第三十三話「君を語る声は、誰かを生かす」
焚き火の火が消えた朝。
カイは再び歩き出した。
向かう先はない。ただ、声を届けるために進むだけだった。
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立ち寄った村で、ひとりの少女に出会う。
彼女は記憶を喪い、名前も、家族も、自分の言葉すら持っていなかった。
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誰も彼女の正体を知らなかった。
村人たちは“記録のない子供”として距離を置き、
彼女はただ黙って空を見ていた。
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カイは、少女の隣に座り、語りはじめる。
「――君によく似た人がいたよ。
その人も、名前を持たなかった。
けれど、心の中に誰かの言葉を持っていた。
だから、最後にはちゃんと、自分の道を歩いたんだ」
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少女は何も言わなかった。
けれど、次の日、彼女はカイのあとを静かに歩いていた。
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日が昇る。風が吹く。
カイは、少女に聞く。
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「名前、まだ思い出せないか?」
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少女は首を振る。
「……でも、あの話の“その人”みたいに、
誰かの声を覚えている気がする。」
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カイは静かに微笑む。
「じゃあ、そいつのことを語っていこう。
君がその声を思い出せるまで、何度でも話すよ」
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その日から、二人の旅が始まった。
少女はまだ、自分の言葉をうまく話せない。
けれどカイの語る“誰か”の話に、時折小さく頷くようになった。
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やがて少女は、カイの書く本の隣に、
自分なりの“言葉の絵”を描きはじめた。
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それはまだ言葉ではなかったけれど、
“伝えたい想い”がそこには確かに存在していた。
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「君を語る声は、誰かを生かす」
「そして、君を思い出す誰かが、また別の誰かを生かしていく」
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語るということは、つなぐということ。
それが“記憶”を超えた、
“想いの継承”なのだと、カイはようやく理解していた。
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少女は名を持たなかった。
けれど、語られるたびに、“何か”を取り戻していた。
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そしてある夜、少女がカイに問いかけた。
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「カイ……君の話の中の“彼女”って……誰だったの?」
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カイはしばらく黙っていた。
そして、遠くを見つめてこう答えた。
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「……俺も、もう名前を思い出せないんだ。
けど、声は覚えてる。笑い方も、泣き方も、背中の温もりも」
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少女が、少しだけ笑った。
「――じゃあ、それでいい。
“名前のない私”でも、生きてていいって気がする」
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夜空の下、少女は小さく呟いた。
「私も、いつか“誰かの物語”になりたいな」
「名前がなくても……私を語ってくれる人がいれば、それでいい」
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その瞬間、カイの中に、確かに何かが灯った。
“語る”ということの本当の意味。
“名前”がなくても、“君”と呼ばれるだけで、人は生きていけること。
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彼は筆を取り、新たな一節を書き加えた。
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「この子に名前はまだない。
けれど、今この瞬間から、
彼女の“想い”が誰かに届くなら――それが“命”だ。」




