して、私は心の底からお祝いを述べた。
◆
華やかな舞踏会が終わったのは、深夜を過ぎた頃。王城へと戻って二人きりになると、王子が私の顔を心配そうにのぞき込んだ。
「どうした? 何かあったのか?」
「……クラリッサに、隣国王子が求婚したって」
「求婚? 本当に?」
「私も疑ったんだけど、王子の秘密の紋章が入った指輪もらったって」
「秘密の紋章?」
王子は扉の外に控えていた側近に指示を出した。しばらくして戻ってきた側近は、厳重に鍵がかかった木箱をテーブルにおいて退出していった。
「これは周辺国の貴族の紋章が記されている。隣国は……この包みかな……」
手漉きの分厚い紙には、様々な紋章が描かれていた。指輪の紋章を思い出しながら紙をめくっていると、記憶にぴったりと合う紋章が見つかった。
「これ! ……待って。王弟の紋章?」
私が指さした紋章には『現国王の弟であり、公爵』と注意書きが書かれている。
「隣国王子には婚約者がいる。お互いに政略結婚らしいが、婚約解消は無理な状況のはずだ。……隣国の王家から求婚されて、嫁いだら相手は王子ではなく王弟だった……となるかもな」
「王弟って何歳?」
「四十二歳だったかな? 婚約者を亡くして独り身を貫いている方だ」
「表向き王弟に嫁いだことにして、実は王子の愛人にされるとか?」
「可能性はあるな。その状況に耐えられるかはわからないが……」
珍しく悩む様子を見せた王子が迷っているのが伝わってきた。
「……クラリッサの情報漏洩のおかげで何回も死にかけたんでしょ? 今更可哀想なんて、手を差し伸べても恩を仇で返されるのがオチよ」
それは自分自身への戒めの言葉でもある。王子は何度も死にかけていたし、私が初めて会った時には、血だらけで重傷だった。この異世界では、下手に温情を掛けると死に直結する。
「悪気が無かったというのは、一番質が悪いでしょ」
「いや。悪気はあったと思う。私が死んだら……というのは根底にあっただろう」
「それなら、余計に助けちゃだめでしょ」
「私が心配しているのは、王弟の方だ。まっすぐで面倒見の良い優しい人なんだ」
「あ、そっちなのね」
「……嫉妬したか?」
「嫉妬? 何で?」
「……クラリッサを助けるんじゃないかって思っただろう?」
「それと嫉妬がどういう関係なの?」
「……嫉妬していないのか……」
一瞬だけしょんぼりとした顔を見せた後、王子は微笑んだ。王子の作られた笑みでもなく、ひねくれ者の笑みでもなく、素直な笑顔に、どきりと胸が高鳴った。
「恥ずかしい話だが、私は独り言が多かった。誰もいない部屋で、誰の返事も期待できずとも、それでも何か言葉を吐き出さずにはいられなかった。弥衣と一緒にいると、独り言が独り言でなくなって、楽しくなった」
突っ込みが楽しいと言われても、私の方が恥ずかしくなってくる。
「弥衣が誰かと話す時、いつも私の心がどれだけかき乱されてるか、見せたいくらいだ」
「まさか、私が誰かと挨拶してる時も嫉妬してるの?」
驚いた。にこにことした王子の笑顔の裏に、そんな嫉妬が隠されていたなんて。
「本当は私だけ見ていて欲しい」
激重な感情が、その紫の瞳の中からあふれ出してくる。その想いの重さと束縛が、怖いと思う私と、心地いいと感じる私を自覚した。
「……二人でいる時だけで我慢して」
出会いから一ヶ月。まだ愛しているとは言えないけれど、好きと思う気持ちは生まれている。
そっと握られた手の温かさに、心が解けていく。
私は、王子へと笑顔を返した。




