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『記憶の海、沈まぬ君へ』  作者: 梅犬丸
第五章『虚白の王、記憶を拒む』
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第二十九話「沈まぬ君へ、言葉を贈る」

 虚白の月が完全に崩壊し、

 《記憶の海》には静寂が訪れた。


 すべてを忘れたかった存在、虚白のナモノは――

 記録にではなく、言葉にして名前を残すことを選び、自ら消えていった。



 だが、それと引き換えに。


 カイの中の“ティラの記憶”もまた、代償として薄れていく。


 魔法を用いて想いを継いだ分、

 彼の中の“彼女の存在”は、もはや輪郭を持たないものとなりつつあった。



 それでも、彼は歩いていた。

 世界の誰もが、再び“記憶を持ち、生きていることを実感できる”ように――



 かつて灰誓の地にあった《記録核ノモログス》跡地に、

 彼は一冊の小さな本を置く。


 それは、誰の魔法にも縛られない、ただの“紙の本”。



「……ここに、ある人の話を記す」

「その人は、名前がなかった。

でも、歌が好きで、人を想うことを忘れなかった」



 ページが一枚、風にめくられる。


「その人は、誰かに名前をもらった。

その名前が好きだった。

だから、別れのときも、こう言った。

『私は忘れられてもいい。でも、あなたは忘れないで』」



 カイはその手を止め、空を見上げた。


 ――そこには、雲の間から差し込む微かな光。

 彼女の声ではなく、“存在”そのものの気配。



 そして彼は、最後の言葉を書く。


「彼女はもういない。

でも、誰かがこの本を読み、

彼女の“想い”を知るなら――

それは、彼女が今も世界にいるということだ」



 書き終えると、彼は本にタイトルをつける。



『記憶の海、沈まぬ君へ』



 それは、記録ではなく、祈り。

 魔法ではなく、物語。



 そしてそれこそが――

 “誰かを生かし続ける、たったひとつの力”。



 最後に、カイは誰にも聞こえないように、空へ語りかける。



「ティラ……お前の本当の名前、もう思い出せないけど――

 “ありがとう”だけは、ずっと覚えてる」



 風が優しく吹いた。

 言葉にならないその風が、まるで“彼女の答え”のように、頬を撫でていく

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