第五話「棺と記憶の狭間にて」
リュカの村を出て東に三日。
カイとティラは、古代魔導文明の遺構とされる谷に足を踏み入れていた。
岩肌は滑らかに削られ、かつて文明が流れていたことを物語るが、今はただ風が吹き抜けるだけだった。
「この先に、“思念棺”と呼ばれる記憶保管施設の残骸があるそうです」
ティラが言う。
「記憶を……棺に保管するのか」
「はい。代償を払いたくない者たちが、“魔法化しない記憶”として一時封印した――いわば、“記憶の墓場”」
カイは足を止め、空を仰ぐ。
金色に濁った空は、どこまでも遠く、どこまでも沈黙しているようだった。
「思い出は、忘れるために閉じるんじゃない。……取り戻すためにしまうものだ」
彼自身、無意識にそうつぶやいていた。
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遺構の中は、かすかに青い光が脈打っていた。
地下へと続く螺旋階段。崩れた壁には、古代文字が刻まれている。
「ここには……あなたの記憶が残されている可能性があります」
ティラはそう言って、中央の水晶棺に指を伸ばした。
――直後、棺の封印が微かに光った。
【記憶再生装置・詠紋起動】
カイの視界が、白く染まる。
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《記憶映像:再生開始》
激しい銃声。
瓦礫の街。逃げ惑う人々。燃える空。
そして、白衣をまとい、何かの装置に向かって指示を飛ばす自分。
「“記憶兵装・レミア式連鎖装置”の暴走を止めろ! このままじゃ都市ごと消える!」
そこにいたのは、間違いなく“カイ”。
だが彼は今よりも若く、何よりその瞳が燃えていた。
“誰かを救おう”とする純粋な意志。
――だが、それは止められなかった。
装置の起動とともに、街全体が光に包まれ、記憶が一斉に“失われていく”。
叫び。泣き声。名前を呼ぶ声が、空白に呑まれていく――。
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《再生終了》
「……っ!」
カイは息を荒くして膝をついた。
胸が痛い。視たばかりの記憶が、まるで“自分の罪”として胸に突き刺さってくる。
「……俺が、やったのか……」
「あなたは、止めようとしていた。そう見えました」
ティラの声は優しかった。
だが、カイにはわかっていた。
“結果として、多くの人間の記憶を消し去った”
それは、どんな理由があっても――許されることではない。
「……これは、“俺の戦争”だったんだな」
そのとき、空気がひどく冷たくなった。
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「ようやく見つけた」
その声は、地の底から響くように低かった。
階段の上から降りてきたのは、一人の男。
黒衣に身を包み、顔を半分仮面で覆っている。
右手に持つのは、“記憶結晶”を練りこんだ歪んだ剣。
その背中には、灰色の羽根のような魔力の残滓が揺れている。
「“灰の魔術師”……カイ・レミオ。
過去に怯え、罪から逃げた男が、今さら何を取り戻そうというのか」
「……お前は?」
「我が名はゼルハ。虚白の使徒の一人。
記憶を斬り裂く者。そして――“かつて、お前に全てを奪われた者”」
カイの目が見開かれた。
その声に、かすかな既視感があった。だが思い出せない。
「記憶とは罪だ。思い出した瞬間、人間は後悔する。
だから我らは“忘却”をもって救いとする」
ティラが一歩前に出た。
「そんなの……記憶を奪うだけの魔法なんて、ただの暴力です!」
ゼルハの目が細まった。
「ならば証明してみろ。お前たちが“記憶を守る価値がある”と――」
次の瞬間、ゼルハの剣が振り抜かれ、空間が断裂した。
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衝撃。
魔力の刃が壁を裂き、地面が崩れる。
ティラが詠唱を始める。
【記憶魔法・斬灯】
代償:父親と交わした“最後の握手”の記憶
光の刃が走る。だがゼルハは避けるどころか、
その魔力を“吸収”するように、剣で受け止めた。
「……吸収した……?」
「記憶とは、使い捨てるものではない。“再利用”すればよいだけのこと」
ゼルハの剣が青白く輝き――
次の斬撃で、ティラの魔法と同じ“斬灯”が発動された。
彼は、敵の魔法を記憶から複製する術を持っている。
「くっ……!」
衝撃に吹き飛ばされ、ティラが膝をついた。
カイはその姿を見て、拳を握り締める。
「ティラ……下がれ。次は、俺がやる」
魔具に手を伸ばす。だが、記憶が足りない。
ならば――
“名前”を代償にしろ。
【記憶魔法・返歌】
効果:相手の記憶魔法を反転・無力化
代償:かつて呼ばれた、自分の“あだ名”
魔具が起動。空間に走った光が、ゼルハの記憶の残滓を打ち消す。
斬撃が空を切る。
「なるほど……。ならば次は“個人”ではなく、“村”の記憶ごと喰らうとしよう」
ゼルハはそれだけ言い残し、空間を裂いて姿を消した。
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静けさが戻る。
だが、空気は以前と違っていた。
「……あいつは、俺の過去を知っている」
カイは言った。
「そして、“記憶そのものを武器にする存在”が現れたってことだな」
ティラが頷いた。
「もう、選べませんね。“思い出すか、忘れるか”。それは、戦いの選択です」
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そして彼らは、再び歩き出す。
己の名を削ってでも、守るべきもののために。