第六話「灰を継ぐ者たち」
夜が、深く、重たく降りてきていた。
風は凪ぎ、空は黒と金の混ざった鈍色に染まっている。
カイとティラは、再びリュカの村へと戻っていた。
ゼルハの言葉――「村の記憶を喰らう」――が、嘘ではないことを証明するために。
「村の“記憶”が狙われている?」
村長は信じられないという顔をしていた。
「それは……我々の“心そのもの”を失うことに等しい」
ティラが静かに答えた。
「はい。虚白の使徒は、魔法ではなく“記憶”そのものを消去し、世界を“沈黙”させようとしています」
「……ならば、我々も戦わねばならんな」
誰かが呟いた。
その言葉は、かつて祈りと沈黙を選んだ人々の中に、微かな“火”を点けた。
カイはその姿を見て、小さく頷いた。
「……俺たちにできることは、魔法だけじゃない。
想いを、名を、言葉を、そして“繋がり”を断ち切らせないことだ」
⸻
その夜。
風見塔が揺れた瞬間、空が“裂けた”。
ゼルハが戻ってきた。
「思い出は、弱さだ。
誰かを想えば、必ず失う。そして痛みに変わる。
それを繰り返すくらいなら、いっそすべて、無に返せばいい」
彼の剣が振り抜かれる。
空間が歪み、村の祈りの碑が崩れた。
魔法陣が空中に広がり、村全体の“記憶の座標”が標的にされる。
「やらせない――!」
ティラが先んじて詠唱を開始する。
【記憶魔法・詩片の盾】
効果:特定の“共有された記憶”を盾として具現化する
代償:母が編んでくれた、赤いマフラーの記憶
盾が展開され、ゼルハの一撃を受け止める。
しかし魔力差は歴然。盾が軋み、ひび割れ始める。
「無駄だ。お前たちは“断片”を集めているに過ぎん。
私は、“一つの痛み”を絶対の力に変えた」
ゼルハが剣を掲げた。
記憶の結晶体が収束し、圧縮されていく。
――そして発動された、禁忌の魔法。
【記憶魔法・喪壊連鎖】
効果:複数の記憶を連結し、周囲の“想起の力”そのものを崩壊させる
代償:妹の名前、笑い声、最期に交わした言葉
周囲の空間が崩れる。
村人たちが、自分の名前を忘れ始めていた。
「母さん……?」「この人、誰……?」
“絆”が、砕けていく。
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「やめろ……!!」
カイが叫んだ。
その声に、かすかに“言霊”が宿った。
彼は、魔具に手を置いた。
「……この記憶は、誰にも奪わせない。
お前に奪わせない――これは、俺が守ると決めた記憶だ!」
魔具が起動する。
【記憶魔法・灰誓】
効果:自身の内にある“記憶の断片”を連結・再生し、精神力を限界突破
代償:自分の“本名”を失う
その瞬間、カイの周囲に“記憶の灰”が舞った。
失われたはずの景色、名前、笑顔――全てがカイの身体を包み、彼の魔力を増幅させていく。
「俺は、お前みたいに記憶を“利用”しない。
記憶で、“誰か”を守る――それが俺の選択だ!」
放たれた一閃が、ゼルハの魔力を真っ向から断ち切った。
連鎖魔法が中断され、結晶体が砕ける。
「バカな……そんな記憶に……“感情だけの記憶”に、俺の力が……!」
ゼルハは後退し、再び空間を裂いて姿を消す。
「――次に会う時、お前は自分自身のことも忘れているだろう」
その言葉だけを残して。
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静寂が戻った村に、灯火がともる。
村人たちはゆっくりと、名前を呼び合い始める。
「父さん……」「兄ちゃん……おかえり」
涙が流れ、笑顔が戻っていく。
誰もが、“自分が誰で、誰を大切にしていたか”を再確認していた。
⸻
翌朝、風見塔の上で。
カイは、どこか遠くを見ていた。
ティラが隣に立つ。
「……自分の本名、思い出せませんか」
「ああ。でも、名前がなくても……“誰かを守りたい”って気持ちだけは残ってる。
それで十分だと思ってる」
「なら、今のあなたの名前を、私が決めます」
ティラが微笑んだ。
「灰の記憶を継ぎし者――
あなたは“カイ”であり、“カイでなくても”、今ここにいる」
カイも、わずかに笑った。
「ありがとな。……ティラ」
風が吹く。
空には、朝日が昇り始めていた。